1.
漆黒の空間の中。神は、孤独だった。
永遠にも思えるような、永い、永い時間の中。そこにあるのは、己の意識ただそれのみ。上も下もなく、自分の身体がそこにあるのかどうも知覚できず。
何も見えず、何も聞こえないその中で。神はその意識を閉じることもできず、そこにあり続けた。
虚無。それを今、感じている。真に何も存在しないその中で、ただただ意識のみが在り続けるという矛盾。悠久の時の流れで、かつて神と崇められた狐は、自らが消えていくのを漠然と感じていた。
神がかつて呼ばれていた名は「亜月」。地方の山の麓にある小さな集落、そこでのみ限定的に崇められていた狐。
だが、集落はその神を崇めていたがために、時の権力者によって末路わぬ者共として扱われた。神は悪神――「悪月」として敵視され、そして最後には封印されたのである。
永い時の流れは、神を地の奥深くへと沈め、その存在を抹消した。
そこに在るということは、他者に認識されるということである。神も、人も。いや、あらゆる命が、事象が、この土台の元に成り立っている。
故に。誰からも忘れられ。認識の出来ない小さな神は存在しないモノとして在り続けた。
――だが、消滅したはずのそれに、一筋の光が差した。
自分が何者なのか。自分はどこで生まれたのか。自分はここに居るのか。そもそも自分は何なのか。その全てを忘れた神を照らす一条の奇跡。
それが何であるかはわからない。知らない。だが、気がつけば神はそれを掴んでいた。その手に、本能から求めていたとでも言うように。半ば無意識的に縋っていた。
己以外の、他者と言う存在のそれを。久方ぶりに感じたぬくもりを。
◆ ◆ ◆ ◆
――愛月は目を覚ました。ベッドの中、掛布団と己の尻尾にくるまって。シーツに涎をべっちょりつけながら瞳を開ける。
「…………」
夢。数年前の夢。永劫とも思われた暗闇の中、永き封印とそれが解かれる最中の夢。それにただただひたすら懐かしさを覚え、目をこする。
愛月はおよそ2000年前に封印された、狐の妖怪だった。いや、神だった。それら、かつて不可思議な存在と括られていたモノは、今ではU生体と呼ばれているが、彼女はその特別な力を持ち、人の姿を取ることが出来る狐である。
そんな狐のU生体は、霧仁 奏瑪によって永い永い眠りより解き放たれた。それは彼が彼自身の目的のために行ったのが理由だが、愛月はそれによって、文字通り救済を得たのである。
「――いない」
さて。その奏瑪を愛月は探してみるが、部屋の中には見当たらない。
昨夜愛月は、奏瑪が自室に入ったころ合いを見計らい、いわゆる夜這いをかけた。布団の中に潜り込み、ひとつとなるという目的の元。
――だが、その時既に、早いかな奏瑪は眠りに落ちていた。部屋に入って一刻の10分の1も経たないくらいだったと、愛月は認識している。が、その時彼は既に眠っていた。
かれこれ過去幾度となく夜這いをかけていた愛月だったが、いつもそのタイミングを逃していて。そして昨夜も同様に逃したわけで。
普段考えるよりも先に動く愛月ではあったが、安眠している奏瑪を起こす気にもなれず。とりあえず布団に潜り込んで寝顔を眺めていたら――この通り、寝落ちしてしまったわけである。
ちなみに、愛月に割り当てられた部屋は、この部屋の向かい側にある。この部屋ではない。
「ん――」
もそもそと身をよじり、愛月は奏瑪の使っていた枕へと顔をうずめる。
「んむっ、ふぐっ、ふぐぐぐぐ、んはぁ」
自分の愛するヒトの匂いを、愛月は堪能する。
封印を解き。口の利き方も忘れていた自身に言葉を教え。そして迎えてくれたことを、愛月は忘れない。
気の遠くなる年月。もはや神としていた時のこともほぼ思い出せない愛月にとって、奏瑪と言う存在は唯一無二であり、そしてもはや自分の半身と言っても過言ではなかった。
言うなれば、それは運命。そう、運命なのだ。遠き時代より約束されていた事象である。
全てがまっさらとなり、そうしてその中に飛び込んできた絶対。それが、「霧仁 奏瑪」と言う名の運命だった。故に愛月は、彼と一つになりたいと思っていた。
一つになれば、離れることはあり得ないだろうから。二度とあの永劫の闇の中、朽ちゆく己の意識に恐怖しつつ孤独に身を震わせることなど、ないのだろうから――……、
……――スパァァァン!
「むぶっ」
「愛月サン、何やってるんデスカ!?」
頭に衝撃を受け、思わず愛月は呻く。顔を少しだけ動かし視線を向けると、金属の匂いを僅かに漂わせるオジャマムシ、イルの姿があった。
「ん、ぅ、じゃま」
「アンタが邪魔なんでっしゃイ!」
掃除用具を振りかざし、何故か妙な言葉遣いになりだすアンドロイド。そこから耳を遠ざけるように、愛月は枕を抱えて布団のさらに奥へと身をうずめる。
「だから掃除すると言っていますでショーガ! というかなんですか、なんで奏瑪のベッドでまたアナタは寝ているのデスカ!」
一方のイル。主たる奏瑪より、また愛月がベッドにもぐりこんで来たことを聞いてはいた。
しかし、時刻はもはや昼過ぎ。奏瑪は普段起きるのが遅めで、今日は十二時直前の起床。通常はイルが午前九時までには起こしているのだが、早朝、近隣の寂れたスーパーのタイムサービス狙いで買い物に行っていたため、起こすのが遅れたのだ。
なお、現在時刻十三時半。愛月は、それまでずっと眠りこけていた。
「アナタはアナタのお部屋があるデショウ!」
「わたしは、奏瑪のおふとんがいい」
「アナタがそこで寝ると抜けた尻尾の毛のお掃除が大変なんデスヨ! 奏瑪の寝間着も含メ!」
「しらない。むしろ、そのままでいい。わたしと奏瑪は、ひとつになるのだから」
埒が開かないので、イルが布団を取り上げる。
「――さむい」
「知ったこっちゃねーデスヨ! ご自分のお部屋にお戻りナサイ! そっちならいくらでも寝ていて構いませんカラ! アア、こんなに毛だらけにシテ!」
「ちょうど、毛がはえかわるきせつ」
「だったらなおの事おやめなサイよこのケダモノ!」
「わたしは、しょーどーにしょうじき」
布団を取り返そうと、三本の尻尾が触手のようにそれを絡め取ろうとする。それに対抗する、高性能アンドロイドも、両腕に布団を抱きしめ奪い取ろうと必死になる。
ぎりぎり、ぎりぎりと、飽和状態のダムが決壊するかのように、不穏な音が部屋中に響く。響くったら、響いていた――……、
ビリィィィッ!
派手な音が部屋に響く。布団の中身は羽毛。二分された勢いにより、中の羽が空間を積雪中のように彩った。
「…………」
「…………」
一瞬の、間。
「わたしは、じぶんのおへやにいく」
「待てや逃げるな駄狐ェ!?」
愛月は逃げるが勝ちと、まるで揺れる木の葉のようにゆったり、素早く部屋を出て行った。
対するイルは、狐に落とし前を付けさせようと、取って返して後を――、
ピンポーン、
後をつけようとして廊下に出たところで、チャイムが鳴った。
「イル、来客――……何をしているんだい君は」
「奏瑪――ハッ!? イエ、これは違うんデス、ソノ!」
廊下の奥の書斎、その入り口で、奏瑪が訝しむ目をしている。イルの手には、真っ二つに裂けた羽毛布団。廊下には、それこそうっすら積もった雪のように羽が。
「ドジするのは構わないが、ちゃんと自分で片づけたまえよ」
「ワタシではありませんよォッ!?」
そう言って、奏瑪は書斎へ。愛月は――既に自室へと戻り扉をしめていた。鍵を閉める音を聞き、アンドロイドは小癪な、と思った。
またもや、チャイムの明るい音が鳴る。
「アアアアアアッ! もう、少々お待ちくださいってバァッ!」
イルは今朝、自身と繋いだネットワーク上で確認した星座占いの結果を思い出す。
運勢は最悪。他人のせいで不幸を背負うことになる可能性にご用心。