3.
「くそっ! くそっ! くそっ!」
蹴り飛ばされた椅子が机に当たって双方に傷がつく。どちらもそれなりに値の張る代物であるが、それを行った本人は気にも留めない。
愛葉 親太朗は苛立っていた。自室で一人きりとは言え、事態の進展の無さに、思わずモノに当たってしまう程に。
彼が教祖を務める、「救済機関リ・アクティヴィティ」。表向きは、O生体の真っ当な生命、価値を主張し、そしてそれを脅かすU原体を呪われし因子として、O原体こそが至高であることを訴えた教団である。
O原体と比較し、U原体の特殊性を嫌う者達が集まり、その恐怖を共有すべく元々は設立された機関。思想を同じくする者が集まり、2万人にまでその数は達していた。
それはさらに、「AE技術」と言う、O原体とU原体の双方を完全に融合させると言う技術が数年前に発表されてから増してもいた。それだけ、世間には異なる性質を排斥したがる者達が居るのである。
だが元々、10年前はただのカウンセラーだった親太朗が、そう言った思想を持つ者達との会合の場を設けた程度が始まりであった。その時点では、過剰な潔癖思考の治療を行っていたのが真であり、当時は今のような目的など無かった。
そのため、ここまで拡散することを、彼は想定していなかった。
彼はただ、仕事をしていただけにすぎない。持ち上げられるまで、教団を作ることなど考えたこともなかったのである。
しかし今や、彼は一部の狂信者にとって、無くてはならない存在とまでなった。
そもそも、亜人種や魔物などは、二源世界論提唱前から、既に世の中にいた。
信者達が問題にしているのはどちらかと言うと、主にU原体が身体の元素を作るU生体の彼らではなく、U原体を持つ、己を含んだ“人間」”である。親太朗の元に集まったのは、“異物”を嫌う自称潔癖な者達なのだ。
自分達“普通の”人間の中に、異能――もといU技術を使える、あるいはその素養がある者がいる。人間とは、己とは異なるモノの排除を求め、その思考の元に結集する生物でもある。
つまるところ信者らは、自身の「人間」を脅かしかねない存在を、本能的に許せないのだ。
――そして近年、U原体に対する認識が緩和し、むしろ容認、社会的需要が出始めたことも、信者ら増加につながっていた。
なぜなら、U技術の由来の素養を持ちえない、使えないと言うことは。即ち、“無能”を意味し、自身らの居場所の消失を意味していたからだ。
「おとーさま、どうしたの?」
「っ、」
親太朗は、扉の外から聞こえてきた幼い声に、はっとなった。今年で6歳になる長女の希美だ。その声を聴き、彼は扉を開ける。
「おとーさま、すごくおこってたけど、どーしたの?」
「いや、別に何ともない、さ」
「のぞみ、おとーさんがこまってたらおてつだいするよ? きょーだんのうんえーがたいへんだって、おかーさまが」
親太朗は愛しい娘の不安げな顔を見つつ、顔をしかめたくなってしまう。ありがたくもあるが、しかし少々迷惑でもある。
今、教団――もとい親太朗は、未曽有の危機に陥っていた。
教団を存続させるため。そして、さらなるお金を得るために、数年前に親太朗は教団員達に、「この世界をU原体とO原体の切り離された世界に分離する」と大見得を切ってしまったのである。幾らかの実績を積んでいるが故に、それは思いの外容易に信用された。
おかげで、教団に入信している資産家たちはそのための資金提供を惜しみなく行い、人員も含めた設備も整った。加えて、さらに生活は上向いた。
しかし先日。成果の上がらないことに業を煮やした一部が、投資をやめることを仄めかした。これ以上金を出しても無意味であると、渋り始めたのである。
彼らは一様に、それなりの影響力を世の中に与える人物たちだ。そんな彼らが、教団から離れていったらどうなるか。それこそ、信者達から不信の声が溢れ始める切っ掛けになり得る。
そうなれば、理念存続のために非合法な手段に手を染めても、一部の影響力の強い公務員を取り込んで難を逃れていた現状が立ち行かなくなる。そしてそれも一種のパフォーマンスだった故、徐々に事態は収拾がつかなくなりつつもあった。
だが、親太朗は今更引き返すわけにはいかなかった。というより、引き返せなかった。
「父様は、まだお仕事があるからね。母様のところに戻っていなさい」
「でも――」
親太朗はしゃがみ込み、娘と目線を合わせる。
「私はもう大丈夫だ。希美の顔を見たら、また頑張れる気になれたよ」
「ほんと? ほんとに、ほんと?」
「ああ、本当だとも。ありがとうな、希美」
親太朗は娘の頭を優しく撫でると、母親の元へと返した。
私利私欲だけではない。愛する娘・希美のために、そして妻のために。今やテロリスト同然とまで化している教団だが、止める事は出来ない。
リ・アクティヴィティの、最悪な形での崩壊。それは彼女らの身を危険にさらしかねない。教祖の親類と言うだけで、彼女らにその業を今は背負わせてしまっている。
「――苛立っていても仕方がない。進展のない実験を放棄し、新たなる手段を研究員共に考えさせねば……」
扉に鍵をかける。親太朗は学者ではないため、O原体やU原体のことも、詳しくは知らない。だが、計画に見切りをつけ、新たな計画を進言することは出来た。
一応、大見得を切れた際には、それを言えるだけの根拠があった。というより、教団が生まれる切っ掛けとなったのも、その「道具」があればこそのモノだった。
U原体部分を、O原体部分で再構築できる力を持った、「奇跡の珠」。いつの間にか持っていた、しかし学者たちにすら原理の解明できないそれを使えば、世界を書き換える事など容易いことだと高をくくっていたが故の事だ。
しかし、今はどういうわけか、それは親太朗の言うことを一切聞かなくなっていた。何を言おうとも、うんともすんとも起動されなくなってしまった。
しかも現在では人の姿を取り、人格めいたモノまで発現している。地下に閉じ込め、厳重な警備の元今も監視が続けられているが、親太朗はこの意味の分からない事態に困惑し、憤り、焦っているのである。
前触れなどなかった。ある日突然の出来事。道具が、いつの間にか人間になっていた。親太朗からしてみれば、これほど笑えないジョークも無かった。
「失礼しマス。教祖様はいらっしゃいマスカ?」
扉のノックと共に、その向こうから聞こえる女性の声を親太朗は認識した。
しかし、その声は幹部のものではない。とすると、一般団員かもしれないと、親太朗は思った。だが、この区画は、一般団員は立ち入り禁止になっている。
「すまないが、手が離せないのだ。後にしたまえ」
「いえ、今、教祖愛葉 親太朗様に聞いていただく必要があるのデス」
丸ノブに手をかけられたかのような音。ガチャガチャとそれを回す音。しかし扉には鍵がかかっている。そのため、開くことはない――、
――ハズだったが。バキッと、プラモデルの部品を取り外すがごとく、それは開いた。
「な――っ!?」
「お邪魔しマス」
現れたのは、見知らぬ長い銀髪のメイドだった。鍵を引きちぎったにもかかわらず、どこか慈愛さえ感じる微笑みを浮かべている。
「き、君は何者だ!?」
侵入者。親太朗は、あからさまな異常事態に動揺する。
「お久しぶりデス。ワタシはイル。とある方の依頼により、使いに寄越された者デス」
「い、依頼――? っ、」
ついに、暗殺者めいたモノでも差し向けられたか。親太朗は恐怖を覚えつつも取って返し、頭から滑りこみつつ、ベッドの下に忍ばせておいた拳銃を取り出した。
「う、動くんじゃない!」
「ううん、ワタシとしては、こちらの話を聞いテいただきたいのデスガ――」
「わ、私は本気だぞ!?」
射撃を学んだことのある親太朗には、この程度の距離ならば思い通りの箇所に命中させる等、一切難が無かった。仰向けから身を起こした体勢では踏ん張りがきかないため、反動はどうあっても防げないが、自身の命の危機は免れられる。
しかしイルと名乗るメイドは、そんな教祖の警告を無視して一歩踏み出した。
「――っ、」
それに過敏に反応したかのように引かれる引き金。火薬の爆発によって押し出された鉛弾が、「パァン」という破裂音と共に発射される。
それは、イルの眉間に直撃。例えU生体であっったとしても、身体構造の基本は大多数の生命体と変わることは無い。脳が弾ければ、その生命は停止する。
だが、弾けたのは銃弾の方だった。
「っ!」
弾丸がヒットしたためか、メイドの頭が「カンッ」という音と共に後ろにガクンと揺れる。火花が散り、ほぼ同時に跳弾したため天井の電灯が割れた。
――が、それだけ。一度ノックバックしてから再び正面を向いたその額は、少々赤くなっているだけで、小石でも当たった程度の変化しか見られない。
「部屋の中で銃を撃たれては危険デスよ?」
ヒットしたときに金属に当たったような火が弾けたこと、それからどこか枠にはまったような話し方と共に、親太朗はようやく、目の前のメイドがロボットであることに気が付いた。
しかし、メイド型のアンドロイドには、たとえ護身用拳銃でもその弾を弾くような強度はない。そもそも必要無いからだ。それは扉の鍵を破壊したことにも言える。
むしろそれは軍事用アンドロイドであり、しかしあちらは剛性の高い、無骨ないかにもロボット的外見であるはず。そうすると今度はおかしいのがこの華奢な少女姿である。
ちぐはぐな特徴。ウォーリアーアンドロイド並みの強度とパワーでありながら、所作や言葉遣いはライフサポートアンドロイドという――、
グシャッ。
「っ!?」
「なので、申し訳ありマセンが、破壊させていただきマスネ?」
拳銃が、イルの手の中で紙の箱のように握り潰された。
親太朗は死を覚悟した。圧倒的力差。意味の分からない強靭さ。魔物などよりもよっぽど恐ろしい、正体不明の力。
「我が主より伝言デス」
「へ、あへ、あ――へぁ?」
だが、そんな様子の見られない言葉。親太朗は間抜けな声をあげる。
「『世界中の教団員を、一人残らず一か所に集めろ』だそうデス。一週間後の14時丁度にお願いします」
あまりにも唐突な、伝言――もとい要求。
「あ、な、なんだ、何を言って――?」
親太朗には意味が解らなかった。突然進入してきたかと思えば、教団員をすべて集めろとは。
しかしそんな教祖の疑問をよそに。イルは端末を取り出して、その画面を親太朗へと見せた。
「こちらに映る写真の娘さん。可愛らしいデスね。奥様も、お美しいデス」
「お、おま、え――ッ!?」
親太朗は、画面の中に拘束された娘と妻の姿を見た。
「古典的デスが、人質を取らせていただきマシタ」
何処かもわからぬ部屋で、目隠しされ、布を噛まされ、簀巻きにされた二人。それは、親太朗を動揺させるに充分な光景だった。
「い、いつの間に、いや、さっきまで希美は――そうだ、その映像がよくできた偽物だろう! この屋敷の警備は、そんな甘いものじゃない! そんな嘘で私を騙そうなど、」
「ンー、そう思われるならば、ご自分でお確かめになってくださっても構いまセンヨ」
親太朗の指摘にも、メイドは涼しい顔をしていた。いや、アンドロイドなのだからその表情は作られたモノだと思うが、それにしては妙に人間臭い様子で。
しかしだからこそ、彼にはこれが冗談などではないことが確信できた。
「先ほどお話されていた直後、捕らえさせていただきマシタ。ワタシたちにとっては、造作もないことデス。何なら、声をお聞かせしまショウカ? あちらの部屋にあるスピーカーとこの端末はつながっているのデ、うめき声くらいの反応は返してもらえるカト」
掌サイズの機器が拡張されたその間隔に出力されるホログラフ画面。一般的な携帯端末。しかし、そこに映されている映像は、日常とは程遠い。
「では、よろしくお願いしマスネ。二万人の教団員の召集。一人も漏らさず、集めるのデスヨ?」
「っ、待て、待ってくれ! 無茶苦茶なことを言うな! 何人いると思っているんだ!?」
あまりにも無茶な要求だった。万人規模の人員を、一人も漏らさずになど。
しかしイルは、そんな困惑などどこ吹く風、という様子で親太朗に背を向ける。
「集める場所は――そうデスネ。この窓から見える、あの大きな講堂がよいデショウ。我が主からもう一言。『君の一声ならばいくらでもどうにかなるだろうが、無理なら無理で構わない。勿論、人質の身の安全は保障しないが』、だそうデスガ。いかがいたしマショウ?」