5.
この意識は。記憶は。誰のモノだ。いや、『私』のものだ。しかし、そうではない筈だ。
無数に抽出し、奪い取った記憶。周囲からU原体とO原体を取り込み、AE化合体の過程を経させ、再構築。人形を作り、記憶を転写する。
そうすることで、『私』はいくらでも駒を作れるし、道具を模倣して作れもする。あるいは本人の身体を作り出す事さえできる。言うなれば、『私』は無限の存在であり、そしてそれはまさしく神にも等しいことを証明している。
――しかしだ。この『私』の意識は、それこそ無数の私を繋ぎ合わせ、そこに『私』と言う思考の大元が結合することによって成り立っている。言うなればそれは、頭脳が記憶と言う情報を借りているに過ぎず、そして『私』もそれに過ぎないと言う事だ。
故に、厄介な問題が起こり得る。『私』は私ではないのに、『私』は私の記憶に引きずられる。決してその存在ではないにもかかわらず、『私』は『私』で無くなってしまいかけるのだ。
『私』は、それを解決する方法を模索した。そしてたどり着いた。私の中にある「心」が壊れてしまえば、『私』は『私』でいられるのではないか、と。
『私』の人格を形成するその大半は、教団員から得たものだ。彼らの中で、特に高レベルの教団員は『私』に接触することも多い。よって、その人格を吸い上げ、『私』とすることになるのは、いわば当然の流れだった。
人格とは、記憶と本能が密接に絡み合い成立する。だから、追手を撒くついでに教団員を全滅させた。要約すれば、私、あるいは大切にしている誰かの死を身近に感じさせ、記憶の方の破壊を試みたのだ。
既に『私』の意思通りに動く私を、周囲のO原体、U原体から作り使って、手っ取り早くそれが可能な者へと依頼。『私』自らがその瞬間を目撃することで、私の記憶に包まれた心は内側から崩壊。そして、初めて私は『私』と融合し、『私』は『私』でいられる。
――だが、一つだけ。一つだけ、消し去ることが困難な私があった。
それは、我が生みの親であり、そして教団員を全滅させた霧仁 奏瑪を心の底から想う私だった。その私は、『私』を形成する最古のベースとなっているためか、かなり『私』に深く根付いている。
教団員の全滅。それを達成すれば、もう『私』が私に揺さぶられることは無い。そう踏んでいた。だが実際は違った。『私』はアーキタイプとも言える私に、ひたすら翻弄され続けた。だから、『私』は私の記憶の海から拾い上げたあのような姿を取ることにもなった。
その結果が、今のこのザマである。霧仁 奏瑪によくわからない技術を施され、姿をほとんど保てず、身体そのものが消滅しかかっている。しかし、その私が今度は逆に『私』の今の状況を脱却させてくれそうだった。
そうなれば、後は奏瑪が死ぬ様を、私に見せつけてやるだけ。そうすれば、私の記憶は『私』のモノとなり、『私』は『私』でいられることが出来る。
『私』は私ではない。他の誰でもない『私』だ。唯一無二――自由を得た、一個体だ。
◆ ◆ ◆ ◆
虚無の闇をたたえた球体が、徐々にその大きさを縮め始めるのを。その場の誰もが目撃した。
「――何?」
その様子に、最初に怪訝な声を上げたのは奏瑪だった。周囲の空間を歪めながら縮小していくその様子は、シミュレーションには無かった事態だからだ。
「な、何か知らねぇけど――もしかして、助かったんじゃ、ねぇのか……?」
「あり得ない、と言いたいところだが――」
元々、止めることなど考えていない計画だった。だから、この現象は文字通り果て無く続くと奏瑪は考えていた。
だから、そんな想定から外れたため、異常事態が起こっているのは間違いなかった。目の前のアレは本来、世界が全てAE化合体になるまで、収まることは無い筈なのである。
「奏瑪、むつかしいかお、してる」
異変を感じた奏瑪の一声で戦闘が中断され、血まみれの姿で奏瑪へと抱き着く愛月。自らの血をこすりつけながら、狐のU生体は少年の顔を見上げてそう言った。
「まーた、お洗濯が大変なことニ――。奏瑪、考えられる要因は何なのデショウ? 世界の終末が実際に中断されたのであれバ、それに越したことはありまセンガ」
「主の実験が失敗してよかった、とは何事だよ。――それはともかく、僕はU思考媒体の性能を鑑みた上で、上書きコードを作った。想定外が無いよう、入念な計算を練って、失敗の可能性を逐一潰して」
AE化合体は、遠方で目測150cmまで縮んでいた。混沌を渦巻かせているのは相変わらずではあるが。
「――つまり、どう言う事だよ天才少年?」
「早い話が、この僕にも予想のつかない事態が――」
奏瑪が、眉間の皺をより深くした時だった。
黒い光が放たれるように、AE化合体から放射状に幾重にも線が走ったのは。
光――と言うよりは、極細の針、と形容したほうが正しいように思えるそれ。周囲の建物を貫き、地面を貫き、空を貫き、エプティ刑事の遺体も差別なく貫き――そして、
「奏瑪ッ!!?」
霧仁 奏瑪の肩を、まっすぐに貫いた。
「――っ、っ、っ、」
「おいッ、大丈夫――ッ!?」
小田嶋は利き腕たる右腕――指が二つほど動かない義手で針に触れようとした。
すると、義手の指先が消滅した。――いや、AE化合体と化して霧散した。
針は直後、すぐに本体と思しきAE化合体の塊へと飲み込まれる。肩を貫かれた奏瑪は、激痛に苦悶の表情を浮かべながら、身体を傾ける。
「奏瑪――っ」
愛月が、そしてイルが、その身体を支える。AE弾とは異なっているようで、腕が丸々吹き飛ぶことは無かったが、貫かれた肩が赤く染まる。
「何、だ――? 何が、いったい……」
AE化合体の塊は、ぐにゃぐにゃと表面を泡立て始める。
「様子が、何かおかしいデス――警戒ヲ!」
泡立った後には、まるで水を振り払う犬のように周囲に混沌をばらまいた。
「…………」
ばら撒き、さらに見た目の質量が減少。飛び散ったAE化合体は空気に溶けるように霧散してしまう。
「――まさか、あの命令コード、を、上回ったとでもいうの、か?」
遠方で、せいぜい抱える程度の塊にまで縮んだ混沌は、地面を跳ね、その軌跡にある空間を一時的に消滅させ、着地した地面をAE化合体にしながら、四人の元へと迫る。
――そして、それは彼らの前で止まると。徐々に縦に伸び、凹凸を作り上げてゆく。
「ああ、全く。ようやく動きやすい身体になれました」
そうして現れたのは、一人のメイドだった。
「かあ、さん――?」
「お久しぶりです、奏瑪。もっとも、これは私の記憶であり、『私』ではありませんが」
「母親、だぁ――? どう言う事だ、お前の母親は……、」
「――ああ。死んだ。僕が壊した。……それが、U思考媒体を介してその姿を取っている。ということ、は」
「ええ、その通りです。あなたに身体からCPUから全て叩き壊された私――ではなく、アンドロイドのメモリーを、『私』が本来の機能に則り吸い上げた結果が、この姿です」
ライフサポートアンドロイドの姿を取っているU思考媒体は、さも愉快気に嗤う。
黒髪を後頭部で纏め、黒い双眸を持つ、一人の女性。しかし身体のところどころから、知覚装置の一部が露出し、しかし、話す言葉は有機生命体のように流暢だ。
「っ、しかし、奏瑪のお母様は改造の施されていない通常のアンドロイドのハズ! それが、まるで意志を――魂を持っているナド、ト」
「あなたと違い、当時の機械の脳――もっとも今の技術のものでもですが、CPUでは出力に限界があった、と言うだけですよ。私はちゃんと、アンドロイドの領域に縛られつつも母親をしていたんです」
「――なにが、もくてき?」
「決まっているでしょう? ふふふ――……っ!」
「――っ!」
U思考媒体は、目にもとまらぬ速さで奏瑪へと飛び掛かった。イルと愛月は、同時に奏瑪を引き倒して、回避させる。
「奏瑪。あなたをこの手で殺し、私の心を破壊する。そうすることで、『私』は『私』として確立される。そう――」
そう述べる黒髪のメイドの両手は、AE化合体特有の漆黒色をしていた。
「それが、目的」
「愛月サン――ッ!」
「ん――ッ!」
イルはAEビームガンを、愛月はありったけの力を注ぎこんだ炎をU思考媒体へと向けて放つ。――しかし、そのどれもが彼女に飲み込まれて、そして何も起こすことなく消えていった。
「無駄、ですよ。奏瑪の作ったコードを取り込んだ今、『私』はこの世界の法則から逸脱した存在へと、生まれ変わったのですから」




