3.
「……――っ!」
書斎の本棚にはたきをかけていたイルの手が、ピタリと止まった。
「どうしたんだい?」
「あ、イエ――」
珍しく早朝に起きていた奏瑪に問いかけられるが、イルは何も無かった様子を装った。そのまま、作業を再開することにする。
しかし実際は、奏瑪に内緒で張り巡らせていたネットワークへの網が、自分達を探る情報のやり取りを感知したのである。
具体的に言えば、それは自分達の居場所を探しているモノ、と言うべきか。今はまだその過程に過ぎないが、状況が状況なだけに、警戒は怠れない。
今までそう言うことが無かったわけではない。いかに依頼者の記憶を消しても都市伝説として話が残ってしまう程度には、奏瑪の世界に対する嫌がらせは認知されている。藁にもすがろうかという者が、探そうと躍起になって、ということはたびたびあった。
無論奏瑪がそんな事をしなければ、いっそ平穏のままなのだが。屈辱を他へ当たることで発散しようと言うその八つ当たりを止めるのも、所詮は従者たるイルには難しい。彼は彼女の言葉に耳を傾けない。
本来なら適当にダミー情報で撒くところ。しかし、イルは件の一件より胸騒ぎがして仕方が無いのだった。
「奏瑪、少々遠方へお買い物に行ってまいりマス」
「掃除の途中ではないかい?」
「そうなのデスガ――そう、タイムサービス! と言う家計に携わる者にとってはこれ以上ない程重要な事項であるため、掃除がまだ序盤であっても中断せざるを得ないのデス!」
「大したことでもないのに無駄に力説するね君は」
呆れたように言う奏瑪をよそに、イルは掃除用具をいそいそと仕舞い始める。そんな彼女の様子を、少年の横から首に腕を回して抱き着く愛月はじっと見ていた。
その愛月だが――その体勢で奏瑪の耳へとその舌を這わせていた。もはや諦めたように無視を決め込む奏瑪は、ぴちゃぴちゃと言う湿った音を聞き続けている。
「と言うわけで、ワタシ行ってきますノデ! 知らないヒトが訪ねてこられてもご自分で出ないようニ! そして愛月サン! 奏瑪を守ってさしあげてくださいネ!」
「子供か僕は」
「ん、ひゃもる」
あわただしく、ぱたぱたと動き外出していくアンドロイド。その様は一見ほとんど人間と変わらない、感情に溢れたものだった。
「…………」
「――愛月、痛いよ」
出ていくイルを視線で見送った愛月は、耳を舐めるのをやめて奏瑪の頭をいつもより強く抱きしめた。
「わたし、奏瑪のことまもる。だから、こうするの」
「ここまで密着する必要性は無いと思うよ僕は」
奏瑪の苦しそうな声に、しかし愛月は彼を開放しない。動物的な直感でイルの様子にただならないものを感じた彼女は、今の己に出来ること。そして思いつく精一杯を行っているのだ。
「奏瑪は、わたしとひとつになるの。だから、まもらなきゃならないの」
「君はいつもそればかりだね」
「奏瑪は、いや?」
一度抱きしめる力を緩めた愛月は、奏瑪の横顔をじっと見つめる。深い緑の瞳の中へと、まるで閉じ込めようとでもしているかのように。
「さて、どうだろうね」
そんな視線を抵抗なく受けながら、奏瑪は返す。
「ただ――」
「――?」
奏瑪は、書斎の机の引き出しから、拳大の石を取り出した。
それは何の変哲もない。一見ただの石ころのようで。それこそ、河原からでも拾ってきたのかと思える程度の代物だった。
「こんな世界でなかったら、もっと君の好意を素直に受け入れてあげられたかもしれないな」
石に。言葉に。愛月は、言いようのない寒気に襲われた。
「かな、め――? なにを……、」
「さようならだ、愛月」
奏瑪が手に取った石ころを親指の爪の先で撫でると、そこから赤錆びた鎖が無数に飛び出して愛月の身体に巻き付いて行く。
「あっ、あ、アア、あ、あ、あ、あ、あアああああっ、あっ、アアあアああああ――――っ、」
鎖は、愛月のU生体としての力を吸い上げていく。それと同時に、その存在そのものを、石の中へと引きずり込もうとしていた。
あまりにも遠い昔のことだったためか、痛烈なためか。それとも必要無かったためか。忘却の彼方へと追いやっていたその記憶が、狐の少女の脳裏に思い起こされる。
それは、かつて神と呼ばれていた亜月。悪月を封印したモノと同じ呪術。もとい、U技術だ。
「僕はU技術をからっきし扱えないが、君自身が発揮し蓄積した力を使ったり、道具を使えば、それをコントロールできる。今、君に居られては邪魔なのさ」
つい先ほどまで奏瑪を抱きしめていた少女が、一瞬のうちにして石の中へと消えた。狐のU生体を煙のように消したそれは、カーペットの上に落下しごろりと転がる。
「大昔、多大なU原体を練りに練ったU技術も、僕にかかれば再現など易いものだ。今日と言う日のために、かねてから準備しておいて正解だった」
そう言って奏瑪は、ふっと笑った。その表情は寂し気であり。しかし、冷徹でもあった。
少年の指が、自らの首元にかかったリボンを一撫でした。




