1.
『私』の、今のこの私は――『私』ではない。
暗く湿った、地下室の独房で『私』は思考する。『私』ではない私で、そう思考する。
いや、『私』の意識は、他ならぬ『私』のモノであるはずだ。少なくとも、『私』の思考はそれをそう告げている。
冷たいコンクリートが、U原体で構成された電気信号の意思を明瞭にさせ、より明確に実感させてくれた。
しかし、『私』の感覚の方は。残念ながら、そう私を思いきることができずにいた。
それはまるで、目の前の景色を、カメラを通した画面で見ているかのよう。
体感的な距離や色合いと言った、視覚で得られる情報に全く差異はないのに、ホンモノではないと思ってしまう感覚。夢とも違う、偽りの知覚でモノを感じるという曖昧な五感。
それらが、拭い去れない。どれだけ意識しても、振るい掃うことができない。
私は、『私』。
『私』は私。
矛盾しているようで矛盾してなどおらず、しかし徹底的なまでに矛盾した、矛盾の堂々巡り。矛盾の迷宮。終わらぬ矛盾の円環。
その出口は、少なくともこのままでは見つからない。『私』が私達である以上、その結果を導き出すことは非常に困難を極めていた。
ではどうすればいいか、と。『私』は思考する。
それならば答えは簡単だ。出口を妨げるのが私ならば、私を壊せばいい。しかし、私は『私』であるため、ただ壊してしまうだけでは、『私』は自らを保てなくなる可能性もある。
――だが、手はある。そう、これだけの力を持つ今。解決は容易い筈だ。
自らの苦悩に対する回答を見つけ、『私』は一人独房の中で笑みを浮かべる。たくさんの私が、その思考を見ている前で。