魔剣が魅せた幻想
それは酷く不快な夢だった。
僕は道端で、轢き逃げにあった少女に泣き叫んでいる。
『どうして僕じゃダメだったのさ!』
彼女は答えてくれない。
『僕が嫌いだったの!?』
救急車を呼ぼうとか、応急手当をしようとか、そんな考えに至らない僕は、ただただ不満と疑問を彼女の脱け殻にぶつけていた。
至れるはずがない。
頭部がトラックのタイヤに巻き込まれて潰されていたのだから。
血溜まりの中心で汚れようが、死体がグロテスクだとか、自分も轢かれそうな場所にいるとか、そんな事はどうでもよくなっていた。
『告白する勇気なんて必要なかったんだね』
どうやらそれが僕が出した結論らしい。
『君が道路に逃げだすくらいなら、僕は弱虫のままで良かったんだ』
確かに僕はそんな考えの持ち主だが、夢に自分の本性を見せられると腹が立つ。
記憶の整理に夢は見ると解釈されているが、きっと『勇気』なんて言葉を押し付けられたのが原因だろう。
いや、これももしかしたら――。
魔剣が魅せた幻想だったのかもしれない。
※※※※※※※※※※※※※※※※
ベッドから飛び起きた僕は、額の汗を拭って部屋を見回した。
「何だったんだ。今の夢は……」
あの道端は、小学生の時に通っていた道だ。
しかし、そんな思い出は僕の記憶に存在していない。
「結局、ゲームの情報を教えてもらいたかったけど、夜も遅くて確認もできなかったな……」
親友に連絡するわけにもいかず、僕は結局寝てしまったのだ。
「まったく、趣味の悪いゲームだよ」
親友から渡されたブルーレイディスクを一瞥して僕は感想を呟いた。
最初は素直に凄いと思ったが、ゲームのくせにやたら人の心に踏み込んでくるのは頂けない。
ゲームで通用する戦法を否定して、勇気のごり押しだ。
『命を軽視するなよ』
『ほら、お前の憧れてる彼女は上手くやれてるぞ』
『お前は勇気を見せないのか? ん?』
僕はそう言われているように感じた。
確かにテーマは大事だけど、そこを強調し過ぎたら人の感情を試すシミュレーターでしかない。
物語を通して感動し、『自分も勇気を持とうかな』と思わせるのは良いだろう。
それが毎回、『プレーヤーさん、君は主人公のように勇気がありますか?』と投げ掛けるのは正直ウザい。
アクションRPGとコミュニケーションゲームを掛け合わせるような試みは評価するが、シナジー効果が得られているとも思えない。
操作権を奪われるシステムはアクションの爽快感を潰すし、コミュニケーションゲームだとしてもコミュニケーションの相手を操作する必要性が薄いようにさえ感じてしまうからだ。
「さて、そうなってくると、僕はもうこのゲームを起動する理由が薄れてしまったわけだ」
いや、最後までプレイしてから評価した方が良いんじゃないですかねという意見もあるだろう。
しかし、これには正当な理由があるのだ。
チュートリアルの後、剣崎さんは意識が回復しないまま町に運ばれた。
小さな病室に寝かせられ、ずっと交代で手厚い看護を受けている。
うん、それはいいんだ。
けどね、それを3時間も見せられるだけだったらどう思う?
その間、何も操作が出来ません。
『数日は回復しないでしょう』という医者の会話も聞こえました。
このままリアルタイムで進行されたら数日はプレイ不可能らしいよ?
夏休みをゲーム観察に費やすとか、時間をどぶに捨てるようなものじゃない?
まぁ、寝顔を見る位は楽しめるのかな。
そう思って僕は最後のつもりでゲームを起動させた。
まだ読み込み途中で画面は暗く、音だけしか聞こえなかったが、それは水の音だった。
ちゃぷん、ぱしゃんと音がして、僕の脳裏に稲妻が走る。
「これはまさか!?」
そのまさかが的中し、映像が映されれば見たことのある金髪の後ろ姿がバスタブの中で体を洗う姿があった。
長い髪から辿って下へと視線を動かせば、髪の隙間から覗かせる体を見て僕の顔は赤くなる。
いや、どうせこれは成人指定のゲームではあるまい。
ここまでの表現が限界だろうと決め付けつつも――過剰表現にほんの少しだけ期待しながら僕は更に視線を下に向けた。
すると、石鹸の泡が少しだけ邪魔をしていたが、臀部の割れ目まで映されてしまっているではないですか。
「おおぉぉ……」
ゲームの存在が本人にバレたら殺されるという戦慄と、クラスメイトの裸を拝めるという喜びが僕の体の中で混沌に入り乱れた。
「ふおぉぉ……」
というのは一瞬で、態勢が少し斜めになった上半身から覗かせる――そんな彼女の胸に目が釘付けになってしまう。
思春期なのだから仕方がないと、言い訳がましく自分の行いに情状酌量の余地を持たせて凝視を続ける僕に天恵が訪れた。
彼女がこちらに振り返ろうと動き始めたのだ。
大事な部分がギリギリ見えなかった裸体が正対で見られるチャンスなのだ。
「こぉれうあぁぁぁっ!」
僕は両手をあげて、勝利宣言を行った。
それはもう確信めいて、満面の笑みだったに違いない。
しかし――。
『浸かれるだけのお湯がある。石鹸もある』
ゲームの中の剣崎さんは画面に正対して体を洗っていく。
それはもう盗撮してるんじゃないだろうかと思えるくらいに、リアルな浴室の光景だった。
だがしかし――。
『ふう、こんなにもてなしを受けたのはいつ以来だっけ? 水浴びも出来ないこんな季節じゃ体を拭くのが関の山だと言うのに……』
彼女の体は裸体まで作り込まれていないのか、何も付いていない服を脱がされた着せ替え人形のようだった。
「くっそっ!」
僕は笑いながら机を叩く。
裸を見せるゲームではない場合、下着や服で隠れる部分を作り込まないのは当然の手法だ。
作り込む方がデータの無駄使いなのだから。
「いや、でもさ。そこを映したら人間に見えなくなるんだからさ、レーティングを守りたいなら別な手法があったわけだし、製作者が気付いてないってことはないよね?」
アニメなんかで良くある謎の光とか、性的な部分を映さないアングルとか、物で隠すとかあったはずなのだ。
これでは夢を与える遊園地のマスコットが中の人を晒しているに等しい。
「本人らしくて驚いていたのに、偽物を認めちゃしらけるってもんだよ……」
サンタクロースの正体が親だったと判明した時のような落胆がそこにあった。
だからもう僕は遠慮なんてしない。
「この残念美少女! よくも僕の時間を無駄に使わせてくれたな!」
僕はマイクをオンにして言ってやった。
『え、何の話?』
とぼけているのか、剣崎さんは体を拭きながら僕に尋ねた。
「君のせいで3時間も無駄にした! 3時間だぞ!」
『だから何が3時間なの? もしかして、寝ている間に見守ってくれていたのかな?』
「そうだよ」
『それは悪かったわね。しかし、何処の誰かは知らないけど、私のパートナーとなったからには慣れてもらわなければ困るわ』
剣崎さんは僕と会話している間も気にする事なく下着を着けていく。
「パートナーねぇ。君はそうなりたくないように見えるけど?」
『あなた次第よ。私はねじ曲がった根性は許せないし、そんな相手に身を委ねるつもりはないの。お願いだから善処してくれる?』
「まったく我が強い人ってこれだから嫌なんだよね。ゲームの登場人物に言っても仕方がないんだろうけどさ……」
『そう、嫌なら止めれば? どうせあなたが操作しない時は私が普通に動くだけだから』
「は? 待ってよ。それって、僕は必要ないってこと?」
『そこまでは言ってないけど……、今は困るわね』
「どうしてさ?」
『私の着替えを操作するつもり? どうせ見守っていたついでに風呂を覗いていたんでしょ?』
「ぐぅ……、残念な体を見たって嬉しくも何ともなかったね!」
『あぁ……なるほど。それは残念だったわね。つまりこういう事でしょ?』
はいていたパンツをおろして、彼女はモニターに正対する。
パンツの中はつるつるした肌しか映っておらず、どうみても人間として必要なものが存在していない。
「くっそ! そういう事だよ!」
『私の体を残念と呼べるのは、私以上の美しさを持つ人間を知っている場合でしょ。だから残念であるはずがないのよね。私が1番可愛いんだから』
「どうやったらそこまで自信過剰になれるのかなぁ」
『あなたのようにそこまで自信がない人間になれるのも理解できないわ』
「心配性なだけさ!」
『ゲームなのに? 逃げ腰の戦法は、まるで命がけみたいだったわよ?』
「くっそ! ゲームキャラからこんなに煽られるのは初めてだよ!」
『まぁ、そんなに怒らないでよ。いいものは見れたんでしょ?』
そう言って、剣崎さんはブラの隙間から乳首が付いているように胸を覗かせた。
当然、それは見えるわけもない。
ゲームデータとして乳首が存在していないのだから。
「わざとやってるだろ!」
『もちろん、面白いから!』
剣崎さんはケラケラと笑っている。
「あぁ、もう勝手にしろよ! 女の子に好かれるならともかく、性格ブスと口喧嘩するゲームなんてプレイしたくもないね!」
『だから嫌なら止めれば? ゲームなんでしょ?』
「腹立つなぁ。むしろゲームだからこそ僕だって残酷になれるんだよ? わかってる?」
『正解かはわからないけど、予想は浮かんだわ』
「じゃ、君の悲鳴でも聞いてストレスを発散させるんでよろしく」
僕はヘッドホンをしたまま、プレイしたかった携帯ゲーム機の新作ソフトを起動した。
『まったく悪趣味な人ね……』
剣崎さんは呆れた声で呟くと、手早く着替えを済ませていく。
僕も完全には無関心でいられないようで、椅子に座って別のゲームをしながらチラチラとパソコンのモニターを確認する。
昨日着ていた民族衣装と違って、彼女はロングヘアーに美しいドレスで着飾っていた。
どこのパーティに出席するのやらとゲームを中断して動向を目で追えば、兵士に案内されて会議室らしき部屋へと通される。
部屋の中には髭面の隊長と、銀髪の知らないイケメンが彼女を迎え入れた。
『私がこの町を守る隊長のベックスだ。こちらのお方は王族で作戦参謀のマクスウェル王子であられます』
『いや、父さんから権限は取り上げられてしまったからね。僕はただの町に住むアドバイザーのマックスです』
『何だかややこしい情勢なのね』
『すみませんね。こんな状態でもなければ、美人を相手に名所案内といきたかったのですが……ええと』
『私は剣崎サクラよ』
『サクラ様、ベックス隊長から報告は受けております。狼の群れを倒して頂いたそうで……』
マクスウェルが剣崎さんに謝辞を述べる。
『どこも同じよ。変わらない冬景色と狼の襲来。私が加担しても救えた集落など1つもなかった』
『ご謙遜を……。報告によれば一撃で狼を壊滅状態に追い込んだとか……』
『あんなものは神の前では些事に過ぎないわ』
剣崎さんは首を振って否定した。
『そう言い切るのは、やはり神官達が噂していた通りの結果が起きて、地獄の入り口が開いたとしか……』
『少し違うわ。ヘルの肩書きは確かに死の国の女神だけど、この世界にヘルヘイムは存在していない。神官が見たイメージは、彼女の在りし世界の姿よ』
『それはつまり……何処ぞの風来の神がわざわざ私達の住む世界で侵略戦争を始めようとしているとおっしゃられるのですか?』
『そんなものね。ここがどれだけ特殊な場所かはさて置き、流れ着いた神は自分の欲望を叶えようとしてしまった。とても単純な動機だったの』
『失礼ですが、そのヘルとやらの神話は我々の伝承にない物語です。どうしてそのような話に詳しいのですか?』
『ヘルも私も同じく流れ着いた神だからよ』
『それは……何とも信じ難い話です。神が目の前におらっしゃるのならば、我々は既に何かの影響下になければおかしい。ヘルが狼を通して死を感じさせてくれるように、我々はあなたから何を感じ取っているとおっしゃるのですか?』
『……それは言えないわ』
『はぁ、なるほど……。それに対して質問をしても構わないでしょうか?』
『神名や神話を知るという事は、その秘策と手段を得るに等しいの。それを開示させたいと言うのなら、私が用意したヘルに対抗する手段を上回れる自信と根拠を示してくれる?』
『それは……無理でしょうね。しかし、あなた様がどうにか出来るという保証があるならば、それに乗る事は是非とも検討したいところです。恥ずかしながら我々には力も知恵も不足しております故……』
『くだらないプライドは捨て去ると言うの?』
『はい、この国があなた様の傘下に入るように王を説得したいと思っております』
『そう、それは私の力に魅せられた言葉よね?』
『いけませんか? 我々はすぐにでも解決に動かなければいずれ滅ぶのですよ?』
『そうね。そこは否定しない。けれど、私の秘策も結局はヘルの野望を未遂に留めるまでなの』
『それでも問題は――なるほど。そういう事ですか……』
銀髪の青年は自身の言葉を飲み込んだ。
『人間にとっての解決策にはならないという事ですか……。それは困った』
『えぇ、魔剣が魅せた幻想はあなた達を想像以上に喜ばせてしまったわね。ごめんなさい』
『我々にもそんな魔剣を作れる技術があれば……』
髭面の隊長ベックスが悔しそうに呟いた。
『これは真似しない方がいいわ。魔剣ティルヴィングは持ち主の殺意を3度叶えた後に破滅をもたらす呪いがかけられている。ヘルにこんなもので対抗しても勝てるはずがない』
『人を替えれば制限など関係ないのでは? いずれは物量で勝る日が――』
『来ると思う? ヘルは無限に死者を甦らせることが出来るのよ? 人間の方が先に死滅するわね』
『ぐぬぬ……。正面突破では勝てないではありませんか……』
『そうよ。最低でもヘルが姿を現す勝機を作らない限り、彼女はずっと手下に任せて消耗戦を続けるでしょうね』
『ふぅ……課題は山積みか。サクラ様、それを教えてくれるという事は、我々を単純に切り捨てるという考えではないと解釈して構いませんか?』
『えぇ、立ち寄った集落には全て手を貸してきた。今回もどこまで力を貸せるかわからないけれど、全力は尽くさせてもらうわ』
『それでは情勢も含めて作戦を練りたいと思いますので、国で最強の頭脳と讃えられる大賢者様とお会いになって頂けませんか? 私の師匠と呼べる人物なのですが――』
『そうね。私も自分の作戦が完璧じゃない以上、頭が良い人と意見交換したいと思っていたところよ』
『では最短の時間で会合できるよう手配しますので、移動の日程が組まれるまでは町でおくつろぎ下さい』
『わかったわ。出かける際は付き人が必要? それとも言伝てで問題ないかしら』
『気に入った兵士で構いませんので、兵舎の一人を付き人としてお選び下さい』
『そう、じゃあ勝手に選ばせてもらうわね』
『まぁ、任せて下さい。私の部下でしたら全員鍛えてありますから』
横からベックスが口を挟む。
『いや、そういう問題じゃないんだけどね……。ま、いいわ。日程の報告よろしくね』
『ええ、ご一緒できないのは残念ですが、それも急ぐ為とあれば致し方なしですね。それではまた後で』
剣崎さんはマクスウェルの言葉に苦笑いを浮かべながら会議室を後にした。
「不良がまともな会話をしてると凄い違和感があるなぁ」
廊下を歩く剣崎さんに僕は呟いた。
『あれ、悲鳴を聞くまでノータッチじゃなかったの?』
「君が早くゲームオーバーにならないからだろ?」
『そんなに死んでほしいんだ……』
「僕に操作されるのが嫌なんだろ? だったら観察ぐらいはしてあげるさ。これが最新のAIってものなら興味はあるからね」
『じゃあさ、本人に会ってくれば?』
「は?」
『そっちの世界の剣崎サクラに会ってくれば、私が良く似た偽物だってはっきりするんでしょ?』
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
『私はね、ゲーマーを頼りたいの。私の限界を引き出せる操作が可能なゲーマーをね。そこに一切の情は要らない。不良としてのイメージが払拭できないなら、私はお願いするわ。不良でクラスメイトの私を見てきなさい。もっと言葉だけじゃなくて、私に遠慮なんてしないで操作するの』
「でも夏休みだしな。クラスメイトと言っても住所なんて知らないよ?」
『刃保町3-7-12』
「え?」
『剣崎サクラの住所よ。私は神様なんだから、それくらいできるわよ』
「いや、ゲームでそれはおかしいでしょ? 神様って設定なんだよね?」
『人工知能を甘く見ない事ね。剣崎サクラの個人情報ならインプットされているわ』
「そりゃまたストーカー気質な製作者様ですねぇ……。どこまで知っているのやら……」
『スリーサイズ? それとも初体――』
「どわぁっ! 良いって、良いって! 聞いてるこっちが恥ずかしい!」
『それじゃ、そっちも行動開始でよろしくね』
「はぁ……現実世界でミッションこなしてくるゲームとか、何なんだよこれ……」
僕は頭を抱えてから時計を確認する。
午前10時過ぎという出かけるにはタイミングの良い時間に、僕はため息をつきながら重たい腰をあげた。
調子良くおだてられているのだと理解していても、結局は都合の良い解釈にしか辿り着かない。
だから、彼女が求めていたものがゲーマーではないと気付いた時に僕は躊躇してしまったのだ。
彼女が死ぬ瞬間に伸ばしてきた手を取る事さえできずに。