チュートリアル
森に囲まれた雪国。
魔術師の援軍が呼べない状況で、戦っている隊があった。
数は小隊以上、中隊未満といったところで、100人未満の小規模の兵士達が狼から町を守っているらしい。
そんな場所に突如の乱入者が出現。
彼女は僕のクラスメイトと同じ名前で、同じ姿をしていた。
とは言え、これはゲームの中の話である。
ファンタジーの世界に地球人が迷い込んだなどと、今時そんな設定は珍しくも何ともなくて、何番煎じのネタだよと言われるようなものだ。
それ故に僕は可能性を見逃した。
いや、現実では起きるはずがないと、思考の限界点が信じさせてくれなかったのだ。
これが娯楽で嗜むようなゲームではなかった事を。
※※※※※※※※※※※※※※※※
剣崎サクラというキャラクターを操作する事になった僕は、画面に表示されたメッセージを確認しながらキーを押していく。
《攻撃→Zキー》
《防御→Xキー》
《移動→マウス左クリック》
《回避→マウス右クリック》
《ダッシュ→マウス左クリック長押し》
《全ての操作はスタミナゲージを消費します》
《スタミナが0の状態でアクションを行うと、HPが消費されるので注意してください》
「なるほどね」
ゲージはHP、MP、スタミナとゲームでお決まりの3つがあった。
どうやら基本操作はマウスと2種類のキーを駆使して戦うゲームのようで、攻撃と防御がキーボード側の操作となり、移動と回避はマウス側の操作になるようだ。
主観操作ではなく、キャラクターを見下ろした形で操作するので、臨場感にはやや欠けるが、操作性能を重視した結果だろう。
僕は一番近くにいた狼の側にマウスカーソルを持っていき、左クリックを長押しした。
すると、説明通りにゲームの中の剣崎さんは走り出し、狼の前で立ち止まる。
モタモタしていると攻撃を受けそうなので、僕はすかさず攻撃のZキーを押した。
『でやぁっ!』
勇ましい掛け声と共に、狼に斬りかかる剣崎さん。
女子高生が返り血を浴びながら、狼を真っ二つに切断するという強烈な映像と共に、『63』という赤い数字が浮かび上がる。
「インパクトがあったわりにはダメージは出ないんだな。次っ!」
僕の叫びに呼応するように、チュートリアルのメッセージは次の操作方法を表示する。
《軽量級の魔物には旋風剣が有効です》
《旋風剣→Aキー連打》
《(スキルのキーはコンフィグで変更可能です)》
「さっきの技か……。連打すると回転で威力が増すのかな?」
試しにキーを軽く連打してみれば、初撃のみが風圧を起こす回転斬りのようだ。
『剣崎一刀流、旋風剣!』
狼が風圧に押されて少し浮き上がるだけの技にダメージは無い。
時間があれば不思議に思って首を傾げていただろうが、それは一瞬の出来事だ。
風圧の範囲にいた狼に近付く剣崎さんは、次々と恐ろしい速さで斬り上げを繰り出していく。
20前後のダメージを繰り返しながら、範囲にいた5匹の狼を一瞬にして打ち上げてしまった。
ダメージが少ないのは――なるほど、余りの速さに剣先が触れる前の衝撃波で吹き飛ばしてしまっているらしい。
しかし、最初の回転斬りで巻き込みに注意すれば、味方にダメージを当てる心配もなく、軽量級という制限は付くものの優秀な範囲攻撃であることは間違いない。
「これ、使い勝手が良すぎないか?」
発生の早い初撃の風圧で行動不能状態を与える。
木の枝などの物体との衝突ダメージ。
落下時のダウンとダメージ。
対戦ゲームだったら間違いなく相手に嫌がられる部類のチート技だ。
その結果、兵士達は最初の風圧に怯むも、次々とダウンした狼にとどめを刺して戦果をあげる。
遮蔽物の多い森、そして乱戦。
どれも弓の苦手とする条件で、更に魔法が使えないとなれば遠距離で戦う手段が無かったのだろう。
『行けるぞ! あの剣士に続けぇ!』
安全に攻撃できる手段を得た彼等の表情は活力に溢れていた。
だが、全てが安全になったわけでは決してない。
『こいつら!?』
兵士の1人が叫び声をあげた時、狼達は標的を一斉に剣崎さんへと変更する。
確実に自分達が不利であると認識しての判断だろう。
個別の突破優先よりも最大戦力を削ぐことへシフトしたのだ。
「まずいね。ボタン連打しても追い付かないでしょ、これは……」
個体数が少ないとはいえ、攻撃力の高い狼がいるのは危険だ。
しかも普通の狼と混じって攻められてしまえば、打ちもらしの後に手痛い反撃を受けかねない。
剣崎さんが来る前の乱戦を再開してもらって、兵士を盾にしながら反撃で数を減らすしか道はない。
まぁ、勝利条件に兵士の残存数があるわけでもないし、犠牲者0のパーフェクトゲームを決めるわけでもない。
そんなものは後日挑戦すれば良いのであって、今はゲームの内容を調べる為の言わば下見の最中である。
それも始まって間もないチュートリアルで、最初からやり直す方が面倒だ。
「ま、仕方ないよね」
それは高い買い物を諦めたかのように、僕の口から安くこぼれ出た。
マウスカーソルを戦線から離れた位置へと移動させ、躊躇うことなく左クリックを押す。
剣崎さんは操作通りに僕の指示した方向へと走り出す。
そこにプログラムミスなど見当たる事もなく、操作が間違いなく認識されたと判断した僕は、戦況を見守ろうと気を休めた。
しかし――。
『なっ!? 私は前に出て戦うぞ! どうして逃げるんだ!?』
「えっ!?」
剣崎さんの言葉に僕は驚いた。
そして、驚いた事はそれだけではなかった。
チュートリアルのメッセージが不可解な内容を表情したからだ。
《操作キャラクターには感情があります》
《マイクをオンにすると会話が可能です》
「は? 感情!? AIってこと?」
僕はマイク付きのヘッドホンを装着して、慌ててスイッチを入れた。
「ここは回避を優先するべき状況だよ。兵士の突撃に合わせて安全に数を減らすのが一番さ」
『ダメだ。これ以上は犠牲を増やしたくない』
「か、会話が成立してる……」
『私が会話もできない獣だって言いたいのか!?』
「そ、そうじゃなくてね……。あぁ、何だこれ……何だよこれ」
『もういい! 私がやる!』
「はっ? 無理で――」
《操作キャラクターの不満が一定に達すると操作不能になります》
「はぁっ!?」
剣崎さんは勝手に戦線の中に戻っていく。
「ちょっ! えぇっ!?」
『私が活路を開く! 怯むな、突撃だ!』
『『『『『おおぉっ!』』』』』
剣崎さんの一言で士気が上がり、兵士の雄叫びが森を響かせた。
「こりゃ僕には真似できないね……」
全ての権限を預けても良い位に彼女は勇敢だった。
僕には無いものを持っている。
これがゲームだと納得していても、その気迫が僕に劣等感を抱かせた。
これはゲームの放棄なのだろうか。
彼女に操作を任せる事はデメリットなのだろうか。
どうにもそうは思えなくて、僕は躊躇なく操作を諦める。
「せめて良い結果になるといいね」
まさかチュートリアルで挫折を感じるゲームがあるなんてね。
僕はマイクのスイッチをオフにして、ヘッドホンを外そうとした。
『危ない!』
兵士の怒号を聞いて、僕の手は止まる。
見れば、剣崎さんを庇って重装兵は腕を噛み付かれていた。
防具は砕かれたものの、腕ならば重症である可能性は低い。
『ダメよ! 私の方が避けられるから、あなた達も自分の命を優先して!』
『しかし、ここで勝機を逃すわけには……』
『大丈夫よ。安心して下がりなさい』
『いえ、まだ……お、俺は……』
『どうしたの!?』
突然、苦しみだした兵士はのたうち回って暴れだす。
『毒か!?』
戦闘中の兵士が可能性の1つをあげた。
しかし、それは間違いだと僕は知ってしまった。
僕だってそれが無ければ毒の可能性を考えただろう。
しかし、それはもっと無慈悲な宣告だった。
《魔物の中には死の国の女神から祝福を受けた個体が存在します》
《死の運命を覆し、1度だけ必殺の攻撃が可能となります》
《他の個体と見分けがつかないので注意してください》
「えげつないな……。けど、これはゲームだ」
負けたってリトライするだけだ。
『毒を持つ個体がいるようだ! 鎧を砕く個体の他にも毒に気を付けろ!』
兵士の叫びに僕は呟く。
「違う、毒じゃない。攻撃そのものが即死の効果なんだ。鎧を砕いた個体とその個体は同じだよ」
マイクをオフにしている僕の声は届かない。
兵士の防衛を突破して、狼が一斉に剣崎さんへ飛びかかる。
最低でも一匹は祝福持ちだろう。
全てを避けられるとは思えない突撃に、僕は敗北を予感した。
チュートリアルだったとしても会話のコミュニケーションが失敗すればゲームオーバーになるように作られていたのかもしれない。
『くっ、一匹でも!』
剣を構える剣崎さんの闘志はまだ消えていないようだ。
「本物の剣崎さんもファンタジー世界で奮闘できるのかな……」
侍口調など1度も聞かなかったけど。
ファンタジーのコスプレなど1度もしなかったけれど。
こうして最後まで戦ったに違いない。
僕は黙って瞼を閉じた。
格好いい彼女の醜い死体姿なんて見たくないから。
それなら何で助けてやれないんだと自分に問い詰めても、『それがゲームだから』という答えしか返ってこない。
後はゲームオーバーの画面に切り替わるのを待つのみだ。
悲鳴でも聞こえたら直にそうなるだろう。
静寂が部屋を包んだ。
こんな時にBGMがないのは偶然かと考えてしまう。
そういえばゲームを開始して1度も流れなかったな。
きっとまだ開発段階で、曲は実装されていないのだと思う。
しかし、何も聞こえてこない、な……。
僕が疑問に感じて瞼を開くと、そこには閉じる前と変わりない映像がある。
まったく寸分も違わず変わりない映像だ。
ゲームがバグったように、フリーズして動かない。
それは僕に見せ付けるように保存されていて――。
「もしも、僕が操作していればってか? 馬鹿馬鹿しい」
狼が飛びかかり、今にも剣崎さんに食らい付く寸前の光景に僕は眉をひそめた。
しかし、偶然だろうと頭の中では割り切っている。
割り切っているはずなのに、不快感が消え去ってくれない。
そして――。
僕はこれが偶然でない事を突き付けられる。
《あなたにも運命を変える権利があります》
目の前に表示された大きなメッセージは、チュートリアルとは別の何かのようだ。
「はっ! どうせゲームの演出だろ!?」
強制敗北のイベントだったというわけだ。
そんなものは、今の僕にはワクワクするどころか煽りにしかならない。
《あなたの勇気1つで世界が救えるのです》
「ゲームに勇気は必要ないってば。誰だって魔王を倒せるコンビニ勇者に何を期待しているのやら……」
《覚悟を決めて剣を振るう→Sキー》
「わかったよ。押せばいいんだろ? 押せば……」
煽りに屈したわけではない。
そう言い聞かせて、僕はキーを叩いた。
《あなたの勇気に希望のある――を……》
メッセージは文字化けを起こして、そこで消滅した。
しかし、まだ時は止まったままだ。
たった1人の少女を除いて。
『ヘル、この世界でラグナロクは起こさせません。スコルとハティを甦らせて、太陽と月を飲み込もうとしても、ヘイムダルを甦らせてギャラルホルンを吹こうとしても。ましてやあなたの父を甦らせようとしても無駄な事なのです』
剣崎サクラは呟いた。
いや、それはもう体を借りただけの別人と呼べるものだった。
『あなた程の力はなくとも、私はあなたの勝利を否定することができるのだから。さぁ、始めましょう。不毛なる神々の遊びを』
そして、彼女は使っていた剣を鞘に収めると、反対の腰に着けた黒い鞘から剣を抜く。
剣は禍々しい黒いオーラを放ち、抜き身の美しさを怪しく際立たせていた。
それはまるで世界を救うと言うよりは――。
僕には世界を滅ぼす絶望の剣に見えた。
『魔剣よ我が標的を違えず、剣閃にて穿て!』
空間を裂くように優しく振り下ろされた剣は、何も捉えていなかった。
儀式を行っているような、そんな斬撃に一体何を込めたのか理解が出来ないまま、時は再び動き出した。
彼女の視界に映る全ての狼は次の瞬間に胴体を切断されて崩れ落ちる。
不思議なのは、どの狼も直線に斬られておらず、曲がった太刀筋で斬られたことだろう。
残りの狼は切断を免れたものの、低い唸り声をあげて去っていく。
それを見て安堵すると、剣崎さんは力を使い果たしたのか、その場に倒れてチュートリアルは終了した。
『良かった……』
意識が失われる前のその言葉は、『この場を守れた』という意味に僕は聞こえていた。
それしか考えられなかった僕は、きっと冷酷なんだと思う。
人を守れる優しい人間なんだなと決めつけて、その本質を見ようとしないのだから。
今になって出てくる答えなんて、後出しのカンニングと一緒なのだ。
『生き残れて良かった』
その選択肢に辿り着けなかった僕は、未だに絶望の海を泳いでいる。