異世界に馴染んだ美少女
夏休みが始まった日。
7月25日の夜中にそれは起こった。
本当ならば新作のコンシューマーゲームをプレイするはずだった僕は、パソコンの電源をつけるという必要のない作業を強いられた。
そりゃあ、攻略サイトを利用する人にはスマホやパソコンの操作が必要かもしれないが、ゲーマーを名乗る僕は没入感を優先する人間だ。
余計な物が視界に入らないように部屋の間取りや置物に気を使っているし、香りだって雰囲気にそぐわないものは遮断さえしてしまう。
だってそうだろう?
闘争心全開の対戦ゲームをプレイしている時にリラックスハーブの匂いなんて邪魔でしかない。
それと同様に、一番プレイしたいゲームがあるにも関わらず、興味がないゲームをプレイしろと強要されるのは苦痛の極みである。
遠回しに語ってしまったが、詰まるところ、僕は親友の頼みで渋々とパソコンのゲームを起動させていたわけだ。
それも個人製作という地雷原。
プレイしたら感想を聞かせてほしいなんて言っていたが、プロトタイプと表示されたアプリの名称からしてやる気が感じられない。
「最低限、何か仮題ぐらいつけなよ……」
ダメ出しをしながら僕は考える。
「さて、どこまでプレイしたら良いものか……」
野球みたいに3アウトチェンジまでカウントするべきか。
『もう既にタイトルで1アウトだけどね』と心の中で呟きながら、椅子にふんぞり返って腕を組む。
先入観で決めつけるのは悪い癖だと思いつつも、手の平を返すのはいつだって裏目を見てからだ。
そう、その最たる例が今だと気付くこともなく――。
突然、目の前に飛び込んできたリアルな吹雪の映像に椅子から転げ落ちそうになった。
「おおっ!」
感嘆混じりの驚いた声をあげ、僕は吸い込まれたように画面に魅入ってしまう。
画面の雪はFimbulvetrという文字を形成し、砕けて散った。
その後に映る景色を見るや否や、僕はすっかり手の平を返してしまっていた。
森に囲まれた何処かの雪国。
『町を守れ!』
最前線の兵士達が雄叫びをあげながら、襲い来る狼の進行を阻止しようとして食い殺されていく。
鎧で動きが鈍そうな兵士に被害はないが、攻撃に重きを置いた軽装の兵士は相討ち覚悟で飛びかかるのだから無理もない。
その方が軽微な被害だと判断したのだろう。
実際に軽装の兵とぶつかって足止めされた狼が重装の兵に仕止められる場面もあれば、重装の兵に無駄な攻撃をしかけた狼が、足の早い軽装の兵に仕止められる場面もあった。
軽装の兵が多くても被害が甚大。
重装の兵が多くても足が遅くて突破される。
何か被害を抑える策があって出し惜しみしているなら評価は変わってくるが、獣相手の消耗戦で見れば良いバランスだと僕も思う。
それを比較的安全な位置で見守るのは、その優秀な指揮をした者達だろう。
『隊長、こいつ等は一体、何処からわいてくるんですかね?』
補佐官らしき人物は、この場で一番偉そうな髭の濃い男に尋ねた。
『知るか! 噂だと、地獄の入口でも開いたんじゃないかって話だ!』
『地獄……ですか?』
『あぁ、神官達はそれをヘルヘイムと呼んでいたが、本当かどうかは知らん! 魔法を使えばこんな戦況などひっくり返せるというのに、偉いさん達は終焉の予兆と決めつけて――』
御託を並べていた髭の男が言いかけた言葉を飲み込んだ。
換わりに出たのは疑問の言葉である。
『俺の命令が伝わっていなかったのか!? 重装兵の密集陣形で狼の突破を防げと――』
最前線が確認できないはずの場所から狼が視認できるのだから、隊長の疑問も当然の話である。
『隊長、その重装兵が押されています!』
『バカな! 軽装の突撃兵に被害が出るのはわかる! 重装の鎧に狼の爪や牙が通ると思うか!? 魔術師は不在でも防具には防御の魔法がかけられているのだぞ!?』
『隊長、あれを見てください!』
補佐官が指差した場所を見れば、今まさに重装兵が襲われている瞬間だった。
『なっ!?』
隊長と補佐官は驚きの余りに絶句した。
押し倒された兵士は鎧ごとバリバリと噛み砕かれ、守られているはずの防具すら凶器となって肉に食い込んでいる。
おそらく狼の口許を汚す血に、狼自身の血は一滴も無いだろう。
「これはレーティングが上がりそうな表現だ……」
ゲームの画面を見て、僕は感想を呟いた。
『防御の魔法つきの鎧を噛み砕いただと!?』
『あれでは防衛線が意味を成しません!』
『わかってる! あれもきっと魔法のような効果があるに違いない。その証拠に見ろ!』
『あっ!?』
見れば、重装兵が優勢の場所も残っている。
『重装兵が狼の攻撃を押さえ込んでいますね。これは――』
『あぁ、鎧を噛み砕ける狼と、そうでない狼が混じってるな』
『見分けがつかないのが最大の驚異……でしょうか』
『だな。伝令に伝えよ。重装兵の驚異となる狼は個体数が少ない。最優先で撃破だ!』
『はっ!』
補佐官が離れたのを確認して、髭の男は呟く。
『しかし、それとて上手くいくか……』
撤退の機を逃さぬよう、最悪の事態を想定しつつ立ち回っているのだろう。
感心しつつ僕が眺めていると、場面は切り替わった。
「おっ!?」
人と獣が入り乱れる戦場にミサイルが投下されたような爆風が起きた。
遠目から見ればそんな風に見えたが、近代兵器を使ってファンタジーを汚すようなシナリオではないだろう。
吹き飛ばされたのは狼で、人の姿は見られない。
人間側に有利な事が起きたのは明白だ。
一瞬で思い付いたのは、魔術師が救援に駆けつけたという状況。
このゲームに風の魔法でもあるならば可能だろう。
「こんな状況どこかで――」
雪の煙が舞う中で、爆風の中央に立つ人物が徐々に姿を現していく。
青と赤の派手な服は、北欧のコルトと呼ばれる民族衣装に良く似ていて、雰囲気はマッチするものの、ボロ切れを着た兵士達よりも裕福そうな印象を受ける。
長く美しい髪は濃い金髪で、結った髪をなびかせている。
おそらく女性だろう。
後ろ姿で顔は見えないが、顔は是非とも日本製寄りにしてあってほしいものだと思った。
萌えを求める人間ではないけれど、洋ゲーのリアルな不細工よりも美人が登場したほうが嬉しいからだ。
容姿に脱線してしまったが、風はどうやら左手に握られた剣によって起こされたもののようだ。
腰にはそれぞれ1つずつ鞘があり、使い分けをしているのか2本同時に使わない所を見ると二刀流というわけでもないらしい。
そして、件の人物は腰を落としたまま抜き身の剣を鞘に収めると、それを待っていたかのように狼たちが落下してきた。
中には木の枝に引っ掛かって絶命した狼もいる。
まさしく絵になる光景とはこのような事を言うのだろう。
そう思った時だった。
『剣崎一刀流、旋風剣』
美しい女性の声で、美しい日本語が語られた。
いや、日本語なのはゲームなのだから百歩譲るとしよう。
しかし、剣崎という名字だけは別だ。
僕の隣の席の女子生徒は、そんな名字だったはずだ。
僕の隣の席の女子生徒は、金髪のポニーテールだった。
僕の隣の席の女子生徒は不良少女で――。
僕の隣の席の女子生徒は、頑丈なドアや男子生徒を軽々と吹き飛ばすような怪力の持ち主だ。
そう、4月に屋上で助けてくれた美少女その人なのだ。
いや、まさか――。
僕はくるりと振り返る彼女の顔を見た。
良く見れば、泣きそうにもない能面顔の左目に泣きぼくろがある。
これも隣の席の女子生徒の特徴で、顔もまったく違いは見られない。
個人製作とは聞いていたが、よりにもよって学校の不良少女を登場させるなんて何を考えているんだと僕は言いたくなった。
しかし、それを抜きにすると別な感想が強かったので、僕はそちらを呟いてしまう。
「しかし、良く馴染んでるなぁ……」
金髪も、現実離れしたアクションも、とても良くゲームに馴染んでいる。
『剣崎サクラ、推して参る!』
侍のような名乗りをあげて、完全に名前が一致した隣の席の不良少女はゲームの中に現れた。
それと同時に画面にはメッセージが表示されて――。
僕はそれを読んで声をあげる。
「は?」
《チュートリアル開始》
《クエスト:剣崎サクラを操作して狼の群れを撃退せよ!》
「何だこのゲームは!?」
夏休みが始まった日。
7月25日の夜。
僕はクラスメイトを操作するゲームをプレイした。