日常。vs!! の怪異(前編)
ひゅううううんん。
奇妙な風の音とも思えるそれを訊くと反射的に右腕でガードする。
次の瞬間。俺の体は吹き飛ばされた。
受け身をとっても衝撃が強過ぎる。水面に強く薙げた石のように体が二、三回と弾んだ。
「てて」
ひゅううううん。
土地神はその大きな鹿に酷似する体をぶるぶると震わせた。
未だ興奮は冷めず、己の守る土地を守ろうと必死になっている様子。
今回、俺の説得するのは霊じゃない。
とある村を飢饉や悪霊、小さな災いから守って来た由緒正しい土地神さまだ。
永い時を眠っていたと思われる土地神が理不尽な起こされ方をした。
土地神はわけの解らないままに暴走した。
『け。……出て行け』
「手に負えねえなァ!」
大きく拳をふりかぶる。
さァ、来い。
「土地神さん、目ェ覚まししやがれええええ!!」
都会の隣にひっそりと隠れるような怪異と共存する町天狗町。
簡単に電車で来れる場所なんだがこの町に来るには条件がある。この上限を満たさないものは駅を見付けることを町に入ることも叶わない。
怪異と関わりのある人間、だ。
呪われている。
霊感がある。
怪異が視える。
理由は様々住む人間も多種多様。
俺は義妹の千尋と一緒に築八十年の町一番の古屋敷に住み付いていた。
「んー」
白状すると俺は一週間の睡眠無し。飲まず食わず、全力で動ける人間だ。
そんな異常な俺でも我が家に帰れば休む気になる。久しぶりの本に塗れた部屋だ。布団を敷ける空間だけ本をどかして毛布をかぶり寝返りを打とうと思った時、
「?」
体が動かなくなっているのに気付いた。
こ、これはまさか。
「噂に訊く、金縛り状態?」
ちょっとわくわくして声を上げて見るも、
違った。
そもそも俺を縛れる幽霊なんざ存在するのか怪しい。
そして。俺を除く二人分の寝息。寝息の主を見付けると俺は「はァ!?」と素っ頓狂な声を上げていた。
右側に千尋がいる。これは週に一度は俺の布団に潜り込んで来る癖があるからまだ解かる。
しかし、
「一枚、二枚、三枚ィィ……」
どっかの皿屋敷の幽霊をほうふつとさせる寝言を延々と漏らしているのは、
鴉天狗の紅ちゃんだった。
両脇を挟まれて動けなかったわけか。
おいおい、どれだけ美味しい状態なんだ。
悪ィが子供相手じゃなァ。
とりあえず、上半身を起こすと紅ちゃんの体をべりっと仔猫のように布団から引きはがした。
「何よ。起きちゃったじゃない」
「千尋なら解るんだが。何で紅ちゃんがここにいるんだよ。俺の布団の中に」
「千尋がいたからよ。千尋ってば自分の部屋で寝て無いんだもの。夜はわたくし達のゴールデンタイムじゃなァい? せっかく夜這いに来たのに」
「夜這いをするんじゃねェ」
その時、遠慮がちに窓硝子がノックされた。
俺の部屋は二階。二階の窓を無遠慮に開けるものなど泥棒以外に思い付かないが怪異なら別だろう。
「夜分に済まない」
凛々しい鴉の顔と青年の体。山伏の衣裳を纏う怪異・鴉天狗。
……こいつが夜中に来るとなると、また面倒事か。
「おゥ、八柳」
「おや? これは珍しい。紅、夜這い中か?」
「あらァ。先輩じゃない。今日のこれの監視当番はわたくしのはずだけど?」
紅ちゃんは先輩の八柳を見るとくすくすと微笑んだ。
怪異に似つかわしい、夜に映える笑みで。
「何だ。鳴神に惚れたか?」
「このわたくしが惚れるのはかわいい女の子だけよ。千尋みたいな」
「悪趣味鴉め」
軽口を叩き合い、いやいや違うと八柳は慌てたように本題に入った。
「緊急だ。悪いが力を貸して欲しい。……貴様が望むなら謝礼も用意しよう」
八柳の回りくどい言い方に警戒レベルを上げる。とりあえず一番気になることを訊くことにした。
「相手は何だ?」
「土地神だ」
神。
ひくっと顔が引き攣った。
霊の領域をはるかに越えた存在。この国に古くからおわす、万の神。
寝巻きを乱暴に脱ぎ、何時もの服を羽織った。ごそごそと支度をしていると八柳は簡単に経緯を話してくれる。
「ちょっと、平気でレディの前で脱がないでくれる?」
忘れてた。あれ、俺の方が年上だよな?
「A村。電車を乗り継ぎ二時間半、だな。結構な田舎の小さな村なのだがそこの土地神は格が高い。その村の人間達の寿命は高く、犯罪に巻き込まれる可能性も低いと言う。はるか昔から土地神の守護を受けていたからだ」
説明を続ける八柳はそこで表情を曇らせた。
「その土地神を祀る大きな石があったのだ。昔から村人に崇められて人々の経緯に守られてきたその石を、
その、どこぞの不良数人が面白半分に蹴り倒したらしい」
「はい?」
神さま相手におっかねえことするな。
まァ、ただの石に神さまが宿っていることもあるんだ。
恐れないってことは怖いことだ。
「土地神は村に脅威が迫り、己の石が倒されたと勘違いしている。害の無い浮遊霊、精霊、お構いなしに傷付けて暴れ回っているのだ。その不良達は一番に土地神に突き殺された」
「ああー」
俺は納得して相棒の錫杖を握った。
「相手は神だ。俺でも下手に相手をすれば祟られるだろう。しかし、貴様に祟りは通じない」
「……ったく。放っとけねェな」
「僕も行く」
何時の間にか起きた千尋は目を擦るともぞもぞと布団から這い出して来た。
「あらァ。じゃあ、わたくしも!」
「子守りをしてる暇は無ェんだが」
「……兄ぃ」
神を相手にすれば俺だってどうなるか解らない。そう思ったのか千尋は上目遣いの瞳に涙を溜めてしまった。
「解った。解ったから、泣くな」
ぎゅっと服を掴む千尋を見ると俺は肩を落とした。
「今回だけだぞ? 今回だけ」
「あらあら。ちょろいわね」
「ちょろ過ぎるな」
「五月蠅い。夜這い鴉共」
とりあえず、紅ちゃんと八柳は黙らせた。
そんなわけで。
俺は三羽の鴉天狗を引き連れて土地神の暴走を抑えることになったのだ。
まだまだ夜は明けない。
しかし、朝になれば外に出る人間が増えるわけで被害者も増す。一刻の猶予もない。
八柳に案内されて小さな公園に踏み込んだ俺が見たもの。
無残に殺された数人の不良。
公園の真ん中に祀られていた、無残に倒された石。
美しい、凛々しい大鹿。
「兄ぃ!!」
「ぎ、ぎぎ…」
木の枝のような立派な両の角をがっちり捕まえた。角さえ捕まえちまえばこっちのもんだ。
『わたしは守らなければならない。疫病から、飢饉から、争いから、か弱い人々を! ……さくら、を』
桜。さくら。……人名か?
ひゅうううんん。土地神は鳴くと、
『退け、災いよ! わたしはこの村を守ると約束したのだ!!』
瞬間、俺の体が掬い投げられるように宙に舞った。受け身をとるもののさっきから体を打ちっぱなしでそろそろ痛くなって来た。
「俺を、災いだと勘違いしてるのか」
災いって人の形をしてるのか謎なんだが。
否。
恐らく極度の興奮で目に見えるもの全てが己の斃すべき災い、とやらに見えてるに違いねェ。
滅するか? 跡形も残らないほどに。俺は一瞬、危険な考えに心を傾けるも、それを否定した。
滅するのは嫌だなァ。
目の前に居るのは必死な土地神だ。
この土地神。力は正直俺より強い。
「兄ぃ!!」
「ダメよ。下手に姿を見せれば機嫌を損ねるわ。いいえ、とっくに機嫌は悪いけれど」
上空では声を訊く限り千尋を紅ちゃんと八柳が抑えてくれているようだ。
神には清浄なる神気と言うエネルギーが迸っているらしい。弱い怪異など容易に浄化してしまうほどの。
「鳴神は、今日はお得意の術も使えないだろう。何しろ相手は土地神。術は無効にされるか悪ければ呪詛返しされる。つまり、自分に返って来る」
例えば。
相手に火を噴く呪いがあるとすれば、その日は神さまの前でくるっと返されて俺に飛んで来るわけだ。本当に乱暴な例えで言えば。
神さまの前じゃ、人智を越える術の数々も通じないわけで。
あれ。これって結構な危機じゃねェか?
『災いは消えろ!!』
「ちィ! このままじゃ不味い」
土地神を沈めるだけなら簡単なんだが。
時間が無い。傷付けたくない。
何十年かぶりに、 本気で行くことにした。