日常。迷宮入りの怪異(後編)
あれが、この学校の怪異に関わろうとしている人間達。
人間達のごく一部。
二人は高校生では無かった。ラフな服装に身を包んでメモに目を落とし、声を潜めていた。
「ここの怪異にちょっかい出してるのは生徒だけじゃねェってのか」
俺は面倒な展開に声を漏らしていた。
「で、この十五分後に後藤って警備員がここを通るから、この間にさ……」
「へへ。凄ェな佐藤。警備員の巡回ルートまで丸解りかよ!」
どう見ても、成人の体格。
性質の悪い部外者らしい。
「後藤。あと、三分!」
「まじィ。丁度校門を潜り抜けるのに手間取ったからさー。あれ?」
二人は保健室前の俺に気付くと目を丸くした。
「よォ。お前等、ここは高校生の学び舎のはずだぜ?」
佐藤、と言われた青年の方が俺の言葉に、ああ、と頷くと、
「……おたくも、ここの鏡の検証か?」
「ん?」
「俺達もさ。俺達は大学のオカルト同好会。特に信ぴょう性の高いものを検証してその真偽を確かめるんだ。おお、これが曰く付きの鏡!?」
後藤が佐藤に続いた。
俺の隣の鏡を発見するとまるで壊れ物に触るかのように手を伸ばした。佐藤の手はしっかりと鏡に映っている。
何時の間に普通の鏡みたいに繕ったんだ。
俺は佐藤の手を掴むと、止めた。
「待て」
「俺もさ。何度も何度も忠告するのは堪えるんだぜ? 訊くけどよ。これが本物だったら、噂が本当ならお前達は困るだろう?」
異次元なんか飛ばされるんだぜ。
俺が腕を離すと佐藤は小声で、「あんたは違うのかよ」と漏らして、
「俺達は、ぶっちゃけ痛い目を見たいんだ。怪異と関わりたいんだよ」
「佐藤。んな奴に説明しなくても……」
「いいから、いいから! ここの七不思議は外れだったが、鏡だけは本物臭い。俺達オカルトマニアの間じゃちょっとは有名なんだよ。ここなら本物が見れそうだろ!?」
「……」
俺は何て言えばいいんだろうか。
何て説得すればいいんだろうか。
ここの鏡の噂の信ぴょう性が高いのは本当だ。
零時四分丁度に異次元に繋がる鏡。
十二年前、この噂の真偽を確かめようとしたこの学校の生徒達がいた。六人で学校に忍び込み、その内の二人を除いて彼等は鏡に連れて行かれてしまった。
生きた証人と、翌日発見された残り四人の大量の血痕。
結局、四人は何らかの事件に巻き込まれて今も行方不明となっているが、二度と見付かりはしない。
二度と見付からない場所に逝ってしまったからだ。
「ここの鏡は本物だ。祈祷師だって何とか出来る代物じゃねェよ」
俺は二人に正直に言った。
祈って聞く相手じゃない。
「今のお前達の居る世界で満足して置けよ」
大学って、きっと楽しいだろ。
苦しいことがあっても、悩むことがあっても、……偉そうなことは言えないし、詳しくもないが笑えるところがあるっていいことだと思うんだが。
「それじゃ、つまらないんだよ」
後藤の突き刺すようなその言葉に俺は一瞬固まった。
「おたく、そこら辺の大人と同じだな。同じような日々の中でうんざりしてたんだ。親が五月蠅いからとりあえず大学行って、とりあえずバイト。暇な時はスマホのRPGの画面と向き合ってさ。……非日常的怪異は最高の暇潰しだぜ」
苛立っているのか随分早口になった後藤の肩を佐藤が叩いた。
「おいおいおい、暇潰しは無いだろう? オカルトは面白い。魅力的だ。そんなお前のとりあえずって癖は止めた方がいい! ……って、時間時間! んじゃ、俺達は行くぜ。謎の兄さん」
佐藤はビデオカメラの電源を入れると二人で俺の前に立った。
俺は言葉が見付からなかったんだ。
「えーと、合言葉は」
「××××」
××××。
二人は子供のように声を合わせて合言葉を四回繰り返した。
「ああ、嬉しい」
恐怖より、この二人の場合は喜びと興奮が勝っただろう。
気味の悪い声を発して鏡の中から女の腕がばっと服を掴んで来る。
「お、おお!!?」
「当たり当たり当たり当たり! で、出たよ。マジかァ、おい!? ちゃんと撮れてる!? ほ、本当に異次元と繋がって……、」
ぐしゃ!!
「え…」
酷い音がした。肉を裂き、喰い千切る音だ。
後藤の上半身は一瞬で鏡の中に引きずり込まれ、喰い千切られた。
死んでいる後藤の下半身が意思を持っていたように後退った。噴水のように血を噴き、一歩、二歩と。そこで下半身は力尽きた。
「ええ、ええ。この鏡は、わたしの胃袋と繋がっているの」
ダメ押しのように鏡が優しく囁いた。
「え、え、」
佐藤は今頃認識した。目の前に存在するのは鏡じゃない。
あの世への入り口だと。
怪物の腹の中だと。
鏡から伸びる腕は今まで喰われた犠牲者のものだ。誰が信じるだろうか、この鏡はこれほど人を喰い殺していると。その腕が一本では留まらず、二、三、……それこそ何かの触手のように二十、三十と伸びて佐藤の体を掴み、引っ張った。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
友の血を浴び、佐藤は我に返ったように声を上げた。
「た、た、助け助け……助け」
俺の瞳を見た佐藤の顔が絶望したのを覚えている。
「…………悪ィ、な」
喰われて行く、佐藤を見ながら。
多分、俺は戸惑ったように笑っていた。
その鏡の向こうは間違いなく、お前達の求めた非日常だ。
「外は随分と様変わりしたのに十四年前と何にも変わってねェ」
唯一、この怪異が失態を犯したのは十四年前。
俺が当時被害者となった六人を説得した時だ。六人中、二人は必死の説得に応じてくれたんだが残りはダメだった。
血痕を残した為に発覚した事件だ。
何故助けないのかと言われると困る。
もう、何人も何人も助けて来た。記録に、記憶に残っていないだけで俺は何十人もこの鏡を訪れる人間を説得して来た。
そう、キリが無いのだ。
鏡を破壊すればいいことだ。
霊力を込めたパンチなら多分普通に砕けるし滅することも可能だろう、 が。
この鏡は鏡で憐れな霊が化けてしまった。
俺は悪霊を滅することが出来るが別に祈祷師でも、霊媒師でも無い。誰かの依頼を受けているわけでも無い。
人間と怪異、 どっちの味方でも無い。
後藤と佐藤が跡形もなく食べ尽され、俺はその場を後にした。
肩に止まった八柳は文句を垂れると思いきや、俺の顔色を伺っている。
「……あの鏡は喰った相手の記憶を消す。あの二人の友達も、教師も、家族さえ、何も覚えちゃいないだろうよ。俺はこの鏡に関しちゃ今は手を出す気は無ェ。何人も何人も助けられないが…、」
俺は佐藤の撮っていたビデオカメラを見せた。
「今回はちょっとだけ変わるかも知れねェな」
二人の最後が映ったビデオカメラを警備室の前に置いて行った。これを誰が信じて嘘だ本当だと喚くかもしれないが、鏡を恐れる人間も出て来てくれるかも知れない。
そう願いを込めて。
「で? さっきから何だよ。俺の顔に何か付いてるか?」
いい加減気味が悪いので校門を出た辺りで八柳に訊いてみた。
「お前、後藤とか言う人間の言葉に傷付いただろう?」
「はァ!?」
つまらないんだよ。
俺は、日常と言うものに憧れていた。
それを真っ向から否定され、傷付いたのだと言うだろうか。
「ちゃんとした鏡で確かめるといい。あの時のお前の顔が人の傷付いた顔と言うものだ」
八柳の言葉に考えて見る。
俺って人間の言葉に傷付くような心、持ってたのか。
「お前もあんな顔が出来るのだな?」
一人の怪異の漏らした言葉は月に照らされた夜の中に消えて行った。