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男の日常

 それはネットを彷徨う噂話です。

 ええ、行き場の無い、根も葉も無い噂話です。


 

 その男は朝、目を覚ますと伸びをします。

 辺りの通行人(・・・)が驚きますが、それも仕方のないことでしょう。



  

 大きな路地に山のように棄てられたダンボールの一つから男が出て来たのですから。

 


「寝ちまったか。そうだ昨日の夜……」

 僅かな昨夜の記憶の残り滓を突きながら男はダンボールから這い出しました。

 さァ、今日も男の日常が始まります。



「ねェ、知ってる?

 ……絶対に数えて降りちゃいけない階段があるの。

 うん、うんうん。そこは変哲の無い五十段の階段に造ったらしいんだけどね。数えると四十九段しかないらしいの。四十九を数えたら消えちゃうらしい。

 

 ええ? 知らないよ。

 何処に消えるかなんて。

 だって、消えた人に聞けないでしょう? どうなったのって」


 男はそんな暗い噂を聞き付けると、一人でその場所に向かいます。

 しかし、残念。そこは電車を乗り継いで二時間もかかります。男には時間が無いのです。

 

 時間が無い男は真っ当じゃない手段で行くことにしました。

 

 男にとってはこちらが真っ当な手段なのですが……。現代の人達は不便に出来ているのです。

 男は誰もいないことを確認して身近の公園の茂みに入ります。



木陰主(コカゲヌシ)、来い。連れってくれ」



 そこは寂れた公園。子供だって遊びません。

 だから公園には誰もいません。

 男はもう、いなくなっていました。



「一、二、三」

 

 男は噂の階段を歩きます。

 しっかりと階段の数を口にして、


「……四十六、四十七、四十八」

 がしっと。

 階段を降りおわる前に、細い手が男の足を掴みました。


「四十九」

 異常(・・)でした。


 五十あるのに四十九で終わる階段も、

 何より階段から生えてきた白く細い女性の腕も?

 違います。



「見ィー付けた」



 それを見付けた男の笑顔(・・・・)が、です。

 

 

 ※



「嫌だよ。気味悪い。うちの左側(・・)の生徒指導室。肝試しでも行かないね。出るんだもんよ。

 そもそも何でうちに生徒指導室が二つ並べてあると思ってんの?

 生徒指導にかこつけて生徒を虐待して殺しちまったって噂があるんだよ。

 噂、噂。……でも、左側を使うと出るから、もう一つこしらえたんだって。

 多分、虐待されて死んだ生徒の霊じゃない? 学校で一番小柄な声変わりもしない生徒だったんだって」



 こんな奇妙な噂話にも男は現れます。



「……? あれ、今、男の人が通らなかった?」

 男を見かけた一人の教師が慌てて学校への不法侵入者を追いかけました。

 しかし、角を曲がったところで見失ってしまいます。

 昼休みの学校内は生徒が行き交っていました。

 

 こんなところにあんな場違いな男がいればすぐに解かると思うのですが。

 汗だくの教師を見て、廊下を歩く生徒達は首を傾げました。

 その時です。



 ちょうど、件の生徒指導室から大きな悲鳴が上がったのは。

 

 噂に引き付けられた例の男の声でしょうか?

 いいえ。


 左側の生徒指導室を恐る恐る開けた教師が見たものは、

 

 学校指定の古い古い小さな上履き。

 



 そりゃあそうでしょう。あの悲鳴は、子供の声(・・・・)でした。

 

 そして、その日を境に、左側の生徒指導室の怖い噂は無くなりました。



「地図に載ってない町があるらしいです。残念なことにぼくはその町に行けません。聞いた話だとその町に踏み入ることが出来るのは心霊系と縁のある人間だけらしいんです。

 でもでも、ぼくは絶対その町をこのカメラにおさめたい。

 きっとスクープになりますよ。その為なら、お化けに憑りつかれようが呪われようが……」




 男は夕暮れの中、恐ろしく古い屋敷に入って行きました。

 男はまるで別人のようでした。

 何故って? 噂を追って歩いた時と表情が違うからです。

 ただ、暗い噂を追いまわす機械のような死んだ表情が、生き生きと輝きました。

 

「兄ぃ。おかえり」


「あれ千尋! 珍しいじゃねェか。こんな時間に。今日は仕事はいいのかよ?」

 

 男を出迎えたのは一人の女性。

 知らない人が見れば恋人同士に見えるかも知れませんが違います。

 二人は義兄妹。

 

 千尋、と呼ばれた恐らく二十代の娘はかわいらしい桃色のエプロンでした。


「昨日の夜、帰って来なかったね。何時も監視されてるわけじゃないけど、八柳が焦ってたよ。しっかり休んだ? ……ちゃんと食べた?」

 千尋の言葉に男はそっと目線を逸らしました。

 

「……場所は言えないが休んだことは休んだな」

「何処かの駅の中か、公園の土管の中か、ダンボールの中」

「ぎく」


 血は繋がっていなくともお見通しでした。


「しっかり食べた。安心しろ」

「兄ぃ」



「その血で汚れたカメラはどうしたの?」


 千尋の瞳は男の首から下げられた高そうなカメラを映しました。

「貰った」

「へ?」


「新しく町に迷い込んだ人間らしいんだが。人間じゃないものばっかり映って嫌なんだとさ。まァ、この町に入れるって奴だ。

 よっぽど怖い目に遭っちまったんだろうぜ」




「あ。そうそう。それでね。八柳の用件なんだけどね?」


 話題に上がった八柳さんは怖い話に精通する便利な存在です。

 千尋にとっても、男にとっても。


「ネットにね? 変な噂が流れてるんだってさ。何だか本物っぽいから見てきて欲しんだって」

「ネット漁りなんかしてるのか。八柳って。どんな噂だ?」

 

 夕飯を用意した千尋は兄にご飯をよそりながら続けます。


「四十九に減る階段の話」

「へェ」


「生徒指導室に子供の幽霊が出る話」

「へェ」



「……恨みを食べて生きる、黒い怪物(・・・・)の話」

「何だそりゃ」


 よく聞くような噂話です。

 根も葉も無い噂話です。



 そうそう。

 この日を境に怨みを食べて生きる怪物の話はネットに上がらなくなりました。


 色々な意味で削除されてしまったんでしょうね。



「そうだ。兄ぃ、お金持って行かなかったけど、」



 その時。千尋は初めて人間とは思えない笑みを浮かべたのでした。






「今日は、お腹いっぱい食べられた(・・・・・)?」


たまに忘れられますが、一番の怪異は鳴神本人です。

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