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blood cross  作者: 独楽
a heart
9/35

-007-


「――おとぎ話の中では、自らを火葬するため極寒の北極に姿を消した、とある」


 これで結びだ――と。

 そう云うように、教授は紅茶を一口啜る。

 脈略のない話だった。

 この場で、しかもこのタイミングで語るには、少しおかしいところがある。

 ……いや?

 果たしてそうなのだろうか。

 いま、ロンドンを賑わせている北極探索隊が北極圏で発見した『氷漬けの女性』。それが、かの有名なヴィクター・フランケンシュタインが生み出した『怪物』なのではないか――という噂は、ロンドンに住む私の耳にも当然入っている。


「簡潔に言おう」


 教授はすっと指を広げ、隣に座っていたフードを被った者を紹介するように手を仰ぐ。


「彼女こそが“フランケンシュタインが生み出した怪物”だ」

「……え?」


 突然の教授の言葉に、私の思考は停止した。

 停止……というか、呑み込めない状況に、頭を回転させることに必死になる。

 私の薄い反応が気に入らなかったのか、教授は、


「きみは本当に冷静沈着だね、ア―カード君」


 と、賞賛とも皮肉ともとれる言葉を残しつつ、フードをかぶった“それ”を晒す。

 そして現れた“それ”に、私の思考はいよいよもって困窮を極めることになった。


「――…………」


 真っ白い服を着た少女がそこにいた。

 見える範囲――頭の先から胴体、着ている服まで白一色。ひらひら飾りのついた服は、革下着ボンテージにも見えたし、拘束具でがんじがらめにされているようにも見えた。

 私が言葉を失うほどに異様だったのは、その少女の眼に瞳孔らしきものが見当たらなかったことだ。まるで煮た魚のように、白濁に染まった瞳――胡乱に構えるそれが、いったい何を見ているのか……本当に見えているのかさえ疑問に思えてくる。

 絶望の淵を覗き込んだような眼……視線。

 それに私は、単純な恐怖を覚えた。


「彼女が……」

「『完成された人間』だよ」


 すなわち、『不死』ということだ。

 ヘルシング教授は満ち足りた声を振るう。


「北極探索隊から請け負ったときには私も驚いたものだが、彼女の身体を調べていくうちに、私は彼女の『不死』の秘密を突きとめた。モルモットを使った実験だったのだがね、彼女の体液を投与した内の少数ではあったが、異常なまでの免疫機能を得た個体が現れた」

「……体液……それが、『不死の血』……ですか?」

「その通りだ。達成した暁には“摂理解放治療”とでも名付くるか――それはさておき。本格的な実験を創始したはいいが、いかんせん人体投与段階になって、なぜか被検体が漏れなく昏睡状態に陥ってしまってね。成功すれば私は勿論のこと、我が大学の名が全世界に――後の未来に永劫と印象付けられるだろうから、私も必死なのだよ」


 そこでだ、ア―カード君――と。

 教授はハッキリと私を見据えて、


「私は被検体を探しているのだよ。言ったように、不死の『記憶』に叶い得る器をね」

「……なぜ」


 私は震えそうになる身体を抑えながら、


「なぜ私に、それを言い聞かせるのでしょうか? その理由が思い当たりませんし、教授の御眼鏡に叶う器を知っているわけでもありません」


 もちろん、仮に知っていたところで絶対に教えなどしないけど。

 私は冷静を装いつつ、続ける。


「まさかとは思いますが、私をその研究員に加えるおつもりで? ともすれば見込み違いもいいところです。私はそこまで愚かではありませんよ、ヘルシング教授」

「たしかにきみは優秀だがね……しかし、誰もきみの頭脳が欲しいなどとは言った覚えもないよア―カード君。……実はだね。昼間、見てしまったんだ。きみの傷……」


 私はぞっとした。

 ヘルシング教授が私の瞳を覗き込んでくる。

 そして、すっと私の包帯に巻かれた腕へと指を立て、


「……それ……もう“治っている”のではないのかね?」


 品定めするようないやらしい言葉が、歪んだ口元から放たれた。

 努めて冷静を装っていたけど、的確な教授の検察に動揺を禁じ得ない。狼狽える私が零した言葉は、何とも情けないものがあった。


「――治っていようがいまいが、それが貴様になんの関係がある?」


 私の後ろに控えていたブラッドが口を開いた。

 薄ら低く。

 明らかな敵意を孕んだ声で。

 息をひそめるように私は身を引いた。そして、教授の視線がブラットに移ったことに少しだけ安堵する。だけど、得も言えない不安が胸の奥底から込み上げてきて、吐きそうになった。

 ……教授は、私を“器”として使う気だ。

 教授の頭の中が、どうこんがらがってその決断に至ったのか……私にはわからない。

 そもそもからして、人間というのは欲望と意思の間で極端な舵取りしかできない、未熟な操縦士だ。意思というものは、誘惑に負けやすいクセに、時折どこまでも頑なになる。

 けれど――ヴァンパイアである彼に、揺るぐような意思はない。

 揺らぐような心は――持ち合わせていない。


「これまで沈黙を守っていてやったが……我にも限界というものがある。いますぐにお引き取りを願おう。これ以上戯言を述べるというなら、貴様を力ずく屋敷の外へと放ってやることもやぶさかではないが?」


 いまにも殺してしまいそうな彼の殺気に、私の自分の身を案じていた思考は、しかし瞬間で教授の命の心配に移り変わる。下手に刺激をして、これ以上ブラットを怒らせてしまえば、教授は今晩のディナーを食べられない――どころか、教授が彼のディナーになりかねない。

 けれど、そんな懸念は教授に届くことはなかった。

 ブラッドの辛辣な言に対し、教授は空咳をして目頭を揉みながら呆れるように言う。


「あー……悪いが、執事君は黙っていてくれないかね?」

「貴様、我を愚弄する気か?」

「きみには関係ない、と言っているんだよ」

「さようさよう。我にとっても貴様がどうなろうと関係がない――」


 不承不承とブラッドが口元を吊り上げる。

 束の間、


「えぐっ」


 と、カエルをつついたような、変な音がなった。

 気がつけば私の後ろにいたブラッドの姿がそこになくて――教授の背後から、押さえつけた喉仏に鋭利な爪を突き立てる彼の姿が、私の眼に飛び込んできた。


「――ゆえに貴様の喉を掻き裂こうが、頭を握りつぶそうが我の知ったことではない。そうだろう?」

「ブラッド! やめてっ!」


 私は反射的に叫んだ。

 教授の命なんて、正直なところ、もうどうでもよかった。

 だけど、彼が教授を殺してしまっては、彼との生活が間違いなく変化を迎える――“ようやく受け入れた環境”が、彼との日常が崩壊してしまう――それだけは、嫌だ。


「約束したはずよブラッド! あなたはそれを破るっていうの?」


 咄嗟に出た言葉は、勇気や決意とは程遠い。

 ただのお願いだ。

 ブラッドの眼光が冷たさを増し、私を見る。

 呆れられているのかもしれない。

 嫌われてしまったかもしれない。

 でも、それでも構わなかった。

 私がキッと睨みかえすと、ブラッドの視線は、ややあって再度教授へと向けられる。


「……良かったなあ、人間。我が主君がどこまでもお優しいお方で…………ん?」


 と。

 そこでブラッドは自分の手首を見、異変の鼻声を鳴らす。

 隣に鎮座していた少女の小さな手が、彼の腕を掴んでいたからだ。


「貴様……なんの真似だ?」


 少女の眉が、かすかに歪んでいるのを私は感覚した。

 そのとき見せた――終始無表情の鉄皮面を貫いていた少女が見せた感情。

 私にも覚えがあった。

 怒りだ。

 少し遅れて気がついた、そのとき。

 ブラッドの手首を掴む手から、血と肉が飛び散った。

 グチュ、ゴリュリ……と、そんな聞き覚えのない音と、皮一枚を残し、見慣れない角度にぶらりと垂れさがる手のひら。「ひっ」と、私が息を引くより先に、少女は空いたもう片方の手で、ブラッドの喉に手を差し込む。

 教授の頭の上に、どばどばと彼の血が降り注いだ。

 抉られた喉から血管、気管、食道がまとめて掴み出される――首は文字通り、全身のネックとなる部分で、それはヴァンパイアの彼にとっても変わらない――非現実的な光景を前に、叫ぶか、うめくか、泣き出すか、私の本能が判断をこまねく。

 それは一瞬の出来事だった。

 ようやくのこと泣き叫ぶ選択をした私は、金切り声をあげつつ彼に駆け寄ろうと、椅子を引き倒し、テーブルに足をぶつけ、転げながら倒れゆく彼へと手を伸ばす。

 だけど、


「――ごめんなさい」


 少女が呟いた。

 私は何も出来なかった。

 倒れたブラッドの頭に、少女の華奢な足が振り落とされる。

 少女のはためく真っ白な服に、決定的な瞬間が視界から閉ざされた。

 何かを踏み貫き、床を叩いた音。

 白い服が一瞬にして赤い迷彩柄に変わった。


「あっ……あぁ……」


 全身が粟立ち、耳元でバクバクと心臓の音が唸る。

 伸ばした手から力が抜け落ちて、喘ぐような叫び声も、次第に無機質な嗚咽と変わり果てる。

 呆然と見つめる先には血だまりがあって、溢れ出る涙に視界がじんわりと滲んでいく。


「ブラッドッ!」


 私は叫んだ。

 けど、聞こえない。

 彼の声が聞こえない。

 彼の声が聞こえない。

 彼の声が聞こえない。

 その事実が、残酷な結果を私に嫌というほど突きつけた。


「……何者なのだ、この男は……」


 どうでもいい声が遠くに聞こえた。


「まあいい。……しかし、ラルラウア。判断を間違えたとは言わないが……もう少し私のことも考えてはくれんものかね? 見ろ。頭から血を被ってしまって、これじゃあ街も歩けないではないか」

「……ごめんなさい」


 コツコツと足音が聞こえて、私の前で止まる。

 右腕に何かが触れる感覚があった。


「……やはりか……」


 腕の感覚が消え、声が降ってくる。


「ア―カード君。きみに被検体になって貰いたいのだが、構わんね?」




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