-004-
燕尾服の彼――ブラッドが厨房へ紅茶を淹れに行こうと席を立つ。
ややあって盆を片手に戻ってきた彼は、
「リシェル。考えてみたのだが……魚が空を飛びたいのであれば、翼を生やせばいいのではないだろうか?」
と、至極真面目な顔でそう言った。
「……?」
私が首を傾げると、彼は続ける。
「つまりだな、飛びたいなら飛べばいいということだ。鳥が泳ぐにしたって、息を止めれば少しは水に潜れるだろう。……違うのか?」
……どうしてこんな話になったのだろう。
ブラッドは問題点を見つけると、とても素直に訊いてくるから、そのせいですぐに話題が彼方へと逸れていく。私の知る限りでは、彼は真面目で誠実で聡明で、執事としては申し分ない器量を持っているはずなのだけれど……実は、とてもお馬鹿なんじゃないかと疑っている。
どう返答したものか、と困っているそのときだった。
表玄関の鈴の音が鳴った。
お父様が残してくれたこの屋敷は、二人で暮すにはどうしたって広すぎる。だからメイドを雇うような必要があるわけでもなく――大抵は彼が世話をこなしてくれるから――それに友達も少ない私だから、屋敷に訪れる人間はそれほど多くはない。
正直言って、何年か振りに聞いた呼び鈴に、最初は何の音かわからなかった。
「……来客かしら。めずらしいわね」
「座っていろリシェル。我が出よう」
普段と変わらない声色に戻った彼の声が、私を制する。けれど、客人を迎えるのにヴァンパイアを出すわけにもいかない。
私は席を立ち、
「いいわ、ブラッド。私が出る。あなたはここで待っていて頂戴」
ちょっぴり勇気を絞って、高慢にそう告げる。
怪訝そうに眉をひそめる彼を見ないふりして、私は逃げるように大広間から出た。
「…………」
私は廊下に出ると、扉にもたれ掛かるように肩を落とした。
「……ちょっと、不自然だったかな……」
無理して気丈に振る舞っているのが、彼にバレちゃったかもしれない。それに――心を落ち着けるため、少しでも一人になりたい、という理由もあった。
バクバクと心臓が高鳴っている。
エントランスを歩きながら深く息を吸い、そして吐く。胸を落ち着かせる。
首にそっと手をあててみた。
まだ、彼の舌の感触がうっすらと残っていた。
「……ブラッドのばか」
小さく呟いた。
たまにブラッドはああなる。
講堂で見た死体が、彼の中の引き金に触ったのかも……それか、いつまでも踏ん切りをつけられず燻ってる私に嫌気が差した……か。どちらにしても、その原因が私にあることに違いはない。
記憶を遠い昔に回帰させる。
彼は昔からそうだ。
環境が変わったところで、彼という存在は変わらない。
変わったのは彼との関係性だけ――
……いや、その関係性も、あるいは仮初でしかないのかもしれない。
*
私は屋敷を出、薔薇庭園を虚ろに眺めた。
正面門の前に立っている二つの影を見つける。
めずらしい来客の一人は、ほんの数時間前に会ったばかりのヘルシング教授――その隣に立つ人は、季節に合わない厚いフードを被っていて、外気に肌を晒すのを嫌うかように、肌の色の一切を押し籠めていた。
なんだか怪しげな風貌に、少し不気味な感じがした。
私に気がついた教授は、被っているハットをとって軽い会釈をしてみせる。
「やあ、ア―カード君。いきなり押しかけてすまんね。怪我の具合はどうかね?」
教授の手が伸び、包帯に巻かれた私の腕を取ろうとする。
私はさっと手を引き、
「軽い切り傷です。事故ですので、どうか教授もお気になさらずに」
「……そう言って貰えると助かるよ。今後はああいったことがないよう努めよう」
取り損ねて泳ぐ手は、なぜだろう、どこか名残惜しそうだった。
「あの……教授、そちらの方は……?」
「ああ、これか」
教授はちらり、と隣に立つその人を見遣り、
「これは私の助手だ。気にしないでくれたまえ、なにぶん無口なやつでね」
私は、ため息にのような曖昧な返事を返す。
フードをかぶったその人は、教授と同じように小さく会釈をする。うつむき加減で顔は見えなかったけれど、体格を見るに女性のようだった。仕草が少しだけ幼く感じられた。慣れない……というか、まるで作法を覚えたての子供のように。
それを怪訝には思う。
けれど、それを表には出さず、
「こんなところで立ち話もなんでしょう。どうぞ中へ」
私は二人を屋敷へ招き入れた。




