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blood cross  作者: 独楽
a heart
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-003-



「奴は貴様を傷つけた。これ以外に理由が必要か?」

「馬鹿なことを言わないで頂戴」


 傷の手当てをする我に、リシェルは侮蔑するように言った。

 我には彼女が怒る理由がわからない……寧ろ、危害を与えられたのは外ならぬリシェルだというのにだ。……なんとも釈然としない。

 そんな思いを抱えつつも、我は彼女の裂けていた幹部に包帯を巻く。

 幸いと傷は浅く、もうほどんど傷口は塞がっていた。しかし、多くの目に怪我の様子を見られていたので、瞬く間に完治しては奇怪の目に晒されることになる――だから、この偽装も致しかたないと言えばそうなるのだろう。

 見栄を張って見栄えを気にする……まったく、人間とは本当に不便だ。


「殺すだなんて軽々しく言わないで。いいことブラッド。あれは事故よ?」


 我は苦笑した。

 人間は、相手に害意が無ければ簡単に免罪符を与える術に長けている。

 ともすれば、事故で殺されてしまっても、『害意はなかったから仕方ない』の一言で済ませてしまう気だろうか? なんと愚かしい限りだ。

 我はリシェルをはっきりと見返して反論する。


「だが、事実として貴様に怪我を負わせた。その罪は……」

「罪は?」

「死をもって償うべきだ」


 我も口数が多い方ではない。

 はあ、と呆れたように溜息をつかれたのは、リシェルが我の言葉の意図を十全に汲んでくれなかったからだろう。溜息をつきたいのは我のほうだ。

 ……怒ってくれるのは嬉しいけどさ……と、小さく溢すリシェルを後ろに、我は大広間から厨房へ移る。本人は聞かれていないつもりだろうが、ヴァンパイアの耳はコウモリのそれ以上だ。

 今朝、寝坊した主君は、朝食も取らずに講義へと向かった。その講義も結果的には中止となり、あまつさえ怪我を負って、無駄足もいいところだったのだが……まあ、その話はもういい。

 そろそろ昼食の時間だ。



 *



 我は早朝から仕込んでいた食材を調理し、運んでやった。

 大広間のテーブルクロスの上には、七枝燭台を中心として湯気をあげるスープ。切り分けられたパンが乗った皿。漬けた野菜の隣にはティーカップが置かれている。

 無論、我はこのようなものは食さない。

 ワイングラスに注がれた赤い果実酒――リシェルの血液が数滴垂らされたそれが、我の食事だ。

 グラスを傾ける我に、リシェルはしずしず問いかけてきた。


「ねえ、ブラッド。その……まだ怒ってる?」


 無論だ。

 主君を傷つけられたのだから、強い怒りを感じないわけにはいかない。

 それは勿論――リシェルにではなく、あのヘルシングとかいう教授に対してだ。

 しかし、なぜ?

 なぜリシェルは、さも自分が悪行を犯したような、悪びれた顔を作るのだろうか……。


「……我も馬鹿ではない」


 我は足を組み直し、


「人間は脆く、そして弱い。故に、集わねば種を保つことも、個を貫くことすらも出来ない。それは純粋なヴァンパイアである我にとっては、この上なく理解に苦しむことだが……しかし、リシェル。なぜ貴様までが人間のように振舞う? 貴様はその枠にはいないはずだ。少なくとも――」

「やめて」


 と、リシェルはフォークを皿に置き、話を切ろうとする。

 この話するのを極端に嫌うのは我も知っていた。だが、人が吸血鬼を振舞うと滑稽に映ることと同様に、“吸血鬼が人間を振舞う”のも、やはり滑稽のそれでしかない。

 我は鼻を鳴らし、問う。


「それが人間の血か?」

「そうよ。ヴァンパイアのあなたには、到底理解出来ないでしょうけれどね」


 怒りをあらわに、リシェルは自らの言を肯定するように悪態付く。

 まるで誓いを捧げるようにも見えた。

 あるいは、祈り……か。

 嘘だ、と我は思う。


「……ブラッド、お願いだから私にこんなことを言わせないで。あなただって理解しているはずよ。破壊と殺戮はなにも生み出さない……それを一番知っているのは、外でもない……あなたじゃない」

「それも一概に言えたことではないだろう? 確かに我は混沌の中で死を造り出し、血と臓物を喰らってきたが……それ故に得たものもあった。例えば貴様――リシェル・アーカードという主君とかな。だからこそ我が主君に問おう。教えてくれ。なにが不満なのだリシェル。我は誓いの通り、人間を殺すことを止め、こうして惨めにも、貴様の垂らしてくれた数滴の血で満足してやってるというのに……」


 リシェルは何度目かのため息をつき、「いいこと、ブラッド――」と、たしなめるような目を向け、


「――誰にだって相応しい居場所っていうものが存在するの。鳥には鳥の、魚には魚の、人間には人間のね。鳥に海に潜って泳いでって言っても無茶な話だし、魚に大空を飛びまわれっていうのも、やっぱり無茶な話。……あるいは、鳥だって海の中を泳ぎ回りたいかもしれないし、魚も大空をはためきたいって思っているかもしれないけれど……でもね、それはやっぱり無理なの」


 いきなり訳のわからないことを言い出した。

 我は眉をひそめる。


「……我は鳥でなければ魚でもないが?」

「当たり前じゃない。馬鹿なの、ブラッド」


 なぜだか怒られた。

 どうやら……今日のリシェルは本当に機嫌が悪いらしい。

 しかし、機嫌が悪いのは我も同じだ。


「私はあなたの考え方を変えて欲しいだけよ。あなたにも心があるでしょう?」

「……心? 心だと? はっ、笑わせてくれる」


 我は即座に否定する。


「我にそのようなぬるいものは存在しない。いまは落魄おちぶれたとはいえ、我は夜の王――それは変わらん。魚か鳥かの与太話など興味もない。だからこそ、貴様のぬるい考えには反吐が出る。曲がりなりにも我の――“ヴァンパイアの血を引いている”というのに、よくもまあ、そのような台詞が吐けたものだ」


 なんだろうか。

 言っているうちに、歯止めが利かなくなってきた。

 湧き上がってくる憤りが、やがて激情に変わってくる。

 我の荒げる口調に相乗するかのように、リシェルの顔が、我好みの荒んだそれへと移り変わっていく。

 ……やあ、

 ……我が主君もなかなかどうして、

 ……食欲そそる顔が出来るではないか……


「ブラッド。これだけは言っておくわ。たとえ血が流れていようと、私はヴァンパイアなんかじゃない。そんな怪物にはならない。そしてブラッド、あなたは嘘をついている。あなたは心を知っている……心を持っているもの」


 それこそが嘘だ。

 指先が、打ち震える。

 牙が、疼く。


「ああ……我が主様が、また斯様な世迷い言を……まだ自分が人間であると、盲信なさっておいでだ……」


 ならば、

 無理やりでも、

 わかって頂くのが、

 従僕たる、我の、役目というものだろう。

 リシェルに流れている、半分の汚れた血を、我が、吸い尽くして、やる、べきだ……。

 美味そう。

 美味そうだ。

 啜りたい。


「ブラッド……?」


 いい匂いがする。

 処女の甘い香りだ。

 艶美な芳香に誘われ、我はリシェルの肩に手をかける。

 渇く唇を舌舐めずりで潤す。

 だらしなく垂らした舌から、溢れだした唾液が地面を打つ。

 頬を赤く染めるリシェルの顔に鼻を近づけて、少し力を入れてやれば折れてしまいそうな首筋に、体液で濡れた舌を這わせていく。甘美だ。たまらなく、甘美のそれだ。

 もがく、少女の、腕を、抑えつけ、支配する。

 ジン、と脳髄の、奥の、奥の、奥にまで届く、その悦びに、我は腹の奥底から、純粋に震えた。

 そうだ。

 思いだした。

 耳元をくすぐる、弱々しい吐息。

 やわ肌に、牙を突き立てる、この快感。

 啜りあげる、生命の悦楽、その味。

 ある存在に応じて相応しい場所があるというなら、我の居場所は、やはりここだ。


「やめて……ブラッド……」


 と。

 小さな悲鳴に、ハッとする。

 リシェルは我から目を逸らし、薄い唇を噛みしめ、感情を押し殺すかのように、じっとテーブルを凝視していた。

 淡い金色のまつ毛に雫が浮かぶ。

 それはキメ細やかな肌を伝い、スッと筋を描くと、彼女の襟を掴み上げる我の手へと落ちた。


 ――……我はいったい何をやっている?

 主君に牙を剥くとは……なんという失態だ。


「……アール・グレイを淹れよう。ミルクは多めで良かったな?」



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