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blood cross  作者: 独楽
a mind
32/35

-012-


 そして今日。


「はわっ……はわわわわ……」


 私はひとり、厨房であたふたしていました。

 この日、三袋目となる小麦粉の袋の爆発。

 厨房の景観は、さながら北極の雪景色のように神秘的に染め上げられています。

 シルバーの食器も、シルクのテーブルクロスも、ティーセットも小麦粉に犯され、見るも無残なありさま。唯一、フラワーアレンジメントだけは季節を感じさせる白華と相成りましたが、それが救いになるはずもありません。


「今日こそはちゃんとした朝食を!」


 ――と張り切って見事に失敗し、


「リ、リベンジです、昼食こそは!」


 ――と意気込んで挑んだ結果がこれですよ。

 この致命的なまでの不器用をどうにかしたい……。


「……くちゅんっ!」


 漂う小麦粉のせいで鼻水が吹き出ました。

 半ばヤケクソなわたしは、袖でそれを拭います。

 くしゃみなんてしている場合じゃないのです。

 早く後片付けを……早くお掃除して、事実の隠ぺいを……『あんりーずなぶる・きんぐ』に知られてしまえば、あるいはわたしもエポワスと熱烈な出会いを果たす羽目に……。

 わたしは改めて厨房を見渡します。


「…………」


 ……いやぁ、無理だぁこれ。

 ひとりでどうにかなるレベルじゃないよー。

 それになにより、わたしがお掃除なんてしちゃったら、続く二次、三次災害でお屋敷中が荒れ果ててしまいかねない――お屋敷自体が爆発する可能性だって無きにしも非ず、です。

 わたしは自分の力を過信するようなことはしません。

 謙虚なのです。

 つまりこの現状は、わたしにとって対処不可能な任務。

 言い換えるなら『みっしょん・いん・ぽっしぶる』です。

 だからではありませんが、小麦粉の散りばめられた床に指でラクガキしちゃったり。


「あはは、可愛い」


 子ネコの絵を描いて、現実逃避するわたし。

 意外と上手く描けました。

 そうやって心底絶望的な気分に浸っていると、ギィっと広間へ続く扉が開きます。


「――はうっ!?」


 万事休すか……。

 なんて来世に想いを馳せるわたしではありましたが、よくよく考えてみればリシェルさまが厨房に足を運ぶことなんて滅多にありません。


「いるのか、ラルラウア――……む?」


 現れたのはブラッドさま。

 開かれた扉に、小麦粉がフワっと舞います。

 足を止めるブラッドさまは、真っ白に染色された厨房をぐるりと見渡し、


「……また袋が爆発したのか?」

「ご、ごめんなさいっ!」


 わたしは腰を折って頭を垂れます。

 平たく言えば土下座のポーズ。


「……あ、あの……その……」


 力加減がまだちょっとわからなくて……と、ちゃんと説明出来ればいいのですが、言葉を口にしようとすると、気持ちばかりが焦って上手く口にできません。

 コミニュケーションがとにかく苦手なわたしです。

 口ごもるわたしに、ブラッドさまは、


「ふむ」


 と、顎に指を置き、首をぐぐーっと斜めに。

 燃えるような赫眼がわたしを見ました。

 こんな風に毎日失敗してばかりいれば怒られようものですが……けれど、ブラッドさまにそれを咎められた試しはありません。


「どうやら、怪我はないようだな?」


 今回も――やっぱり。

 怒られることはありませんでした。

 申し訳ない気持ちがふわふわと、それこそ小麦粉のように飽和します。

 いえ。

 べつに怒られたいというわけではないのです。

 怒られると泣きたくなってしまいますし、怒った顔は怖くて嫌いですから。

 でも。

 だけど、こうも毎回赦されてばかりいると不安になってしまう……わたしは必要とされてないんじゃないかって。怒る価値もない、ダメな存在だって思われているんじゃないか――と、不安になってしまうのです。

 わたしは――自分が嫌になりながらも、うつむきます。

 他に振舞いかたを知らないから。

 ブラッドさまは、それを頷きと勘違いしたのか、


「ならばよかろう。……しかし、ラルラウア。酷い有様だ。頭から足まで真っ白ではないか。ここは我が片しておく――貴様はシャワーでも浴びてくるがよい」


 ……シャワー。


 で。


 しゃわーっと。


 肌を打つ雨滴――……これを雨滴と表現するのは、また違うのでしょうね。

 けれども、このリシェルさまのお屋敷に来て初めて『シャワー』なるものの存在を知ったわたしにとって、室内で温かい雨が降ってくるこの『シャワー』をどう表現したらいいのか……判断にあぐねます。

 ひとつ確かなことを言っておくと、これはとても気持ちいいものです。

 元々、この英国では入浴する事で病気になると信じられていたので、入浴とかシャワーするという習慣自体がありませんでした。私が氷に引き籠る以前の英国では、水はもっと貴重なものだったのです。

 リシェルさま曰く、


「ロンドンでは上下水道も整備されているからね。引いている家は……まあ数少ないけれど、私の屋敷は当然引いているわ。だから、ラルラウア。水汲みなんて前時代的なことをする必要なんてないのよ――」


 とのこと。

 ああ、『水道』なんて言っても、普通の人はわかりませんか。

 『水道』とはつまり、お家の中の水が出るところなのですよ。

 出るのです。

 水が。

 すごいですよね。

 わたしが先ほどやらかしてしまった厨房でも、ちゃんと水が出ます。

 まるで魔法です。


「るんるん♪」


 これだけ気持ちいいのですから、そりゃあ鼻歌も歌っちゃうというもの。

 ただし、普通『水道』から出るのは水であって、お湯ではありません。

 夏でもないこの時期に、冷水を浴びたがる奇特なひとはそういないでしょう、わたしだってもちろん浴びませんし、浴びたくもありません。

 冷たいのは、もうこりごりです。

 けれどもしかしながら、実際に出てくるのは温かいお湯でありまして。

 どんな魔法を使ったのだ――と不思議に思うかもしれませんが、べつに大したことではないのです。お外に置いてある円筒形のタンクの中に鉄の棒を突っ込んで、タンク内の水をお湯を変えているだけ――引っ張った銅線にわたしが電気を流せば出来る、即席のお湯沸かし器です。

 とても良いアイディアでしょう?

 電気ウナギみたいに体細胞膜の性質を変化させ、正イオンを体内に取り込み内外電位差で自家発電できる方は、ぜひぜひお試しください。


「――ハッ!」


 そこでわたしはハッとします。

 いけない。

 悠長に『しゃわ』ってる場合ではないのです。

 付着した小麦粉を落としたらすぐにでも厨房に戻らなければ……きっとこうして気持ちよく『しゃわ』っているいまも、ブラッドさまは厨房のお掃除をしているに違いないのですから。

 わたしは名残惜しみつつも白い湯気を掻き分けシャワー室を出ます。

 そこでふと、脱衣所にある大きな鏡に目がゆきました。


「…………」


 映るのは当然、自分の姿です。

 ラルラウア。

 ア―ハート。

 オースリーブ。

 ウィル。

 オールヴェル。

 彼氏彼女らを繋ぎ合わせたわたしの身体。

 髪型は、野暮ったらしさがうかがえる前髪の長いボブ。

 髪の合間から覗く目は、まるで焼き魚のように白濁に染まっています。ツギハギで左右のバランスの取れていない骨格、乳房、四肢。キメ細かく艶やかなリシェルさまのそれと比べると、所詮死体の寄せ集めであるわたしの身体は、どうしても醜く映る……。

 わたしの容貌をリシェルさまは、気にすることなんてない、と言ってはくれますが……やはり、人との違いを気にしないわけにはいきません。

 こんな肌で、こんな姿で人前に出るには勇気が必要です。

 そしてわたしは、その勇気を持ち合わせてはいない。


「……弱いとか臆病とはまた違う……と思うんですけどねぇ……」


 “違い”というものは、どうしたって“違い”でしかないのです。

 乗り越えるには高すぎる壁――それに正面から向かい合うことを勇気と呼ぶなら、リシェルさまはきっと勇者なのでしょう。


「……嫌なことから逃げてたら、変わるものも変わらない……か」


 あのとき、リシェルさまがわたしに言ってくれた言葉は、もしかしたら自分に言い聞かせていた言葉なのかもしれません。

 ともあれ。

 想いに耽っている場合ではありません。

 新しいメイド服に袖を通し、わたしは急いで厨房に向います。



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