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「――死ぬ前に祈りなさい。それとも、なにか言葉を残しておくかしら?」
と、リシェルさまは、物騒なことを言います。
口をへの字に、苛立たしげに。
靴をカツカツ鳴らしながら、ブラッドさまに詰め寄る――似合いもしない冷や汗を浮かべるブラッドさま。その背には壁。
逃げ道はありません。広間には殺伐とした空気が流れていました。
怒り心頭な荒神を前にして――リシェルさまの剣幕に早々に怯えたわたしは、テーブルの木陰から一部始終を覗くように見ています。
「……その責任が我にあるとは思えないのだが……」
ブラッドさまは気圧されながらも抗弁を試みます。
その声はとても小さいものでした。
パーティから帰って来てからというもの、リシェルさまの機嫌は有頂天です。
有頂天……という言葉の使い方があっているのかどうかは怪しいところですが……とにかく、ここまで怒ったリシェルさまを、わたしは見たことがありません。
さわらぬ神に祟りなし――不機嫌のリシェルさまに近づくことは、火山の噴火口に足を踏み入れるに等しい行為でありまして……八百万の神さまであろうと、怒るリシェルさまを前にしたら、それこそ裸足で逃げ出すこと請け合いです。
「黙りなさい、ブラッド。全部あなたの責任よ。この落とし前をどうつけるつもり?」
「ま、待て。はやまるなリシェル。話を聞け、話せばわかる!」
「……あら、黙れと言ったのが聞こえなかったのかしら? 言葉も理解出来ないなんて……愚図ね、ほんと愚図」
不機嫌のリシェルさまは、ほんと口が悪いです。
「そもそも、話すことなんて一切ないわ。弁解の余地なんてあると思わないで頂戴。あなたが連れてきたアランとかいう子のせいで、私がどれだけ恥をかいたか……信じられる? あの子は私をエスコートするどころか、私を置いてエスケープしたのよ!」
ちょっと上手いことを言うリシェルさまです。
広間に響き渡る大喝に身をすくめる――けれど、わたしとブラッドさまが怯える理由は、怒る主君の存在もありましたが……それよりなにより、リシェルさまが持つおぞましき物体のせいでもありました。
リシェルさまの手には鼻がひんまがりそうになるほど臭いチーズ――エポワスの乗った皿――やはり当人も臭かったのか、鼻には栓の代わりにワインのコルクが詰められています。きっとこの場でリシェルだけは、エレガントな香りを楽しんでいることでしょう。……見た目はエレガントからほど遠いですが。
ともあれ。
ブラッドさまは吸血鬼ですので、人間の嗅覚のそれを凌駕します。
だからでしょうか、宙に手を泳がし、いつ放たれるかわからないそれに心底怯えている風。
高潔なる夜の王、ヴァンパイアの姿は見る影もありません。
「……だ、だったらアランに罰を与えればよかろう! なぜ我なのだ!?」
ブラッドさまは必死です。
「そんなの、なんとなくよ!」
取りつく島もありませんでした。
慈悲も――やはり、ありません。
リシェルさまは、わたしに対してはとても優しいのですが、なぜだかブラッドさまにはとても辛辣です。
「――ラルラウア! 貴様もなにか言ってくれ! このままでは、我が大変なことに……」
悲哀に満ちた眼差しがわたしに向けれました。
お、おはちが回ってきた――!? と、ビクつくわたし。
出来ることなら可哀想なブラッドさまを助けてあげたい、という気持ちはあります。
けれど、一緒に大変なことになる勇気は、残念ながらわたしは持ち合わせていません。
「……あ、あうぅ……」
と、うめくのが精一杯。
「ふふ、ぴよぴよ囀って、夜の王が聞いて呆れるわね、このチキン野郎。ラルラウアに罪はないわ。全ての罪は――だからブラッド。あなたにあるのよ」
理不尽もここに極まれり。
もはや虐待とっても言い過ぎではないでしょう。いま、わたしの眼前に有らせられる御方は、夜の王すらも怯える理不尽の王――鼻にコルクを詰め込んだ『あんりーずなぶる・きんぐ』です。
そんな理不尽王さまは悪魔のような笑みを浮かべつつ、おもむろに皿を掲げて、
「……や、やめろ、やめてくれ、リシェル……それを我に近づけ――」
直撃でした。
べちょりという擬音と同時に広がる、身の毛もよだつ殺人的悪臭。
チキンスキンは確実です。
その光景の凄惨たるや、語彙の少ないわたしには到底表しきれません。
リシェルさまの八当たり(エポワス)をもろに受けることになったブラッドさまは、『おお、ジョセフィーヌ……』とは言いませんでしたが、身をよじって悶絶しました。
これが昨日の話です。




