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自分の中にある“本能”。
それに気がついてしまった――俺は。
なぜ? という疑問よりも、
なんで? という疑惑よりも先に、自分がこうなってしまったことよりも先に、
「復讐だろう?」
という、黒尽くめの彼女――リリスの言葉に、縋るような思いを抱き、責任逃れのような気持ちを抱え、罰を虐げ罪を許してくれるような……そんな『何か』を探していた。
幸いにも、おばさんの命に別条はないらしい。
頸動脈の圧迫による失神で倒れただけ。
「騙されてたんだよ」
と、リリスは言う。
「あのヴァンパイアはずっとお前を騙してきたんだ。お前を食うために、眷族を作るためにずっとずっと昔にね」
吸血鬼――ヴァンパイア。
突拍子のない話だった。リリスが言うには、俺は執事さんと仲良くなる前に――リシェルさんに一目惚れする前に――彼に吸血され、彼の眷族に変えられていたらしい。
化物の従僕に。
それはいつからだろうか?
俺がホワイト・チャペルで乞食をやっていたときか?
あるいは、市内に移って靴磨き屋を始めた後か?
いずれにしても、思えば納得のいく部分はたしかにあった。執事さんがイチ靴磨きでしかない俺を贔屓にしてくれたことも、俺が妙に彼を慕っていたことも。きっとリシェルさんの服の見繕いを頼まれたのも、人間の意識を持つ俺だったからこそだろう。
疑い始めたら、あの血色の悪そうな顔だってヴァンパイアのそれに見えてくる。
「殺されて、人間じゃないモノに変えられて、人間を食い散らかす化物にお前は造り変えられた……あぁ、悲しいなぁ、悲劇だなぁ……これを悲劇と呼ばずになんと呼ぼう? お前は親しい人間から殺していくハメになるんだ。お前は呪われた血に逆らえない。一命は取り留めたところで、いずれあの女を殺してしまう」
「俺が……俺がおばさんを……」
「それは違うよ。お前は、お前の心は操られているんだ。呪われたヴァンパイアの血によってね」
頭の中がひっくり返りそうだった。
なにが本当で、なにが嘘なのか……。
そもそも俺の命を奪おうとしたリリスの言葉を信じていいのか……。
なにより、俺が人間じゃなくなった事実よりも、こんな俺を面倒みてくれていた、愛してくれていたローザおばさんを傷つけてしまったことが、俺はなにより耐えられなかった。けれど、この喉の渇きの前では理性を保てない。
空腹が殺せと訴えてくる。
いまも本能が啜れと強く訴えてくる。
「俺は……」
殺せ。殺せ。殺せ。
啜れ。啜れ。啜れ。
一滴も余すことなく、肉の内に潤う命の水を思う存分に啜りつくせ。
歯牙をかける。跳ね返ってくる肉の弾力。ぷっと溢れてくる血。
想像するだけでたまらない。
たまらない。
タまらナい。
……ああ、アアあぁああぁ頭がどうにかなりそうだ。腹の奥が痙攣して苦い汁の味が口の中いっぱいに広がる。殺せ。腕を噛み自分の血をすする。違う。俺は、血なんて欲しくない。殺せ。誰でもいい。血を。くれ。血を。血。助けてくれ。血、血だ、ちぃ、をああっ殺せあッあッアアッ殺せアああ殺せ殺せころせ殺ころせコろ……。
「……して……い……」
「は? なんて?」
俺は言う。
「……俺を……殺してください……」
腹を押さえ、うずくまり、
「こんなの……耐えられない。腹が痛くて、焼けそうに熱くて、どうにかなっちゃいそうで……でも、だからって誰かを殺したくなんてない……傷つけたくなんてないんだよ……だから、お願いだ。お願いします……俺を、俺を……」
殺してくれ。
と、懇願する。
「甘えるなよ」
けれど、リリスは一蹴した。
「そんな後味の悪いお願いなんて聞いてあげれらんないね。あんたは、あたしを人殺しにさせる気か? たしかにいまのあなたは化物だ。けど、過去のあんたは、ちゃんと人間だっただろ?」
「…………」
「だけど台無しにされた。培ったすべてを、あんたの気持ちも考えないで台無しにしやがった――心中察するに余りあるよ。辛いだろう、苦しいだろう、死にたいって思うのも無理はない。けどね、だからって泣き寝入りするような理由がどこにある?」
「…………」
「復讐だろう。あんたにはそれを行う大義名分がある」
再度リリスは復讐と言った。
応えるのも億劫だった。なにもかもがどうでもいい――わけのわかんねえことになっちまって、このときの俺は憔悴しきっていた。
無反応の俺に、リリスは呆れたように溜息をつく。
そしてはかと知れず、
「……ひとつ、あんたに可能性を与えてあげるよ」
と呟くように言う。
「……可能性……?」
「先にいっておくけど、希望として受け取らないでね。あくまで可能性に過ぎない――けど、可能性は間違いなくある。ヴァンパイアの吸血は言ってしまえば邪だ。それを打ち消すほどの聖をぶつければ……もしかしたら中和して人間に戻れるかもしれない」
「ほ、本当か!?」
「だから可能性って言ってんじゃん。幸い『聖』については心当たりがある……っていうか、あんたが女装なんてしてなきゃ、あたしだって間違わなかった。ア―カード家にメイドがいるだろ? あいつだ」
「メイド……ラルラウア……」
「そ。あいつは人間のようで人間じゃない、『完成された人間』――って、あたしの依頼主が言ってた。煮ても焼いても、切っても潰しても死なない不死の存在だってね。けったいな話だよ、まったく。ひとつ屋根の下にどんだけ化物が住んでんだって話だ」
リリスはえふん、と咳払いし、
「ともあれ。実際んとこあたしとあんたの利害は一致してんだよね。あたしは化物メイドに用事がある――あんたは化物メイドの特性に可能性を掛ける――つまりだね、一時的にでも手を組まないかっていう提案だよ。ア―カード家のメイドを扮してパーティに出たあんただ。少なからず情報は持っているだろう? 復讐なんて物騒なことは言わない。あたしの仕事にちょっとだけ手を貸してほしい。アラン・ウォーカー、あんたの協力が必要なんだ」
と、言った。




