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blood cross  作者: 独楽
a heart
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-001-


「ブラッド、私を誰だと思って?」


 覗き込む我の顔の真下。

 目を奪われるほどの白い肌と金髪に金眼、少女の容姿で、妙に偉ぶった口調で話す女性。

 いったい誰に似たのか――リシェル・ア―カードは、天蓋ベッドから寝起きの顔そのままに悪態付いた。


「今日は大学へ講義を受けに行くと、私はたしかに言ったわよね?」


 我はリシェルのずれたネグリジェの肩を直しつつ、寝癖に花咲いた猫っ毛をく。胸に寄りかかるリシェルは、我が淹れてきたバージリンを両手に、すんと鼻を利かす。

 そして、ゆっくりと薄い唇をカップに付けつつ、


「答えなさいブラッド。なぜ? なぜ私を起こしてくれなかったの?」


 彼女の不満げな目が我を見上げた。

 金色のまつ毛に影を落とした半眼は、どうやらまだ夢に足をつけているらしい。

 我はヴァンパイアだ。

 出来そこないの小娘の言いなりになるようなことはない……が、だからといって、交わした約束を違えるほど愚者でもない。


「……十二回だ」


 そう我が呟くと、眠そうな顔が斜めに傾いだ。


「……我は十二回、貴様を起こした。だが……『起こしてくれとは言った。でも起きるなんて言ってない』……と、幾度も枕によだれを垂らしたのは、外ならぬリシェルではないか……」


 リシェルはカップを斜めに、細い喉をこくりと鳴らす。

 そして、再度その小さい頭を我の胸に預け、


「……すや……」

「寝るな」

「……失礼ね。ちゃんと起きてるわよ」

「これで十三回目だ」

「そんな昔のこと、忘れたわ」

「……つい数秒前のことだと思うが?」

「そんな昔のこと、忘れたわ」

「貴様は鶏か」

「そう。実は私、前世は鶏だったの。毎朝、家主を起こすのはもうこりごり。だから現世ではブラッド、あなたが鶏の役目を担っているはずでしょう?」


 なるほど。

 数秒前を忘れ、前世を覚えているときたか。

 ずいぶんと無茶苦茶を言ってくれる。


「それなのに、この体たらくぶりはなに? 吸血鬼だからって、朝が苦手だなんて言い訳は通用しないわよ」

「朝が苦手なのは貴様のほうだろう」


 彼女の髪をくくり終えた我は、空いたカップを受け取り、ベッドから絨毯へと足を移す。

 厚いカーテンを開く。

 窓から差し込む陽光が、リシェルの猫目をさらに細くする。

 吸血鬼は人間が思っているように、太陽の光や十字架や聖水が苦手というわけではない。神の息の掛かった物は、たしかに目障りではあるが、我が一番苦手とするのはガーリックだ。理由は臭いからの一言に尽きる。


「……それより、時間が押している。いや、すでに講義が始まる時刻は過ぎている。荷物は用意しておいた。早く着替えるぞ」


 やや嘆息気味に促す。

 すると、


「んっ」


 と、リシェルは我に向かって両手を差し出し、


「起こして」


 まるで子供のように言う。

 なぜか彼女はひとりで起き上がろうとはしない。

 我が抱き抱え、ベッドから化粧台の前に座らせるのは、もはや日課となっていた。……リシェルの父君は堅実で紳士的な御方であり、母君は温厚で慈愛に溢れた御方であったのだが……さて、いったい誰に似たのやら。

 彼女を椅子に座らせると、我はあらかじめ用意していたドレスを二着手にとって見せる。リシェルはクリノリンを嫌うので、二着ともドレスというよりは、膝丈でレースをあしらったワンピースのそれに近い。


「うーん……」


 指を口元に添え、悩ましげに唸るリシェル。

 そのまま寝てしまうのではないか、と不安にもなったが……やれやれ、今度こそは覚醒したようだ。今朝の彼女の機嫌を鑑みるに――恐らくは我が右手に持つほう――白を基調としたゴシックドレスを選ぶだろう。


「今日は左ね」


 うむ。

 そう思って、黒薔薇のコサージュベルトに、クリーム色のベレー帽を用意しておいて正解だった。我はパニエとドレスを足元に置き、リシェルが着ているネグリジェを脱がす。

 あらわになった小さな膨らみ。細い肩。小柄な体躯。それらを隠すように自分を抱く彼女に、我はシュミーズをひょいと投げてやる。……しかし、バニエを止めたり、後ろ紐を結んだりと……女性の服というものは、なぜこうも面倒な作りになっているのだろうか……日に何度も着替えを付き合わされる我としては、頭痛の種だ。


「……ブラッド」


 ドレス紐を結んでいる最中、リシェルが苦しそうに我の名を呼んだ。


「なんだ?」

「ちょっと……きつい」


 なに?

 まさか、そんなはずはない。

 我がリシェルの採寸を、紐加減を間違えるなど、あり得ぬことだ。

 もしや……と思い、我は背後から手をまわし、リシェルの胸を揉んでみる。


 むにむにむにむに……


「――……なんと!」


 我は驚愕に身を打たれた。


「……胸のサイズが一回り大きくなって――ぐふぅッ!?」


 リシェルの躊躇ない肘打ちが、みぞおちを打った。

 腹を押さえうめく我の頭に、リシェルの零度の声が降ってくる。


「ねえ、ブラッド……なにを澄ました顔で、さも当然のように私の胸を揉んでいるのかしら? ふざけないで。その鼻にガーリックを突っ込むわよ」


 流石の我も、それだけは勘弁願いたい。


「私には遊んでいる暇なんてないの。いいことブラッド。鼻の穴を拡張されなくなかったら、可及的速やかにさっさとしなさい」


 ぼやきつつ、リシェルは再度背中を向ける。

 我は気を取り直して、着かけのドレス紐を手に取った。

 リシェルの言っていることは辛辣で、態度も高慢のそれだが……しかし、背から見える耳が、仄かに紅く染まっているように見えるのは気のせいだろうか。

 ……風邪か?

 人間の身体は軟弱だ。

 だが、ともすればこの不機嫌にも納得がいく。

 医者に見せたい気もするが、我にはどうも医者が行う治療――瀉血しゃけつやアヘンを薬として飲んだり、ブランデーを薬代わりに使う――ことが正しい処置と思えない。ナイチンゲールとか云う権威も、甚だ怪しいものだ。


「……なにをひとりで頷いているのかしら? もう変なところ触らないでよね」


 全くもって遺憾である。

 それだとまるで、我がリシェルの未発達の乳房を触りたいがために、理由を背負えて触ったような物言いではないか。我はそんな低俗な変態などではない。列記とした紳士であり、ヴァンパイアなのだ。

 念のため断わっておくが、我が小娘の裸体に欲情することなどあり得ない。

 しかし……ふと思う。

 彼女の胸のやわらかさ……あるいは尻もマショマロのようにやわっこく……ではなく。毎日見ていて気が付かなかったが……リシェルの頭が、いつの間にか我の肩くらいにまで届いていることに。

 胸のサイズもしかり、彼女が幼子のときから面倒を見ているが、人間の成長というのは著しいものがある。

 どうやら、いま着ているドレスも、そろそろ新調しなくてはいけないらしい。


「…………」


 ふむ。

 それはそれで、望むところではある。

 講義を終えたその足で、買い物と洒落込むのも、存外悪くはない。



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