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「ブラッド、私を誰だと思って?」
覗き込む我の顔の真下。
目を奪われるほどの白い肌と金髪に金眼、少女の容姿で、妙に偉ぶった口調で話す女性。
いったい誰に似たのか――リシェル・ア―カードは、天蓋ベッドから寝起きの顔そのままに悪態付いた。
「今日は大学へ講義を受けに行くと、私はたしかに言ったわよね?」
我はリシェルのずれたネグリジェの肩を直しつつ、寝癖に花咲いた猫っ毛を梳く。胸に寄りかかるリシェルは、我が淹れてきたバージリンを両手に、すんと鼻を利かす。
そして、ゆっくりと薄い唇をカップに付けつつ、
「答えなさいブラッド。なぜ? なぜ私を起こしてくれなかったの?」
彼女の不満げな目が我を見上げた。
金色のまつ毛に影を落とした半眼は、どうやらまだ夢に足をつけているらしい。
我はヴァンパイアだ。
出来そこないの小娘の言いなりになるようなことはない……が、だからといって、交わした約束を違えるほど愚者でもない。
「……十二回だ」
そう我が呟くと、眠そうな顔が斜めに傾いだ。
「……我は十二回、貴様を起こした。だが……『起こしてくれとは言った。でも起きるなんて言ってない』……と、幾度も枕によだれを垂らしたのは、外ならぬリシェルではないか……」
リシェルはカップを斜めに、細い喉をこくりと鳴らす。
そして、再度その小さい頭を我の胸に預け、
「……すや……」
「寝るな」
「……失礼ね。ちゃんと起きてるわよ」
「これで十三回目だ」
「そんな昔のこと、忘れたわ」
「……つい数秒前のことだと思うが?」
「そんな昔のこと、忘れたわ」
「貴様は鶏か」
「そう。実は私、前世は鶏だったの。毎朝、家主を起こすのはもうこりごり。だから現世ではブラッド、あなたが鶏の役目を担っているはずでしょう?」
なるほど。
数秒前を忘れ、前世を覚えているときたか。
ずいぶんと無茶苦茶を言ってくれる。
「それなのに、この体たらくぶりはなに? 吸血鬼だからって、朝が苦手だなんて言い訳は通用しないわよ」
「朝が苦手なのは貴様のほうだろう」
彼女の髪をくくり終えた我は、空いたカップを受け取り、ベッドから絨毯へと足を移す。
厚いカーテンを開く。
窓から差し込む陽光が、リシェルの猫目をさらに細くする。
吸血鬼は人間が思っているように、太陽の光や十字架や聖水が苦手というわけではない。神の息の掛かった物は、たしかに目障りではあるが、我が一番苦手とするのはガーリックだ。理由は臭いからの一言に尽きる。
「……それより、時間が押している。いや、すでに講義が始まる時刻は過ぎている。荷物は用意しておいた。早く着替えるぞ」
やや嘆息気味に促す。
すると、
「んっ」
と、リシェルは我に向かって両手を差し出し、
「起こして」
まるで子供のように言う。
なぜか彼女はひとりで起き上がろうとはしない。
我が抱き抱え、ベッドから化粧台の前に座らせるのは、もはや日課となっていた。……リシェルの父君は堅実で紳士的な御方であり、母君は温厚で慈愛に溢れた御方であったのだが……さて、いったい誰に似たのやら。
彼女を椅子に座らせると、我はあらかじめ用意していたドレスを二着手にとって見せる。リシェルはクリノリンを嫌うので、二着ともドレスというよりは、膝丈でレースをあしらったワンピースのそれに近い。
「うーん……」
指を口元に添え、悩ましげに唸るリシェル。
そのまま寝てしまうのではないか、と不安にもなったが……やれやれ、今度こそは覚醒したようだ。今朝の彼女の機嫌を鑑みるに――恐らくは我が右手に持つほう――白を基調としたゴシックドレスを選ぶだろう。
「今日は左ね」
うむ。
そう思って、黒薔薇のコサージュベルトに、クリーム色のベレー帽を用意しておいて正解だった。我はパニエとドレスを足元に置き、リシェルが着ているネグリジェを脱がす。
あらわになった小さな膨らみ。細い肩。小柄な体躯。それらを隠すように自分を抱く彼女に、我はシュミーズをひょいと投げてやる。……しかし、バニエを止めたり、後ろ紐を結んだりと……女性の服というものは、なぜこうも面倒な作りになっているのだろうか……日に何度も着替えを付き合わされる我としては、頭痛の種だ。
「……ブラッド」
ドレス紐を結んでいる最中、リシェルが苦しそうに我の名を呼んだ。
「なんだ?」
「ちょっと……きつい」
なに?
まさか、そんなはずはない。
我がリシェルの採寸を、紐加減を間違えるなど、あり得ぬことだ。
もしや……と思い、我は背後から手をまわし、リシェルの胸を揉んでみる。
むにむにむにむに……
「――……なんと!」
我は驚愕に身を打たれた。
「……胸のサイズが一回り大きくなって――ぐふぅッ!?」
リシェルの躊躇ない肘打ちが、みぞおちを打った。
腹を押さえうめく我の頭に、リシェルの零度の声が降ってくる。
「ねえ、ブラッド……なにを澄ました顔で、さも当然のように私の胸を揉んでいるのかしら? ふざけないで。その鼻にガーリックを突っ込むわよ」
流石の我も、それだけは勘弁願いたい。
「私には遊んでいる暇なんてないの。いいことブラッド。鼻の穴を拡張されなくなかったら、可及的速やかにさっさとしなさい」
ぼやきつつ、リシェルは再度背中を向ける。
我は気を取り直して、着かけのドレス紐を手に取った。
リシェルの言っていることは辛辣で、態度も高慢のそれだが……しかし、背から見える耳が、仄かに紅く染まっているように見えるのは気のせいだろうか。
……風邪か?
人間の身体は軟弱だ。
だが、ともすればこの不機嫌にも納得がいく。
医者に見せたい気もするが、我にはどうも医者が行う治療――瀉血やアヘンを薬として飲んだり、ブランデーを薬代わりに使う――ことが正しい処置と思えない。ナイチンゲールとか云う権威も、甚だ怪しいものだ。
「……なにをひとりで頷いているのかしら? もう変なところ触らないでよね」
全くもって遺憾である。
それだとまるで、我がリシェルの未発達の乳房を触りたいがために、理由を背負えて触ったような物言いではないか。我はそんな低俗な変態などではない。列記とした紳士であり、ヴァンパイアなのだ。
念のため断わっておくが、我が小娘の裸体に欲情することなどあり得ない。
しかし……ふと思う。
彼女の胸のやわらかさ……あるいは尻もマショマロのようにやわっこく……ではなく。毎日見ていて気が付かなかったが……リシェルの頭が、いつの間にか我の肩くらいにまで届いていることに。
胸のサイズもしかり、彼女が幼子のときから面倒を見ているが、人間の成長というのは著しいものがある。
どうやら、いま着ているドレスも、そろそろ新調しなくてはいけないらしい。
「…………」
ふむ。
それはそれで、望むところではある。
講義を終えたその足で、買い物と洒落込むのも、存外悪くはない。




