-007-
翌日の夜。
フリート・ストリートからストランドを抜け、馬車に揺られること十数分――陽が落ちて、ロンドン塔の鐘が七時を告げるくらいに、俺とリシェルさんはパーティ会場となるタウンハウスに着いた。
馬車内で渡された招待状には七時とあったのだが、
「遅刻? とんでもない。時間通りに行ったりなんかしたら、余裕のない人だと思われちゃうわ。ふてぶてしくも主役は遅れて登場するものでしょう?」
と。
リシェルさんは当然の口調で俺の問いに応えてみせた。
なんでも、社交界には十五分ほど遅れていくのが、洒落たレディの嗜みらしい。
「着いたぞ、リシェル」
屋敷内に入り、徐行を始めた馬車がやがて止まり、覗き窓から御者(馬車の運転手)を努める執事さんが、ひょっこりと顔を出す。その呼びかけに、リシェルさんの一晩の従者(良い響きだ……)である俺は、努めて紳士的に馬車のドアに手をかける。
ギィっと。
押し開いた瞬間にわかった。
俺には場違いな場所だと。
会場となるハウスの庭園には、華やかなドレスを着た貴婦人と、決め込んだ燕尾服姿の紳士らでごったがえしていた。中には家族や、使用人とかも見受けられるが、やはりメインとなるのは貴族の主人たち。
補足しとくと、執事とか使用人らは主人との区別を厳格につけるため、故意に流行遅れの格好をしている。ちぐはぐな色のネクタイとズボンを組み合わせたり、解れ掛かったドレスを着ている使用人たち――その中心にいるヤツこそが、その家の権力者であり、つまり主人だ。
そういった細かい暗黙のルールに皆が則り、一種の厳格な体裁を保っている。
見るだにそれとわかる、上流階級のお方々の集いだ。
「……うわぁ……」
その光景に、俺はしばし呆気に取られてしまった。
タウンハウスということで、ロンドン郊外にあるリシェルさんの屋敷と比べれば規模も風格も慎ましいものがあったが、しかし、それでも俺のような靴磨きが混じれる場所ではない。
物静かさからほど遠い会場の空気、雰囲気に、俺は妙なプレッシャーを感じてしまった。
パーティ――つまり社交界ってのは、上流階級が社会に権威を誇示するために必要なもので、豪華になればなるほど、注目を浴びて階級差を知らしめる。要は、お偉い身分のやつらの見栄の張り合いの場所ってことだ。
ホント身分の良いことに、そういったお偉いやつらは連日朝から晩まで社交界と洒落こんでいて――朝はハイド・パークで乗馬、昼は男性はクラブか議会、女性はお茶会や訪問をして過ごし、夜になるとオペラ鑑賞や、舞踏会、晩餐会……などなど、ここぞとばかりに遊び呆けている。
身分の低い俺たちは日夜必死こいて働いてるってのに……。
見せつけてくれやがるぜ、まったく。
俺は若干浮き足立ちつつも、一足先に馬車から降り、
「足元気をつけてくださいね」
「ありがとう、アラン」
リシェルさんは俺の手を取り、優雅に会場へと降り立つ。
彼女には似合わないがやがやと喧しいその場所は――しかし次第に静まってゆき、バッチリと燕尾服を着こなした紳士たちがひとり、またひとりと次々に見呆け、アホ面を晒してゆく。
明らかに空気が変わった。
それらの視線の先にいるは、言わずもがなリシェルさんだ。
幾多の羨望の眼差しを後ろに、庭園を進む。周囲は完全に静まり返り、まるでリシェルさんの一挙一動に息を呑んでいる風だった。その反応に、彼女の後ろにつく俺はニヤけが止まらない。
「ようこそいらっしゃいました。リシェル・ア―カード様」
二人のドアボーイの挨拶を受けて中に入る。
サルーン、玄関ホールの中央にはすでに多くの人だかりが出来ていた。
どうやら今日は舞踏会だったらしい。凝った装飾のマントルピースの暖炉やソファ、代々当主の肖像画が自慢げに飾られるホールには、お目当ての女性と楽しげに談笑する紳士らと、華のように慎ましく振舞う淑女らで溢れ返っていた。
「ねえ、アラン」
前を行くリシェルさんは振り返りもせず言った。
「アランは舞踏会は初めて?」
俺は頷き、
「恐れながら。噂には聞いていたんですが、こうやっていざ乗り込んでみると……やっぱり緊張しますね。場違い感が半端じゃねーです」
「ふふ」
細い肩を揺らし、リシェルさんは小さく笑ったようだった。
彼女は振り返って俺を見る――その悪戯な視線に、思わずドキッとしてしまう。
「乗り込むだなんて、面白い表現ね。けれど、そう気負わなくても大丈夫よ、アラン。あなたは私の傍にいてくれればそれでいいから」
「そ、そばに……」
このとき、俺の頭の中では賛歌が鳴り響いていたのだが、それはあえて語るまい。
「ただ、変なことはしないでね。エスコートも、気持ちだけ貰っておくわ」
遠まわしに釘を刺されてしまった。
俺はそんなに危うそうに見えるのだろうか……まあ、女装した男って時点で危ういどころの騒ぎじゃないけれども……しかし、そこはやっぱり俺の知らない世界だ。厳粛なルールってのがあって、不相応で不躾な態度を見せれば、瞬く間に弾かれてしまうのだろう。
そうと察するのは簡単だったが、果たして俺がちゃんと振る舞えるかどうか……いや、振る舞えない、とリシェルさんは判断したんだと思う。
その判断は冷酷にも思えるが、それも仕方のない事と言えた。
仮に振る舞えなかった場合、非難を受けるのは間違い。そしてその非難を真に受け止めるのは俺じゃなく――リシェルさん、ひいてはア―カード家が、なのだから。
「これはこれは、ア―カード令嬢ではないか」
声のほうへ振り向く。
カールした特徴的な鬚をした男爵が、グラスを片手に立っていた。
「あら、チェスター卿。偶然ね、あなたも御呼ばれに?」
「いかにも」
と、いかにも権力者風の鬚男爵。
リシェルさんとは知り合いなのだろう、
「この季節は会が多くてたまらんよ。先日も、公爵の晩餐会に行ってきたところだ」
「まったくだわ。その都度参加させられるこちらの身にもなって欲しいものね。こんな見てくればかりを気にして、いったいなんになるのかしら?」
「言ってやるな。……ところで、こんな場所ではあるが、ここで会えたのも何かの縁だ――武器商としての君と話をしたいのだが、どうかな?」
ア―カード家は武器商として有名な一家だ。
生業が物騒なだけに敵も多くあると聞くが、それ以上に人脈の幅も広い。そして権力も同じように。リシェルさんが自分の倍以上も歳上を相手に、しかも対等に話していることから、それはありありと伺える。




