-005-
「屋敷に来てくれ――」
と、そう。
服屋でリシェルさんのドレスを買った帰り道。俺は突然背後に現れた執事さんにいくつか詰問され、半ば強引にリシェルさんの屋敷へと招かれた。
ア―カード家は俺にとって見慣れた屋敷ではあったけれど、庭園より先に足を進めるのは初めてのことだ。なぜだか神聖な場所を踏み荒らしているような背徳感を覚えつつ――同時にリシェルさんの家に入れたことに感動しつつ――俺は後首を引かれる思いのままに、重そうな真鍮の玄関のドアをくぐる。
前をゆく執事さんのように堂々とするよう努めるが、浮足立つ俺にはちょっと難しい。
そうして通された一室。
待っていたのは、椅子に足を組んで座る不機嫌そうな顔のリシェルさん。んで、その対面にはア―カード家のニューフェイス、ラルラウア・ア―カード・オースリーブ・ウィル・オールヴェルっていう、無駄に名前の長い新米メイドさんが座っていた。
ラルラウアは、なぜだか叱られた子供のようにしゅんとしている。
ノックもせずに入ったせいか、リシェルさんは俺たちに気がついていない。
「だから――」
むくれ顔も素敵なリシェルさんが不機嫌丸出しに言う。
「だから、なんで一緒にパーティに出席してくれないのか、と、この私が訊いているのよ? そう黙られてもわからないわ。声に出してくれないと、相手に気持ちを伝えることなんてできないわよ」
ねえ、聞いてるの?
と、鈴の音のような声に、ラルラウアの身体がビクッと震える。
「は、はい……聞いています」
「聞いているなら、じゃあ応えて頂戴」
「で、ですから……その……人の多いところは、わたし、まだちょっと苦手で……」
「それは知っているわ」
ひらりと優雅に髪を流したリシェルさんは、テーブルに置かれたティーカップを持つ。こんな何気ない仕草も、彼女にかかれば芸術のそれに映るから不思議だ。
リシェルさんは天使のような唇をカップにつけながら、
「……でもね、そうやって嫌なことから逃げてたら、変わるもんも変わらないのよ? それに勘違いしないように言っておくけど……私がこうして怒ってるのは、あなたの屋敷からも出られない引っ込み思案にも程がある性格を少しでも直してあげたいからであって……だから、べつにあなたと一緒にパーティにいくことをすごく楽しみにしていて、それをいきなり断られたから怒ってる……とか、そんなんじゃ絶対ないんだからね?」
そこだけは勘違いしないで頂戴――と。
リシェルさんは恥じらう乙女のようにカップに顔をうずめた。
……それ、語るに落ちてねえ? とか思うものの、口に出すような野暮はしない。ていうか、間近に見るリシェルさんに緊張しててそれどころじゃねえ。
心臓がやばい勢いで脈打ってる。
例えるなら16ビート。リスか俺は。
いやいや、待て待て。
しかし、まあ待て。
俺のこの緊張が伝わらないというなら、ちょっと想像してみて欲しい。
部屋にまず俺がいて、目の前にリシェルさんがいる。
どうでもいい紳士さんとメイドが同席してるが……とにかく、門だとか馬車だとか窓だとかガラスだとか隔てる物のない直線上に、俺が長年羨望の眼差しで見続けてきたリシェルさんがいる。
生リシェルだ。
繰り返す、生リシェルだ。
で。
その見てるだけでも幸せになれる生リシェルさんってだけでもヤベえのに、生リシェルさんはいじらしくも身振り手振りで不機嫌を体して、パタパタとドレスの裾を揺らしている。
それはまるで彼女の愛らしさを表現するが如く。
クールな顔立ちにへの字にした口が、至上のギャップを生み出しているではないか!
綺麗と可愛いが合わさって最強に見えるではないか!
……ああ……その膨らませた頬を指でつつきたい……ではないか!
かくいう俺も彼女を遠目に、さながらストーカーよろしく見続けて長いが……けれど、感情をこうまで露にする彼女を見た試しがない。これをたとえるなら、遠くに見ていた厳正な綺麗な薔薇が、繊細かつ無邪気なスズランだったような衝撃だ……あるいは、可愛らしい童女の下着が黒ガーターだった、みたいな逆パターンもしかり。
な?
どうだ、やべえだろ?
え? なに?
よくわかんない?
もうお前駄目だな。
ともあれ。
今日は俺の記念日だ――リシェルさんの屋敷に招かれ、彼女と一緒な部屋で同じ空気を吸っているこの奇跡! 健全なるロンドン市民の皆々様には申し訳ないが、今日は俺にとってキリストの復活祭より大切な日になるだろうこと間違いない!
……なんて、そんな風に浮かれる一方で、俺の中の冷静な部分が静かに訴える。
俺の向ける視線の先。照れ隠しのように髪の毛をくるくる弄ぶリシェルさんは、普段の俺が見ていたクールな彼女のそれではなく、どこか少しだけ幼く見えた。
ぶりつったように唇を尖らせ、目はしおらしく伏し目がち。
まるでいじけた子供だ。
……けれど、これが本当の彼女なのだろう。
近しい人にしか見せない――飾りっ気のない自分。
新たな一面を見れて嬉しくなる反面、ちょっとした寂しさを感じた。
俺は彼女の感情の蚊帳の外にいる……そんな風に考えちまう。俺ってヤツは……こういうところが、やっぱ小さい。
まったく、一喜一憂の忙しいヤツだな。
そうやって小さくため息する俺の隣で、執事さんも一緒になって息を零す。
「……まだやっているのか、リシェル。そろそろラルラウアを解放してやってもいいのではないか?」
「黙りなさいブラッド。もとはと言えばあなたが……」
視線をこちらに向けたリシェルさんは、そこで言葉を噤ぐ。
俺と、目があった。
心臓が今世紀最大級の唸りをみせる。
「……あなた、誰?」
チクリと刺すような痛み。
俺は押して満面の笑みを作り、
「はい! 俺の名はアラン・ウォーカーと申します! しがない野郎ではございますが、ここにおられる執事さんに連れられて馳せ参じた次第であります! どういったご用向きかは存じ上げませんが、なにやらリシェル譲が面倒に巻き込まれたとかなんとか……」
身振り手振りを存分に使って、まったくわけもわからないまま口走る。俺の頭はリシェルさんの視線に、ぼわっと沸騰しちまったみて―に真っ白になっていた。思考力が顔面から湯気をあげて抜け出ていくような気分だ。
「ですがご安心ください! このアラン、どんな問題であろうときっと役立ってみせましょう! ええ、役立って見せますとも!」
「…………」
あう。
やばい、どうしよう。変な目で見られている。
まるで自分の屋敷に小汚い小僧が現れて、大言壮語も甚だしく世間知らずもいいところに、お前なんかが役に立つはずねえだろとでも言わんばかりの可愛くてくりくりっとした黒い瞳を半眼に、ジトーっとした目で見られている。
た……たまらん……二つの意味で!
俺のあやふやな情報を受けて、リシェルさんは足を組み直す――パンチラチャンスに思わず凝視してしまう俺だったが、しかし妖艶な彼女の瞳に下心を見透かされているような気がして、慌てて視線を外す。
「……ふうん?」
と。
リシェルさんは怪訝そうなジト目を執事さんに移し、キッと彼を睨みつける。
「ブラッド。これはどういうことかしら?」
「どういうこともなにも、貴様も言っていただろう、リシェル。付き添いもなく参加など出来ない、と」
「…………だから?」
「だから我はアランを頼り、こうして呼んだ。我の代わりに貴様に添ってもらうためにな」
盛大なため息を漏らすリシェルさん。
その吐息を耳元に当てて欲しい、なんて密かに思う俺。
「……呆れたわ。いえ、見損なったわよ、ブラッド。あなたは私を見ず知らずの男の子に預けると言うつもりなのね」
「む? ならば我が添ってもよいのか?」
「馬鹿を言わないで頂戴。大勢の目にあなたを晒せっていうの? そんなの出来るはずないでしょう、自分がなんたるかを理解して」
「だろう。我は理解しているからこそアランを呼んだのだ。それとも、嫌がるラルラウアを無理やり引き連れるのが貴様の望むことなのか?」
言って、執事さんは無表情にラルラウアを見る。
あうう……と、うつむく彼女は、それこそ子供のように小さくなっていた。
「…………」
うーん。
まったく状況が呑み込めない。
が……察するところ、リシェルさんは何か用事があって、出かけるにも付き添いが居なくて困っている風だ。まあ、名家のお譲さまが一人で出歩くなんて後ろ指を指されるに決まってる――ってのは俺にでもわかるが、しかし執事さんがお供出来ない理由がわからない。
ラルラウアは『人の多いところ』と言っていたけれど…………まあ、詮索するのは野暮ってやつだろう。誰にだって事情というものはある。
なにより、俺は執事さんに本当の意味で頼られていることを知り、ちょっと感動していた。
絶対に期待に応えてやる、という強い気持ちが湧いてくる。
「そもそも――」
リシェルさんはため息まじりに言う。
「そもそも、この子誰なの? とても貴族のようには見えないのだけれど……」
「あっ、あのっ!」
と、挙手し、身分に引け目を感じながらも、遅ればせながら自己紹介をしようとする。
が、横から紳士さんの腕が差し込まれ、阻まれる。
「そこは我が説明しよう。彼の名はアラン・ウォーカー。数年前からリシェルを一目見るために毎日屋敷に張りつき、その口実として毎朝我の靴を磨きに来てくれている男だ」
「…………」
……おい、待て。
紹介の仕方ってもんがあるだろ、執事さん。
そんな言い方をしたら、まるで俺がストーカーのように聞こえて……
「……なにそれ……ストーカーじゃない……」
それ見たことかぁーッ!!
ドン引きされちまってるじゃねーか!!
「なにを言うのだ、リシェル! アランはそのような低俗な輩ではない!」
お、おおっ!?
あの無愛想な執事さんが感情を露に!? しかも俺を持ち上げて、弁解してくれる風なことを言ってくれてる――なんていうか、ちょっとした感動だった。
……まあ、口ベタな執事さんだから思わぬ失言ってのも仕方のないことかもしれないな。
よし、頼むぞ執事さん。
上手いことリシェルさんに好印象を――
「アランは貴様に純粋な好意を寄せているのだぞ!? 恋愛感情というやつだ! その心を抉るようなことを、よくも言えたものだな!!」
いや、直球過ぎんだろ!?
えぐってんのはどっちだッ!!
なんでそれ言っちゃうんだよッ!
やめてよぉ!
まさか俺を持ち上げると扮して憤死させるのが目的なのか!?
「我にはわからんが……しかし、人間は恋うた者を大切に扱うと知っている。それは貴様も同じだろう、リシェル」
「……それは……そうかもしれないけど……」
「だからこそ我はアランを呼び、我の代わりに貴様に添ってもらおうと思い立ったのだ。我から言うのもなんだが、アランはいい男だ。貴様の好みはもちろん、下着のサイズから指のサイズまで熟知している。エスコートするならば、この上ない適材と言えるだろう。……な? アラン」
紳士さんは似合わない頬笑みを俺に投げかけた。
……ああ、殴りたい。この笑顔。
しかし事実だけに言い返す言葉もなく――俺はただ羞恥に赤らむ顔を隠すように、頭を垂れるほかなかった。
なにこの羞恥プレイ。
俺、なんか悪いことしたかなあ?
「……まあいいわ」
リシェルさんは半ば諦めたように言った。
「付き添いがいなくて困っていたのも確かだし……ねえ、あなた……アランって言ったわよね?」
おや?
聞き間違いか?
天使が俺の名前を口にした気がしたが……。
「ブラッドがここまで誰かを持ち上げるなんて、とてもめずらしいことだわ。そこでね、アラン。あなたに折り入ってのお願いがあるの」
聞き間違えじゃない!?
リシェルさんが俺の名前を呼んでくれた!?
なにそれ! 俺の人生にこんなイベントあっていいの!?
「……迷惑だったかしら……」
俺は慌てて手を振る。
余韻に浸ってる場合じゃねえ。
「い、いえいえ! そんなことは全然まったくありません! リシェル譲のご用命とあらばこのアラン、一も二もなく四の五の言わずに頷いてみせましょう。ええ、なんなりと御申しつけ下さい。俺はあなたのために死ねます」
「そう、良かった――」
リシェルさんは微笑み、
「じゃあ、私と一緒にパーティに行って頂戴」




