-003-
正直な話。
ア―カード家の執事さんから受けた、リシェルさんが気に入るであろうドレスの見繕い。
それに関して俺は、とっておきのドレスを選ぶのに迷いがあった。
なんつーか……。
こんなことを言うと、まるで俺が器の小さいやつみたいに聞こえるかもしれないけれど――……いや、実際に小さいのだろう。俺が見繕ったドレスをリシェルさんが着てくれるのは嬉しい。気に入って笑ってくれるなら、それ以上言うことなんてない。冥利に尽きるってもんだ。
けど、その笑顔は俺には届かない。
俺が執事さんに渡して、紳士さんがリシェルさんに渡して、返ってくる天使のような笑顔は――だから、執事さんに送られることになる。喜ぶ顔も、礼の言葉も。
予想するまでもない、当然の成り行きとして。
彼女の笑顔の先に俺はいない。
彼女の言葉は俺まで届かない。
……そりゃあ、執事さんは礼を言ってくれるだろうさ。
けど、俺が欲しいのは彼の言葉なんかじゃない。
これについては、俺のことを忌憚なく器の小さなやつだと思ってくれて構わない。女々しいやつだと蔑んでもらって大いに結構。けれど、胸にくすぶるこの想いは、どう取り繕ったって否定できそうにないのだ――少なくとも、俺は。
ガキくせえって笑ってくれ。
でも、年頃の恋する少年少女なら、こんな気持ちを、ちょっとは共感してくれるんじゃないだろうか。
好きな人に振り向いてほしい。
好きな人に認めてもらいたい。
身分ってやつを、踏まえた上でも。
それを譲る気持ちを持つってことは、なかなかに難しい。
「……あー……」
そういうわけで、俺はいま売り物のドレスとにらめっこをしている。
執事さんにドレスを頼まれた、その同日の午後。
陽が傾く前に粗方の仕事を終えた俺は、ロンドンストリートの服屋に足を運んでいた。
ポケットには今日のアガリのお金と、執事さんから別に渡されたドレス代が入っている。俺の月の収入より遥かに高額――服一着に、こんな大金をさらっと出せるんだから、やっぱ金持ちってのは次元が違う。
「……どうすっかなぁ……」
悩み始めて、かれこれ二時間くらい経つ。
太陽はすでに地平線に落ちて、店の外は薄暗くなっていた。
「……なあ、ボウズ。真剣に悩んでるとこ悪いんだが、そろそろ店仕舞いだ」
怪訝そうにこちらを見ていた店主が言った。
うだうだと悩む俺に腹が煮え切ったのか、声には不機嫌が含まれている。……まあ、あんたにとっちゃあ、どうでもいいことかもしれないけどさ……俺にとっちゃあ、滅茶苦茶悩む案件だったりするんだよ。
ちくしょう。
そう悪態のひとつもつきたい気持ちだったけど、店主に罪があるわけでもなし。
結局、俺は良心に従って、素直に彼女が気に入るであろう、俺のとっておきの一着を購入して店を後にした。
「うわ……。もう真っ暗じゃん」
表に出ると、街はすっかりと夜に浸かっていた。
何気なく空を見上げる。
広がる真っ暗な空には、幸せそうに月が浮かんでいた。
「…………」
なんとなく、見呆けてしまう。
俺は月が好きだ。どこか孤独で、どこか寂しそうで……それでいて優しく包み込んでくれそうな……そんなところがリシェルさんに似てるから。
「……だっせぇなあ……」
なんて。
センチな気分なんてもんは、俺には似合わない。
纏わりつく残滓を首を振って払拭する。
小さいなら小さいなりに出来ることだってあるだろ、星みたいに。
そう自分に言い聞かせて、俺は街に目を戻す。ロンドンの昼の賑わいからは遠く――けれど、ストリートには未だ多くの人が行き交っていた。帰路についている人が多い中で、ここでもやっぱり働いている人たちが多くいる。
たとえば、あそこにいるハシゴを使って街頭をいじくってる『ランプ点灯屋』とか。
点灯屋が街頭にガスを灯さなければ、いくらロンドンが大都市だと言っても、道はやっぱり薄暗い。小さいことかもしれないが、こういう裏方を担う奴がいるおかげで、社会ってのは円滑に回ってる。
ま、これもローザおばさんの請売りなんだけど。
「点灯屋が忙しくなる時間だな――……ん?」
火のない街頭を見上げていると、その奥に変なモノがいることに気がついた。
なんだありゃ、と首をかしげる。
「……もの……っていうか」
鳥……か?
街頭の奥――ずらりと並ぶ店のひとつ。
その屋根の上に、カラスにしてはちょっと大きい――フクロウにしては姿がスタイリッシュ過ぎる、見たことのない黒い鳥のような生き物が、俺のほうをじっと見つめていた。
別段、野鳥が珍しいってわけでもない。
ただ異様だったのが、その生き物が燃えるような真っ赤な目を持っていること。そして身体には霧のようなモヤが纏わりつき、陽炎のようにゆらゆらと揺れていることだった。
錯覚だろうか?
疲れてんのかな……と、おもむろに目蓋をこする。
すると、次に見たときには、まるで何もなかったかのように消えていた。
「…………おいおい」
幽霊?
まさか、幽霊か?
いやいや、このイギリスで幽霊っていったら、薄幸の美女と相場が決まってる。あんな発酵して腐りかけたような鳥の幽霊なんて需要ねーし、それこそ誰も望んでない。
「……確実に疲れてんな、俺……」
「疲れたときには、チョコレートが利くらしいぞ」
「うわっ!?」
背後からの声に、俺は思わず飛び跳ねた。
振り向くと、そこには紅い眼を光らせる紳士――リシェルさんに仕える執事さんがいた。
「お、驚かすなよ執事さん。ていうか、いつからそこに?」
「無論。いまだ」
……いや、意味わかんねえし。答えになってない。
俺は驚きと嘆息に肩をがっくりと落とす。
「実はだなアラン。面倒なことになった」
「面倒?」
そこで気がついたが、執事さんの鼻が真っ赤に染まっていた。
彼の肌は血色悪そうに蒼白としたものなので、こういった変化は少しどころじゃなく目立つ。トナカイにしては季節が早い――またリシェルさんにガーリックでも突っ込まれたのかな、と思うには思うが、それをわざわざ訊くのはやっぱり野暮ってやつだろう。
どうしたんだい、と俺が尋ねると執事さんはため息の後、こう言った。
「先に訊いておきたい。アラン、貴様はリシェルのことをどう思っている?」
「…………は?」
意表を突かれた質問に、俺は軽く目を見張る。
「い、いきなりなんだよ執事さん。そんな真面目顔で訊かれると困るぜ……」
確信をついてくるそれを流そうとしたが、「どう思っているか、と我が訊いているのだ」と、すんげー凄まれた。
……いや、怖ぇって。
俺は気押されるままに口を開く。
「そりゃあ、訊くまでもねえ話ってもんだろ、執事さん。なにより、俺のリシェルさんへの想いは、他ならぬあんたが一番よく知ってるはずじゃねえか」
「……それは恋愛感情というものか?」
「…………」
俺が眉をひそめると、執事さんは当惑したように言う。
「ぬ? 恋愛感情とは違うのか?」
「…………」
「どうした?」
「……ああ」
俺はしぶしぶ頷いた。
……いや、このとき突きつけられた気がしたんだ。
俺のリシェルさんへの想いは、恋愛感情っていうか、崇拝や信仰に近い。
遠い存在だとちゃんと認識していて、願い叶う類のものじゃないって理解してる。
「……なんていうかさ、たぶん……俺のリシェルさんへの想いってのは、月を見てるようなもんなんだよな……」
「ふむ?」
「綺麗だなーって見て惚れて憧れたりはするけど、実際に触れようとは思わない。……いや、思えないんだ。実際触れようと手を伸ばしたら、届かない距離だってわかって、がっかりするだろ?」
叶わないから夢を見れる。
届かないから恋心を抱ける。
最初から無理だってわかってるなら、傷つくこともない。
開いてみりゃあ、まったくチンケな理屈だ。
「そんな具合に、俺にとってのリシェルさんは、月みたいなもんなんだよ。眩し過ぎて……でか過ぎて……遠すぎて……所詮、俺にゃあ手の届かない人なんだ。だったら、最初から望まないで、遠くから眺めてるだけのほうが、俺にはお似合いだ」
言い終えて、俺は強がって笑ってみせる。
すると、執事さんはこう言ったもんだ。
「……アラン、貴様はなにを言ってるのだ? リシェルは月ではないぞ?」
「…………」
……うん。
いや、まあ、そうだけどさ。
俺だって別に執事さんに理解されたいとは思わない。
もしかしたら、これは執事さんなりの激励だったのかもしれないけれど……それでも彼の言葉を受け取るには、俺に自負の心が足りなさ過ぎた。
もともとこの話題に乗り気じゃなかった俺は、これで打ち切るつもりだったのだが――しかし、執事さんはこれで良しとはしてくれなかった。
「では、貴様はリシェルに対して、それほど強い想いを持っていなかった、ということなのだな?」
「……あ?」
思わずにらみつけてしまった。
けれど……この一点については、確実に執事さんが悪い。
怒りを含んだ視線を送るが、執事さんは気にも留めず続ける。
「つまり、他の人間がリシェルに言い寄っても、貴様はそれを良しとする――と」
「ふざけんなっ! そんなの良いわけねーだろ! リシェルさんは誰のものでもねえ、俺たちのもんだッ! 誰なんだよ、その言い寄るやつってのは。俺がぶっ飛ばしてやる!」
俺がそう即答すると、執事さんは我が意を得たりと頷く。
リシェルさんに勝手な想いを押しつけてるだけ――ってのは自分でも理解しているが……だけど、これは折り合い付けれるような話じゃない。一瞬で頭に血が昇ってしまった俺は、誰だか知らねー俺のお月さまを奪おうとするやつに、鼻息を荒げた。
そんな俺を見て、執事さんは小さく笑う。
「やはり貴様は“いい男”だ。アラン」
そう言って燕尾服をバッと闇夜にたゆらせ、
「とにかく、屋敷に来てほしい――詳しくは、着いてから話す」




