-013-
わたし。
彼。
彼は言った。
『驚いたな。きみは言葉が理解できるのか』
彼は答えた。
『心を知りたい? ならば物語を読むと良い。私の書斎にいくつか置いてあったはずだ』
彼は謳った。
『……ふむ。考え方にもよるが、永遠の命が人間との差異……というのは、実のところ違う。きみと人間の違いなど、根本的に存在しない。きみのいう『心』とは、単なる経験から得た選択の集合体だ。言ってしまえば、鳥も魚も人間も生命である以上、心を持ち合わせている』
そして彼は肯定した。
『ひとつ挙げるとするならば、人間は終わりを求める生き物ということだろうな。きみだって楽しみにしている小説が読みかけだったら、おちおち死ぬことだって出来ないだろう? だから、きみと人間に差異なんてものはない』
わたしの存在を。
『ただ、きみは他の人間にはない『不死』という長所を持っている』
人間として。
『それだけだ』
認めてくれた。
わたしは、その言葉に夢を見た。
わたし。
いいえ、私。
私、リシェル・ア―カードは夢を見た。
私はあなたを認めよう。
『ラルラウア・ア―ハート・オースリーブ・ウィル・オールヴェル』。
最初、その言葉の意味はわからなかった。
もしかしたら意味なんてものは、初めからなかったのかもしれない。
けれど、なんとなく音の響きが好きで――“わたし”は――彼女は、いつしかそれを自分のなかで、自分の名前として持つようになっていた。
初めてラルラウアの眼を見たとき。
怖いと思った。
その理由が、いまになってわかった。
“怪物”は――ラルラウアは、かつて生みの親に裏切られた。
寄せ集められた人間の死体から造り出された彼女は、『完成された人間』――不死の存在として問題はなかった。問題があったとすれば、生みの親であるヴィクター・フランケンシュタインが、『人間』という定義付けされた存在を簡単にみていたことにある。
大きな違いは『人間』という枠組みから遺脱する。
多数にとって『不死』は、その中でもとりわけ大きな違いだった。
十一月の物悲しい夜に生を受け、彼女の悲劇は始まった。
おとぎ話で語られるような復讐劇は実はない。
……いいえ。あるにはあったけれど、そこまで大逸れた話でもなかった。
ここであえてそれを語ろうとは思わない。
というか、思えない。
絶対に。
だって――それは凌辱という名の正義で、排他という名の大義で、世界から嫌悪され、俗悪され、罵れ、怨まれ、憎まれ、忌まれ、厭がられ、毛嫌いされ、忌嫌われ、憎悪と厭忌と厭悪と唾棄と娼嫉に埋め尽くされた“環境”の中で生き続けることを強いられた、孤独な少女の悲痛の生涯の物語なのだから。
なんで私がそれを垣間見れたのか――それはきっと、私が彼女の血を受けたからだろう。
器として、彼女を受け入れたから。
つまるところ。
わたしが見た夢というのは、彼女の記憶。
人間から受けてきた記録で、純粋な怪物の回帰録。
喜劇とも思える、人間の醜さに追いやられた、悲劇の物語だった。




