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blood cross  作者: 独楽
a heart
14/35

-012-



 四肢が磔にされたようだった。

 私の身体は、動くことの一切を忘れていた。


 ……私はいったい……なにを前にしている?

 リシェル・ア―カードに仕える執事……そのはずだ。


 執事?

 否、そんな言葉で表せられるほど、目の前にいる男は健気ではない。

 不気味に輝く赤い眼――にぃ、と三日月の吊りあがる底気味悪い笑み――心臓を貫かれた胸は空洞がらんどうで――異質で混沌とした魔物を前にして、私は笑う膝を立たせるのに精いっぱいだった。

 ――これは、あまりにも、人間とは違い過ぎる――。


「……さあ、祈りは済んだか?」


 不敵にも紳士は腕を振り、指で虚無をなぞり逆十字を刻む。

 それが合図であったかのように、伴奏の如くホワイトシャツの中から、「キロロロロ……」と、言い表わし難い音が零れ出――私は、穿たれた執事の胴体の穴に、煌く一対の眼を見た。

 一歩、二歩と無意識に後ずさる。

 血に濡れた執事の手が、首から下げたループタイを掴んだ。

 するするとタイが下げられ、同時にシャツのボタンが千切れ飛ぶ。


 そこに、黒く蠢くものがあった。


 影のようにかたちは曖昧で――深淵に塗りつぶされたそれは、この世の物ではない異次元の魔獣のように――執事の身体の奥で、ぞっとするような唸り声と、怖気を具現化したかのような金色眼を光らせていた。

 私は驚愕に目を見開き、自分でも信じられないほどの叫び声をあげた。

 突き動かしたのは単純な恐怖だった。

 私は内ポケットに忍ばせていた拳銃を取り出し、間髪もなく発砲する。

 鼓膜を突き抜ける銃声――同時に、弾丸に穿たれた紳士の頭部が、侵入した弾の対角線上に発破する。血と脳漿が飛び散り、壁に鮮やかなペインティングを描いた。


「――……なっ」


 だが、その刹那。

 あり得ない異変が、再度私を襲った。

 撃ち放った弾丸が執事の頭を貫く――そこまでは良かった。

 しかし、どういう理由わけか……弾痕穿たれる執事の頭部がドロリと崩れ、絨毯を打つ身体がまるで泥水のようにびちゃりと弾け、数えきれないほどの無数の蟲となって、床を、壁をと這い廻り始めたのだ。


「ひっ……!?」


 息が詰まる。

 自分が息を吸っているのか、吐いているのか分からなくなる。

 その蟲はたちまち狭い部屋を覆い尽くし、私に向かって襲いかかってくる。

 恐怖におののき、たまらず拳銃に込められた弾丸をすべて撃ち放つが、万に届こう蟲たちを全滅させるには至らない。銃口から上がる硝煙の香りは、すぐに鉄くさい血の香りとなって、私の鼻孔を埋め尽くした。

 そして唐突に飛び出す黒い影。

 音もなく、前触れもなく、執事の融解した身体から現出される漆黒の体毛――まるで犬のような――数匹の異形の猛獣が、唾液垂らしめる牙?――触手?――を震わし、拳銃を構える私の腕を、肩から先をまとめて噛み千切った。

 噴き出す血のように絶叫する。

 あったはずの感覚が消失し、新たな痛覚が頭蓋を埋め尽くした。

 望外の痛みに、しかし反りかえる暇もなく――這い廻る蟲は、先ず靴を喰い破り、露になった靴底から容赦なく私の素足に貪りついた。激痛に倒れたそばから、数百の口が彼の下半身を襲い、開いた皮膚から体内へと侵入――未だかつてない絶望と恐怖と痛覚に、しかし私は悶えることしか出来ない。

 足先や踵から侵入したそれらは、私の身体に鈍痛を振り撒きながら、徐々に上へ上へと侵略してくる。必死に振り払おうとするが、体内のそれを取り除くすべはない。


「くふ……くふふ……クハハハハハ……ッ」


 執事の哄笑が響く。

 蠢く蟲が集い始め、やがて崩れ散ったはずの執事の身体を形成した。


「……どうした、教授とやら。腕が千切れているぞ? 顔色も悪い――真っ青ではないか」


 目の前に再度現れた存在は、恐怖以外の何物でもなかった。

 炸裂したはずの頭は元通りに、頬についた血を舐め取る――皮膚内に感覚する異物よりも、理解出来ない執事の存在が、なによりも恐ろしかった。無駄だと解っていても、少しでも執事から遠ざかろうと足を足掻かせずにはいられない。

 その一瞬、私は過去半生、自分が最も毛嫌いしてきた行為を、これから起こすかもしれないと直感した――すなわち、恐慌に荒み、相手に命乞いをしてしまうかもしれない、という思いがよぎり――そして、そのときには既に実際にそうしていた。


「……た、助けてくれ!」


 それは神か――あるいは、私を死に至らしめる存在か。

 “何”に命乞いをしているのかも判然としなかったが、そう叫ばずにはいられなかった。

 想像できるだろうか――自分の身体の中を、生きたまま喰い漁られる絶望感を。


「……助けてくれ、だと? ハッ、いかにも人間らしい言葉だ」


 渾身の命乞いも、しかし一笑に付され、


「貴様らのような出来そこないの存在であれば、なるほど、欠けた穴を埋めるために他の存在に縋る――共感には苦しむが、理解はできる。やあ、是非とも知りたいものだ――縋れる同族がいることは心強いのか? 貴様ら人間とって、人間とはそれほどまでに信頼を置ける存在なのか?」

「なにを……言って……」


 私は怯えながら、悶えながらも、なにかが腑に落ちる感覚を味わった。

 ある意味では神も、人間と同じような心を持った――それこそ人間のような存在なのかもしれない。

 

「しかし残念だが、我は人間ではない。いくらお前が光を渇望しようとも、夜には届かない。土台、住んでいる世界が違うのだ――だから、そんな風に我を人間扱いするな。そして死ね。震えながらではなく――ゴミのように死んでいけ」


 慈悲もない。

 執事の言葉に、私の心は諦めに似た観念を抱き、驚くほどあっさりと死を受け入れた。

 いや、耐えがたい苦痛に、むしろそれを早くと望んだ。

 うぞうぞと体表を覆い尽くす蟲たち。

 首まで迫ったそれは、あっという間に顔にまで到達――私はぎゅっと目を瞑り、自分の死を間近に感覚する。


 と、そのときだった。


 ぐっと身体を持ち上げられたと思うや否や、これまでの全てが生易しく思えるほどの凄まじい痛みが私を襲い、そして私は、全ての痛みから解放される。

 蟲の仕業――ではない。

 何事かと目を見開くと、そこには私の身体を掴み上げる怪物――フランケンシュタインが残した『完成された人間』が、“私を右手に”、そして“私の身体を左手に”持っていた。


「――……っ!!?」


 一瞬が脳内を駆け廻る。

 それでも、なにが起こったのか理解できない。

 千切れた首――頭だけになった私は、状況を呑み込めないままにそれを見た。

 力まかせに引き離された胴体から、自分だった血液が噴水のように湧きあがる。

 もはや傷痕とは呼べそうにもない――布を引き裂いたようなその断面には、割れた骨に纏わりつく器官や神経――ほんの一瞬前まで自分だったモノが、べちょべちょと濁音を立てながら、スローモーションのように、ゆっくりと横たわっていく。

 身体が床に倒れると、蟲たちが容赦なく身体を襲い始めた。

 それは、首だけとなった私を優しく抱える怪物の身体も同様に、彼女の白い肌が、蟲の赤や黒といった斑模様に染められていく――。

 そうして最後に私が見たのは、怪物の哀しそうな顔だった。


「……これから、あなたは死ぬのですね……ヘルシング」


 肉の裂ける音が止んでいく。

 血の弾ける音が止んでいく。

 静かに、真っ白になっていく思考中で、か細い声が響いた。

 泣きだしそうな、少女の声だ。


「死は、どんな感覚なのですか?」


 その最後の問いに、しかし既に言葉を持たない私は、頭蓋の内でそれに応える。


 絶望。

 からの、開放。


 ああ……きみが望むものだよ。


 心細いが……存外、悪くはない……。




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