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blood cross  作者: 独楽
a heart
13/35

-011-



 彼女の血の香り。

 それにつられるように、我は大聖堂と宮殿が沿いに並ぶテムズ川、ストリートとロンドン橋が交わる一角に舞い降りた。馬車が行きかう昼の喧騒からは遠く――夜が落ちたロンドン市内は静寂の蚊帳だった。

 鼻を利かせると、そう広くない屋敷から香りが漂ってくることがわかる。

 我は影となって這入り込んだ。

 そして、彼女を見つけた。

 燃え尽きた灰のように――まるで魔女狩りにでもあったかのような、変わり果てたリシェルの姿を。


「……リシェル」


 その部屋には、案の定、昼間見た教授とやらがいた。

 リシェルが横になる寝台の奥には、我を殺しめた“怪物”が、なぜか裸体で寝そべっている。


「い、いったいどこから現れた?」


 狼狽える教授とやら。

 訊かれたところで、教えてやる義理などない。


「あなた――なんで、生きてる?」


 と。

 我を視覚した怪物は、どうやら迷いなく我を殺す選択をしたらしい。

 寝そべる体勢から身を翻し、幼い乳房を揺らしながら、瞬間で我の心臓を手刀で貫く。

 衝撃とともに、我の胸が抉れた――がしかし、我とて何度も殺されてやる筋合いはない。なにより、我はいま、すこぶる機嫌が悪いのだ。

 我は――我を貫いた手を“体内で掴み”、へし折る。

 怪物の顔が歪む。


「……ほう? 痛みを感じるのか。そうか。所詮、『完成した人間』であろうと、やはり人間のそれでしかないらしい――」


 その顔が気に入らなかったので、右手で鷲掴みにし、頭蓋もろとも握り潰してやる。

 グチャリ、と血の華が咲き、少女の裸体が紅に染まった。

 そこで我は二つの異変に気がつく。

 怪物の血を浴びた皮膚が、まるで焼けつくように爛れていること――もうひとつは、組織を完全に、再起不能に潰してやった怪物の頭が、腕が、すでに元の身体へと再生を始めていることに。


「成程……紛えても不死、か」


 興味をそそられなかったといえば嘘になる。

 果たして、『不死』と『死』はどちらが上か――『不死』は『死』を終わらせられるのか。

 ……だが、それより先にやるべきことがある。

 我は、血で床を濡らす少女の裸体を蹴り上げる。助骨か背骨かは知らぬが、骨の数本砕ける心地良い音を奏でながら――教授とやらを巻き込み――怪物は壁に突き当たる。

 際限なく湧き上がってくる憤怒を腹の底にして、我は上着を脱ぎ、一糸纏わぬリシェルへと投げかけた。

 彼女を抱き上げる際に、跪いたのは無意識だった。

 両手を横たわる彼女の下に差し入れ、静かに抱え上げたのも。

 耳を澄ますと、とくん、とくん、と小さな鼓動が聞こえた。……良かった。リシェルはまだ生きている。

 が、余談を許す状態ではない。

 いったいどのような施術をなされたのか――それは判然ともしないが、しかし、この真っ白な灰に成り掛けている姿は、我にも覚えがあった。神の息に――それが掛かったものに――触れたのだ。十字架クロスか、聖水か、聖血か……いずれにしても、我ら闇に住まうものには触れること赦されぬ忌々しき光に。

 彼女の内側におぞましき力を感じた。

 ……吸い出さねば、なるまい。

 無論。

 我は、ヴァンパイアだ。

 交わした誓いを違える愚者になど成りたくはないが――……それでも、死にゆく主君を見捨てるような愚者よりは、幾分マシだろう。

 我は抱き上げたリシェルの首に歯を立てる。

 ぷつ、とやわらかい感触が返ってきた――恐るべき聖を持った血液とともに。


「……ぬっ、うぅ……」


 舌に焼けるような痛みが走る。

 呑み下した喉が、剥がれるように熱い。身体の内側から獄炎に焙られているようだ……それに反して、鼻孔を撫でる薫りのなんと豊潤なことか。感じる味覚の甘美さは、まさに恐悦の如し天外悦楽のそれだ。

 呑んで理解した。

 これは――『死』である我とまったく対極に位置する――『生』だ。

 神々しい。

 なんと、神々しいのだろう。

 地獄の業火――あるいは天上の聖火に苦しめられるが、しかし、それでも我はリシェルを犯す全てを吸いつくした。

 抱き抱える彼女をそっと寝台へと置く。


「死ぬな、リシェル」


 言って――我は彼女の唇に口をつけ、我の血を捧げた。

 ややあって、我は振り返る。

 再生を終えた怪物は、教授とやらの前に構え立っている。


「やあ……待たせたな」


 久しい感覚だった。

 こんなにも、積極的に、委細構わず、

 獲物を――喰らい尽くしてやりたい――と思ったのは。


「……よくもまあ、人間風情が、ここまで我が主君を追いやってくれたものだ……」


 十全に、この罪を償わせてやらねば。

 殺してやらねば。

 それこそ、我の、気が晴れぬ。


「夜が来たぞ。貴様らに――死をくれてやろう」



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