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リシェル・ア―カードを被検体とした実験は、初期段階において膨大な『不死』の情報記憶により意識混濁、または意識消失してしまった述べ一四体の失敗作の“記憶の回復”に繋がる――と、私は踏んでいた。
当地下研究施設の一角に並ぶ一四のベッド。
栄養素をパックから体内に注入されずとも生命維持を可能とする、ある意味では死んだ人間がそこにずらりと並び――うち一体は私の母親で――私は狂おしくも健常体となった、かつて不治の病に晒されていた魂の抜け殻を眺めていた。
「神への冒涜……か」
ぽつりと零した声は、淀んだ室内に木霊する。
神などというものは存在しない。
無神論を謳うつもりもないが、私は直感でもなく、そう思っていた。
たとえ全知全能なるそれが存在したとしても、それは無慈悲で、少なくとも人間などに慈愛の手を差し伸べるほどの暇人でもなければ、悪を裁くほどの暇を持て余した善人でも間違いなくない。
ゆえに、己が信ずる宗教を掲げ、共に命を奪い合うこのご時世には嫌気がさしていたが――だからといって、病に倒れた母親を放っておけるほどの無情さは持ち合わせていなかったし、医者が不治と言って匙を投げたところで、すっぱりと諦められるほどの潔さも持ち合わせてはいなかった。
私は善であり、
悪でもあり、
そして人間だ。
――『間違った優しさは狂気と同義だ』。
昼を思い返して、私は苦笑する。
とても自分が言えた言葉ではなかったからだ。
それを言い聞かせた教え子は、いま隣の部屋に無防備にも寝転がっている。
裏切られた――と。
屋敷での際に、リシェルはそんな顔をしていた。
それは紛れもない事実だ。
思えば、あの教え子の落胆に近い表情は、始めて見たかも知れない。
「……なるほど。感慨に浸れる程度には、私はまだ人間だったか」
人間。
なんと曖昧な言葉だろう。
私は自嘲気味に笑う。
人間の考え方は、あり方は、そして解釈は、常に多様だ。
講堂で起きた事故。
そのとき見た教え子の――リシェル・ア―カードの裂けた皮膚は、ものの数秒で瘡蓋を作り、常人では考えられないほどの速度で癒えようとしていた。その理由は定かではないが、しかし、北極探索隊から渡された『完成された人間』と類似する部分があることは否めない。
そして唐突に訪れた閃き――
……彼女ならあるいは、
『不死』という“記憶”を落とし込める“器”なのではないか?
それが達成された暁には、人類は病に倒れることなく、無駄な血を流すことなく、誰もが健康で、誰もが死に嘆くことなく、誰もが死を恐怖することのない――そして母親が生きる――理想郷が、夢でも幻でもなく造り上げられるだろう、という確信があった。
いける、と思ったのだ。
しかし……それが果たして善であるのか……。
私とて倫理的葛藤がなかった、という訳ではもちろんない。
善と悪は一画的に処理されるような問題ではないのだ――ある行為は、誰かにとって善であっても、他の誰かにとっては悪になり得る――これは、どれだけ考えようとも、どれだけ頭をこねくり回そうとも、解消されることのないロジック。
人間の思考というアンロジカルは、その大部分が『感情』という、理論的でない絶対的な理論で構築されているからこそであって、善と悪の境界が見えず、詮無い話だというのであれば、ならば感情に判断を任せることこそが自然的であり、理論的でないにしても効率的――と換言することができよう。
そうやって理屈をこねくり回すことで、ようやくのこと私は、『教え子を被検体にする』――それが『私にとって必要なこと』なのだ――と、己を騙しながらも説得することに成功したのだった。
迷う理由は……だから、ない。
なくはなくとも、折り合いくらいは付けられる。
無論、
これが狂った理論――サイコ・ロジックだと解っていても。
理想を謳いたいなら、
人間はある程度壊れていないとやっていられない。
私は半死体安置所を出、隣の一室へと移る。
雑然とした一室。
ここが、現実を夢へと届かせる、実験場だ。
論文や資料の山。要所に置かれた物々しい機材の中心にはベッドがあり、そこにはこれから行われる実験の主役であるところの、リシェル・ア―カード。そしてフランケンシュタインが残した『完成された人間』が、姉妹のように仲良く並び、横になっている。
二人を繋ぐ管。
並列された生命の接続管。
彼女らを取り巻く、破廉恥とも言えそうな無骨な機材の大半は、私の研究に投資する夢追い人から受けたものだ。空論のイデオローグに感化される人間は、実のところ少なくはない。
「……夢を目指すか……真理を目指すか……しかし、人は死を否定したい生き物だ。自分がまやかしであることを、自分がツギハギの出来そこないの動物であることの否定を、世にはびこる強大多数が選んだ。だからこそ『不死』を得、摂理を圧倒すれば……神の造り出した生命を人工のものとすれば……人類は真の幸福を得られる……」
不便な器からの解放。
自分が何をしようとしているのか……。
なゆたに夢見るそれは虚構だと、私は委細承知していた。
それでも私は、人という存在の先を見たいと思い、そして病に倒れた母を想った。
人が自然を抑えつけ、どれだけ壊れていけるのか――人が摂理を覆し、どれだけ抗えるのか――そんな夢を見てしまった手前、だから、もう止まれない。躊躇する段階はとうに過ぎたのだ。
私は眠る彼女らの傍らを進み、器械脇に添えられたレバーの前へと立つ。彼女らに張り巡らされた電導線や血液循環チューブの束を、一つ一つ念入りに確かめていく。
彼女らはこれから複合創造物となる。
『完成された人間』として――終わることのない――あくまで人間として。
「斯くて世界よ、斯く在れ」
言って、私は機械のレバーを倒した。
このイデオロギーが、エピローグにならないことを信じて。




