百鬼夜行
タントントン、と陽気な足音が響き渡って。
それから、ドンドコドンと何かを叩く低い音がうねりを上げました。
なんだなんだと人間が家から出てきて、すぐに大変だ大変だと家に戻ります。
人間の村にのさばる魑魅魍魎。跳梁跋扈。奇々怪々。
百鬼夜行であります。
空飛ぶ妖怪も、地を這う妖怪も、皆ゲラゲラと笑い転げています。その周りを陰火がうようよと彷徨いながら、暗い道を照らしていくのでした。
人間の悲鳴や喚き声がそこら中に広がりました。
その音が夜の澄んだ空気を切り裂き、私達はそれに合わせて地面を鳴らすのです。
こんなに楽しいことがあるでしょうか。
まるで音楽のような悲鳴の渦を歩いていくと、私達は村の外れの大きな屋敷に辿り着きました。
「どうもこりゃ陰気な家だな。折角の宴だというのにこれではつまらん」
誰かが言うと、それにならって「そうだそうだ」と妖怪たちの声が広がりました。
「この屋敷には妖怪を畏れない人間がいるのだ。我々はその人間を脅かさねばならん」
私がもっともらしく言うと、皆一様に頷いて、またしても「そうだそうだ」と喚きました。
屋敷の中は静まり返っていて、この騒ぎにも気づいていない様子です。
住人が寝静まって暗くなっている屋敷に一つだけ明かりの付いた部屋がありました。
私達は静かに、見つからないようにその部屋へと向かいました。
庭の砂利が小さな音を立てて、池に落ちる音がします。私は庭石の陰に隠れて、その部屋の様子を伺いました。
そうしていると、初めてこの屋敷を訪れた時のことを思い出すのです。
なんだか私はいてもたってもいられなくなって、皆に小さく頷いて見せました。
そのまま庭石の陰から見ていると、部屋の障子にさっと人の影が映りました。
しかし、廊下には誰もいません。部屋の中から「誰だ」という声が聞こえます。それから、襖を開けて廊下を確認しに人間が出てきました。あの男です。
男はキョロキョロと辺りを見て誰もいないことを確認すると、不思議そうな顔で部屋に戻っていきました。
もう一度、障子に人の影が通りました。
するとやはり部屋から「誰だ」と苛立たしそうな声が聞こえて、男が出てきます。
そして、男が廊下を見回そうとした瞬間、屋根の上からしゃれこうべが落ちてきて、男は情けない悲鳴を上げて部屋の中へと逃げました。
私は笑いを堪えられず、屋敷に大きな声が響きます。
しばらくして、部屋の中からも悲鳴が聞こえました。ろくろ首が逆側の窓から首を出していて、それに押されるように男が部屋から庭へ、裸足のまま飛び出しました。
「池の方に行くようだな」
覚が私に耳打ちして、私はそちらへ向かいました。
「ひいい。助けてくれえ」
男が涙と鼻水で顔を濡らしながら、庭を走っていきます。突然、男が何かにぶつかって「ぐげ」と声を漏らして倒れました。
男は悪態をつきながら、ぶつかったものを見上げます。それは高く大きな壁でした。塗り壁です。
塗り壁が前に進むと、男は倒れ込んだまま後ろへと下がっていきました。そして、そのまま池の中へと落ちていったのです。
池の中でバタバタともがく男の動きが、急に止まったかと思うと、しばらく辺りが静寂に包まれました。
「溺れて死んでしまったかな」
妖怪達が口々に、つまらなそうに言いました。
しかし、まだ終わらせません。
すぐに池が大きな音を立てて波打ちました。池から男の足を掴んだ河童が現れて、庭に放り投げました。
男はゲホゲホと咳をして、水を吐き出しました。池の水か、涙か、鼻水か。男の顔はもはやなにで濡れているのかもわからない状態です。
男が起き上って、私達の気配に気が付いたのか、こちらを振り返りました。
そして、私の姿を見つけると、一瞬助けを求めるような顔をしてから、私の周りの妖怪を見て絶望しました。
「お、お前! 妖怪だったのか」
男は声を振り絞って言います。私はそれをニヤニヤと見つめて、一歩前へと出ました。
「そうだ。私は妖怪だ」
それは、私が鈴に言った言葉でした。
男の顔が見る見る怒りの色へと変わり、なにやらわけのわからない言葉を喚き散らします。
盛大な笑いが妖怪の間で起こって、男はすぐに困惑した表情を浮かべました。
わかるまい。人間にはわかるまい。我々が何故こんなにも笑うのか。
「この屋敷は今日から妖怪の物となる」
私は男を見下ろして、不敵に笑います。
「馬鹿な。そんなことが許されると思っているのか」
「人間の許しなどいらぬ。別に、貴様らが出ていく必要はない。私達もお前らが何と言おうと出て行かないだけだ」
「なっ……」
男が言葉を詰まらせて、悔しそうな顔をしました。
「確か、言っていたな。その内この家にいる妖怪を追い出すと。追い出せるものなら追い出してみろ。この家に住む妖怪を全員追い出せるならな」
私は腹の底から笑いました。
この屋敷を見つけたとき、私はまるで妖怪が出そうな屋敷だと思いましたが、これから本当に妖怪屋の出る敷になるのです。笑うなと言われても、それは中々に難しい話でした。
「それからあの鈴とかいう娘。あれが妖怪? 笑わせるな。貴様に本当の妖怪の恐ろしさを教えてやってもいいだぞ」
ニヤリと笑ってみせると、男は悲鳴を上げて情けない顔をしました。
「やめてくれ。殺さないでくれ! 誰か! 誰か!」
「なに、悪い様にはしない。何と言っても、貴様は今日から我々と同じ屋根の下で暮らすのだからなあ。仲良くしようじゃないか」
「わかった! 何でもいうことを聞く。だから許してくれ!」
男は必死に懇願しました。しかし、私は続けます。
「そうだ。貴様の子供も連れてきた方がいいな。今の内に妖怪の恐ろしさを教えておいた方がいいだろう。私としても、あの子供が妖怪を怒らせて、喰われてしまうのは忍びないからなあ」
「やめてくれ! 息子は関係ない! あいつは何も知らないだけなんだ!」
「知らないから、教えなくてはいかんのだろう。本来なら親である貴様が教えるべきことを、我々が教えてやろうというのだ。感謝してもらわなくてはならない」
私は少年の部屋に目を向けて、隣にいる枕返しに声をかけました。
「あそこにその子供がいる。どれ、一つ妖怪のことを教えてやってきたらどうか。子供を脅かすのは大人を脅かすよりも楽しいからなあ」
「やめてくれ! わかった。この家からは出ていく! 頼む!」
男は膝をつけ、頭を下げました。人の親としての情が、この男にもあるのです。
私は鼻をフンと鳴らして、手を上げました。撤収の合図です。
「それでは、今日は帰るとしよう。ここに住む準備をして、明日また訪れる」
そう告げて、私達は森へと帰ったのでした。