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妖怪さん  作者: 黄瀬ちゃん
四章
12/14

大事なこと

 私は妖怪の森より少し離れた川の上流から、手拭いを一枚流しました。

 半刻ほど待つと、河童が川から上がってきます。

「なんだこれは」

 河童が先ほど流した手拭いを私に突き出しました。

 その手拭いには、半刻で来なければ皿を割ると書かれています。

「まあいい。それで、なんだ? 森が恋しくなったか? 随分と早かったな」

 私は腹立っていましたから、とにかく人間が脅かしたい気分でした。

「なら、またいつのもの場所に行くか」

 河童は私が戻ってきた理由を、多くは聞きませんでした。

 それから、いつものように歩き出した河童を私は止めました。

 今はそんな小さいことをする気分ではないのです。もっと大きく。盛大に人を脅かしたのでした。

 私は天狗様に見つからずに、森の中へと入りたいのです。

 河童は私よりもこの森に長く住んでいますから、天狗様に見つからない道を多く知っているのでした。

「そうは言ってもなあ……見つからずに入っても、騒いだらすぐに見つかってしまうぞ」

 それは承知でした。私は元々、天狗様にも会うつもりなのです。いえ、むしろ天狗様に話さなければならないことがあるのでした。

 それは未だ私の中でもやもやとした形のない何かですが、伝えなければいけないことなのです。その何かを伝えることは、私にとってひどく大事なことのように思えるのでした。

 とにかく、今は見つからずに森の中へと入れればいいのです。

 河童はそれならばと、森の西側に向かって歩きはじめました。

 しばらく歩くと、ぽつんと置かれた大きな岩があり、河童はその岩の前で立ち止まります。

 そしてその岩をずらすと、大きな穴があるのでした。

「なんでも、物好きな妖怪が暇つぶしで掘ったらしくてな。俺も誰に教わったのか忘れたが、かなり昔からあるらしい」

 河童はそう言ってから、さっと穴の中へと降りました。

 中は真っ暗でしたが、想像以上に広く、私と河童が入っても問題ない大きさのようです。

 私達は穴の中を真っ直ぐ進みました。

 穴をしばらく進むと、暗闇が私を包みました。それは夜の黒よりも深い、原始的な暗闇でした。月も、星も、太陽さえもない。全てを無に帰す闇でした。

 私はその中で、自分の体が溶けていくような、前に進んでいるのかもわからないような感覚になります。

 土を踏むザクザクという音だけが、この暗闇の中で唯一確かなものでした。

 それから、どれくらいの時間が経ったのか。ぼんやりと薄い明かりが見えてきて、私はそこへ向かって歩みを早めました。

 近づくにつれてその光はどんどん大きくなっていき、その内鋭い光が私の体を突きさすように照らすのでした。

 私は思わず目を閉じて、両の手でそれを遮ります。それでも隙間から漏れる光に、私は少しずつ自分の形を取り戻しました。

 ああ、そうか。そうだったか。

 その時、今まで私の中で朧げだったものが、明確なものとなったことを理解しました。

 それは私自身のことでもあり、妖怪のことでもあり、人間のことでもあり、そして鈴のことでした。

 天狗様に話すべきそのことが、今になって確かなものとなったのです。

 穴から出ると、一目で妖怪の森の中であることがわかりました。しかし、そこが妖怪の森のどこなのかはさっぱりわかりませんでした。

「まあ、そうだろうな。俺もこの穴を使う時くらいしか通らないからなあ」

 少し歩いて行くと、見覚えのある景色が広がりました。

 そうなると、私は何故あの場所に行ったことがないのか、不思議になるのです。

「なんでも、変なじいさんが住んでいるせいらしい。ぬらりひょんとか言ったか」

 河童はその妖怪の話を少しして、すぐに足を止めました。

 気が付けば、以前私が住んでいた家屋までたどり着いていたのでした。

「なんとか、天狗様に見つからずにここまで来れたなあ。さて、これからどうする?」

 河童が尋ねました。

 私は少し考えて、以前に古杣を捕まえたことを思い出したのです。確か、以前使っていた家に置いたままでした。私は家から栓をした徳利を持ち出して、河童に見せました。

「もしかして、そんなものの中に古杣を入れているのか?」

 河童は呆れたように呟いて、両の手で耳を塞ぎました。

 古杣というのは、木が倒れるような音を鳴らす妖怪で、とにかくうるさいのです。

 私が徳利の栓を抜くと、徳利の口からヒュっと風が吹いたような音がして、すぐにメキメキメキッ! と大きな音が森に響きました。

 辺りにいた妖怪が、なんだなんだと集まり始めて、私を見てギョっとしました。

「天邪鬼がなんでいるんだ」

「天狗様に破門されたのではなかったのか」

 口々に呟いて、ザワザワとしています。

 それが落ち着いてきたところで、私は言いました。

「我々妖怪は、人間に畏れられなければならない。しかし、妖怪を畏れず、あまつさえ妖怪馬鹿にする人間がいる。そんな人間を脅かしてみたくはないか。妖怪など恐ろしくはないとのたまう人間が泣き叫び、我々に助けを懇願する姿がみたくはないか。私はこれから人間の村へ行き、その人間を脅かす。皆、ついて来い。今夜は楽しい宴になるだろう」

 私が拳を振り上げると、それに釣られて他の妖怪達が拳を振り上げて歓声を上げました。

 当然です。我々は妖怪ですから、人間を脅かしたくないはずがありません。

「しかし、人間の村になど行って、天狗様に怒られないだろうか」

 誰かがそんな言葉を口にしました。

「天狗様に怒られたくはない」

「そうだ。そんなことができるなら、今までにやっていた。できるわけがない」

 その言葉は不安と共に瞬く間に広がり、誰もが正気に戻ったように、つまらなそうな顔をしています。

「どうするんだ? 天邪鬼」

 河童も不安そうな声色で、私に小さく問いました。私はそれに頷くだけで返して、静かに言いました。

「もうすぐ、天狗様がここに来るだろう。私は天狗様に許可を頂く。皆は気にせず、準備をして欲しい」

 私が言うと、皆諦めたような顔つきで、静かにその場を後にしました。誰もが不可能だと思っているに違いありません。

 あの天狗様が、そんなことを許すはずがないのです。

 しかし、私には天狗様を説得する自信がありました。それは、私にしかできないことです。

 私は河童にも、準備をしておくように言いました。

 河童がいなくなると辺りは私だけになり、先ほどまでの騒ぎが全てなかったかのような静寂が訪れました。

 森を赤く染めていた夕陽が落ちて、木々の隙間から小さな星が姿を覗かせます。

「何をしに来た。貴様はこの森への立ち入りを禁じたはずだが。返答によっては、二度と来られないようにしなければならん」

 やがて天狗様が現れて、私を見るなり低い声で言いました。

「先ほどの騒ぎも貴様であろう。さあ、言え。何をしに来た」

 その言葉には強い怒りがあり、私は少し足がすくみました。しかし、ここで諦めるわけにもいきません。

 私はいろんなことに思いを馳せました。そして、天狗様に何から話すべきか。考えて、遠くの空に輝く、一際明るい星を指さしました。

「天狗様は、あの星に行くことができますか?」

 その問いに、天狗様は訝しむような顔をしてから、すぐに答えてくれました。

「できないだろうなあ。あれは人間や妖怪の届くところにはない」

 そうです。天狗様にも、あの星へは行くことができません。天狗様だけではなく、誰にだって行けはしません。

「それがどうしたというのだ」

 天狗様が苛々としたように私を睨み付けました。

「人間と妖怪の違いとはなんでしょうか? 人間も、私達妖怪も、あの星にはいけません。もしかしたら、違いなんてものはないではないかと私は思うのです。人間も。妖怪も。いえ、犬や猫だって、鳥も、虫も、皆あの星へはいけないのです」

 天狗様は何も言わず、私が何を言うのか待っているようでした。私は一呼吸して、続けます。

「ただ一つ、違いがあります。妖怪は人間を脅かすのです。他のどんな生き物も、そんなことをしたりはしません。では、何故妖怪は人を脅かすのでしょうか。私にはしばらくこれがわかりませんでした。しかし、やっとわかりました」

「ほう……」

 天狗様が感心したような、私を試しているかのような相槌をうって、その先を促しました。

 夜が更に深く、研ぎ澄まされていき、星々は輝きを増していきます。

「私の中には、喉の渇きのような、空腹感のような、満たされない何かかが心の中にありました。それは絶えず私を苦しめましたが、その欲求に答える方法を昔からずっと知っていました。そうです。人を脅かすことです。妖怪は人を脅かします。そうすることで、足りない何かを必死に補おうとしているのです。しかし、私は気が付きました。そのやり方は、あくまで代わりでしかないのです」

 天狗様は何も言いませんでした。眉間に皺を寄せて、考え込むように私の言葉を聞いています。

 もしかしたら、私の考えていることはとんだ勘違いなのかもしれません。しかし、今の私にはこれくらいのことしかできません。畳みかけるように言葉を紡ぎました。

「私は二度、人間と共に暮らしました。以前、人間の村へ降りたときに。破門され、この森を出た後に。一度目は、なにもわかりませんでした。私にはなにもわからず、それが恐ろしいことのように感じられて、結局は逃げ出しました。そして、二度目の暮らしで私は気づきました。私は、人間と暮らしている間だけ、あの虫に喰われたような虚ろな心が、満たされているということに。人間を脅かすこともなくです。私たちが人間を脅かすのは……私たち人間を脅かすのは、人間と関わるためではないでしょうか。我々妖怪は、何もせずとも人間を畏れさせます。本来、近づくことすらままなりません。それ故に、人間と関わるための唯一の手段が、人を脅かすことなのです。違いますか? 天狗様」

 私が問いかけると、天狗様は私の顔をまじまじと見て、それから空を見上げます。そして、下弦の月を撫でるように、手を宙に滑らせました。

「そうか。人間と暮らしていたか……して、お前は何をしに来た」

 初めと同じ天狗様の言葉は、先ほどとはうって変わってどこか寂しそうなものでした。

 そして、私にはそれが何故なのか、わからないのでした。

 結局、なにかを一つ知っても、この世はわからないことだらけなのです。ですがそれは、私にとって悲しむべきことではありません。

 わからないということは、恥ずべきことではありません。しかし、それを知ろうとしなければ、永遠にわかることができないのです。

 これから、私は多くのことを知っていくのでしょう。知らなければならないことを知る。私にとってそれは大事なことなのです。


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