第六話 もう一人のヴェンデン
喉が渇いたというのは本当だったらしく、ヨハン・グラハムは手に持ったカップを躊躇なく一気に煽った。こいつは良くも悪くも裏表がないやつだ。
俺もグラハムに続いてカップに口をつけようとすると、隣に座っていたリューネさんが俺の肩に手を置いてきた。
「あ、姫様、お待ちください。あの少年のことを信じないわけではございませんが、念のためこちらで毒の確認をなさってからお飲み下さいませ」
と言ってリューネさんは卵大の結晶がついたペンダントを外して俺に渡してきた。
「ぶー!!」
それを聞いたグラハムは急に咳き込み始めた。そりゃそうだ。フライングっていうレベルじゃない。
「ゴホゴホ!ちょ、ちょっと待てもらおうか!フロイライン・エニグマ!」
「なんでございましょう?ヴィッテルスバッハ卿」
「なんですか、ではない!そういうことは早く言ってもらいたいものだ!半分以上飲んでしまったではないか!」
「あら、お毒見はご自身の責任でございましょう?高貴な方々にとって作法の基本ですわ。おもてなしする側もゲストの方々のお毒見を疑われたと見咎めないことになっている筈」
「そ、それはそうだが…… し、しかし、フロイライン!このうつけの毒見をするのならついでに僕の毒見もしてもらってもいいのではないか?」
指をさすな指を。しかし、リューネさんには“フロイライン”を付ける一方で、俺はうつけ呼ばわりとか、生前の俺も礼儀とかその辺は拘らなかったからどうでもいいが、一番気になるのは作法にいちいち厳しいリューネさんがグラハムの傍若無人をスルーしていることだ。
うーん……この世界の基準がいまいちよく分からん……
リューネさんが咳払いをするとさっきから全然落ち着きがないグラハムに向き直る。
「これはしたり、アントーニア様はマグナブルク大公殿下の第二内親王であられると同時に畏くも今生陛下の姪御様でもあられます。いかに卿がアントーニア様から特許されたご身上といえども、曲がりなりにも帝室に列なるお方と卿をさすがに同列には出来ませんわ」
「ぐぬぬ……フロイラインの申されよう正論だ……僕の不注意だった……許されよ」
あっさり論破されるグラハムだった。てか特許ってなんだろう?俺が知っている特許とは違うみたいだけど。よく分からないが、どうもそのおかげでグラハムは遠いけど一応皇族でもあるリエナに対して馴れ馴れしいのかもしれない。
あ、光った……
俺がホットショコラの水面にペンダントを近づけると、結晶が赤みを帯びた光を発する。なんというかとっても警戒色っぽい。
「お、おい!光った!光ってるぞ!毒か?毒なのか?」
グラハムが自分の喉を両手で握り締めて本気で焦っている。赤くなったり青くなったり騒がしいやつだ。
「こ、これは……まあたいへんどうしましょう!」
リューネさんが両手で口を押さえて驚いてみせる。あからさまな所作であるところを見ると大したことじゃないと俺は理解した。さすがにこんなのに騙されるようなアホはいないんじゃ……
「うわー!フロイライン!その表情は!やっぱり毒か!毒なんだな!ああ……なんてことだ……冗談じゃないぞ!この若さでなんでこの僕が!くそ!恨むぞ!おまえたち!」
ああ、ごめん。いたわ。ここに一名。
グラハムは立ち上がるとオペラ役者のようにオーバーなリアクションで部屋のあちこちを落ち着きなく動き回る。
「ああ……何たる不幸だろう……借金生活から開放されるのは嬉しいが、僕だって結婚して幸せな家庭を築く権利くらいあるんだぞ……」
嬉しいのか悲しいのかどっちなんだよ……おまえ……
「マックスのやつのイカサマに気が付かなかったのは確かに僕の不注意だ。だが、僕の負け分が10ターナー(20万円相当)ということはないだろう!それにあのインチキ野郎だ!なにが幸運になる薬だ!5ターナーも払ったのに!ただのイチゴ味のキャンディーだったじゃないか!例の鉱山開発の儲け話の時だってそうだった!供託金を受け取った途端に事務所ごと消えるなんて事があるか?あいつらは地獄に堕ちるべきだ!なのにぼくの方が先に死ぬなんてこの世に神はいないのか!」
もう自分は死ぬと頭から決め付けているためか、随分と恥かしい話を披瀝する。ぶっちゃけ他人事なのでとてもどうでもいいが、辞世の句が果たしてそれいいのだろうかと心配になる。
つか、いい大人なのに子供騙しも同然の詐欺に引っかかってるというのはどうかと思うよ?なんというか、本当に残念なイケメンだ。
さっきから俺の隣でリューネさんがくすくす笑っている。リューネさんも人が悪いな。いちいちオーバーリアクションだから、からかうと面白いのは俺も同意だけど。
リューネさんはここぞとばかりに溜まりに溜まったストレスを発散しているようだ。こんな清々しい表情のリューネさんを見たのは久しぶりだ。
守りたい、この笑顔!
「ふふふ、ご安心下さいな。ヴィッテルスバッハ卿。毒は入っておりませんわ」
「人魚の養殖の時だって……え?ほ、本当なのか?僕は助かったのか!?」
不覚にも人魚の養殖にはちょっと興味をそそられる。
「ええ、このペンダントの石はマデライトで出来ております。ご存知の通り、マデライトは魔法使いの魔力を保存することが出来ますから、お毒見用に魔力を封じていただいたものなのです」
「で、では赤く光ったのは?」
「熱いものだと赤く光るようになっております。毒が入っていた場合は紫色を発します」
「なんて紛らわしい魔法だ!何でそんな仕様になっているんだ!」
「だって、アントーニア様は猫舌ですもの。火傷をされては困りますから」
え?そうなの?リエナが猫舌というのは初耳だった。熱々の料理が大好きな俺としてはちょっと残念な情報だ。ていうか、魔法使いという単語が出てきたことに俺は衝撃を受けていた。
色々なことがありすぎてなかなか調査が進んでいない悪竜の件といい、今の魔法使いの件といい、この世界にはまだまだ俺の知らないことがたくさんある。だが、今はヴェンデン家の家宝とやらのことについて聞いておく必要がある。
黒に近い灰色の侍女1号のことをこの二人に話すのはその後でもいいだろう。
さんざん、グラハムで遊んだ後、いよいよ俺たちは本題に入る。
「……では、寝室の鍵は閉まっていたと?」
「うむ。昨日の夜中に部屋に戻ったのだが鍵はちゃんとかかっていた」
「鍵をどこかに置き忘れたということはございませんの?」
グラハムはリューネさんの言葉に頷くとリエナの勉強机の上に鍵を置く。
姫様はろくに勉強も出来ないくせに、紫檀のような赤みを帯びた木肌に変化に富んだ黒い縞模様が付いた天板をもつ超高級机と椅子を使っている。
まったく、アメリカの大統領でもこんな執務机使ってねえぞ……
俺はその勉強机の上に黒板をおいてチョークで壊滅的に汚い字で「マスターキー」と書いて二人に見せた。
「ま……ます……と……おい、うつけ、なんだこの字は。首府の動物園にいるサルの方がまだマシな字を書くぞ」
グラハムの歯に着せぬ物言いに地味に傷つく。
「これはマスターキーと書いてあります。おサルの字とアントーニア様の字を比べるなんて幾らなんでも失礼ですわ。心眼を使えばちゃんと読めます」
やめて!リューネさん!姫のライフはもうゼロよ!
字の美醜はさておき、結果的にマスターキー自体の意味が二人に通じなかった。どうやらマスターキーを作る技術はあまり発達していないらしい。だからごつい大きな鉄の輪に鍵をたくさんジャラジャラ付けているのだろう。
でもスペアくらいはあるんじゃね?懲りずに俺は再び黒板を使う。まだ二回目の筆談なのに既にグラハムの奴は俺の字を読むことを放棄している。
「確かに予備の鍵束がございますわ。でも、それは副城主のナイトハルト卿が一括管理されていますから……」
珍しくリューネさんが語尾を濁す。うん、分かるよ、その気持ち。
間違いなくこの館で抱かれたい男ナンバーワンのカール・ヴェンツェル・ヴィ・ナイトハルト大佐に、リエナ・アントーニアは実は一言では言い表せないほどの大きな恩があることを最近俺も聞いたから。
そんな人物を少しでも疑うような言動は慎みたいというリューネさんの配慮はさすg……
「よし分かった!犯人はナイトハルト卿だ!やつが合鍵を使って僕の部屋に忍び込んで家宝を盗んだんだ!」
グラハムは膝を打つと勢いよく立ち上がる。
おいいい!
「ほう?どこの誰が犯人だと?」
振り返ると勉強部屋の入り口に噂の男、カール・ヴェンツェルが立っていた。
ヴェンツェルの深い緑色の目から放たれる鋭い眼光に射抜かれたグラハムはいきなり俺を指差す。
「……とこいつが言っていました」
て、てめえ!!ハム!!
ヴェンツェルが俺の方に視線を向けてくる。
少しウェーブがかった栗色の長い髪をもつ美男で、きりっと結ばれた細い口は寡黙な印象を見る人に与える。なんか牙突とかしそうな感じの、いかにも武人という雰囲気の人で、はっきり言うとめちゃくちゃ怖い。
俺は慌てて椅子から立ち上がると全力で否定する。
「ワタシソナコトイテナイヨ!!」
まるで別室に連れて行かれて入国審査官の前でキョドっている外国の女の人みたいな声だ。股間がじんわり温かくなる。まだ誤差の範囲だ。あとで下着は交換するけど。
ふん、と鼻を鳴らすとカール・ヴェンツェルはリエナ姫の勉強机の前までやってくる。
リューネさんがゆっくり立ち上がると右手を左肩に、左手を右肩にそれぞれ当てると少し前かがみになりながら腰を静かに落とした。正式な淑女の挨拶だ。
俺もこの挨拶の仕方を習ってさえいればキモオヤジにキスせずに済んだのにと思うと、返す返すも無念でならない。
「話はだいたい侍女長殿より聞かせてもらっているが、今度はずいぶんと派手にやらかしてくれたものだな」
ヴェンツェルはじろっと横目で俺の隣に座っているグラハムの方を睨む。
「ぼ、僕は悪くないぞ?きっとこれには何か巨悪の陰謀が隠されているんだ……」
分かったから涙拭けよ、グラハム。な?俺はすっとグラハムにハンカチを差し出してやる。
「ナイトハルト卿、それで首尾の方は?」
「ヴァーリーリエ周辺の騎士たちにも動員をかけて領内のすべての道に検問を張っているが、今のところ不審者の情報は入ってきていない。あと、念のために首府のネルに飛竜を飛ばしておいた。いま、虱潰しに城の部屋を調べているところだ」
この城館には大小合わせて300の部屋がある。数字だけ見れば異常に広く感じられるが、皇帝の宮殿が3600部屋で、マグナブルク大公の居城であるヴェレアス城が1500部屋だから、それらから比べるとわりと小振りの城ということになる。遅くとも日没までには調べがつくだろう。
「それは重畳ですわ。でもネル様にこのことをお知らせする必要はなかったのでは……」
遠慮がちにリューネさんが言う。困惑しているのが分かる。
「だから念のためだと言っている。俺も出来ることならあまり関わりあいたくはないところだが、犯人が奴の同業者だった場合は面倒だ」
「は、はあ……」
ヴェンツェルもリューネさんも苦笑いしている。話の流れからして相当厄介な奴っぽい。
ネル……誰だろう……
「それから、たぶん犯人はまだこの城から出ていない、いや、出られなかったとでも言うべきか」
「その根拠をお伺いしても?」
「昨夜は特に来客の予定もなかったこともあって姫殿下の夕食時間を報せるビューグルに合わせて跳ね橋を上げていた。まあ、見張り役どもが早く仕事を切り上げてどっかの放蕩息子の宴会に加わりたかったらしいが……」
全員の目がグラハムに集まる。
「まあ……今朝の当番がそれで寝坊をして橋はまだ上がったままだ。部下の不手際を喜ぶ気にはならんが、今回はそれが幸いしたという形だ。宴会主催者に感謝せねばな。お手柄だったな。ヴィッテルスバッハの三男坊」
「お褒めに預かり光栄の至り!キリッ」
グラハムが右手を左肩に当てて恭しく頭を下げる。
いや、誰も褒めてねえから。しかし、なるほど。状況は理解できた。
姫様の夕食時間は元いた世界で例えると午後五時頃、そして、俺が侍女1号に会った時間が六時すぎだった。
ヴァーリーリエというのはこの館の正式名称で、地上4階地下一階の館の周囲はぐるっと人工湖で囲まれており、館に出入りできるのは一本の跳ね橋がかかる大手門のみだ。
しかもまだ跳ね橋は上がったままの状態だというのなら、侍女1号に特殊な能力でもない限り、逃げ出したくても逃げ出せなかったということになる。
では跳ね橋以外の手段はどうだろうか。
この館の地階には水遊び用のゴンドラや警備用のボートを出すための船着場が設けられており、大型の荷物の搬入などはそこで行われている。そこに行くには衛士たちの詰め所の前を必ず通らなければならない。ヴェンツェルが何も言わないということはそれらにも異常がなかったのだろう。
あいつ、まだこの館のどこかに潜んでいるってことか……
「あと……俺の中では犯人の目星もおおよそ付いているのだが……」
なんというチートキャラ!登場して僅か5分なのに!ヴェンツェル!恐ろしい子!
ヴェンツェルは一呼吸おくとグラハム、リューネさんの順に視線を送り、最後に俺のほうに目を向けた。
え?俺?
お、俺は無駄毛処理の道具と勘違いしただけだから(震え声)
もうだめだ……おしまいだ……
ヴェンツェルに睨まれてガタガタと震えている俺の前にリューネさんが立つ。
「ナイトハルト卿……そのことについてですが、ここでは姫様の手前もございます……仮にそうだった場合は、どうかこの私に後の処置をご一任いただけませんか?……」
「しかし、遅かれ早かれ姫殿下の“奥”の間にも探索の手を伸ばさざるを得ない。いかにフロイラインの言葉でも事が事だけに穏便には出来ぬが……」
「それは……よく分かっております……ですが……」
あるぇ?なに?この話の流れ。ひょっとしてリューネさんも薄々犯人に気づいているってこと?つか、もうこの二人だけで話を進めた方がよくね?
確かに世の中には口に出しては言えないことってあるからな……
じゃあ、後はヴェンツェルとリューネさんに任せて俺とグハラムは……
「あ!そうか!そういうことか!フロイライン!よし分かった!犯人はうつけの侍女の一人、ヴェンデン元伯に所縁のあるシエル・フローラ・ヴィ・ヴェンデンだな!」
こいつはもう死ぬべきだ。世の中のためにいますぐ。
ていうか、は?ヴェンデン元伯に所縁?侍女1号が?
参考資料
http://nobody2005.web.fc2.com/jan/sesou/sesou.htm