第五話 姫とイケメン
やべぇ……どうしよう……
無駄毛処理用の短剣を失くしてしまったことをどうやって言い訳しようかと悩んでいると、姫様、と後ろからいきなり声をかけられた。
「ひゅいっ!」
まるで鬼に見つかった時のカッパみたいな声だ。ギクッとして振り返ると、今、もっともエンカウントしたくなかったリューネさんが立っていた。
なんだろう…この絶望感…
RPGのダンジョンを無理して攻略しようとして失敗、挙げ句に自分を残して仲間が全員死亡の状態で最強の敵に遭遇した感じにすごく似ている。もちろん、リレ・ミトなんて使えない。
「どうかなさったのですか?アントーニア様。私の顔に何か付いていますか?それともまた何かやましい事でも?」
やましい事がありまくる俺は猛スピードで首をブンブンと横に振って必死に否定する。実に怪しい。ああ、リューネさん……お願いですからジト目は止めて下さい。死んでしまいます。
「やれやれ……まあいいです」
ため息交じりにリューネさんがつぶやく。おお!た、助かった!一か八かの賭けでにげるが成功した時みたいな感動があるぞ!
「そんなことよりも早くお召し物を改めて下さい」
「ふぁ!?」
え?なんで?俺は首を傾げる。まだ夜が明けて間もない時間だから朝一の講義にしてはかなり早いし、まして朝食の時間だとしたら異常なほど早い。この世界の貴族の食事は、朝食と夕食の一日二回で、朝食は地球時間で例えると午前10時ごろからブランチ的に食べるイメージだからだ。
「グラハム・ヴィッテルスバッハ卿がアントーニア様に火急の目通りを願っておいでです。すでに卿はアントーニア様の勉強部屋でお待ちになられていますので急ぎお支度を」
え?グラハム?誰それ?まさかおとめ座のロマンチストさん?
俺がきょとんとしているとリューネさんが呆れたような顔をする。
「殿下の名代として首府から見えられたヴィッテルスバッハ卿です!一昨日から当館にご逗留中なのをもうお忘れですか!?大広間で勅書披露をなされた方ですわ!」
め、滅相もない!今思い出しました!たった今!はい!
今、リエナの館には一人の珍客がいる。俺をヴェンデン伯爵夫人に封ずるという勅書を持ってやって来たヨハン・グラハム・ヴィ・ヴィッテルスバッハという若い貴族だ。
実家はマグナブルク大公の直参騎士(旗本に相当)の家系らしいが、本人は部屋住みが確定的に明らかな三男坊で、フツメンだった俺から見るとこいつは結構なイケメンなのだが、特大の極楽トンボという表現が実にふさわしいボンボンだ。噂によると出入りの商人や他の貴族仲間たちによく騙されて方々に借金をこしらえるような、なんかこう、色々と残念な感じのやつっぽい。
どうやら天は二物を与えないというのは本当のようだ。なんかざまぁw
「思い出しましたか?」
俺はリューネさんに頷いてみせる。顔と名前が一致していなかっただけで、あの強烈なキャラはある意味で忘れることが出来ない。
なんでも次に失態を演じると父親のレオポルト・ヴィッテルスバッハから勘当されるらしく、本人曰く、非常なる覚悟を持ってはるばるこんな片田舎までやって来た(原文まま)、のだそうだ。要はテメエの汚名返上のためだけに、栄えある勅使の役目をマグナブルクの文武百官が居並ぶ前で自ら買って出たらしい。
勅書披露の当日はわざわざこの館周辺から集まった騎士やリエナ・アントーニア姫に取り入ろうとする名ばかり貴族たちがざっと500人は大広間に集まっていた。ヨハン・グラハム本人にとっては美談なのかもしれないが、片田舎呼ばわりされたお歴々たちの顔は、この俺も含めて「知らんがな」だった。
まあ、誰も地雷確定の問題児である第二内親王に関わりあいたくなかった(原文まま)らしく、他に立候補者がいなかったので殿下が小生の果敢なる勇気に対して賞賛を惜しまなかった(原文まま)、という件がヨハン・グラハムの口から出た時には大広間が爆笑に包まれた。
常々心に思っていることでも他人からあえて口にされると腹が立つってあるじゃん?ヨハン・グラハムはこれでもかっていうほど散々地雷を踏み抜いていた。
リューネさんはきっとグラハムのことが大っ嫌いになったに違いない。だって、勅書披露の間中、ブツブツと物騒なことを小声で言ってたもん……
俺も一緒になって笑っていたら、隣で耳まで真っ赤にしたリューネさんになぜか足を思いっきり踏まれた。
八つ当たりはやめろ!と言いたかったが、考えるまでもなくリエナが俺で、俺がリエナになっているわけだから結局俺のせいだった。
それは置いておいて、存在だけで十分失態と言えるヨハン・グラハムはメインイベントの勅書披露、まあ読み上げるだけの簡単なお仕事ですが、そこでもワンマンショーだった。
宮内宮中伯(宮内大臣相当)が丹精をこめて書いた勅書を高らかに読み間違え、おまけにリエナの正式名称で盛大に噛んでそのままスルーしやがった。
こうして栄えある叙任勅書の披露はグラハム一人のお蔭で終始グダグダのまま終わったのだ。
例の流血事件の直後、勅使が殿下から遣わされると聞いて、てっきり弾劾使の類だと思ってガクブルしていた分、特にリューネさんのご機嫌はメチャクチャ悪い。
俺はその辺りのことは別にどうでもよかったが、ほぼ四六時中一緒にいる侍女長の機嫌が悪いということはダメージが俺に跳ね返ってくることを意味する。
そういう意味で俺にもグラハムには含むところが色々ある。
「姫様、事は一刻を争います。お急ぎを」
リューネさんは俺の手を掴むと引っ張るようにして寝室に向っていく。俺もペタペタと足をならしながらリューネさんの背中を追いかける。
「あと……姫様……いくらプライベートエリアだからといって、裸足で歩き回るのはおやめください。ちゃんと部屋履きをお履きになるようにと申し上げた筈です」
「ふぁ!?」
やべえ!矛先がこっちに!くそ!グラハムの野郎!許さない!絶対にだ!
それにしても、そんなお茶目の一言では済まされないグラハムが、一体なぜこんな早朝からリエナに面会を求めてきたのだろうか。しかも、多分自分のことをこの世で父親の次くらいに嫌っているであろうリューネさんを介して……
でも、まあ備品を失くしたことが有耶無耶になるならなんでもいいか。
リューネさんは相手が誰であれ人を待たせるのは嫌いらしい。結構、強引だった。以前なら完全に市中引き回し状態になるところだったが、今は裸足だったらけっこう普通に歩けるまでになっていた。
歩きながらリューネさんが言う。
「昨夜、何者かがヴィッテルスバッハ卿の寝所に忍び込み、大切なものを奪われたそうにございます」
へ!ざまあ!けっきょく失敗してやがるじゃねえか!勘当されて世間の辛さをちょっとは味わえや!ハゲ!
俺は思わずガッツポーズを決める。
そんな俺を尻目に、これは他言無用に願いたいのですが、と前置きした上でリューネさんがいきなり俺の隣に並んで耳打ちを始める。
「なんでもその中にはヴェンデン伯爵家の家宝である一角獣の宝刀も含まれているとか……」
え? 一角獣の宝刀? それって短剣?
「あれがなければアントーニア様のヴェンデンでの戴冠式に障りが出てしまいます……こんなことが帝都にでも知れたらどのようなお咎めがあるか分かりません……」
「ヴィボオオオオオオオオ!!」
「ひ、姫様!!朝から珍獣みたいな大声を出さないで下さい!!はしたない!!」
はい今詰んだ!いま俺の人生完全に詰んだよ!
俺はリューネさんに支えてもらいながら全速力で、姫様がいつも講義を受けている勉強部屋(80平米)を目指す。そこにはあの特大極楽トンボのグラハム・ヴィッテルスバッハがいるのだ。
あのボケナスが!なにしれっとパクられてんだよ!ケリの一発でも入れてやる!
浴室を兼ねている洗面所に運ばれてきたからといって、姫様専用の無駄毛処理道具と早合点した自分の浅はかさも腹立たしいが、これはグラハムの野郎を罵倒することで相殺すればいい。
3メートル近い重厚な二重扉をくぐると、男子禁制のリエナ・アントーニア・ヴィ・ヴェンデン伯爵夫人のプライベートエリアから「表」と呼ばれているパブリックエリアを繋ぐ300メートルの大回廊に出る。
最近はヒールを履いても20歩に1回程度しか足を挫かなくなった。かなりの進歩といえる。それだけリエナの体が俺に……以下略。
足をくじきながら俺は思考を巡らせる。
なぜ侍女1号は例の短剣を俺のところに持ってきたのだろう……
事情はよく分からない。だが、残念ながら俺は鈍感系ではなくて現実逃避派キャラだ。わざわざ盗品を届けにくるだろうか?たぶん、短剣本来の使用目的だったんじゃないだろうか?
まさか、な……
俺の脳裏には昨日会った侍女1号の内気そうな顔が浮かんでいた。
心のどこかで何かの間違いであって欲しいと願っている自分がいる。俺はリューネさんにもこのことは話していない。
まだ確定したわけじゃない……
あれこれ考えている間に、俺は順調に足を捻りながら、ようやくの思いで勉強部屋の前にたどり着く。
かなり早い館の主の出仕を見て、首府の近衛連隊から派遣されているリエナの警護役の青年士官たちが慌てた様子で駆け寄ってくる。
首府と主君一族の警護を担当する近衛連隊に平民出身者はどんなに優秀でも入隊できない。こいつらも全員、貴族の子弟だ。
両開きの扉が開かれ、俺とリューネさんが姿を現したその時だった。
「遅いぞ!うつけ姫!今までどこで油を売っていたのだ!」
空気を全く読まない男、ヨハン・グラハム・ヴィ・ヴィッテルスバッハは部屋の中ほどで、リエナの教授たちが普段使っている椅子の上でふんぞり返っていた。
燃えるような赤毛に深い青色の瞳が印象的な長身の居丈夫で、多分190cm近い。かなりイケメンの今年24歳の独身男だ。旗本の三男坊という生まれの不幸もあるが、縁談話がないのは半分以上、本人のせいだろう。
「まったく……どうでもいいが待ちくたびれて僕は喉が渇いた。おい姫の後ろのお前!ホットショコラを一つ持って来い!」
「は、はっ!畏まりました!少々お待ち下さい!ヴィッテルスバッハ卿!」
扉を開けた若い近衛士官は軍礼法に則った敬礼をすると、そのまま駆け足で部屋を後にする。
「いいか!僕はこう見えて意外と甘党だ!砂糖は二杯だぞ?それから冷めたショコラは嫌だからな。喉に細かい粉みたいなのが纏わり付いて咳が出る。あ、ついでに水も持って来いよ?こっちは冷たくないと話にならない」
「御意!!」
大回廊に青年士官の声が反響する。
いや、おまえコソ泥に入られて家宝を盗まれるような失態を犯しといて何威張ってんだよ……
この時ほど人語が話せない身の上を悔やんだことはない。
「まあ、立ち話もなんだ。掛けてくれ給え」
グラハムは俺がいつも使っている椅子を顎で指す。たぶん、俺はキレていい。
「姫様、どうぞこちらをお使い下さい」
あ、こりゃご丁寧にどうも……
リューネさんはそういうと俺にノート型の黒板とチョークを渡してきた。いつも筆談に使っているものだ。
さあ、対価の時間だ!!
俺は渾身の力を込めてグラハムの頭頂部目掛けてスモールサイズの黒板を振り下ろしていた。
ボクッという鈍い音がだだっ広くて寒々しくさえある姫様の勉強部屋に鳴り響く。
「うおお!痛い!痛いではないか!何をするんだうつけ姫!死んだらどうするんだ!」
半分以上撲殺狙いですがそれが何か?
グラハムは頭頂部を抑えて床の上を転げ回っている。ええ、そりゃ面白いほど右にゴロゴロ、今度は左にゴロゴロしてますよ。イケメンだからその痛がり方も無駄にカッコイイため、無様を通り越してなんか面白い。イケメンがいつも得をするとは限らないことを俺は学んだ。
ぷっと吹き出す声が聞こえて振り返るとリューネさんが両手で顔を押さえて必死に笑いを堪えていた。目が合うと俺に向って「姫、グッジョブ」とばかりに親指を立てる。
「ふん!さすがはマグナブルクの猛女だな!稲妻のような鋭い踏み込みはなかなか見所がある。だが所詮は女の細腕!そんなことでは痛痒も感じないぞ。まあ、もっと鍛えることだな。はっはっは!」
つか、おまえめちゃくちゃ涙目じゃん……
人目もはばからずに己に忠実に痛がっていたくせに平然を装うグラハムの神経に俺はある意味関心させられた。
ドアが4回ノックされる。
リューネさんが、入りなさい、と声をかけると一呼吸置いてさっきの青年士官がワゴンを押して部屋の中に入って来る。すげえ、姫と同じ年か一つしたくらいに見えるのに紅顔の青年士官のそれはすべて礼作法にかなっていた。
「お待たせして申し訳ありませんでした」
「うむ、待ったぞ」
ヨハン・グラハム、いっそ清々しくさえあるぞ……
蓋が開けれるとホットショコラが3つ用意されていた。リューネさんの分まで用意するとはなんて気が効く子なんだろう。どこぞの独身男とはえらい違いだ。
「僕は一つと言ったんだ。三杯もホットショコラを飲むと気持ちが悪くなるじゃないか」
おまえもう死ねよ……
「それでは小官はこれで」
俺とリューネさんに向き直ると青年士官は右手を左肩に当てて片膝をつき、残念な独身男の方には直立不動の体勢で敬礼をした。
「おい!」
グラハムが立ち去ろうとする青年士官を呼び止める。
「は!ヴィッテルスバッハ卿!他に何かお言い付けでしょうか?」
少し緊張した面持ちの青年士官に向ってグラハムはポケットから1へラー
銅貨(200円相当)を取り出して放り投げる。
「少ないが取っておけ。腹が減ったときになんかの足しにはなるだろう」
「あ、ありがとうございます!ヴィッテルスバッハ卿!」
1へラーを両手で受け止めた青年士官は愛好を崩し、再度、グラハムに向って敬礼を送る。
「あいつは妹思いのいい奴だ。ヴェルテンブルクの実家に仕送りをしているらしい。武勲を立てて没落した家名を復活させたいそうだ。もしよかったら、うつけ、お前のところでずっと使ってやって欲しい。アイツは俺と同じで戦には向かん」
ボケナスの意外な一面を垣間見て思わず俺とリューネさんは顔を見合わせる。
「何をボサッとしている。分けてやるからお前達も飲め」
根は悪いやつじゃないらしい……ただ残念なだけで……
リューネさんも笑っている。
何はともあれ、俺たちは将来のイケメンが用意してくれたホットショコラを銘々手に取るのだった。
この世界の通貨について
1ヘラー:銅貨。現代日本の感覚で100~200円程度の価値がある。
1ターナー:銀貨。帝国領内で広く流通している。15000~20000円に相当。
1ディカット:金貨。20万~25万円の価値がある。高価すぎてほとんど一般に流通していない。主に帝国領以南の重商業国家間で使用されている。