第二話 マグナブルクの猛女
眩いばかりの朝日が俺を包む。
「姫様おはようございます!朝ですよ!」
「…」
その日も俺は朝から女だった。
なんという憂鬱な朝の始まりなんだろう。しかし、礼儀正しい日本人としてはあいさつをされて挨拶を返さないわけにはいかない。
「しょt☆#……poしえ&……」
「せめて人間の言葉を話してくださいね、姫様」
「……」
きついツッコミだ。笑顔な分、俺のガラスのハートは結構傷つく。寝ぼけ眼の俺を置き去りにして例の不届きなナース、もとい侍女のリューネさんがテキパキと一人で働いている。
ええっと……何から話せばいいのだろうか……
驚かないで聞いて欲しい。
実は……これは夢じゃなかったんだよ!!
「な、なんだってーっ」と驚く諸君らの顔が目に浮かぶようだよ。しかし、これはまごう事なき事実なのだ。
今日は公開処刑されたあの屈辱の日からちょうど3日目にあたる。なにが屈辱かというのは聞くだけ野暮というものだ。俺が崇高な探究心に突き動かされていた時、後ろから中年のおっさんに肩を掴まれて全力放水と相成ったわけだが、なんとその時に俺の肩を掴んだ人物が”殿下”だったのである。
まあ、この殿下ってのが俺の予想に反してナースに変態プレーを強いる院長でもなんでもなかったのだが……
ま、まあ……何というか……この世界の1日が俺の元いた世界の何時間に相当するのかは分からないが、とにかく三回目の朝をこうして無事に迎えたわけだ。この間に俺は実にさまざまなことを知った。”殿下”の件も含めて順を追ってそれをこれから話そうと思う。
まず一つ目。
「さあ姫様、こちらが本日のお召し物ですわ」
「……」
バサッと俺の膝の上に、無駄に胸元が開いた薄いピンクのドレスが置かれる。どこにどんな服があって、どんな靴があるのか分からないので俺に選択の余地はない。返事の替わりにコクリと小さく頷く。正直、女物の服を着るなんて死ぬほど恥かしいが、全裸よりは遥かにマシだ。
「さあ立てますか?お着替えを手伝いますわ」
ドレスといっても着物みたいに着るのが色々面倒臭い。何というか、甲冑のように無数のパーツに別れており、それを繋ぎ合わせて最終的にドレスになるという代物だ。まるでどこかの聖闘士みたいだ。
着るのはこれで三回目なのだが、どういう構造になっているのか未だによく分からない。一人で着替えることが出来るものと言えばネグリジェっぽい部屋着くらいのものだろうか。ちなみにこの世界の人間はベッドには全裸で入るんだぜ?これまめな。
いま、俺の着付けを甲斐甲斐しく手伝ってくれているのが侍女のリューネさん。青い瞳に透き通るような銀髪が印象的な美女だ。年は20歳くらい?OLっぽい感じがする。とにかくやること成すこと卒がなく、一本筋の通った信頼できる人だ。とても俺が目を覚ました時に見たドジッ子っぽい人と同一人物とは思えない。あと、他に俺専属の侍女が2人いるらしいが、残りの二人は俺の半径5メートル以内には絶対に入ってこようとしないため、声どころか、下手をしたら姿すら見ない日がある。
一体、どんだけ嫌われてんだよ……俺……
ちらっと見かけたことがあるがリューネさん同様、やはりかなりの美人だった。しきたりとかではなくてあからさまに避けられているのがひしひしと伝わってくる。例の堤防決壊のせいでキモイを通り越して変態認定を受けてしまったのかもしれない。
死にたい……
次に、
「昨日のお夕食の後、お伝えした通り、本日から各教授の授業が再開されますわ」
いいですか?と前置きしたリューネさんはジロッと俺を上目遣いに睨みつけると着付けの手に力をこめる。
「絶対にサボらないで下さいね!お分かりになりましたか?絶対ですよ!」
「ぐえええ!」
牛ガエルの鳴き声みたいな音が辺りにこだまする。
「マグナブルク家の後継者として恥かしくない教養と礼作法を一日でも早く身に付けてくださいまし。そして、一刻も早くマグナブルクの猛女などという不名誉な汚名を雪いで下さい!」
「ぐわぁ!ぐわぁ!」
まるでまな板の上に載せられたガチョウのような実に耳障りな声だ。腰紐のようなものを締め上げられて思わず俺は涙目で何度もリューネさんに頷いてみせる。
「お分かりいただけて光栄ですわ、姫様」
ニッコリと笑顔を見せるリューネさんだが、目が全く笑っていない。
怖いっすよ……リューネさん……
そう、この肉体の本来の持ち主であるお姫様は名前をリエナ・アントーニア・マグナブルク・ヴィ・ヴェストリアというそうだ。正式名称はまだもうちょっと長いらしいが、ヴェストリア帝国のマグナブルク選帝侯のリエナ・アントーニア姫という意味らしい。
この姫様は実に幸運だ。中の人が俺のような紳士で本当によかった。
今は春だが、この夏に16歳になるというから俺の1つ下ということになる。身長は175cmの俺より10cmくらい低いのだが、この世界の淑女は全員ハイヒールっぽい靴を履くので視界はまったく変わらない。16歳にしてはかなりわがままなナイスバディをしている。もちろん無駄毛の処理も完璧だ。特に……
お、おほん…… 話がそれてしまった……
父親である”殿下”、つまりマグナブルク選帝侯は、このリエナをこの上なく可愛がっており、娘のこととなると政務も軍務も全てそっちのけで最優先するほどの過保護だそうだ。ぶっちゃけモンペだね。
仕事を投げ出すようなバカ親が当主を務めているのによくもまあお取り潰しにならないものだと思うのだが、このおっさん、選帝侯位以外に多数の爵位を継承する帝国随一の大貴族で、尚且つ、現皇帝が実兄という最強のバックまでついている。つまり馬鹿が権力を握った典型というわけだ。
そのバカ親の大公殿下から姫はリエナと呼ばれており、侍女たち、と言っても話しかけてくれるのはリューネさんだけなのだが(涙)、家来や召使達の間では姫様あるいはアントーニア様と(陰で)呼ばれているようだ。
そして、このお姫様には”マグナブルクの猛(盲)女”という二つ名が付いている。
歴史シミュレーションゲームファンの俺の感覚では、異名って一番槍を取った程度では貰えないほど難易度が高いから、最初は「姫すげえ!」とか思っていたのだが、周囲の反応や雰囲気から察するにどうやら名誉とは真逆の勲功をカンストするまで稼いで獲得した結果らしい。
詳しくは分からないが、今、膝立ちの状態で着付けをしているリューネさんから零れる愚痴を、俺がパズルの要領で組み合わせたところによると、この世界では15歳になる年に社交界デビューすることが成人の儀式らしいのだが、その晴れ舞台の日にリエナは帝国始まって以来の伝説的な失態をやらかしたそうだ。どうもそのことがきっかけで、帝国諸侯の間では”猛女”あるいは無教養という意味で”盲女”と呼ばれているっぽい。
可愛い顔して一体何をやらかしたんだ……姫……
しかも、生来の性格もかなり凶暴らしい。その凶暴さゆえか、リエナには歳の離れた6歳の妹がいるらしいのだが、遠い親戚に預けられているそうだ。いや、むしろこの館の方が”隔離施設”かもしれない疑惑がある。その話はおいおい触れるとしよう。
まあ、なんだろうね。俺は全くこの父娘に関係ないんだが、先に謝っておく。
なんかごめん。
「さあ、着付けは終わりましたわ。いい加減にお召し物の着方も覚えていただかないといざという時にお困りになるのはアントーニア様ご自身ですよ?」
「ぼへぇ……」
はあ、と気のない返事をしたつもりなのだが、まるでメスのマウンテンゴリラの囁きだ。リューネさんはすくっと立ち上がると両手を腰に当ててため息混じりに呟く。
「あの姫様…… その魔物のような声…… 何とかなりませんか?」
「ぐへえ……」
ごめん、と言ったつもりなのだが、多分、メスのヒグマの唸り声にしか聞こえていない。リューネさんがもうおまえ喋るなって顔をしている。そりゃごもっとも。
最後に、究極にして目下差し迫った重大な問題に触れねばならない。あ、断じてトイレ関係ではないので。
「と、とにかく…… 先生方には姫様が喉を痛めておられるので、人間の言葉はしゃべれませんと申し上げておきますわ。どうかご安心下さい」
「ふぁ!? ぶべえ……」
フォローする気ゼロかよ……あんた……
あ、ちなみに、え?ひどい、と言ったつもりだ。
お分かり頂けただろうか?
俺はリューネさんや”殿下”に限らず、少なくともこの館に住んでいる人々が何を言っているのか、ちゃんと聞き取って理解もしている。この人たちは日本語を喋っていないし、使ってもいない。まったく見たことも聞いた事もない言語と文字、低地ヴェストリア語というらしいが、そういう異世界の言語を使っているのだ。
いまだに手足に痺れが残っているため、ヨタヨタしか歩けないし、文字もミミズが這った様なひどい字しか書けないが、筆談を試みたところではリューネさんは俺の書いた低地ヴェストリア語をある程度は理解してくれた。驚かないところを見ると普段の姫様の字も相当酷いのだろう。
多分、俺の魂がリエナの肉体に憑依した状態だから体の自由が利かないし、文字通り、他人の体のように感じられるのではないか。
で、その肉体の中には当然、”脳”も含まれるわけだ。俺が未知の言語である低地ヴェストリア語を聞き取り、そして読み書きが出来るのは、姫様の脳みそを多分使っているからだ。まあどこまで優秀なのかは比較対象がないので分からないが。
じゃあ、何故喋れない?
この3日間、俺はずっとそのことばかりを考えていた。それはずばり肉体と俺の魂が融合しきっていないからではないかと思い至ったのだ。
発声するには口や舌だけでなく咽喉の筋肉を使う。つまり、この肉体にとってよそ者の俺はうまくこれらを使うことが出来ない。だから喋ることだけが出来ないのではないだろうか。どやあ!
まあ……
実際、一人で歩くことも食事をすることも大変な状態で、割と洒落になっていないので早く何とかしたいところではあるんだが。
「それでは殿下が姫様の到着をお待ちしております。ちょっと急ぎ足になりますが大丈夫ですか?」
「べぼまぼ……」
いや、無理と言いました。
「そうですか。では参りましょう」
しかし、リューネさん!意外にもこれをスルー!
リューネさんの肩を借りながら俺はヨタヨタと長い回廊を歩く。俺とすれ違うたびに侍女や男の家臣たちが緊張したような面持ちで慌てて頭を下げる。
どんだけ厄介者扱いされてんだよ……
本当に他人事でしかないのだが、目の前でやられると正直へこむ。俺の豆腐メンタルは結構それだけでズタボロだ。ふと、リューネさんの肩越しに後ろを見ると、俺たちのきっちり5メートル後ろを二人の専属侍女たちが遠巻きについてきている姿が見えた。俺と目が合いそうになると慌てて二人とも目を逸らす。
えっと…… これって…… やっぱいじめだよね? いじめでしょ? 酷くない?
リエナの肉体とそれに辛うじてしがみ付いている状態の俺を支えているリューネさんは顔色一つ変えずに、ただ専心に大食堂の方を見つめている。この人だけが人間の言葉を話さない猛女及びその肉体に宿った紳士の魂の面倒を甲斐甲斐しく見ている。
「姫様……」
「ぐぼぉ?」
「……殿下との朝食後、まず歴史学の先生がお見えになられます。その後は礼作法の授業がありますからお忘れなく……」
「ゲヴォるぬ……」
「それから……」
リューネさんは一呼吸置くと俺の方に哀しそうな目を向けてきた。
「もう……十分でございます……悪竜と関わるのはお止めくださいませ……」
「ふぁ!?」
え?なにそれ?最後にあんた何凄い事をさらっと言ってんの?異世界っぽい場所で悪竜とか怖い事言うなよ!ちょっと洒落になってないよ?
もしかして、それがリエナ姫がベッドで昏睡していた理由なの?
聞いてないよ!!
マグナブルク年代記は記す
神聖紀1528年5月
大公オットー三世の第二内親王アントーニアは動物や魔物の鳴き声をまねることを大変好まれた。(記録官ヨハン・モンデュエル)