第十話 ショウ
まったく、半月もあったのに何をやっていたんだ……外山ショウ……
リエナとグラハムの二人を乗せた葦毛は、まったく臆することなく尖閣へと続く螺旋階段の入り口に向かって飛び込んでいった。二人の後姿はもう見えない。
「所詮は、エーテルの雲の彷徨い人、か」
ネルの表情は険しかった。普段、感情がほとんど表に出る事がないネルにしては珍しいことだった。
ぐおお!耳障りな叫び声が大ホール内に鳴り響く。ネルがゆっくりと振り返ると、青白く輝く魔法陣の中でジャイアント・オークが棍棒を振り回していた。まったく知性を感じさせない姿は見ているだけで不快感しかこみ上げてこなかった。
「耳障りな奴だな……今、私は機嫌が悪いんだ……」
石の床に杖を立てるとネルは静かに目を閉じる。
「ほう。古代ジュライ式とはまた随分とノスタルジックな召喚陣を使うものだな……」
マグナブルク大公国の首府ハイデルンでネルは、ヴァーリーリエ城の副城主ヴェンツェルの書状を連絡飛竜から受け取っていた。その時からずっと自分と同じ魔法使いが領内のどこかに潜んでいる可能性を考えながら行動していたが、大ホールに敷かれた魔法陣以外に術者の姿はおろか気配も魔力もまったく感じられなかった。
「悪竜の息がかかった奴がこの城に……まあいい……まずはフ○ック野郎を片付けてからだ」
低地ヴェストリア語とはまったく異なる言葉だった。ネルの詠唱が始まった途端、ジャイアント・オークの足元に無数の亀裂が走った。
「オーク、森へお帰り……ここはお前の住む世界じゃないのよ、って言うと思った?残念、地獄行きでした」
聞き取れないような小さな声で二言三言つぶやいたかと思うと、まばゆいばかりの閃光が稲妻のように蛇行しながらジャイアント・オークの足元に走っていく。
「煉獄の魔人イサイアは言った……わが眠りを妨げる痴れ者は影すら留めず焼き尽くされるであろう……と。私も実に同感だ。お前は焼肉の時に網の片隅で忘れ去られて炭化したピーマンみたいになれ、ブタ」
巨大な火柱がジャイアント・オークの全身を包む。断末魔の雄叫びを上げる暇すら与えられず炎の中で息絶えていた。周囲にいた数体の木人形も輻射熱で全て燃え上がっている。
「あと、仲間内のBBQでテメエも食わないような需要ゼロの野菜を買って、栄養バランス考えてる俺マジかっけー、みたく無駄に出来る男アピールして割り勘のコストを上げるクソは滝に呑まれて溺死すればいいと思います……」
「ネル様!!」
「……」
一羽のカラスがバサバサと羽音を立てながら近づいてくる。リエナの寝室で鳥かごに入れられていた、あのカラスだった。
「よくぞご無事で!ちっ!それにしてもまったく運のいいブタ野郎だぜ!このアブラクサス様の自慢の鉄の爪が火を噴く前に丸焼きになるとはな!」
自分の周りをバサバサと飛んでいるアブラクサスの頭をネルはいきなり無言のまま拳で殴りつける。ゴッという鈍い音と共にアブラクサスは床に墜落した。
「ちょ、ちょっとネル様!な、なにするんスか!いきなり殴るなんてひどいっスよ!使い魔愛護団体のババアに見つかったら罰金っスよ?それでもいいんスか!」
「黙れバカラス……どうせオークがいなくなるまで物陰に隠れておいて、出てくるタイミングを計っていたんだろう……そんなことよりお前に聞きたい事が山ほどある……」
ネルの目が据わっていた。
直感で危険を察知したアブラクサスは慌てて飛び立とうとしたが、一瞬の差でネルがアブラクサスの首根っこを掴むほうが早かった。
「ぐ、ぐるじ……ネ、ネル様……ちょ、チョークに入って……るっス……」
アブラクサスの顔は青ざめていた。いや、全身が真っ黒であるため彼の顔色は正確には窺い知れないが、明らかに危険な状態であることは一目して理解できる。
完全に殺りにきているネルの左腕をアブラクサスは右の羽根で必死に叩く。どうやらタップ(ギブアップ)のつもりらしい。
ようやくネルの両手が緩むが、今度は子猫を咥える親猫のようにアブラクサスの首の後ろを摘み上げる。
「お前には失望した。鳥刺か、たたきか、焼き鳥(※ ネル様は塩派)か、好きな死に方を選ばせてやる。5秒で決めろ」
「ぜ、全部なしの方向でおなしゃす!!」
「そうか、なら丸焼きだな」
右の人差し指の先から炎を出すとネルは魔力を調整して5cm程度に絞り、アブラクサスの尻尾をちりちりと火で焼き始めた。
辺りにビールと相性がよさそうな香ばしい匂いが漂う。
「ぎゃああああ!!あち!!あちち!!こ、これじゃまるで焼き鳥みたいじゃないっスか!あち!あち!」
「”みたい”ではなく、焼いているのだ。リエナを監視するだけの簡単なお仕事すらこなせないクソガラスを、な」
「ま、待って下さい!ほ、本当に俺はちゃんと使命を果たしてましたぜ!」
「そうか、それは実に興味深い話だな。ヴェンツェルの連絡飛竜から文を受け取った記憶はあるが、私の忠実にして誠実、且つ有能でイケメンな使い魔君からは念話の一つももらってないことに私の中ではなっているが?」
「アチ!アチ!ちょ……ネル様!これまじでシャレになってないッスよ!」
「シャレではない。本気と書いてマジでお前の肉を焼いている。焼いた後のカラスはスタッフ(※別の使い魔たち)が美味しくいただく予定だ」
「ぎゃああ!れ、連絡は!その!サーセンした!ちょ、ちょっとした手違いというか!特殊な事情があって!あちちち!そ、それで!とりあえず!こ、事の顛末を見届けた上で!ぎゃひひ!だ、だから!これは誤解っス!誤解なんスよ!」
特殊な事情、というアブラクサスの言葉を聞いたネルは無表情のまま炎を弱める。アブラクサスの後ろの羽根はほとんど燃え落ちていた。
「ほう、誤解ね……一体、どこに誤解が出来るほどの奥深い事情があったというのだ?あの異世界人の魂はいまだにリエナの体と融合していないじゃないか。現にさっき私はリエナ張本人とこのホールで出会い、おまけに会話までしたところだ。例の馬しかお友達がいないボッチ野郎とキャッキャウフフしていたあのスィーツ脳(笑)。あれは紛れもなくリエナだ。私が召喚した”知的な少女”外山ショウのものでは断じてない」
「クエ!クエ!クエエエ!ち、知的なって……ご主人!じょ、冗談きついっスよ!あのアホはどっちかというと知性じゃなくて痴性に溢れてるっス!クエエ!」
知的な少女と聞いてアブラクサスは思わず噴出していた。自分の命が危険な目に遭っているにも関わらず我慢が出来なかったのだ。
「なにがそんなにおかしいんだ?」
「だ、だってですよ!知的か痴的かはともかくとして……クエ!クエ!クエ!あ、あの野郎かなり頭沸いてるっスよ。毎日毎日飽きもせずに鏡の前で“ふぉおおお!”とか奇声は上げるし、自分の乳を揉み始めたかと思うと鼻血を噴水みたいに噴出するし!もうね!バカかと!アホかと!クエ!クエ!クエ!」
「どうやらお前は自殺願望があるらしいな……いいだろう……その望み、倍返しだ……」
「ぎゃあああああああ!!!!」
10cmの炎がアブラクサスの尻を一瞬だけ舐めた。
「私は今、すこぶるご機嫌が悪いんだ……ふざけてないで真面目に答えろ……」
「俺は真面目に答えてるっスよ!!」
アブラクサスはこの半月の間に起こった出来事をまるで機関銃のようにネルに話した。
外山ショウの魂がこの世界に召喚されてリエナ・アントーニアとして目を覚ました後、まともにしゃべることさえ出来ずに魔物か野生動物の鳴き声にしか聞こえず、周囲の人間を困惑させていたことや、ドレスの着方すら知らず、侍女長のリューネがずっと着付けをしていたことなどが主な内容だった。
当たり前だ……元々、この魔法世界ゲヴェルナの人間ではなかった人間の魂なのだから、一般常識に欠けた行動を取ったとしてもそんなに不思議ことではない……鼻血とか、気分はエクスタシーとかはよく意味が分からんが……
どれをとってもそれはネルにとって想定の範囲内だった。また、上手くしゃべれないのも仕方がないことだとネルは思った。但し、半月以上が経っているにも関わらず、肉体と魂との融合が捗々しくない、この一点を除いて。
ネルは指先の炎を消すと顎に手を当てて思案顔になる。
もし、アブラクサスの言うことが本当なら、恐らく異世界の出身というだけではない、もっと別の何かが原因でリエナとの融合が阻害されているということになるな……
一体、それはなんなんだ……
「そこまで異変の兆候が見て取れるなら、なぜ今まで私に言わなかった?エーテル召喚の儀式の後、リエナの魂を肉体の奥へと封じ、替わりに外山ショウの魂を埋め込んだが、さすがの私も異世界人の魂を使ったことはなかった。だからこそ私はお前に命じたのだ。リエナの肉体に宿った外山ショウを見張れと。そして少しでもおかしいことがあればすぐにこの私に報せろと」
「い、いや……そ、それが……その……なんというか、つい面白くって……ほんっとサーセンした……」
「面白い?」
さすがのネルもこのアブラクサスの口から出た言い訳はまったく予想もしてないものだった。面白い、という言葉に思わず首を傾げざるを得なかった。
図々しく、おまけに厚かましいアブラクサスにしては珍しくしゅんとなっていた。本気で申し訳ないと思っているらしい。
「仕事をサボれば私から“配慮ある”教育的指導を受けると分かっていて、それでもお前が自分の好奇心を優先するほど面白いことがあったというのか?」
「は、はい!だって……あの野郎……中身はオスっスよ……多分すけど……」
「なん……だと……おい!」
「は、はい!!ネル様!!」
「言い逃れをするために適当なことを言っていると消し炭にするぞ!」
「い、いや!いや!いや!冗談じゃないっスよ!なんか自分の体を見て欲情してる変態にしか見えないっスから!あ、いでで!」
アブラクサスの黒い体が、ばさっと床に落ちる。
「そ、そんな……外山ショウが……」
男だったなんて……
「ふう……マジで焼き鳥になるかと思ったっス……」
すっかり羽根がなくなった自分の尻を撫でながらアブラクサスは自分の主人の方を仰ぎ見ると、そこには珍しく放心した様に天を仰ぐネルの姿があった。
「あのネル様、一つだけ伺ってもいいっスか?」
返事は返ってこなかった。
「ね、ネル様?」
アブラクサスは小首を傾げる。こうして見ると彼の外見は全く普通のカラスと何ら変わるところがなかった。ただ、三本足であることを除いては。
「あの……ネルさ……」
「なんだ?聞こえているぞ」
「あ、は、はい!サーセン!ちょっとお伺いしたかったもんで!なんでオスの魂なんて召喚したのかって」
「ショウだからだ……」
「え?」
「ショウは……私の姉の名前だったんだ……」
「あ……あの……なんかサーセン……ネル様……」
後味の悪い空気と生き物が焼ける臭いだけが漂っていた。