戦闘開始
六人乗りの移動車は音もなく、風を切るようにして整備されていない道を進んでいった。わたしは防弾防光ガラス越しに外の風景を眺め、気になることがあると隣に座しているデハルア少佐に尋ねていた。
今回の見回りのメンバは事前にツエルタ軍曹が言っていた通り、カサデテ兵長、マンサニージャ伍長、アトセ一等兵、スービサ一等兵、そしてデハルア少佐にわたしという六人だった。マンサニージャ伍長は作戦室で会ったときと同じつなぎをまったく同じ着こなしで身につけていたが、他の三人はそのつなぎと同じ色の外作業着を着ていた。デハルア少佐とわたしは簡易軍服を着たままだったのがいかにも士官然していてどうも居心地が悪い。
このメンバが顔を合わせたとき、わたしは失礼ながらも驚いてしまった。それは、スービサ一等兵が女性だったからだ。女性兵は前線へは出ない。そういうものだと思っていただけに、彼女の存在はわたしをいたく動揺させた。
しかし、スービサ一等兵はパートナーであるアトセ一等兵と結婚しており、ここへの勤務も二人で話し合って決めたのだと言っていた。子を成すことはできないが、それでも二人でいられるのだから充分であると。戦うことに意義を見出せないわたしには到底考えもつかないことだ。女性が子を作ることのできない身体になってまで戦う意味とは何か? わたしにはそれを理解できることはないだろう。
「カサデテ!」
「はいはい、デハルア少佐。分かってますよ」
カサデテ兵長は流石にあのマンサニージャ伍長のパートナーであるだけあって、なんとも横柄な人だ。今も移動車の運転をしているのが彼だが、彼はデハルア少佐をまるで友人のように扱い、その間に上下関係の規則など存在しないかのような態度だった。通常で考えれば罰則ものだが、この部隊ではそうはならない。
「サニー、ソラルの準備だ」
「ソラル? ルナレナじゃなくて、ですか?」
「ソラルだ、サニー」
「セイッ」
デハルア少佐の指示でカサデテ兵長が移動車を停める。何事かと顔を動かしていると、マンサニージャ伍長がひらりと移動車を降りてなにやら準備を始めている。説明を求めてデハルア少佐を見やると、彼はニヤニヤと笑みを浮かべて前方を指差した。
「見えるか、テニエント・カナエンテ。愚か者どもだ」
言われて前方を注視して見ると、視界の中でもかすんで見えるような位置で何かが動いている様子が伺えた。何者かがそこにいるのだろう。今まで見回りをしてきたところには人も住んでいないような所だった所為か、何かがいるということが妙に違和感を覚える。
「この辺りは国境です。あれは隣国の国境監視部隊でしょう。しかし、あれは明らかに国境を越えています」
スービサ一等兵が目を細めてわたしのために説明し、外でなにやら準備をしているマンサニージャ伍長のほうへ駆け寄っていった。気がつくとアトセ一等兵も移動車から降りているようだ。
「カサデテ?」
「敵数およそ二十。遠距離武器は確認できず。部隊名は照合中ですが、あの装備からいって恐らく対外国暗殺用部隊かなんかでしょう」
カサデテ兵長はかけているゴーグルに表示されている分析情報を声に出して読み出していた。そのゴーグルは拠点のメインコンピュータに接続され、ゴーグルで見た情報を分析する機械だ。使い方によっては戦況をも変える装置だ。わたしの見たところ、カサデテ兵長は中々優秀な使い手だ。
「あれ相手にソラルは些かやりすぎな気がしますがね、デハルア少佐?」
「使いたくて仕方ないんだ。今回だけだ」
「あーあぁ。ソラルを使うんですから、残さないでくださいよ。面倒になるんだから」
肩を竦ませているカサデテ兵長に何のことかと尋ねようと口を開いた瞬間、わたしの真横のガラスがノックされ、驚いて振り返る。そこにはマンサニージャ伍長が手袋をしてガラスをノックしていた。
「あ、コルベタ・デハルアを」
「準備ができたのか、サニー?」
「セイ・コベルタ」
マンサニージャ伍長の返事を聞いたのか聞いていないのかというタイミングで立ち上がったデハルア少佐は、そのまま移動車の屋根をめくり上げるようにして開き、上体を外へとのぞかせる。移動車の屋根は大体こうして開かれたまま使用されることが多いが、今回は見回りだけだからか、きっちりと閉めて、車内は空調をきかせていた。天井が開くと、外気のムッとした空気に息が詰まる。
「この辺りは異常熱帯地域だ。暑いだろう?」
上から尋ねられ、わたしは暑さに辟易しながらもデハルア少佐と同じように立ち上がり、移動車から顔をのぞかせた。
「コベルタ・デハルア! いつでも撃てますよ」
カサデテ兵長と同じゴーグルに厚手の手袋をつけたマンサニージャ伍長が、用意していたらしい機械から一歩離れ、デハルア少佐に手を振っていた。その用意されている機械はわたしも見覚えがなかった。恐らく何らかの兵器なのだろうが、それがどう動き、どう使用されるのかは不明だ。
「デハルア少佐、敵兵接近。三カンマ五〇〇」
車内から冷静なカサデテ兵長の声。デハルア少佐は両手の長いシャツをぐいっと下げ、銀の指輪のはまった両手を露わにした。
「久しぶりだからな。外しても許されよ」
「あ、そりゃ勘弁して下さいっ」
マンサニージャ伍長の間抜けな声にそちらを振り向いていると、彼の横にあった機械が展開し、長細い筒のようなものが五本、わらわらと出てきた。何かと驚いて見ていると、その筒はすべて敵兵のいる方向に向き直り、それぞれ異なった角度をつけてその位置を固定する。見たところ筒は下以外のすべての方向に自由に動くようだ。その固定位置の調整も細かい。
ふと気がついてデハルア少佐を振り返ると、彼は指を妙な動きで中にさまよわせている。これで納得がいった。あの筒を操作しているのはデハルア少佐だ。彼の指の動きがあの筒の動きに連動しているのだろう。
「距離二カンマ四五〇」
「少佐、一斉掃射は三カンマ五秒が限界です! 個別射撃は最長七秒ですが、それをやられると次回装填に間が開きます、気をつけて下さいっ」
カサデテ兵長の冷静なカウントダウンと、スービサ一等兵の忠告の声が混じって聞こえる。デハルア少佐は聞こえているのかいないのか、にやりと口角を上げて笑っただけで返事はしない。その目は遠く離れた敵部隊を注視して離そうとはしなかった。
「テニエント・カナエンテ。よく見てるがいい」
デハルア少佐の指が一本撥ねた。その瞬間、背筋がぞっとするほど辺りが急に冷え込んだ。そして、わたしが筒を振り返ろうとした時、一本の線が視界の隅を通過した。そして、肉眼にもうっすらと見えていた敵兵の黒い影が、消える。
「アラス・ミマラヴィラス」
くつくつという笑い声と共にカサデテ兵長が聞きなれない言葉を呟くのが聞こえ、わたしは反射的にカサデテ兵長を振り返る。しかし、彼はゴーグルをかけたまま前方を見ており、こちらに気がついた様子はない。
「残兵三」
「あぁ、やはり残ったか」
ぶるりと身震いをしてから先ほどの閃光と機械のことを思い出し、そちらに顔を向ける。筒状の機械の内一本がしゅうしゅうと湯気をたてていた。冷気の発生源はどうやらあれらしいが、どういう仕組みなのか判断に困る。大体の予測は成り立つが、はっきりと見たわけではないので断言はできない。
「あと一回で決めるぞ」
「頼みますよ」
デハルア少佐の指が跳ねる。同時に、びっくりするほど急に冷えていく空気。わたしはその仕組みを探ろうと機械に顔を向け、じっとその動作を見やる。そして、冷気の中心にあった筒の一本から閃光が弾き出され、一本の線となって飛んでいく。その直後、筒は冷えた空気の中でしゅうしゅうと湯気を出していた。
つまり、この兵器は周囲の熱を攻撃に転ずるシステムを採用している。周囲の熱を一瞬で熱線に転換し、光線として相手を焼き殺すこの兵器は、熱を吸い上げることで冷えた空気を、熱線放射と共に加熱される自身の冷却に充てるという循環機能まで果たしている。すごい。これは我が国の技術じゃない。少なくとも、わたしは見た覚えがないシステムだ。
「アラス・ミマラヴィラス。敵兵ゼロ。お疲れ様です、デハルア少佐」
周囲の冷気が収まり、またムッとする空気が辺りを充満し始めた。わたしがじっと観察している中、マンサニージャ伍長は手馴れた様子で使用したばかりの筒を機械から取り外し、片づけを始めている。
「最近は面白い戦闘もなくなったもんだな」
「我々の反則勝ちですよ。白兵戦がしたいのならあれらを使わなきゃいいんです」
マンサニージャ伍長が兵器を片付けるのを見守り、移動車に戻ると、すでにアトセ一等兵とスービサ一等兵は戻って席についていた。
「それは残念だ。俺はソラルが好きでな」
「ははは。それは同感ですね」
移動車がぐらりと揺れたかと思うと、開きっぱなしだった天井を越えてマンサニージャ伍長が飛び乗ってくるところだった。彼は自分のシートにすっぽりと納まると、カサデテ兵長に合図し、自身は開いている天井をひょいと閉じた。
「先ほどの兵器は何なんですか?」
空調も利いてきていい頃合になってから思い切って尋ねてみる。わたしの予測が正しければあの兵器に関しては拠点に帰ってから三人のアルツに尋ねたほうが的確な返答が返ってくることだろうが、どうしても今聞きたかった。
「初めて見るだろう? あれはアルツと我らの部隊で共同開発した武器、ソラルだ。見ての通り、外気の熱を熱線に転じて敵を消す」
共同開発? あの武器の開発には我々ヴィベレスも手を貸しているのか。それにしても従来の武器とは比べ物にならないほどスマートで洗練された武器だ。相手を苦しませずに殺すという点でもヴィベレスの作る武器とは一線を賀している。
「あれの姉妹品でルナレナというものもある。これは冷気を発射する武器だが、仕組みはまるで違う。その辺りはサニーか、アルツに聞くといい。開発したのはこいつらだ」
わたしは失礼ながらも驚いてマンサニージャ伍長を見てしまった。彼もわたしのその反応が予想ついていたのか、苦笑した顔でわたしの視線を受け取っていた。しかし、こんなにだらけた格好の兵があんなに素晴らしい兵器の開発に携わっていたなんて俄かに信じがたい。だが、人を外見で判断してはいけない。そうだ。マンサニージャ伍長は普段はこんな格好だが、工学知識はすごいのかも知れない。
「まぁ、そのあたりの技術的な話はまた今度」
「デハルア少佐!」
へらりとしたマンサニージャ伍長の返事に頷きかけたところで、カサデテ兵長が珍しく焦った声を上げた。デハルア少佐は何事かと冷静な声で尋ねている。
「デマイス・アルツです!」
何かと尋ねる前に、移動車が激しく横に揺れ、わたしは舌を噛まないうちに口を閉じた。そのまるで移動車を殴りつけているかのような振動は数度に渡り、わたしは反射的に頭を両手で抱えた。
「カサデテ!」
「数が多すぎます! 目視だけでも五人!」
好奇心から強化ガラスの外を見やると、近すぎず遠すぎない距離に白い髪に白い肌、そして赤い目のアルツが数人こちらを睨み付けるようにこちらを見ていた。ここからでも、そのアルツが武装し、攻撃の意思をあらわにしてこちらを見ている様子が分かる。
「くそっ。準備をしろ! サニーはルナレナ、アトセとスービサは自分の武器だ」
混乱しているわたしには"デマイス・アルツ"が何なのかは分からなかったが、デハルア少佐を含め、この移動車の中にいるメンバの様子から、外にいるアルツが敵であるということは認識した。
しかし、わたしは生まれてこの方前線で戦ったことはない。それに加え、相手は戦闘に長け、我々ヴィベレスを喰らう化け物。わたしは震えている手に気付き、きつくその手を握りこんだ。
* * *
元来ヴィベレスは好戦的な種族だ。戦場の血や埃っぽい臭いを好み、目標を達成したときの達成感は何ものにも換えがたいものであるという。しかし、ヴィベレスでありながら戦うことをしてこなかったドクトルのわたしにとってしてみれば、戦場ほど野蛮で危険極まりない場所は存在しない。
「カサデテ! 拠点にコール!」
「もうしました! お三方はもう出たとの連絡も入っています!」
"デマイス・アルツ"というものが何なのか知らされぬ内に、危険はどんどんと迫ってきていた。わたしは何をしていいのか分からず、指示を出しているデハルア少佐を見やった。しかし彼も自分の準備に忙しく、わたしのことなど忘れてしまっているかのような様子だ。
「コルベタ、ルナレナですっ。近距離タイプのものですから、攻撃可能範囲は三〇。掃射は最長二カンマ五秒、連射は五発で留めて下さいっ」
「制限が多いな。改良の余地アリ、だ」
マンサニージャ伍長の差し出しているルナレナは、先ほどのソラルを髣髴とさせる筒状をしていたが、その長さは肘から指先ぐらいまで。腕に固定するのか、大げさな固定具が付属している。デハルア少佐がそれを腕に装着する様子を眺めていると、マンサニージャ伍長はわたしにもそれを差し出してきた。
「使い方はコルベタに聞いて下さい。コルベタ! 予弾は一千しかないですからね!」
「ちっ、準備の悪い」
デハルア少佐は筒を固定したほうの親指を上に跳ね上げると、筒の肘に近い部分がカチリと小さく開く。そこにマンサニージャ伍長から手渡された予弾と思われる手のひら大の金属の筒を縦に差し込む。そこまでしたところで呆けているわたしに気付いたのか、こちらを振り向いた。
「腕を出せ、テニエント。利き腕じゃないほうだ」
抗わずに腕を突き出すと、デハルア少佐は同じようにしてわたしの腕にルナレナを固定していく。そこではたと気がついたようにわたしの顔を見やり、驚いた様子で毒づいた。彼の口の中で完結していたその内容を聞き取ることはできなかったが、大体の察しはついている。大方、戦闘経験のないわたしを連れてきたことを後悔しているのだろう。
「使い方は単純だ。照準を合わせて撃つ。さっきのソラルのような感じでこれは冷気が発射される。決して銃身には触れぬこと。平均して三十発撃てば弾が空になる。そうしたら取り替える」
筒に挿していた筒が弾で、腕に固定された筒が銃身。一種のビーム銃か。引き金はデハルア少佐のように自ら装備している入力端末を使用するか、固定具に付属されている入力端末を使うかの二択だ。わたしは端末を装備していないので、固定具に付属している黒い金属の輪を親指にはめられる。
「これは撃ち殺す銃じゃない。凍らせる銃だ。そこだけを注意しろ」
軍服に付属しているポケットに予弾を数個押し込んでいると、移動車が再び横揺れする。今度はまるで試しているかのように数回。デハルア少佐が舌打ちする音が聞こえる。
「カサデテ!」
「デマイス・アルツまでの距離四〇。我がアルツは二〇〇。間に合いませんね」
どこにそんなものを持っていたのか、デハルア少佐はそのレンズに情報が投影されるゴーグルを装着していた。ゴーグルをするのは視界を確保するためでもあるのだろう。彼の利き手には手首固定式の鉤爪のような武器が固定されている。鉤爪は手首に固定されているから、手は自由に動かせる。その手には銀の指輪が目立つ。
「さて、始めますか? コルベタ・デハルア?」
「最後の別れをしておけよ、サニー」
最後の別れ……。敵のアルツよりも我々のほうが人数的には勝っている。しかし、わたしが足を引っ張る以上、こちらの戦力は五人にもならないだろう。つまり、これは負け戦か。アルツに対しては降伏などありえない。負けすなわちそれは喰われるということだ。
「アルマミア・カサデテ。お前にだけはやつらの餌にはしないから」
「頼もしいが、オレはお前が喰われるのを見たくない。無事で戻れ、マンサニージャ」
マンサニージャ伍長はパートナーのカサデテ兵長の利き手の中指の爪に軽く口付け、これで別れは済ましたと移動車の屋根に手をかける。その屋根を開いたら、この戦いは始まる。直感的にそう感じ、わたしは無意識につばを飲み込んだ。
「テニエント・カナエンテ。俺にはあなたを守る義務がある」
極度の緊張に包まれた車内で、デハルア少佐の声は妙に大きくわたしの耳に届いた。
「あなたはカサデテと車内に残るんだ」
移動車の屋根が開放された。マンサニージャ伍長が車を飛び越えて降りていくのが見え、わたしはとっさにそれを目で追う。
「シン・インシデンテ・ドクトル・カナエンテ」
呪文のように囁かれた言葉。わたしが振り向く前に、デハルア少佐はわたしの利き手の中指に口付けた。そして、わたしがものを言わないうちにひらりと車を飛び降りていた。
利き手の中指の先に口付ける。それは最愛、または最大の信用を与えるという証明だ。口付けをした者も受けた者も、相手を心から信頼し合っている証拠にそれを行うものだ。
「シン・インシデンテ? 信頼されていますね、テニエント」
「って……、どういう意味だが知らないんですが……」
きいんと耳鳴りがするような高周波音に振り向くと、マンサニージャ伍長がソラルを発射してアルツを威嚇しているところだった。アルツはまとまらず、それぞれ連携の取れた様子でこちらへと寄ってきている。彼らが走り出したらここまで来るのはすぐだ。しかし、それを拒むようにマンサニージャ伍長とデハルア少佐、そして移動車の反対側ではアトセ一等兵とスービサ一等兵が攻撃を加えている。
「無事であれ。アルツの言葉ですよ。あなたを大切に思う、とかそういう意味でも使われます」
わたしがあまりにも外の様子を気にしすぎてきょろきょろしていたからか、カサデテ兵長はあまっていたらしいゴーグルを差し出してきた。わたしはそれをありがたく受け取り、ルナレナのついていない利き手でそれを装着する。
「デマイス・アルツの運動能力に我々は勝てない……」
爆発音と共にソラルの五本の筒の内一本が破壊されたことがゴーグルに表示される。ソラルに関するエラー情報がゴーグルの端に流れていく。
「デマイス・アルツとは?」
「多種と交わることを拒んだアルツです。サンギネロ服用を拒否し、我々を喰らい続けているアルツ。アレは我々を狩り、喰らうことに長けていますから、身体能力は一般のアルツよりも勝るという話ですよ」
ゴーグルには戦況をより冷静に、より的確に分析した情報が流れていた。デマイス・アルツ五人の内三人がデハルア少佐とマンサニージャ伍長の方へ、残りの二人はスービサ一等兵とアトセ一等兵の側へ回りこんでいる。わたしも表へ立って戦わなければならない立場の人間だ。しかし、わたしの両足はわたしの意思に反して小刻みに震え、心臓はばくばくと鼓動を早めている。恐い。
「アルツ接近八〇! 後五分持てば……」
ゴーグルの表示を切り替えようとした瞬間、ソラルが再度爆発音を上げる。表示されたエラーによると、今度は全損に近い。マンサニージャ伍長がソラルを捨て、手に持った武器に切り替えている。しかし、もうデマイス・アルツは目前にいた。
彼らは我々ヴィベレスを生きたまま捕まえ、糧とするつもりなのか、その武器はいずれも刃物などといった超接近戦用のものばかりだ。しかし、彼らの身体の大きさと身体能力を持ってすれば武装したヴィベレスなどナイフ一本でも充分なのだろう。デマイス・アルツの攻撃には容赦がない。
「クソ……! サニー!」
カサデテ兵長の悲鳴に近い声がわたしをふと現実に引き戻した。いつの間にか思考に囚われていたらしく、唐突に現実に放り出されたような感覚だ。ゴーグルをしているのも忘れ、マンサニージャ伍長のほうへ顔を向けると、彼が負傷している姿が目に入る。濃い緑のつなぎが彼の血で赤黒く染まっているのが遠目にも分かる。
「テニエント・カナエンテ! どうする気ですかッ!」
気がつくと、わたしは立ち上がり、移動車の椅子に乗り上げると、腕に固定されていたルナレナを一人のデマイス・アルツへと向けていた。それを意識する前に引き金がわたしの腕の動きを感知し、ルナレナが放たれる。
「テニエントッ?」
肩に怪我を負ったのか、マンサニージャ伍長が肩を庇いながら驚いた様子で振り返る。
わたしの撃った一撃は運よく狙ったデマイス・アルツの足元に当たっていたらしく、そのデマイス・アルツの片足を地面に凍りつかせていた。ルナレナの一撃は当たった場所だけでなく、その周囲も凍らせる威力があるのか、その地面がひんやりと凍り固まっている様子が見える。
「大丈夫ですか? カボ・マンサニージャ」
問いかけながらも、わたしは足を固定したデマイス・アルツへルナレナの銃口を向け、すぐにでも発砲できるスタイルをとっていた。足を固定されているデマイス・アルツは靴を咄嗟に脱ぐこともできず、手に持ったナイフで足元の氷を削ろうとしている。
しかし、そこへ別のデマイス・アルツがやって来て彼のフォローをする。だが、その間に負傷したマンサニージャ伍長とデマイス・アルツの間に距離を稼ぐことに成功する。
「殺せない人が戦場に立つのは危険ですよ、テニエント」
足を凍らせて満足していてはいけないということか。それはわたしも理解している。相手はこちらを捕まえる気で来ているが、こちらは相手を殺す気でかからないと勝てない。それほどまでに相手との力量が違う。しかし、軍人でもないわたしにどうしたら殺せる?
「いいから、カボ・マンサニージャは移動車へ。援護して下さい」
わたしが少しでも時間を稼がなければ。カサデテ兵長は"後五分"と言っていた。後五分だけ耐えられれば、我々の援軍がやってくる。そうすれば助かる見込みはある。わたしなんかでも時間稼ぎができればそれでいい。
マンサニージャ伍長が移動車に乗り込むのを確認し、わたしは入れ替わりで移動車を降りる。これで本格的に戦場に降り立った。気分は最低。足はまだ震えている。しかし、わたしにはやらねばならないことがある。
「テニエント! 危ないっ!」
視界の隅に白いものが過ぎり、わたしは反射的にルナレナをそちらに向けて放った。しかし、それはそのすばやさの前ではなんの意味もなさなかった。
ガツッと頭に衝撃。視界が揺れて地面に倒れる。受身も取れず倒れた衝撃で肺から息が抜ける。全身を衝撃が襲ったが、直後にその身体が宙へ浮く感覚に目を開ける。面前には白と赤。デマイス・アルツの顔があった。
「ヨ・アサバル・アヴァイデ・ヴィベレス!」
軍服の胸倉を掴まれ、わたしは地面から持ち上げられていた。服を掴まれていることでのどが絞まり、苦しかったが、文句の一つも言えるような状況ではない。これは最低な状況だ。時間を稼ぐヒマもなく捕まるとは。
「テニエントッ! テニエントを離せ! この化け物がッ!」
デマイス・アルツの赤い目はわたしではなく、移動車から叫んでいるマンサニージャ伍長へと向けられているようだ。わたしはルナレスの装着されているほうの二の腕を掴まれているらしく、その痛みに奥歯を噛む。
「トランクイリザドル。ヨ・アサバル・ヴォソトラス」
美しい声で紡がれるアルツの言葉はわたしには理解できなかったが、デマイス・アルツがにやりと作った笑みに背筋が凍る。"狩られる者"としての本能が目の前にいる"狩る者"への恐怖を駆り立てる。喰われる。殺されるよりも尚悪い、喰われるという最期。そんなのは嫌だ。
「きゃああぁああっ!」
布を裂くかのような悲鳴。この声はスービサ一等兵だ。ゴーグルにアトセ一等兵が負傷した旨が流れた。向こう側にはデマイス・アルツが二人行っていたはずだ。こちら側が一人負傷。つまり、向こうの二人が捕まるのも時間の問題だ。それも、すぐ。
覚悟を決めなくては。少なくともわたしはまだ怪我をしていない。まだ戦える。わたしが戦わなければ、全滅は必死だ。確かに援軍は近づいているのがゴーグル内の情報で分かる。でも、それでもまだ時間が足りない。軍人のペア制度は何のため? ペアになった者の為に戦う為だ。
「デマイス・アルツ?」
自分で思っていたよりも小さくか弱い声だった。しかし、その震える声は確実にわたしを捕らえているデマイス・アルツに届いていた。赤い目がわたしを捉える。
「……後悔しろ」
掴まれている二の腕は痛かったが、掴まれているのは二の腕だけだ。肘から下、ルナレナは自由に動かすことができる。こんな近距離でルナレナを放って、わたしが無事であることはまずないだろう。だが、そうするしか他に方法はない。というよりは、思いつかない。
わたしはじっとデマイス・アルツを見つめたまま、ルナレナを彼の身体に押し当てた。そして、親指を弾く。
「なッ……!」
デマイス・アルツが掴んでいたわたしの胸倉を離した。わたしは間抜けにも地面に転がったが、それどころではなかった。寒さで死にそうだ。
「テニエント! 何をやってるんですか!」
マンサニージャ伍長の悲痛な叫び声が遠くで聞こえているかのように遠い。それよりも、ルナレナの装着されている腕が動かせない。冷たいような気がするのだが、痛覚が麻痺しているのか、どうなっているのか分からない。指一本を動かすこともできず、わたしは地面に横たわっていた。
「ヴォソトラス・ヴィベレスッ!」
わたしが撃ったほうではない別のデマイス・アルツの怒声が響く。ルナレナを近距離で撃った反動で動けなくなっていたわたしも、流石に身の危険を感じて身体を動かす。しかし、地面に接地しているルナレナを含む腕が動かない。まるで張り付いてしまったかのようだ。どうなっているのかと顔をめぐらして見ると、そこには文字通り地面に張り付いたわたしの腕があった。
「あっ、テニエント! 伏せろッ!」
朦朧としていたわたしの頭では何がどうなっているのかの状況判断を下すことはできず、ただ言われたとおりに起こしたばかりの頭を伏せた。次の瞬間、すでに視界に入っていたデマイス・アルツの姿が掻き消える。
「ドクトルッ! ドクトルはッ!」
恐怖でなのか、寒気でなのか、奥歯がカタカタゆっている音が聞こえる。地面に張り付いた腕の感覚はなく、だんだんとその真横にある胴体までもが凍ってきたような感覚を覚える。このまま放置されればまず間違いなく死に至るだろう。
「アサングレフレイア! ドクトル!」
ぼやけてきた視界に、白いものが映る。言葉と色からして、またアルツかと恐怖に肩を震わせていると、両目一杯に青灰色の瞳が入ってくる。これは、違う。
「アルマブランカ、残りを一掃するのが先だ」
目を開けているのが辛い。しかし、今目を閉じたらもう二度とあけられないような気がして、開いているほうの腕を動かす。しかしそれも微々たるもので、ピクリと動かす程度だ。
「ドクトル……。シン・インシデンテ」
白い肌に白い髪、そして青灰色の眼。そうだ、あれはアルマブランカだ。
そうと認識した途端、わたしの意識は途切れていた。