潜入捜査
「ドクトル・カナエンテ」
低いバリトンの声で名を呼ばれて振り返ると、そこにはパルテ=ノルテ・テガムリア候、つまるところわたしの上官が一部の乱れもなく完璧な姿勢で立っていた。つい気を抜いていたわたしは焦って、思わず出しそうになっていた声を辛うじて引っ込めた。
テガムリア候はこのパルテ=ノルテ国で十三人いる王族の一人で、主に軍をおまとめになっている方だ。専攻は軍事戦略と、ヴォラシダッドにおける環境。あとは詳しく覚えていないけど、捕食者に関する論文もお書きになられていたと思う。
「改める必要はないよ、ドクトル。貴方は軍人ではない」
「お言葉ですが、パルテ=ノルテ・テガムリア候。軍人でなくとも、あなた方王族に対して無礼な真似は出来ません」
テガムリア候はいつも上等な軍服にその身を包み、腰には立派な装飾の施されているパルテ=ノルテの宝剣を帯刀されている。鋭い目つきだが、その口元には始終笑みがあり、多くの部下に好かれている良い上官だ。
わたしはその称号が多くを語るように、軍人ではなく博士。ドクトルという称号はこのテガムリア候に頂いたものだ。彼の研究とわたしの研究の多くは違う分野だったけど、彼はわたしの功績を認め、軍人よりも上でありながら平民と同じ立場である、ドクトルという称号を与えてくださった。
ドクトルという称号を持つ者は強制軍属されることがなく、国から研究費用をもらって自分の研究を続けることの出来る、すばらしい立場だ。
「ドクトル。折り入って頼みたいことがあるんだが、ちょっといいかな」
「何でしょう? わたしでお役に立てることでしょうか?」
テガムリア候に連れられて入ったのは、彼の半私室でもある第七作戦室。ここの部屋だけはメインAIに接続されていない完全なスタンドアロン設備で構成されていて、この部屋で行われることは国王にすら情報がいかない。告解室と呼ばれる部屋だ。
「貴方は軍人ではない。そうだね?」
「はい。テガムリア候、あなたがこのドクトルという称号を与えてくださいました」
この第七作戦室に入ることが出来るのは、持ち主であるテガムリア候を含め、わたしのようにドクトルという称号を頂いたものか、あるいは他の王族の方だけだ。作戦室という名がついているのにもかかわらず、この部屋に軍人は入れない。それは、軍人にはチップが埋め込まれているからだ。
「だが、一つだけ頼みがあるんだ、ドクトル」
軍人は必ずペアでの行動を義務付けられている。それは互いに互いの行動を監視させ、規律を高めるためと、もう一つ。寝食を共にする仲間がすぐ隣にいて敵と向き合った場合、その者たちは自分のパートナを守るために死に物狂いで戦う。そういう目的で軍人は二人一組での行動を義務付けられている。
そしてもう一つ軍人に義務付けられているのが、チップの埋め込みだ。このチップは自動で気にその者が所属している部隊属のAIと通信し、作戦行動中に起こったことなどを報告、レポートとして提出する。すべてAIが自動で処理を行うため、兵士の雑務処理がなくなり、彼らは自分の任務により集中できるようになった。
ただそのチップには問題があり、知られたくないことや秘密にしておきたいことなどもすべて報告としてAIにあがってしまう。そのため、内密な行動をする場合などはチップが邪魔となるのだ。
「貴方は癸六五一二部隊をご存知か?」
「癸、ですか? わたしは丁までしか部隊を知りませんが……」
「あぁ、そうか。貴方は我が軍についてあまり詳しくないんだったか」
我が国パルテ=ノルテは軍事国家だ。王家の人々はすべてが学者であり、研究者だが、その下に属する平民はすべてが軍人で構成されているといっても過言ではない。このヴォラシダッドから外宇宙へ人を送り込んでいるのも、半分以上が我が国だ。
ヴォラシダッドにおける宇宙戦略には民間が口を挟む余地はなく、すべてが規律によって定められ、軍によって統制されている。統合的な指揮を執っていらっしゃるのは、パルテ=ノルテ・ワトネッタ候を中心としたヴォラシダッド星各国の王族の方々だ。
「えぇ。申し訳ございません。勉強不足で」
「いや、何も恥じることはない。では少し説明をしようか」
パルテ=ノルテ国軍でも、テガムリア候の統治するのは乙と丙。総部隊数にして二千を超える部隊の総指揮をとられている。国軍は大きく甲、乙、丙、丁と四つに分かれ、甲はワトネッタ候の直属と、アイレフス候の技術部隊が占める。乙、丙はテガムリア候の戦闘要員で、丁はサッセロフ候が総統なさっている部隊だ。
「甲乙丁の三部隊は対宇宙部隊が九割以上を占めることは知っているな?」
「はい。甲の一部の部隊は宇宙へは出ず、このパルテ=ノルテのアイレフス候の元にいると聞いております」
テガムリア候の指揮される丙に所属する部隊は、他国からの攻撃を防ぐために地表、本国へ配置されている。ヴォラシダッド内におけるパルテ=ノルテ国領地は決して狭い訳ではないので、国軍の中でも丙に所属する兵士が一番多い。
甲の中には大きく分けて二つ。対外宇宙作戦の指揮系統に属する兵と、技術工兵とで構成される。技術工兵は全部隊が宇宙へ出ているわけではなく、三分の一程度は地表にいると聞く。その役割としては技術開発であって、わざわざ宇宙に出ずともできる仕事をしているというわけだ。
「そうだな。そこで、癸六五一二部隊だ。癸というのは聞いたことがないと言ったな」
「ええ。国軍は四つに分かれている、という風にしか聞いたことがありません」
宇宙へ進出する前はもっと細かく分かれ、甲乙丙丁戊己と六以上に分類されていたと歴史の時間に学んだような覚えがある。しかし、宇宙に進出するようになってからは大きな分類で分け、その配下を細かい部隊を作ることで分けているという話だ。
もしかしたら歴史のどこかには十番目である癸も登場したことがあるのかもしれないが、少なくともわたしの知識の上には存在したことはない。
「癸は一般には公表していない、対捕食者専門部隊所属名だ」
捕食者。わたしたちと同じ姿をしているにもかかわらず、わたしたちを喰らい、糧とする種族だ。
古来からこのヴォラシダッドには同じ外見をしているが、性質の異なる二つの種族が存在した。その一つが我々であり、もう一つが捕食者と呼ばれる者たちだ。
我々のパルテ=ノルテ国は捕食者の生息地域からは遠く、彼らの区域までにはいくつもの国をまたぐために、捕食者の脅威に晒されたことはあまりない。過去に捕食者の軍がその間にある国を滅ぼし、攻めて来たこともあったが、ここまで来るのに疲弊していた捕食者を殲滅するのにそれほど被害を必要とはしなかったそうだ。
「現代にもなって、捕食者が我が国にまで来ることがあるのでしょうか?」
「そういう風に考えるよう仕向けたのが我々だ。実際は捕食者による被害は増えている」
捕食者は言語を解し、外見も我々と大差ない。つまり、我々を糧とするだけで、他に変わることは一切ない。ただその文明の進化は我々よりも一歩二歩遅れを取っているという話だったが、それも今の話を聞いた後では信憑性に欠ける。
「奴等は狡猾だ。外見面では我々と大差ないことを武器に、我々の社会に紛れ込んできている」
「それを狩るのが、癸……」
好戦的な種族というのは滅びる存在であると、他の星の生命体が言っていたような気がする。確かに我々は文明が栄えてきた今日であっても、他国に攻め入り、滅ぼそうと躍起だし、捕食種を自己防衛という名目で狩り殺す。一国の中でさえ、王族同士の争いは耐えない世の中だ。このままこんなことを続けていれば、いずれすべてが滅び去っても不思議ではない。
「そうだ。今のところ癸は誰が統治するという決まりがなく、無法状態だ。本来ならば先王ターレソンに属していたのだが、彼が亡き後継ぐ者がいない状態が続いていた」
先王ターレソン陛下はカリスマ的に軍人から人気のあった王族で、彼の代には二回も隣国との戦争が勃発した。外宇宙への戦略チームに我が国があそこまで顔を利かせているのも、先王の所業があってこそだ。
「しかし癸と言えど、このパルテ=ノルテを守る軍だ。ならば治めて然るべきは私に他なるまい」
「なるほど。ではその癸六五一二部隊というのは?」
正直わたしは嫌な予感がしていた。わたしはドクトルであって、軍人ではない。ましては王族でもないのだから、このような話を聞かされるということは、確実に隠密役をやらされる。しかし、テガムリア候には恩義があるし、忠誠を誓っている。候が頼むといえば、わたしはどんなことでもするだろう。
「今のところ癸の全部隊はAIが統治統制を執っている。しかし、六五一二部隊だけがそのAIに従わず、クーデターが起きる可能性が出てきた」
「AIに従わない? チップレスの兵ではないのでしょう?」
チップの入っている兵がAIに従わない場合、AIが上官に報告し、罰則が加えられる。命令違反が続くと極刑に処される場合もあるのだから、クーデターが起こる前にその部隊は全滅してもおかしくはない。
「六五一二部隊の四分の一がチップレス。残りはAIの手を免れる術を見出したらしい」
四分の一もチップレスだって? それではまるで直属で指揮を執っていた王族がその部隊に所属していたのではないかと思うほどの割合だ。普通は一部隊にチップレスがいたとして一人か二人。多くても二桁にはならないはずだ。
しかもAIからのアクセス拒否の手段を見つけただなんて、そんな話は聞いたことがない。
「ドクトル。貴方にこの癸六五一二部隊を見てきて欲しいんだ」
確かにこの任務はわたししか出来ないことだろう。テガムリア候からしてみると、チップレスによって反乱が起きたところへわざわざチップレスを送り込みたくはないのだろうし、だからといって自らで向くことも出来ない。そうなると、ドクトルが出てくるのだけど、相手は軍人とAIだ。その両方を相手に出来るドクトルがテガムリア候の手の内にいるかと訊かれたら、恐らくわたしが筆頭に出るだろう。
「頼めるだろうか?」
「あなたの頼みを断れる者がどこにおられましょうか」
「そう言ってくれると思っていたよ。ドクトル、すまないが今回ばかりは身分を伏せて潜入して欲しい」
テガムリア候は流石に戦略のエキスパートだけあって、わたしが考えの及ばなかった箇所にまできちんと考えた計画が練られていた。
そして、わたしはカナエンテ中尉として癸六五一二部隊に潜入することとなった。
* * *
「デハルア少佐。こちら、カナエンテ中尉です」
下級兵士に案内されて通された先は、隊長質と無機質に表示されている無機質な部屋だった。テガムリア候のおられた建物と違い、観葉植物や装飾の類は一切なく、まるで宇宙船のように実用一辺倒なものだった。これはこの拠点全域にわたりこのような感じで、およそくつろぐことなど想定もしていないような設計だ。
「本日付で癸六五一二部隊所属になりました、カナエンテ中尉です。よろしくお願いいたします」
隊長室には大きな執務机と、それに付属している端末機のスクリーンがこちらからは見えないように配置されている。そのスクリーンの向こう側、執務机のセットになっている椅子に座っているのが、デハルア少佐。この癸六五一二部隊の部隊長であり、今回のクーデターの首謀者と見られている。今回のわたしの観察対象だ。
「テニエント・カナエンテ。ようこそ、癸六五一二部隊へ」
黒い前髪は長く中央で二つに分け、後ろ髪は規則に反しない程度の長さで留めている。目と眉は下がり気味だが、印象は悪くない。肌の色も健康的だし、白目部分もちゃんと白い。隊長はよさそうだし、薬とかもやってはいなさそうだ。軍服はそれなりに個性を出した着こなしで、濃い茶色とも緑とも見える正規のシャツの下に黒いハイネックのTシャツを着ているようだ。シャツの袖からその下の黒いシャツがはみ出て、手のひらが半分くらい隠れている。
「歓迎感謝いたします、コルベタ・デハルア」
面白いことに、このデハルア少佐、その袖で隠した両手の全部の指に銀の指輪をはめている。もしかして、このハイネックの下には銀の首輪があるのではないだろうか?
この指輪と首輪は、身体を機械化させていない者が使用する入力装置の一種で、指輪が指の動きを感知し、その動きから端末へ入力を行う。首輪はそののどの振動から音声を認識し、その音声から入力を行うものだ。指輪と首輪を合わせれば一度に三つの入力を同時に行うことが出来る。つまり、デハルア少佐はチップレスだ。
「さて。我々はあなたをどうしようか悩んでいるんだが、あなたは何をしに来られたのかな?」
疑うのも無理はないだろう。テガムリア候直属の丙所属部隊から突然に癸への移動という形で送られてきたんだ。どう考えてもテガムリア候の犬。観察役だというのがバレバレだ。向こうもそれを指摘して訊いてきたのだろうが、こうなることはちゃんとテガムリア候が想定されている。
「わたしの任務はこの癸六五一二部隊の視察です。我がテガムリア候は癸の総司令官となられるだろうお方です。テガムリア候は現状の癸をお知りになりたいとおっしゃられておられます」
要するに、テガムリア候が癸を受け継ぐつもりでいるから、そのための下調べをさせろということだ。恐らく以前に他の王族の方が同じようなことをされたのだろうが、癸がどこにも属していないということはその試みのどれもが失敗したということだ。失敗というのはつまるところ、視察員が殺されたり、直接的に拒否の声明を出されたかのどちらかだろう。
「何故テガムリア候が?」
「今本国パルテ=ノルテの警備に当たっているのは丙の部隊です。丙の部隊はテガムリア候の直属。つまり、癸もテガムリア候が統治すべき、と」
わたしが軍服を着るのは何も初めてのことじゃない。でも、そう滅多に着ることのない正規軍服をこうして身にまとい、しゃちほこばって口上を垂れるのは正直趣味じゃない。わたしはドクトルだ。研究するのが仕事なのだから。
「で、テニエント・カナエンテ? あなたは見るだけでいいと?」
「そのように伺っております」
わたしの頭にはチップは入っていない。でも、目には記録用のチップを挿入している。記録用のチップは外部との通信を行わないので、自分で端末へとデータをダウンロードさせない限りはチップ内部のメモリに保存されたままだ。メモリの容量は節約して使っても一週間程度。週末にはデータを吐き出さないとメモリオーバーフローしてそれ以上記録できなくなってしまう。しかしそれでも、自分が見たものをあとでデータで確認を出来るのだから重宝している。
「まぁ、テガムリア候の考えることだからきっと、AIに関する調査だろうね? そうなると、あなたは差し詰め技術工兵?」
流石にチップレスで己の頭を使うことに長けている兵だ。建前の言い訳には騙されない。
「ここの隊の四分の一はチップレスだ。そのあたりの事情を探りに来たのだろう? テニエント・カナエンテ。それとも、セパドル・カナエンテ?」
確かに軍人から見たらドクトルなんて戦いもせずのうのうと研究を続けるだけの邪魔者だろう。しかし、こちらにもプライドというものがある。一介の技術工兵と同じにされるというのはなんという屈辱!
しかし、身分を明かすなというテガムリア様の命令だ。こういう状況時には技術工兵のフリをしていろとも指示されている。
「中尉であることには変わりはないでしょう? コルベタ・デハルア」
「それはそうだ。では改めまして、テニエント・カナエンテ。きっとあなたの頭の中にチップは入っていないのだろうね?」
わたしが送られてきた理由までは分かっても、わたしが何者かまでは見抜けないか。それはそうだ。わたしはドクトルといえど、長年テガムリア候の元で働いてきた。テガムリア候の元では、軍隊式でなかったことなど何一つない。わたしはドクトルであって軍人でもあるのだ。
「コルベタ・デハルア、あなたと同じようにね」
癸六五一二部隊でわたしを殺すとしたら、恐らく彼しかいないだろう。デハルア少佐。わたしの予感が正しければ、彼はきっと大罪を犯している。軍人にとって、犯してはならない大罪を。
* * *
「テニエント・カナエンテ。あなたは捕食者の生態系を知っているか?」
捕食者についての情報は少ない。最近知った事実だが、それは王族が情報コントロールを行っているからだ。我がパルテ=ノルテは捕食者の住まう地域とは遠く離れている所為か、捕食者から与えられる恐怖というものが少なく、どちらかと言えば近隣国家の方が身近な危険だった。それも手伝ってか、王族の情報コントロールは見事に功を奏した。
国民に与えられる情報としては、捕食者は我々を糧として生きている生物であること。そして、彼らは我々ほど高度な文明を有してはいないということだけだ。
「詳しいことは何一つ知りません」
「そうだろう。そうでなくてはこんなところに好き好んで来たいとは思わんだろう」
デハルア少佐は自らわたしの案内役を買って出て、拠点内を案内してくれていた。彼はそのシャツで手を隠しながら、きびきびと無機質な廊下を歩いていく。その言動はあまり軍人らしくない。それに、彼は軍人として重要なものが欠けていた。
「我が国は捕食者に対する知識に欠けている。まぁ、そうすれば民の視線は宇宙に向く。その方が国家の政策としてはやりやすいのだろうがな」
そう言われてみれば、我々は捕食者がどういった生活様式で生きているのかも、言語を解すのかどうかも知らない。ただ単に我々を糧とする野蛮な動物であるかのような漠然とした知識しかない。これは疑問に思って然るべきなのだろうが、今までそんなことを疑問に思ったことなどない。
「ヴォラシダッド全域の地図を見たことは? テニエント・カナエンテ」
「地図なら何度か」
テガムリア候は優秀な戦略家だ。彼の作戦室にはいくつも様々な地図が表示されている。その中には宇宙図面もあれば、このヴォラシダッドの地図もあった。地表の高低差の描かれた立体地図すらあったはずだ。
「では映像では見たことはない?」
映像で見た覚えがあるのは、パルテ=ノルテの領地内だけだ。その代わり、その映像はあまりにも詳細で、そこに立っている人物が誰で、何をしているかすら見て取ることができるような代物だった。それもこれも、兵を管理し、国家の安全を守る丙を指揮するテガムリア候には必要な情報だろう。
「全域のものは見たことがありません」
「ではこれを見たら世界が変わる」
デハルア少佐が入っていったのは、戦略室と銘打たれた部屋だった。部屋の中の様子から考えて、頻繁に利用されているところなのだろう。数人の軍人が端末に向かってなにやら処理を行っている様子が伺える。わたしたちが入室すると、彼らは作業を止め、デハルア少佐に注目した。
「紹介する。丙三七一部隊からウチへ移動になったカナエンテ中尉だ」
「"レイゾン"部隊? 今度は何の用で来られたんです? デハルア少佐」
レイゾンとはまた……。レイゾン部隊というのは、このパルテ=ノルテが国家として独立したときの戦争で暗躍したとされる"存在しない"部隊の呼称だ。レイゾン部隊は特殊な能力を持った者で構成され、終戦とともに解散し、闇から闇へと葬り去られたという話だ。と言っても、レイゾン部隊は伝説であって、それが存在したという証拠は一切ない。だからこそ"存在しない"部隊と呼ばれている。
わたしが所属していた部隊名を"レイゾン部隊"と呼んだその男は、軍規に引っかかりそうな長さの髪で顔の半分ぐらいが隠れていて、帽子をかぶっていた。軍服もだらしのない着こなしで、多めに見ても規則違反だ。
「今度も同じだよ、ツエルタ。テニエント・カナエンテ、彼はツエルタ軍曹」
「どうも、"クリオセアル"・テニエント・カナエンテ。私はツエルタ軍曹。お目苦しい格好で申し訳ないですが、醜い顔をしている故、お許し頂きたい」
ツエルタ軍曹の口ぶりからでは、ふざけているのか、まじめに言っているのかハッキリと判断がつかない。しかし、デハルア少佐がたしなめる様子もないのだから、彼はきっといつもこんな感じなのだろうと判断する。
しかし上官に対して"クリオセアル"? クリオセアルとは過去に実在した人物の名前で、偉大な功績を讃えられて"プレサリオ勲章"を受賞した数少ない軍人だ。ただし、彼の名は軍人の隠語の一つとして使われる。正当な意味だと、"偉人"や"英雄"、ブラックな言い回しだと"覗き屋"や"監視役"などを指す言葉だったはずだ。
「テニエント・カナエンテで結構です。サーゲント・ツエルタ、それは怪我ですか?」
ツエルタ軍曹の顔を隠す髪の下には、ちらちらと包帯のようなものが見え隠れしている。彼自身"醜い顔"と言っていたぐらいだから、きっとその包帯の下は生まれつきの痣があるとか、怪我をして酷い有様になっているかのどちらかだろう。そのどちらにしても現代の医療だったら簡単に消せるはずだが、消していないところを見るとなにやら事情があるのだろう。
「ちょっとした事故からこのような姿になってしまいまして。"アンティファヅ"のようですが、生活できるので良かったと思いますよ。ただ、不便ではありますがね」
今度は"アンティファヅ"。アンティファヅというのも歴史上の軍人の名前だ。アンティファヅは対捕食者戦争時に捕食者によって拉致され、生きたまま身体の半分以上を喰われたのにも係わらず行き続けたという人物だ。
どうやらこのツエルタ軍曹は歴史オタクで、皮肉好き。おまけに頭の回転もよさそうなタイプだ。彼が何を言うにも、言葉の中には二、三含むところがある。彼と話をするときは用心するに越したことはなさそうだ。
「それは、捕食者との戦いで?」
「そう、この拠点における戦いは常に命がけであるということでしょうね」
肯定はしないということか。デハルア少佐の態度から考えて、ツエルタ軍曹にはチップが入っているとは思えない。とするとツエルタ軍曹の怪我は脳内チップを無効化させるために何らかをしたという証拠にもなりえる。これはよく調べておかなくてはならないだろう。
「あぁ、テニエント・カナエンテ。こちらは私のパートナー、インテリノ軍曹」
「初めまして、カナエンテ中尉。インテリノ三等軍曹です」
インテリノ軍曹はツエルタ軍曹に比べて無口そうで、いかにも軍人らしい風貌の男だ。髪は短く刈り込み、その目は鋭く何事も見逃さないとばかりにあたりを観察している。軍服もそうあるべきという着こなし方をしている。彼がツエルタ軍曹とペアなのはどことなく判る気がする。
「よろしく、サーゲント・インテリノ」
「さて、紹介も済んだところで、テニエント・カナエンテに地図を見せてやってくれ」
不意に目の前にあったテーブルの真ん中に浮かぶようにしてヴォラシダッドの立体映像が表示される。それがデハルア少佐の声に反応して表示されたのか、それとも他の誰かが操作したものなのかは判断がつかなかった。
「外から見ると、我らパルテ=ノルテには大きな宇宙港があるからとても目立つ」
ぐるぐると回ってみせるその立体映像には、巨大な都市が強調されているかのように白く見える。わたしは宇宙へ出たことがないから、それが誇張なのか、それとも実際そのように見えているのかは分からない。しかし、このヴォラシダッドには少なくとも四つ、宇宙港を持つ都市があるはずだ。
だが、おかしい。この立体映像には五つの宇宙港を備えているか、あるいはそれに匹敵するほど巨大な都市が存在している。
「宇宙からも見えるほどの巨大都市を所有するのは、パルテ=ノルテ、デステ・ロアルタ、アビスメイル、セレステ。そして、ここ」
デハルア少佐はわたしの様子を伺うように見つめながら、立体映像の一部分を指さした。すると、回転していた立体映像の動きが止まる。
「"アリミエントス"」
そんな馬鹿な。アリミエントスは捕食者の領域の名称だ。しかし、デハルア少佐が指差しているのは、明らかに捕食者の区域。我々側が唯一侵略することの出来ない地域だ。
「この事実を知っている者は少ない。これは、どこの国でもな」
誰かが操作しているのか、立体映像がアリミエントスに焦点を定め、そこをずんずんと拡大表示していく。まるでテガムリア候の所有しているパルテ=ノルテの立体地図のようだ。だが、そこに映っているのは我々の国ではない。
「これはレギア=アリミエントス。"王の所有する"という意味の名を持った捕食種の中央拠点です」
音もなく男が一人入ってきた。反射的に警戒心を強めて振り返ると、そこには白髪が規則違反にもほどがあるほど長い髪の男が優雅にたたずんでいた。その格好は軍服ではなく、その物腰も軍人らしいものではない。顔立ちもどこか上品で、王族を髣髴とさせる印象の持ち主だ。しかし、こんな白髪の王族はいない。
「失礼ですが、あなたは?」
「私はアルタネラ。こちらではゲストとして滞在させていただいている異国の者です」
この拠点に他国のゲストが存在しているなんて聞いたことがない。大体、我が国は他国の者を受け入れたりするような余裕はなく、常に鎖国状態にあったはずだ。他国籍の者が国領へ侵入してきた場合は、有無を言わさず射殺してしまっても問題がないはず。そういう風に決められている。
しかし、このアルタネラという男は確かにパルテ=ノルテの人間とは思えない。こんな白髪はこの国では見かけないし、何より雰囲気が違う。この国でこんな雰囲気を持っているのは、王族くらいだ。
「初めまして、ファヴォル・アルタネラ。わたしはカナエンテ。……カナエンテ中尉です。あなたは捕食者について詳しいのですか?」
わたしが捕食者について知っていることなどほとんどが嘘なのだろう。だが、この男、アルタネラは捕食者について詳しいような口ぶりだ。もしかしたら、他国の捕食者研究者かもしれない。
「そうですね。詳しいかと訊かれれば、詳しいです。あぁ、そう、少なくとも、貴方よりは」
人を食ったような物言いに、どこか含まれる意図を感じる。詳しい情報を得るには馬鹿のフリをして相手に喋らせるのが一番手っ取り早い。わたしはそうするべきだという直感に従い、自分の持っている知識を迂闊に口にしないよう封印する。
「では教えていただけますか? これが、何なのか」
立体のレギア=アリミエントスの映像を指さして問うと、アルタネラはそれを遠い目をして見遣る。
「レギア=アリミエントスは捕食者最大の都。捕食者社会における頂点に立つ者、つまり王の住まう都市です」
捕食者がこんな巨大都市を所有していたこと自体驚きなのに、それ以上に彼らがこのように我々と同じような社会を築いて生活しているということに更なる驚きを感じる。漠然と低能な我々の脅威としか認識していなかっただけに、彼らに我々と同様か、またはそれ以上の知識があるということにショックを覚える。
「捕食者……、この呼称は好きではありません。彼らのことは"アルツ"と呼ばせて頂きますね。彼らが自らのことをそう言うのです」
「アルツ……。では彼ら、アルツは我々を何と呼ぶのですか?」
「ヴィベレスと呼びます。このヴォラシダッドにはアルツとヴィベレスの二つの知的生命体がいるということです」
アルタネラがここまでアルツについて詳しいのは、やはり彼がアルツの研究者であるからだろうか。それとも、アルツと交流を持ったことがあるのだろうか? 言語などは直接研究対象と接触してみないことにはあまり研究が捗らないはずだ。ここまで詳しいということはやはり、アルツに直接会ったことがあるのだろう。
「どうだろうか、アルタネラ。場所を変えてゆっくりと、このテニエント・カナエンテに講義をするというのは?」
話の切れ目にデハルア少佐が提案する。わたしは何も言わず彼を見遣ったが、アルタネラはその提案に乗り気の様子で微笑を浮かべていた。
「いいですね。では場所を変えましょう。いいですか? テニエント・カナエンテ?」
わたしに選択権がないことは重々承知だ。ここまで来たのだ。心行くまでアルツについて学ぶのも悪くはない。
「そうですね。では移動しましょうか」
* * *
「アルツは元々地下に住まうことが多かったのです。その所為でヴィベレスはアルツの正確な数を把握することができず、彼らを殲滅することはかなわなかったのです」
茶葉から淹れられた温かなお茶を飲みながら、アルタネラはアルツについて講義をしてくれた。その内容はわたしにとってすべてが新しく、驚きに満ちていた。何故彼がそのようなことを知っているのかという疑問は常に付きまとったが、それよりもその内容が衝撃的すぎて、それを理解することで一杯だった。
「ですが、宇宙に目を向けたアルツは地表へと都を構えました。それが、レギア=アリミエントスです」
ただ漠然と我々を糧とする野蛮な生き物という認識だっただけに、彼らにも知恵と知識、そして文明が存在するという事実はあまりにも衝撃だ。しかし、ちょっと考えればそんなこと当たり前だ。どうして今までそんな単純なことにすら疑問を抱かなかったのだろうかと自分を疑ってしまう。しかし、それもこれも王族の定めた政策の一環だ。わたしは見事なまでに国に騙されていたのだ。
「レギア=アリミエントスは宇宙港を備えています。当然宇宙船も所有していますが、今までそこから宇宙へと旅立った艦は一隻もありません」
「何故です? そこまでの設備があるのに」
アルタネラが講義し、それに熱心に耳を傾け、時にはこうして質問を挟むわたしを、デハルア少佐はお茶を入れたカップを片手にじっと観察しているようだった。わたしがどのような人物なのかを観察しているような様子だったが、わたしはそれに気を使えるような余裕はなかった。目の前の膨大な知識だけで手が一杯だ。
「エスパシオ=トロパスに拒否されたからです」
「拒否? ということは、エスパシオ=トロパスに参加を申し入れたということですか?」
エスパシオ=トロパスはこのヴォラシダッドの対宇宙連合とでもいうべき組織で、いくつもの国の対宇宙軍が集まって構成されている。六割を我がパルテ=ノルテが占めているのだが、そのほかの多くの国が参画している。
「そうです。アルツはもうヴィベレスにとって脅威ではありません。しかし、それをヴィベレスは理解できないのです」
自分が信じていたことをすべて否定されて、途方に暮れてしまったような気分だ。まさか自分の知らないところでここまで物事が進んでいたなんて。しかし、エスパシオ=トロパスに申し入れがあったということは、我がパルテ=ノルテの王族はアルツに関するすべてを知っていたということだ。なんだか騙されていたような気分になる。
「アルツと連合を組んでしまうと、争うための口実がなくなることを恐れているんでしょうか……」
「そう思うのか? テニエント・カナエンテ」
意外だといわんばかりに聞き返され、わたしはデハルア少佐を振り返った。彼は好奇心に釣られて、というよりは試すかのようにわたしに注目していた。
「悪く言うようで嫌ですが、我々ヴィベレスは戦うことで文明を進化させてきました。それを今更敵がいなくなったなんて認めたくないでしょう? アルツは永遠の敵というのを捨てたくないのでしょうし……」
今更、古くからの宿敵と和解するなど考えられないのだろう。それはわたしたち平民だってそう思う。長い間食料として食い殺され続けてきたというのに、相手が仲良くしようと言うから和解しましたなんて認められるはずもない。どう考えても、現状維持と和解したときの利点を比べると、後者のほうが少ない。
「そう。ヴィベレスはアルツほどに考え方が柔軟じゃない。だから、アルツを拒否する」
その物言いに、わたしはふと違和感に気付く。デハルア少佐は今、アルツの肩を持った発言をした。それはつまり、彼は国の政策に反対しているということだ。ということはこの癸六五一二部隊にはAI云々よりも大きな問題があるのではないだろうか?
「あなたは本当に何も知らされていないのですね」
顔を上げると、アルタネラが同情したようにわたしを見つめていた。それを見返し、ふとその目の赤さに戦慄を覚える。白い髪に白い肌、そして赤い瞳。あまりにも我々と違うその姿は、えも言えぬ恐怖を感じさせる。
「何故私がここまでアルツについて詳しいとお思いですか?」
「研究者であるとか……」
「本当にそうお思いですか?」
「それは……」
確かに疑ったことはある。何故ここまでアルツに詳しいのか。単純に考えれば、彼がアルツであるからだと答えられる。しかし、アルツが、我々を食料と見なしている存在が自分のすぐ傍にいるという考えを認めることはできなかった。それを認めてしまうと、本当に今まで信じていたものが足元から崩れ去ってしまうような気がしたからだ。
「もう分かっていらっしゃるのでしょう? 私はアルツです」
ガタンッ。
ほとんど意識せず、反射的に椅子を蹴り立ち上がっていた。赤い瞳のアルタネラから一歩後ずさり、信じられないとばかりに彼を凝視する。その可能性を認めてはいても、それが現実だと知らされるとショックは大きい。
「パルテ=ノルテ・テガムリアは我々と手を結んだ場合の利益を知りたいのでしょう。あるいは、我々にあなたを殺させて、国民のアルツへの反感感情を煽る気だったか……」
テガムリア候はすべてをご存知だということか。それはそのはずだ。これくらいのこと、あの方がご存じないとは思えない。すべての、アルツの情報を持っているあの方だったら、それくらいのことは考え付くことだ。
ではわたしは? わたしは何をすればいいのだろうか? もしかして、わたしはテガムリア候からアルツへの貢物なのではないだろうか? アルツのご機嫌を伺うために利用されたのではないだろうか? それとも本当に、アルツに殺させるためだけに派遣された生贄なのか?
「しかしパルテ=ノルテ・テガムリアは失敗しましたね」
「……失敗?」
アルタネラはカップから残ったお茶をくいっと飲み干すと、その口元をにやりと笑わせた。
「あなたをここへ送り込んだことです。あなたは王族を無条件で信奉しているようなただの軍人とは違いますね。そもそも、あなたは軍人ではないでしょう?」
胸の内を見抜かれたような焦燥感が全身を襲う。確かにわたしは軍人ではない。だがそんなことは言動からすぐに露見するだろうと思っていた。しかし、それよりも遥かに驚いたのが、"王族を無条件に信奉していない"ということ。これはまだ自分の中でも疑いがあっただけで、確信を持ってそう考えていたわけではない。
「これは誘いだよ、テニエント・カナエンテ。いや、ドクトル・カナエンテかな?」
背筋がゾクリとした。楽しそうに口元を笑わせているデハルア少佐も、わたしの心を覗き込んだかのように問いかける。
「わたしは……」
チップレスの軍人と、赤い目のアルツがわたしを見ていた。彼らはわたしにテガムリア候を裏切れと言って誘惑している。きっと彼らの側につけば、様々な知識を与えてくれるのだろう。その代わり、わたしはこの国で表を立って生活することはできなくなる。反逆者として扱われることになるのだろう。
もしそれを拒否したら? ここまで情報の開示をして、拒否した者を生かしておくとは思えない。恐らく、わたしは拒否した時点で殺されるのだろう。もしかしたら、この赤い目のアルツに食い殺されるのかも知れない。
「まぁ、今すぐに決めろとは言わないさ。なぁ、アルタネラ?」
「そうですね。すべてを知った上で決意なさればいいことです」
わたしはとんでもないところへ来てしまった。あまりのショックに、それしか考えられなくなってしまっていた。
* * *
「ここの施設には私を含め、三人のアルツが滞在しています」
「三人も? 一体何のために?」
一時的なショックから立ち直ったわたしは、アルタネラの案内の元、癸六五一二部隊の拠点である建物内を見学して回っていた。わたしの目には時々AIが通信する相手を探すようにスキャニングをかけている様子が映ったが、それもカメラを内蔵しているほうの目にちらりと映るだけで、実際には何も見えない。
しかし、このAIに情報をスキャンされてはまずい者がこの拠点には多く占める。彼らはアルツに関する情報のほかに、彼らと交友関係を結ぼうとする情報をそれぞれ持っているのだ。それが中央にばれたら、有無を言わさずこの拠点は消されるだろう。それに、アルツが滞在しているなんて情報が漏れようものなら、爆撃されても不思議ではない。
「我々はデハルアの要請でAIとの通信チップの無効化技術の提供に来ているのです」
「と言うことは技術者なのですか?」
ここの拠点の不思議なところが、チップの無効化を行うくせに、AI自体をどうにかしようという考えがないということだ。普通、AIが邪魔だと判断したら、それ自体を攻撃するかなんかして無効化したほうが手っ取り早いと考えるだろう。だが、デハルア少佐はその道を選ばなかった。
AIと軍人へのチップ埋め込みのシステムの設計に携わった者として、その判断は正しかったと言える。AIはそれ自体が考え、活動するシステムだ。それを攻撃したり無効化させようものなら、確実に抵抗する。下手をしたら止めようとした者を含めて拠点全体を敵と見なして攻撃しかねない。それに、そんなことをしたらすぐにでも中央へと警告が走り、AIそのものに攻撃をされなかったとしても、今度は中央から制裁を喰らう羽目になる。
しかし、こうしてチップを一つ一つ無効化していく分にはAIは何の異常も発見することはできない。ただ通信してくる兵士が少ないと統計をあげるだけで、特別警報を発したりはしない。そこがこのシステムの盲点だ。
「そうです。アルツの社会ではヴィベレスと違い、各々が階級に関係なく得意な分野を伸ばすことができますから、技術者も多いのですよ」
「アルツにも階級があるのですか?」
「えぇ。ヴィベレスのように厳しい統制の取れた階級ではありません。だからといって階級がないというわけでもないのです」
王族の絶対的な階級社会。それに対して各自がやりたいことをする自由社会。どちらが劣っているかなど優劣は決めようがないが、どちらがいいかと訊かれれば、後者のほうが圧倒的に多いだろう。そういう自由な文明社会ならば、宇宙港を作り上げるまでに至る文明成長速度が著しく速いのも頷ける。
「他の二人も紹介しましょう」
アルツの三人へ割り当てられている部屋へと案内され、アルタネラを先頭に中へと踏み入れると、そこがすでに我々ヴィベレスの領地ではないことが雰囲気から感じられた。
「アルミスクル、アルマブランカ。新任の中尉を紹介します」
その部屋の中は、別に内装が違いというわけではなかった。だが、まず真っ先に気が付くのが臭いだ。今まで無臭で清潔に保たれている廊下を歩いてきただけに、その部屋の中の甘いような、だがすっと鼻に入ってくるようなこの臭いにすぐ気が付く。
作業机として利用しているのだろう、中央に置かれた大きな机に向かって二人のアルツが話し合いをしているところだったらしい。机の上には端末と資料が乱雑に置かれ、手書きで入力できる端末にはごちゃごちゃと書き込みがされている。
「こちら、テニエント・カナエンテ。テガムリア候の元から来られたそうですよ」
二人のアルツはこちらに顔を向け、興味津々とばかりにわたしの方を見ている。二人とも外見はアルタネラと似ていて、長い白髪に白い肌。ただ、片一方のアルツには黒い刺青のような模様がその腕に描かれているようだ。
「初めまして、テニエント・カナエンテ。僕はアルミスクル。あなたの腕前は見事です。今もあなたの仕事振りを拝見しているところでした」
「仕事……?」
まだここへ着任してからというもの、仕事らしい仕事は何もしていなかったはずだ。こちらから見て奥に座っているアルミスクルは驚くほど赤い目をきらきらとわたしへと向けている。彼はアルタネラとは違い、白髪が細かい三つ編み状に編まれている。ところどころに蔦のような植物の紐が編みこまれ、それがアクセントとなっている。
「そう、このソラダドの脳内チップですよ。すごい精密な設計だ。芸術と言っていいほどですよ」
そうだ。彼らはチップを無効化するための技術者だ。彼らの手元にチップの現物があってもおかしくはない。しかし、どうしてそのチップがわたしの仕事だと思ったのだろうか。わたしがこのシステム設計に携わったことは国家でも最高レベルの機密のはずだ。
「初めまして、テニエント……、いや、ドクトル・カナエンテ。わたしはアルマブランカ。チップを分析した。あなたはサインを入れている、違うか?」
刺青が入っている方がアルマブランカだ。彼はどこか口調がぎこちない。もしかしたらまだ我々の言葉を流暢に話せるレベルではないのかもしれない。
パルテ=ノルテはこのヴォラシダッドでも特に訛りの強い、古めかしい言語が公用語として使われている。同じヴィベレス同士でも、パルテ=ノルテ出身者は喋ればすぐに分かるというくらいだ。ましてはアルツは言語体系もこちらとは違うはずだ。パルテ=ノルテの言葉が喋れなくとも不思議ではない。
と、アルマブランカの言葉が片言なことに気をとられて忘れてしまうところだったが、彼の言っている内容にも驚くポイントがある。
「あのチップを分析した? 取り出したのですか?」
「空気を触れさせると自然消滅するというシステムですね。これも素晴らしい設計です」
わたしが設計製作したあのチップは、我々の細胞から作り上げたバイオチップで、体内から排出されるとそのまま老化し、萎縮して消えてしまう。そうすることでAIとの通信を偽造されることを防ぎ、セキュリティを強化させている。しかも、そのチップは脳内でも生命を司る重要な器官の近くに埋め込むため、摘出したらその者自体生命活動を停止する。つまりは兵とチップが無事な状態で取り出すことは不可能のはずなのだ。
「我々でもこのチップの分析には時間をとられています。あなたが来て下さって本当に助かります」
アルミスクルは興奮した様子で椅子を立つと、ぐるりと机を回りこんでこちら側へとやってくる。途端に、さきほどから香っていた甘い臭いが強くなる。臭いの発信源は彼なのか?
「摘出時に接続部分が萎縮してしまいまして、この部分の解析が進まないんです。今も仮説を立てて理論立てていたのですが、仮説では限界がありますからね。……テニエント・カナエンテ? 大丈夫ですか? 顔色がすぐれませんが」
アルミスクルが言っていることは分かるし、それに応えなきゃいけないと思うのだが、この強い臭いで頭がぼうっとなって、口が動かない。唯一の救いが、足だけはふらつかないことだ。ただ、動く気力がなくなってしまっていた。これは一種の麻酔効果だ。
「あぁ、アルミスクル、最後にサンギネロを服用したのはいつです?」
「え? えーっと、いつでしたっけ、アルマブランカ?」
「二日前」
「あなたが原因ですね。飲んできなさい」
わたしが動けずに固まっている間に、アルミスクルはアルツ最大の発明品である人工血液サンギネロを飲みに部屋の右奥の扉へと消えていく。同時に臭いが遠ざかり、わたしはまるで息を止めていた直後のように大きく息を吸い込んだ。体の自由が戻ってきた。
「失礼した、ドクトル。あれは花だ。腹が減ると無意識に獲物を捕らえようとする」
「……花? アルツの中にも種族があるということでしょうか?」
呼吸を落ち着かせながら問い返すが、アルマブランカはその回答をそのままアルタネラへと回す。そのことに慣れているのか、アルタネラは自然に説明役に回る。
「我々アルツは元は擬態する生物でした。その名残で、完全にヴィベレスと同じではない姿をしている者もいるのです。アルミスクルはホルモンを出して虫を誘い、それを糧としていたアルツの名残があるのです」
姿かたちが我々と同じだからアルツが元々擬態種族であったことを失念していた。それにしてもしかし、植物に近いというのはどうも理解に難しい。もしかして、あの頭に編みこまれていた蔦は彼の体の一部なのだろうか。
「ヴィベレスでアルミスクルに反応したのはあなたで二人目ですね」
「二人? 普通は反応しないものなのですか?」
アルミスクルの系統のアルツが虫ではなくヴィベレスを食すようになってそんな日が浅いわけではないだろう。そう考えれば、このアルミスクルの発するホルモンが効果を発するのはヴィベレスに対してのみだと考えられる。だが、そうではないらしい。どうもややこしくてかなわない。
「彼の場合はもう名残として臭いを発するだけです。よほど感受性が高いのでしょう」
あまり褒め言葉には聞こえないが、そこはそれとしておく。
机の上に散乱している資料に目を向けると、そこには確かに見覚えのあるデータが書かれているものもちらほらと見える。端末の画面にはチップの回路が細かくトレースされた画像が表示されている。画面の隅には所狭しとコメントが付け加えてあり、それが分析途中であることが分かる。
「仕組みを覚えているか?」
無意識に端末へと近寄っていたらしく、視界の隅に刺青の入った白くたくましい腕が横切り、ふっと顔を上げる。丁度同じ目線のところにアルマブランカの両目があった。その目の色は赤ではなかった。
「あ……」
アルマブランカの目の色は青灰色とでも言うべきような色で、白い髪に白い肌でありながらどこか違和感を感じていたのはそれだったのだと今更気付かされる。右腕全体を覆うような刺青も確かに目立つといえば目立つのだが、違和感はない。ただその青灰色の目だけは違和感を隠しきれていなかった。
「覚えていないのか?」
「いや、覚えています。ただ、機密情報なのでわたしの口からは言うことはできないと……」
アルマブランカは言葉が片言だからか、あまり喋らずにその刺青の入った右手を端末へと向ける。その指にまで刺青が入っていたが、五本の指には端末への入力装置である銀の指輪がはめられている。
彼が指を動かすと、画面内の回路が回転し、拡大される。そしてそこにあるマークを映し出していた。それはパルテ=ノルテでも王族のみが所有することを許される紋章で、わたしにとっては馴染み深いテガムリア候の紋印だ。
「テガムリアは我らアルツの同胞の多くを殺しました。彼を食らってやりたいと思っているアルツは少なくはないでしょうね」
奥の扉から声が聞こえたかと思うと、アルミスクルが口元を拭いながらこちらへとやってきていた。彼の唇は何かでぬれていたが、それが噂に聞くサンギネロであることは聞かずとも分かった。ただ想像と違い、その色は無色のようだ。
「近親相姦ばかり繰り返してどんどん醜くなっていく王族なんてものに忠誠を誓えるなんてすごいと思いますよ。僕たちには考えられないことですけどね」
アルタネラとアルミスクルが並ぶと、まるで双子のようだと思ったが、それも一瞬のことだ。よく見ればアルタネラのほうが洗練された雰囲気があり、アルミスクルはその髪型も相成ってか野生的な印象だ。身長もアルミスクルのほうが高い。
「さて、僕はカボ・カサデテとの約束があるから行かなくてはなりません。テニエント・カナエンテ、あなたには後でゆっくり時間をとりましょう」
そう言うなりアルミスクルはわたしの手を取り上げ、さっとその甲に口付ける。
「アルミスクル!」
アルタネラとアルマブランカがほぼ同時にアルミスクルを怒鳴り、わたしは突然の出来事に硬直していた。
「大丈夫ですよ、テニエント・カナエンテ。今は満腹ですから」
わたしは喰われそうになっていたのだと気付いたのは、アルミスクルが優雅な足取りで去って行った後だった。やり場なくアルタネラを見やると、彼は表情を崩して本当に申し訳なさそうな顔でわたしを見ていた。
「すみません、アルミスクルにはあとでよく言い聞かせておきます」
驚きはしたものの、ここへ着任してからというもの緊張しっぱなしだった身体にこうしたジョークが気持ちよく、わたしはただ苦笑した。
* * *
さっさと行ってしまったアルミスクルには触れず、アルタネラとわたし、そして何故か無言でついてきたアルマブランカの三人は、デハルア少佐のいる部屋へと戻ってきた。わたしが好奇心も露わにアルタネラに質問を繰り返し、アルタネラも気前よくそれに応えるものだから、わたしたちは一部的にしろとても打ち明けていた。
「アルタネラ、只今戻りました」
最初にデハルア少佐本人によって案内された作戦室と銘打たれた部屋だ。中にはデハルア少佐を含め、四人のヴィベレスがいた。わたしたちが入っていくと、ぴたりと会話が止まる。当然といえば当然だ。わたしはまだ革命側につくと言ったわけではないので、グレーゾーンに立っている状態だ。まだわたしには明かせない情報が限りなくあるのだろう。
「あ、彼が噂のテニエントですか?」
濃い緑色のつなぎの作業着の上着部分を脱ぎ、腰に巻きつけているいかにも技術工兵といった姿の、見たことのない兵士が一番に口を開く。格好からして一番階級は低いのだろうに、よくそんな真似ができるものだ。下手をしたら罰則ものだ。
しかし、デハルア少佐はニヤニヤと笑みを浮かべ、その兵士の台詞を完全に無視した形でわたしを見やった。
「どうだった? テニエント・カナエンテ、アルツは」
「興味はあります。彼らの技術水準は我々よりも高い。学ぶべき点は多いでしょう」
わたしの回答がお気に召したのか、デハルア少佐は小さく鼻で笑うと、くるりと先ほど無視した兵士を向き直った。
「あのアルツに挟まれた上品な人がテニエント・カナエンテだ。質問はほどほどに」
「セイ、コルベタ」
下級兵が上官に返事をする見本のように隙なく返事した彼は、くるりと機械的な動きでわたしの方を向き直り、決まった角度で頭を下げた。先ほどの暴挙が嘘のようなマニュアル通りの動きだ。
「私はマンサニージャ伍長です、テニエント・カナエンテ。六五一二隊では技術工兵も兼ねています」
伍長が技術工兵を兼ねるなんて、どれだけ人が足りないのだろうか。普通は技術工兵は一般の兵とは区別されて別組織のような形で小隊に所属するはずだ。大きい隊になればなるほど一般兵と技術工兵の境は広くなり、顔も合わせないことすらあるくらいだ。
「あーっと、パートナーが兵長なので、兼任という形になっているだけで、元は技術工兵です。呼ぶならセパドルとお呼び下さい」
疑問が顔に出ていたのか、マンサニージャ伍長は補足するように付け加えた。それにしたって変な立場であることには変わりないが、この部隊全体が通常とは違う動きをしているのだから何があっても不思議ではあるまい。
そう結論付けると、わたしは目の前の伍長の観察に頭を切り替える。
「ではセパドル・マンサニージャ。よろしくお願いします」
「そういえばサニー、カサデテはどうしたんだ?」
背筋を伸ばして緊張を保っていたマンサニージャ伍長だったが、デハルア少佐に気軽に問いかけられ、その緊張は解けてしまったようだ。休めよりも気楽そうな体制になると、癖なのか、指を軽く振りながら応える。
「アレですよ、アルツ・アルミスクルにお呼ばれで」
「なるほどな。で、アルマブランカは何故ここに?」
流石にこの部隊でも、軍人のパートナー制度だけはやめていないらしい。確かにこのパートナー制度は遥か昔、ヴィベレスが軍を組織し始めた頃より使われている制度だが、その効果は絶大だ。パートナー制度を導入しなかった国があったが、その国の軍は驚くほど弱かったと聞いている。しかし、このパートナー制度には弊害が幾つかある。しかし、その弊害に目を潰れるほど、兵の士気が高まるのだから、使わない手はないのだろう。
「ドクトルを」
「気に入ったのか? 随分だな。確かにテニエント・カナエンテはここらじゃないタイプだが……」
「何のお話でしょうか?」
単語で話すアルマブランカとデハルア少佐の会話が成り立っているように見えるのが不思議だ。その会話にわたしの名前があがるのはいい。だが、その内容はちょっと引っかかる。冷静に尋ねてみるもののデハルア少佐はにやりと笑みを浮かべただけだった。どうもこの人は食えない。何を考えているのか分からないから先読みも難しい。
「さて。そろそろ見回りの時間だ。よければ、テニエント・カナエンテにもご同行願おうと思うんだが?」
見回りというのは軍の中央部が定めている日課業務の一つで、拠点のある定められた地区を外周し、危険や異変がないかどうかを確認して回るものだ。これに関しては手入力の報告書がAIを通して送られてくるので、この拠点には危険はないと判断されている。
「ぜひご同行させて頂きたいと思います」
「よし。今日のメンツは誰だ?」
誰に尋ねたのかと疑問に思うよりも早く、その質問には隻眼のツエルタ軍曹が答える。
「カボ・カサデテの班です。ソラダド・アトセ、ソラダド・スービサ、セパドル・マンサニージャの四人です」
「あれ? 今日ウチの班だっけ? やべー、忘れてた」
ツエルタ軍曹は何の怪我だかは知らないが、隻眼だ。あの状態では見回りの当番は回ってこないのだろう。そうすると、彼とそのパートナー、インテリノ軍曹は内部でのシステム監視系の任務についているのだろう。
「じゃあ俺とテニエント・カナエンテが乗っても問題ないな。行こうか」
「案内を」
さっさと物事を決め、さっさと行動に移そうとするデハルア少佐を止める形で、わたしの横に立っていたアルマブランカが口を挟む。しかし、デハルア少佐は相手を見下したような、小ばかにしたような目線でアルマブランカを見やる。
「移動車は六人乗りだ。それに、彼は俺のパートナーだ、アルマブランカ。その意味が分かるか?」
誰が誰のパートナーだって? 確かにわたしはパートナーのいないソリタリオだが、そこでどうしてデハルア少佐が出てくるんだ? 彼のパートナーはどうしたんだ?
「ドクトル、そうなのか?」
「え……、いえ、わたしも、今知りました」
戸惑いはするものの、大体の予想はついている。デハルア少佐は最初に会ったときからパートナーがいなかった。きっと彼は長い間ソリタリオなのだろう。だからこうしてソリタリオであるわたしが派遣されてきても気軽に受け入れることができる。自分の側に置いておけば観察するのが楽だからだ。しかし、通常はソリタリオが単身で送られて来ることなどほとんどない。
ということは、テガムリア候はデハルア少佐がソリタリオで、わたしが送られればそのパートナーになるということは分かっていたということだ。それもこれも、まだテガムリア候の手の内ということか。
「今この隊のソリタリオは俺だけだ。テニエント・カナエンテがパートナーを連れてこなかったのだから、当然俺のパートナーになる」
言いながらデハルア少佐はずいずいとわたしたちが立っている出入り口のほうへと近づいてくる。そして、アルマブランカの正面に来ると立ち止まった。
「パルテ=ノルテの軍人は階級に関係なくパートナーと共にあること。知らんわけじゃないだろう?」
わたしは二人のアルツに挟まれて歩いているときに、二人を見上げていることに気付き、アルツはみなこのように背が高いのかと質問した。アルタネラはそんなことはないと言っていたものの、彼の身長で平均ぐらいだという話だから、アルツはヴィベレスに比べて身長が高いと考えるべきだ。
アルマブランカの正面に立ったデハルア少佐は、彼と目線が同じぐらいだ。つまり、まったく意識していなかったが、デハルア少佐は長身だ。歩くときや座っているときは猫背になっている所為でそのことに気付かなかった。しかし、二人のアルツに挟まれ、かつデハルア少佐が前に立っている状態だと、自分が小さくなったような錯覚を覚える。
「ということだ。行こうか?」
何を考えているのかまったく予測つかないデハルア少佐は、その銀の指輪のはまった指をわたしに向けさした。
「では我々は帰還時に再度戻ってくるようにしましょうか」
「シン・インシデンテ」
「セイ・コベルタ・デハルア」
デハルア少佐が使った聞き覚えのない言葉はきっと、アルツの言葉だ。対するアルタネラの使った言葉はパルテ=ノルテの言葉。二人は言葉を交わしたことでにやりと笑い、なにか通じ合ったようだ。
まったくの部外者であるわたしにはそれが何を意味し、どんな効果があるのかは分からなかったが、それが日常的なやりとりであることは、周囲の反応を見て判断できた。しかし、わたしは本格的に決めなくてはならなくなりそうだ。どちらの側につくのかを。