二章 8/
二章 8/
その更に次の日だ。
見慣れた景色は、識々邸のもの。そして、僕の向かいのソファーに座っているのは、メルカ。
「さ……て。僕をここに呼んだ理由は何だ、メルカ」
「いきなり本題に入るとは、せっかちなものね。人と会話をするからには、特に目上の人とね、順序を踏む必要もあるのではなくて? そう、例えば、世間話とか」
「先に断っておくがお前は目上の人間ではない。同年齢だし同級生だし平民だっつーの」
僕をここに呼んだのは、他でもない、僕の目の前にいるやつだ。朝学校に行ったとき、机の中に紙切れが入れられているのを見つけた。丁寧な筆跡で書かれていたのは、『放課後朝威の家に来なさい』という、ただそれだけだった。その状況的にも物質的にもメルカがやったのは明白だった。そして案の定、というわけだ。
「それに僕は、今日は早めに帰らないといけないんだよ。妹が待ってる」
「へえ……妹」
最初はぽかーん、としていたメルカだが、その表情がにやついたものに変わる。
「妹……」
「てめえ絶対よくないこと考えてるだろ。僕の華音に手を出すつもりならいくらメルカでも容赦しないぜ?」
「だーいじょうぶよ。私に百合属性はないわ。私には」
「まるで僕の妹にはあるみたいな言い草だなあ!?」
そんなこと、あるはずない。……よ、な。
華音を信じよう。
「はあ……それはともかく、そういうことだから、なるだけ早く済ませてくれないか」
「嫌よ」
「この天邪鬼っ!」
「分かったわよ、もう。話せばいいんでしょう、話せば。折角私があなたのような下賤の輩と話をしてあげようと思っていたのに。そんなに私と居る時間は嫌い?」
若干の上目遣いでこちらを見てくるメルカ。わざとだろうとは思うけど、ドキッとするのを防げなかった。
「だから僕とお前は同階級だって……」
「返答するところはそこじゃないでしょう? さあ、早く答えなさい」
「あー……もう。別に……嫌いじゃないよ。メルカといたら、そりゃあ、楽しいし……」
少ししどろもどろになってしまった。
しかし、それを聞いてメルカが少しほっとした風に見えたのは、気のせいだろうか。
「まあ、そこまで急かすのなら、早く教えておくべきかもね……話すわ」
メルカはそこで区切って、一度紅茶を啜ってから、話し始めた。
「今日呼んだのは、調査の結果が出たからよ。本来は朝威から話しておくことなのだけれど、どうやら情報収集に余念がないようでね、出かけてるの。そこで私の出番なのだわ。話しておくべきことは、一つ……私の持っていた魔具よ」
「そうか」
メルカの持っていた魔具――他でもない、あの刀だ。美しい装飾の日本刀。
「朝威の知り合いには珍しいものもいるのね……〝魔具屋〟なんて」
〝魔具屋〟――その名の通り、魔具を扱う者のことだ。
魔具は本来一人に一つだが……例外が存在する。それが、古代の装具や何かに取り憑かれたものだ。それは、魔具使いならば使えるという、いわば〝公共の魔具〟みたいなものか。
古い刀――いや、刀に限らず、長い年月を経たものには、魂が宿る。魔具を知らないものには眉唾物に聞こえるだろうが、魂が宿るのは本当だ。事実で、真実だ。僕が知っているのでは、魔具が喋ったり、自分で動いたりという風に。
そういった〝公共の魔具〟を――〝霊装〟と、呼ぶ。その数は数知れず、魔具使いの数よりも多いのでは、などともいわれることがある。
魔具屋とは、そういった霊装を取り扱う職種だ。
「〝鬼哭啾啾〟――あの日本刀の名よ。四字熟語で、あるでしょう? 同じ言葉が。まああなたは知らないでしょうけど。
鬼哭啾啾が――面倒くさいからこれからは刀って呼ぶわね――出来たのは戦国時代くらい。それなのに装飾が綺麗なのは、最近五十年くらいで霊装に成ったからだそうよ。そして憑いたのは〝鬼〟の霊だそうよ。まあ、私にはちんぷんかんぷんだったけど」
「なるほど……」
あの魔具は、メルカの魔具ではなく、霊装だったということか。
まあ、正直なところ、あの刀のことはどうでもいい。問題なのは、それを何処が所有していたのか、何故メルカがそれを持っていたのか、ということなのだ。
何処の所有かを知れば、自然メルカの正体も分かる。あるいは、分かるとまではいかないかもしれないが、ある程度の焦点は絞れる。所有していた側だったのか、その側を裏切ったのか、所有側の敵対勢力だったのか、それに雇われた傭兵だったのか――大体この四つだろう。最後のだとすればまた厄介な話になるが、他の三つなら答えはすぐそこだということだ。
「じゃあ、何処の所有だったんだ?」
「そう急かさないで。さっきも言ったけどね、私はあなたと話したいし、話には順序ってものがあるの」
「あぅ……。分かったよ、出来るだけそっちのペースに任せる」
「よろしい」
メルカが不機嫌になってまた機嫌良さそうに戻る。忙しないな。しかし、さっき話したいなどと言っていたっけ……?
「次は……そう、この刀の能力よ。朝威は割と興奮して語ってくれたけど、その半分も内容を理解できなかったしあそこまで熱くはなれないから、要点だけ話すわよ。
朝威曰く――この刀は、霊装殺しの霊装、だそうなの」
「――霊装殺しだって?」
「そう。別に鸚鵡返しで聞くことでもないでしょう?」
メルカはまたぽかーんとしていたが、対して僕は、少し恐怖していた。
霊装殺し――何度か聞いたことがある。霊装の中でも特に珍しい能力を持つ……つまり、霊装を壊すことが出来る能力を持った霊装。
霊装なんてものは、個人個人の魔具ほどではないかもしれないが、それでも相当の能力を持ったものが大半だ。壊せないということはないかもしれないが、相当の手間はかかるはず。その相当の手間を、一気に短縮させる術を持つのが霊装殺し。
霊装とは古い年代を重ねそれに魂が宿ったものだと説明したが、霊装殺しは、その魂を破壊する。だからこそ、容易く霊装を破壊できる。先にいった、霊装殺し以外での霊装の破壊は、媒体の破壊。霊装殺しの破壊は、破壊そのものが違うのだ。だからこそ、貴重で、稀少。
だとすると、鬼哭啾啾、という名も、霊装と成った後の名称なのかもしれない。
「なあ、鬼哭啾啾って、どんな意味だ?」
「え? 悲惨な死に方をした者の浮かばれない亡霊の泣き声が、恨めしげに響くさま。転じてものすごい気配が漂い迫りくるさま……だったと思うけど」
メルカは憮然としながらも答えた。成績優秀頭脳明晰な彼女らしく、辞書でも見ながらのようにすらすらと答えた。そして、一つの確信を得る。
――やはり。
少しメルカのいった意味とはニュアンスが違うが、直接的な意味は一緒だ。
いや、もしかすると、最初からその刀の名前は鬼哭啾啾で、その名前に呼応して霊装殺しの霊装と成ったのかも……?
「興味深いな……」
「朝威も雷兎も、同じような反応をするのね」
「ああ、まあ……そりゃあな。霊装殺しなんて貴重なもの、もう見られないかも知れないんだ。メルカはピンとこないかもしれないが、魔具使いにとっては凄いことなんだ」
自然僕の声も興奮した感じになっていた。
「しかし、そうなると……この刀がどうでもいいなんて言ってられないな。あー、欲しくなってきた。識々に頼んでみようかな……」
「……頼むのは勝手だけど、今は私の話を聞いてくれないかしら」
「あ、ああ、そうだな、悪い」
確かに、僕が興奮するのは勝手だけど、話が進まないのは困る。最初に早くしてくれと言ったのは僕なわけだし。
「それじゃあ、次に話すのはこの霊装が何処の所有物なのか、ということだけど……」
「ああ、何処のだ」
「魔具蒐集戦線の、らしいわ」
「うわ……そうか、可能性はあるたぁ思ってたけど……」
魔具蒐集戦線のものだとすると、これも少しややこしい話になる。魔具蒐集戦線はかなり巨大なギルドの連合体だ。そして、メルカを攻撃してきていたのは〝瀧夜叉〟――魔具蒐集戦線の一部隊。
ということは。先の四つの可能性のうち、ひとつが消える。メルカが所有していた側なのか、という可能性。魔具蒐集戦線の所有物を持っていたメルカを、同じ連合の部隊が狙うはずがない。もしくは、虚衣の二人が戦線を裏切ったという可能性も考えられるが――考えの中ではこうだ。〝瀧夜叉〟が裏切り、それを追ってメルカが戦い、しかし返り討ちにあった。――、あの巨大な組織を裏切るなんてどうかしている。考えられない。いや、だとすれば、もう一つの可能性も消えるか。メルカが戦線を裏切った可能性が。
なら、残るのは二つ。だが、戦線は巨大である代わりに、多くの敵がいる。メルカがどの敵対勢力の所属だったのか探るには骨が折れるだろう。それに、その戦線に一人で立ち向かわせるはずもない。だとすれば捨て駒の傭兵? いや、それも考えにくい――。
「あー……くそ、振り出しだ。どの可能性もありそうでなく、なさそうであるんだ。……まあ、敵対勢力ってのが一番ありそうな線か。識々に頼んでおかないとな」
「いや、そうでもないわよ。朝威が出かけているのは、あなたと同じことを考えたからだからね」
「……そうか」
「あなた達、結構似ているのね」
「はあ? 僕と識々がか……そんなことはないだろう、もっとよく見てくれ」
ふふふ、と、メルカが愉快そうに声を漏らす。
「そうね、私から話すべきことはもうないわ。もう帰ってもいいわよ」
「仰せの通りに」
少しふざけて返すと、メルカはまた少し笑った。
僕が腰を上げ、ドアの方に歩いている時、メルカが呟いた。
「……ごめんなさいね」
「え? ……何が?」
「あら、聞こえたの。気にしな……いや、言っておいたほうがいいのかもしれないわね。
私のせいで、迷惑をかけてしまって……ごめんなさいね、ってことよ」
「……はあ?」
訳のわからない台詞に、思わず素っ頓狂な声が出る。
「メルカが迷惑なわけあるか。僕が戦っているのは自分のためだし、メルカのためでもあるよ。でも、それが迷惑なわけあるか。クラスメイトだからとか、そういうのでもない。
ただ、僕は……メルカを護りたいだけなんだからな」
「雷兎……」
「どうした? 顔赤いぞ」
「……なんでもないのだわ」
俯くメルカ。怒らせてしまったか……?
「それじゃ、僕は帰るよ。また学校で」
「え、ええ、また……学校で……」
どうやら怒ってはないらしい。だとしたら何だ? まあいいか。
と、僕がドアに向かって歩くのを再開したとき。
きぃ、と、そのドアが開いた。
そこから現れたのは、小柄な少女。小学生高学年くらいの背で、フードを被っている。そのフードには、何故か、ウサギの耳がついていた。
眠たそうに左の瞼をこすり、こちらを見上げる彼女の名は。
――炎恋歌。〝一期一会〟の後方支援担当の魔具使いだ。
ちなみに、被っているフードについている耳は、猫だったり犬だったり、節操がなく会う度変わっている。
「どした、恋歌。久しぶりだな、元気にしてたか」
「是なの。とっても元気だなの。それよりも」
メルカが振り向く気配。恋歌は、何故か僕と顔を合わせたまま、黙っている。
「何だ、早く言えよ」
その次に、僕が聞いたのは、信じられない一言だった。
いや――、考えられることだが、考えていなかったことだった。
「――〝瀧夜叉〟の二人の魔具反応を確認。織神雷兎、あなたに行ってもらいたい――の」
「な……っ! 本当か!?」
「……是。あたし、嘘つかないのなの。誘導するの、早く装備を」
最初は動揺したが、流石にそのままではいられない。もう既に、冷静になっていた。
「……丁度良い。ここで考えていても無駄だ、それは識々の領分。僕は、彼女達に直接聞くのが仕事だ――!」
眼球の奥が、疼く。