一章 6/
一章 6/
魔具というのは、そもそも本来、一人ひとりに与えられるものだ。自分専用の武器で、自分しか生み出せない。そして、自分だけが使える代わりに、多くの体力を消耗する。生み出すのにも、継続するのにも。ただ、そんなものを扱い続けるのには常人の体力じゃとてもじゃないが耐えられない。生み出せたとしても一分ぐらいが関の山だろう。そして、それを扱える魔具使いというのは、必然的に体力が膨大でなければいけない。普通の人間の体力を一とすれば、魔具使いは軽く三十は超える。
ただ、それは魔具を扱うときにだけ適応される数字だ。日常生活では多少役に立つ程度だろう。そういう意味では、体力というより魔具への耐性、といったほうが正しいかもしれない。
まあ体力が膨大なのは変わらないわけで。膨大な体力を補給するには、普通よりも多くの栄養を摂取しなければならない。だから基本的に、魔具使いは大食いなのだ。
だから僕が沢山食べるのも不自然ではない。決して。
……夜。頭の中で言い訳をしてみた。
結局食べてしまった。そのせいでもう真っ暗だ。
「くそう、識々の奴」
飯で釣りやがって。美味しかったけど。
今歩いているのは住宅が左右に立ち並んだ道だ。家々に明かりは点いているが、人の姿は見当たらない。
さっさと帰らないと。華音が心配だ――。
そんなことを考えているときだった。
「…………」
殺気を孕んだ視線と気配――だが、方向が分からない。奇妙な感覚だ。
僕がそれに気付いたことを相手に気取られないように、普段と変わりない歩調で歩く。
一体誰だ……考えられるのは、〝瀧夜叉〟の二人、虚衣蓬か、虚衣薊。蓬とは一度まみえたが、それもたった少しの間で、それだけで彼女がどんな奴なのかが分かっているつもりなわけではない。要するに、どっちかは分からない。
武器は、ちゃっちゃと用事を済ませて帰るつもりだったから、護身用のナイフが一本。いつもの大型ナイフではなく、体に隠しやすいような小型で薄いものだ。これだけでは、どちらが来ても頼りない装備。
まさか、本当に夜討ちに遭うとはな。
そのとき、気配が動いた。――背後。
「――誰だっ!」
振り向きながらナイフに手を伸ばす。いつでも抜ける体勢で、後ろを見る。
そこには、黒いローブを羽織った人影。闇に溶けるように存在していた。顔はフードと暗闇で隠されていた。小柄な体躯と、その右腕の大型ナイフ――。
ナイフ使い、虚衣薊か。
目測二十メートルくらい先に、それはいた。両腕はぶらりと下がっていて、その姿はまるで無遊病者のそれだ。まるで生気が感じられない。最も、夢遊病者というのに会った事はないけれど。
「……きゃは」
その、笑い声のような音が空気に乗って届いた時には、既に彼女は駆け出していた。
右腕の大型ナイフがきらり、と街灯の光で反射する。無骨な印象を持たせる、分厚く鋭い刃。右腕を腰から引き抜き、ナイフを抜く。左手を刀身に添えて、前方へ突き出す。
僕のナイフと薊のナイフが垂直に交差し、火花が散る。薊は跳躍し上空からナイフを振り下ろしてきた。とはいえ、威力は大したものではないかった。が、それからの行動が速い――。
ナイフがぶつかった瞬間に体を捻り、右足を突き出す。僕の体の芯を捕らえたそれはナイフの威力とはまるで違う、重いものだった。数歩下がりながらよろける僕に、更なる追撃。ナイフが一直線に僕に伸び、振るわれ、時に蹴りが繰り出される。
僕の武器がこれだけとは言え、この差は。
そして、その戦いの最中も、誰か人が出てくることはなかった。すぐ横には民家が立ち並び、しかも明かりも点いているというのに、だ。まあ、殆ど音も出ていないから、無理はないのかもしれなかった。
「何が目的だ、虚衣薊……!」
「目的?」
薊が下がり、首を傾げる。
「目的なんてないよ。ボクがいて、キミがいて、出会った」
一瞬攻撃が止んだと思ったら、簡潔にそれだけ答えて再開する。鋼の斬線が幾重にも重ねられていく。
てか、こいつただの歩く災害じゃねえか。
「目的がないにしても、理由はあるんじゃねえか!?」
がきん、と刃を受け止めて再びの問い。
薊は僅かに微笑んで、「ない」といった。その直後、彼女の回し蹴りが直撃して、僕は吹っ飛ばされた。
どうやら、彼女、足技の方が得意らしい。どうでもいいことだが。
薊の追撃が来ない。目線をやると、最初と同じ風にゆらゆらと佇んでいた。
「……何だ、いきなり」
「んー、まだ自己紹介してないと思ってね。姉ちゃんに言われてるんだよ、戦う敵には名乗れって。はー危ない危ない、危うく殺しちゃうところだった」
薊が頭を掻く仕草をする。本来ならば可愛い仕草なのだろうが、真っ黒な様相でしかも掻いている手にナイフを持っているから不気味にしか映らない。
「ボクは、魔具蒐集戦線が一部隊〝瀧夜叉〟の双翼の一人、虚衣薊。よろしくね、きゃはは」
そう言って、彼女は去っていった。
「…………ああ」
風で汗が引いていく。額に張り付いた前髪を掻き上げ、溜息を吐く。
「……一体、なんだったんだ」
薊は何故僕の前に現れたのか。何故戦い、そして退却したのか。彼女の何もかもが分からない。その分からなさが、怖い。彼女は狂気の塊なのか、それともただ単に気まぐれなだけなのか、それすらも判断がつかず、結局はその思考を放棄してしまった。
何故なら、僕は生きているから。生きている以上、彼女達は再び僕の前に現れる。もしくは、僕が彼女達の前に立ちはだかる。ならば今そのようなことを考えても無意味だ。次の戦いで勝ち、聞けばいい。どれもこれもを、その全てを。
体はまだふらついていたが、帰れないほどでもない。ナイフを収納し、僕は歩き始めた。
虚衣薊登場の話。