一章 5/
一章 5/
学校も終わり、部活もないし寄り道するところもないので、真っ直ぐ家に帰る。
十分ほど歩くと家だ。見た目は普通の一戸建て。団地ではないので、隣接している家はない。
ドアノブに手をかける。扉は抵抗なく開かれる。
「ん……?」
玄関で靴を脱いでリビングへ。照明はついていなかったが、テレビがついていた。それを見ているのは、ソファーに腰掛けている誰か。
ポテトチップスを頬張りながら退屈そうにテレビを見るその横顔は、見慣れたものだ。肩口あたりで切りそろえられた黒髪と、無気力そうな瞳。世間一般からすれば、十分に美人に入るだろう容姿。
手がムズムズする。
ああ、飛びつきたい。
「カーナンっ! 元気にしてたか、学校では何もなかったか!? 戸締りしないと駄目だろう、もし危険人物でも現れたら僕は悲しすぎて死んでしまう! ああ、愛しの華音!」
飛びついた。
細い体にしがみつき、頬ずりする。多分、今の僕の頬は緩みっぱなしだろう。
織神華音。僕の二歳下の妹。大事な大事な僕の妹だ。
「……兄ぃ。鬱陶しい」
「そんなこと言うなよーぅ」
華音はすでに慣れているのか、抱きつかれても眉一つ動かさない。相変わらずテレビをぼんやりと見ているだけだった。
だがそれがいい!
華音にべったりとくっついてソファーに座る。右腕は依然華音を撫でまわっていた。
「けど、戸締りの件は本気だぞ? お前は可愛いんだから、中学の知り合いなんかが後をつけて家にでも入られたら……」
「大丈夫。人、あまり寄り付かないから」
「んな悲しいこと言うなって。もしかしたら、そのクールさが好きな人もいるかもしれないじゃん? 僕みたいなの。まあ僕以外の男に華音は触らせないけどな!」
「はいはい」
華音は手で追い払う仕草をしながらすたすたと歩いていく。
また部屋へ避難か。可愛いなぁ、もう(少し壊れてる)。
もう少し華音とじゃれ合いたいけど、今日は朝威家に行かなければならないし、華音は部屋に引きこもっているからそもそも遊べない。残念。
とりあえず朝威家に行くのは二時間後ぐらいでいい。七時くらいかな。
もしかしたら家に帰るのが遅くなるかもしれない、と思い、華音の夕食を作っておくことにする。
僕と華音は、二人きりの家族だ。両親もその両親も他の兄妹もいない。
織神家の第十二代目頭領――僕の父親は魔具使いだった。いや、そもそも織神家の男は全員が魔具使いになる運命だ。それを知ったのは三年前、僕が魔具使いとして目覚めたとき。
三年前――そう、三年前。
忌々しい、記憶。
「……さて、ちゃっちゃと飯作って、あいつんとこ行くか」
思考を強制終了して(あるいは、そう思い込んで)、手を叩く。
うまい飯を作ってやらねぇと。
◆
それから晩御飯を作って、部屋でくつろぎ、二時間程経って朝威家へ向かった。
相変わらずそれは、どん、と居座っている。
いつもの部屋へ通されると、そこには彼女が居た。
正宗メルカ――。
「よう」
「あら、おでましね。彼は今茶を淹れにいっているわ」
長い長い黒髪を揺らして振り向くメルカ。
僕はソファーに座った。
それから、静寂の時間が流れる。僕は喋らず、彼女も喋らない。いつもならことあるごとに絡んでくるメルカでも、今は少し事情が違うらしい。
どことなく気まずい雰囲気だったが、その後現れた識々によって救われた。
「やあ雷兎。気まずそうな雰囲気だねぇ。まあ、雷兎がいたらそうなるよね」
「ならねえよ。人を気まずい存在に仕立て上げるな」
ただ話題がなかっただけだ、と言おうとしたが、やめた。
わざわざ言っていじられる必要もなかろう。
「それにしても、メルカ、着なかったんだね」
識々の言葉に、メルカは何も答えない。気になって、口を挟む。
「着なかったって、何を?」
「メイド服」
「…………」
「いやあ、雷兎が喜ぶと思ってね。あ、字面的には悦ぶ、かな? それでメルカに渡してみたんだけどどうも気に入らなかったようでね。さっきからこんな調子で、ぷんすかぷんすかしてるんだよ」
「このシリアスな空気は貴様の仕業か! それに僕は喜ばないよ!?」
「まあまあ、そんなこと言わずに」
「やだよ!」
「それにしたって、何で着なかったの? 多分すっごい似合うよ」
「誰かに仕えるというのは私にとって最大の屈辱だわ。私に役をつけるなら一国の王女あたりが妥当なものでしょう。それに髪を結うのは嫌いだわ」
「メルカらしいな……」
「メルカらしいねぇ」
「私らしいだろう」
誇らしげに言うメルカ。
さっきまでの無言状態は終わったらしい。そこだけはよかったというべきか。
「それでこれからの話をするんじゃないの、朝威? メイド服如きで時間を潰すのはもったいないわ」
「それもそうだね。しかしメイド服を馬鹿にするやつは許さない」
「じゃあ、本題を。識々」
後半は聞いてないことにした。
「まあ今日話せるのは、虚衣蓬とそのギルドの正体、そして彼女らをどうするか……それくらいしかないよ」
「随分と少ないな。メルカに関しては?」
「残念ながら、まだ。その原因も話すよ」
メルカをちらりと見る。普段と比べたら幾らか神妙な表情だった。
……そう、メルカは自分が分からないのだ。
正確にいえば自分が自分であることは分かっているが、しかし、ある記憶がごっそりと抜けているらしい。何故彼らと敵対していたのか、何故あそこに居たのか、その前は、一体何があったのか――さっぱり分からない、と。二日前に、メルカが目覚めたときに、そういった。
識々はメルカを既にこちらの住人と評したが、だとしたら彼女の抜けてる記憶は、そのこちらの記憶だ。
僕も識々も、彼女が目覚めれば手がかりも掴める、と信じて疑わなかった。しかし実際はこうで、手がかりは掴めていない。……誰が、彼女の記憶がないと予測できるというんだ。
「じゃあ、まずは彼女達から、かな。
彼女は――虚衣蓬は、ギルド〝瀧夜叉〟の一人だ。〝瀧夜叉〟はうちと同じように少数精鋭の……というよりは孤独のギルドだったようだね。ギルドのメンバーはたった三人。虚衣蓬、薙刀使いと、もう一人は虚衣薊、ナイフ使い」
「ナイフ使い……僕と一緒か。というか、同じ姓ということは?」
「そう、姉妹だ。正確にいえば双子らしいけどね。『双翼』のもう一人がその子だよ。そして魔具蒐集戦線とのかかわりだが、どうやら、あまり親交はなさそうだ。一応入ってる、と言った感じかな。来る者拒まず去る者追わず、だからね、あそこは。まあ一応ランク的には、戦線の下の中ぐらいかな。戦力が少ないからね。けど、一人ひとりの質でいえば中の上、といったところか。薙刀とナイフ、かなりのコンビネーションらしい」
まあ、範囲が違うからな。
定石でいえば、両方近接武器といえど、ナイフは近距離、薙刀は遠距離の部類だ。長所を生かしながら短所を補い合う戦い方は集団戦闘の基本でありセオリーだ。
「……いや、待て。さっき三人と言ったな? もう一人は?」
「うん。もう一人は柳というらしいけど……それ以外は分からない」
「……分からない」
「そう、分からないんだよ。というのも彼女が前線に出てこないからだけどね。うちの恋歌と同じ、後方支援の類かな。実際に会う機会はないかもしれないけど、頭の中には入れておいたほうがいい」
「……そうしとくよ」
双翼ではないもう一人、か。気になるな。
しかし、識々の情報能力でそれだけしか掴めないとは……後方支援の魔具使いだとしても不思議な話だ。他の二人はよく知られているというのに。
それはともかく、と識々は話を打ち切る。
「もう一つの話だ。彼女達をどうするか……。聞いたところ、彼女達はかなり好戦的らしい。それに、直情的だとも。敵のいるところ真っ直ぐ突っ込み、真っ直ぐな戦いをする。それもそのはずかな。蓬は正々堂々の武士道精神の持ち主で、薊は闘争を愛する戦闘狂らしいからね。ということは、だ。雷兎がメルカに関することで敵と見なされた場合、彼女達は君の前に現れるはずだ」
「まあ、そうだろうな」
これまでの三日間何事もなかったからといって安心できるわけではない。むしろ、向こうもこちらと同じで情報収集をしていた場合、これからが活動時間ということになる。
「さて、それで彼女達をどうするか。基本的には迎撃だろう。こっちから攻撃する道理はあるとは言いがたいし、敵の居場所も知らないからね。彼女達はこれといった拠点がないから。そのうち現れるだろうし、話はその時すればいい。雷兎が倒して、ね」
出来るだろう? みたいな視線を寄越してくる識々。
「……分かってるよ、出来るさ。二人同時なら辛いと思うけど、武士道精神と聞いてその可能性は低いと見た。一人だけだったら、勝つ自信はある」
正直、根拠はないけど。しかし人間、信じることから始まるというしな。それに自信は力に繋がる。
「まあ、話せることはこれだけだから。雷兎はもう帰ったほうがいいと思うよ。いや……もしよかったら晩御飯を食べていかないかい?」
識々の言葉に、迷う。
識々の作る飯は美味いのだ。それもびっくりするぐらいに。
「いや、やめとくよ。家で華音が待ってるし。帰ってる途中に夜討ちでもされたら大変だ」
「君のシスコンぶりは相変わらずだねえ。まあそれはいいとしても、残念だなあ。今日はチーズたっぷりの料理にしようと思っていたのに」
「前言撤回。腹いっぱい食わせてくれ」
ごめん、僕、チーズ大好き。
雷兎の妹、華音初登場。
雷兎の新たな性格、発覚。