一章 4/
一章 4/
僕の家からさほど離れていない、自転車でもせいぜい二十分程度のところにあるのが朝威邸だ。
朝威邸と呼んでいるだけあって、その見た目はかなりの豪邸だ。三メートルはある塀に囲まれ、入れる場所は門のみ。中は広い庭と噴水。石畳の先には邸宅がある。正面に一つと左右に一つずつ、『コ』の字型に並べられている。洋風。四階建てで屋根裏付き。
第一印象はマフィアのボスの屋敷。
車はないけど。
ともあれ、僕は少女を背負ったまま、庭に足を踏み入れる。
石畳を歩いて正面の家につくと、呼び鈴を鳴らす。重厚な扉が開いて、一人の男が現れた。
朝威識々。
見た目は二十台半ばほど。細身というよりは細長い体躯。髪は赤みを帯びた茶髪で少しぼさぼさ。いつも眠たそうな眼をしている。
第一印象はだらしない若者。
実は三十路だけど。
「よう」
「やあ、雷兎」
「こんな夜中に人を訪ねるのは、感心しないなあ」
「誰の所為だよ。他でもないあんただろうが」
「まあそうなんだけどね。で、首尾は?」
「ああ、それがな……って、違う違う。よく見ろ。僕の肩」
んん? と、識々はそこでやっと僕の肩に担がれた少女の存在に気付いた。
遅ぇよ。早く気付けっちゅーの。
「んー、婦女ぼうこ……まあいいや。中に入って詳しい話を聞こうか。いつもの部屋で待っときな。お茶でも淹れてあげるから」
「ああ。そうする。だからその前に一発殴らせろ」
◆
僕が通されるのはいつも同じ部屋だ。リビングといった感じで、ソファーとテーブル、テレビやその他諸々が配置されている。外装と同じく、とんでもない豪華さ。
照明が凝ったシャンデリアだからなあ。
三人分くらいの長さのソファーに少女を下ろし刀を立てかけて、僕は識々を待つ間ぼんやりと考えていた。
この少女を、ここに連れてきてよかったのか、と。
魔具に関わった者は、例外なく、普通の人生は送れなくなる。一人の例外もなく、一つの例外もなく。それが魔具だ。天使と悪魔の武器、否応なく魅せられ惹かれる。その魔具が、異常な生を走り続けさせる。異常な生、非情な生。いつしかそれが、通常になってしまう。
自分の意志も何もなく、この世界に足を踏み入れる。いや、踏み入れさせる、か。
この子は、今まで普通に暮らしてきたのだろう。三年前までの僕みたいに、魔具も知らず魔具使いも知らず、ただ普通に。ただ日常を過ごしてきたはずだ。
普通の人生は、もう、送れない――。
当時の僕は、どうだっただろうか。
どうだっただろうか――それを考えようとした矢先、扉の開く音が聞こえた。
識々が、盆に二人分の紅茶を乗せてやってきた。
「今日のはいつもよりいいヤツだ。楽しんで飲むといいよ」
識々はいつものおどけたような、飄々としたにやけ顔をしている。その左頬が少し赤かった。んー、何だろう。誰かに殴られたのかな?
僕は何も知らないよ?
識々が僕の向かいに腰を下ろす。
「……さて。早速だけど、経緯を話してくれるとありがたいね」
「分かってるよ」
少しの間黙る。今日あったことを頭の中で整理する。
「まず、だ。お前から頼まれた依頼は完遂した。〝絶対法律〟の違反者五人。一人残らず、死んだ。えーと、確か……小樫、新水、副夜、植田、池南、だったか」
「よく覚えていたねぇ。僕でさえ覚えてないのに」
「人間のクズでも、一応は人間だ。殺す前くらいには覚えておいてやろうと思ってな」
実際は忘れかけてたけど。
「で、予定が変わったのはその後だ。五人を殺して一服してたところで、轟音が聞こえた。さすがに気になるくらいの轟音だったよ。で、その音の方へ行ったら――」
「――この子がいた?」
「ああ。けど、それだけじゃない。もう一人――居た。『魔具蒐集戦線が一部隊、ギルド〝瀧夜叉〟の双翼の一人』――そう言っていた。名前は、虚衣蓬。どうだ、知らないか」
少し身を乗り出して尋ねる。識々は思案顔になった。
識々はこれでもギルドの筆頭代理でクローザーズの管理者だ。その情報関係の能力は、詳しくは知らないが、それでもかなりのものだと踏んでいる。もし識々が虚衣蓬を知っていたら、この少女がどうしてあそこにいたのか、手がかりが掴めるかもしれない――と思う。
「〝瀧夜叉〟と、虚衣蓬――いや、聞いたことはないな。どちらもね。ただ、魔具蒐集戦線の一部隊ってことなら、情報は手に入れられるよ。よほどの秘密部隊ってことじゃあなければね。まあ、それもないだろうね」
「だろう。その――虚衣蓬の戦闘能力は、一合しかまみえてないが、僕と同じくらいだと思える。秘密部隊並みなら、僕はその一合で死んでるだろうしね」
「魔具蒐集戦線、か。魔具を愛で、魔具を集め、魔具を守る、狂気の集団。厄介な相手だね」
「全くだ」
魔具蒐集戦線。その名の通りの組織だ。魔具を蒐集せし戦線。全てのギルドを統括する〝大統合ギルド〟、その中にいくつかある巨大集団の一派。ノーマルでありながらアブノーマル、スタンダードでありながら異常。
その信条は、魔具を愛でること。特に、強力な魔具や特殊な魔具を。
魔具は魔具使いにとって仕事道具であり相棒だ。それを愛でる……とまではいかないまでも、気に入る、大事に思う、程度は少なからずある。それが行き過ぎて魔具を愛でる。ノーマルでありながらアブノーマル、というのは、こういうことからだ。
「それで、状況を教えてくれるとありがたいんだけど」
「そうだな、そりゃそうだ。この子が魔具を持って、その虚衣蓬と対峙していた。そこに、僕が丁度やってきた。虚衣蓬は逃げ、少女は気を失い、僕はそれを背負ってきて今ここにいる。簡単に言えばそういうこと。まあ、難しく言うことも出来ないけど」
「そう」
識々が沈黙する。僕も話しかけない。
無為なようでいて有為な時間。少女の息の音だけがかすかに聞こえる。
一体、識々はどうする。
この少女を、あるいは虚衣蓬を、またはこれからを。
「そう」
識々は思考を終えたのか、話しかけてくる。
「そうだね。この子は、ひとまずここに居させることにしよう。この子がどういうものなのか、それはこれからどうするかを知る重要なヒントだ。君は、自分がこの子を魔具使いの世界に引きずり込んだんだなどと思っているかもしれないけど、それは大きな間違いだよ。魔具を一度手にした者はもうこの世界の住人だ。常人では、ない。常人でないとしたら何か。そう、魔具使い。だとしたらどこの所属か、合法非合法か、色々と分かる。そうすれば何故、虚衣蓬と、しいては魔具蒐集戦線と対峙していたのか、そのヒントがつかめる。この子をどうするかは、それからだ」
識々は言い終える。
大きな間違い――か。
「それで、これから話すのは僕達のことだ。この少女が魔具蒐集戦線の敵なんだとしたら、僕らも狙われることになる。それの相手をするのは、勿論、君だ、雷兎。〝大統合ギルド〟の監視がある限り、派手なことはしないと思うが、安心はしないほうがいい。虚衣蓬――君が一合交えたその子は言ったそうじゃないか。『ギルド〝瀧夜叉〟の双翼の一人』――と。それが本当だとすれば、その子と同等の子がもう一人いることになる。もう片翼だよ。君と同等が二人というのは、きついだろう。気を付けてね」
「気を付けてね、って……他人事みたいに」
「まさか。他人事なはずないじゃないか。しかしどちらだとしても君が危険なのは変わらない。出来るだけ早く情報を集めるよ」
「頼む」
「任せといて」
識々は紅茶を飲み干して、立ち上がる。
「今日は帰っときな。明日、学校あるんだろ」
「そうするよ。けどその前に、紅茶だけ飲ませてくれ。まだ一滴も飲んでない」