三章 13/ 早すぎる再会
結局メルカには昼飯を奢らされた。しかもあいつ、もりもり食ってた。それに加え、午後の買い物でも出費を強いられ、僕の財布の中身は空になっていた。
くそう、僕の生活費が……。
しかしそんなことを悔やんでいても生活費は戻ってこないので、仕方ない。諦めて、今日はメルカの付き人に徹した。
そして、夕方。
買い物を終えてほくほく顔のメルカと並んで、朝威邸を目指していた。
やがてそこに着き、自転車を豪邸の隅に置いて玄関を開ける。広い空間が広がっていて、並べられている靴は二足のみ。
僕とメルカの靴も加えて玄関を上がると、人三人は並べるくらいの廊下。上がってすぐ左には何もない。まっすぐ進むと突き当たりに階段があって、その上には識々やメルカ、恋歌の私室や僕がたまに使う部屋もある。そして、玄関を入ってすぐ右には、僕やみんながいつも集まっているリビングがある。
その扉を開ける。
「――え」
「お」
間抜けな声が出てしまった。
「やあ、おかえり、雷兎君にメルカちゃん」
「あ、ああ、識々。ただいま。……そんなことより」
「この男は、誰なの」
僕の言葉を引き継いだのは、僕の後に部屋に入ってきたメルカだった。
そう。
僕の眼前にいるのは、見間違えようもない。幻覚でもない。紛れもなく現実の光景だ。でもあまりよく分からない。
なんで――こいつが。
僕が昼に会った、あの男が?
「久しぶりだな。何時間ぐらい経っただろうよ」
長身にくすんだ金の短髪。黒いコートは今も着ていて、僕がボケたわけじゃないことを確認させる。
「識々、これはどういうことだ」
「どういうこともこういうことも、それは追って説明するよ。……それより、何だい? 二人とも、もう顔見知りなのかい」
顔見知りといえば、確かにそうだろう。ただ、その出会い方は決して友好的ではなかったが。
「雷兎君、安心していいよ。彼は味方だ」
「そうだぜ、雷兎とやら。昼のことはさっぱり忘れて、まずは話し合おうじゃねぇか」
口元を歪めでにやにやと笑う男。どういうつもりだ、こいつ……。
「まずは自己紹介といこうじゃないか」
「だな。……オレの名前は、蓮条久遠。魔具使いだ」
蓮条……久遠。
その名前を心の中で反芻して、言葉を返す。
「織神、雷兎。〝一期一会〟の魔具使いだ」
「よろしく、雷兎」
「……ああ、蓮条」
「何だよそよそしいな。まだ警戒してんのかよ」
「当たり前、だろ」
数時間前には相手の腹を探り合っていたというのに。なかなか、警戒は解けるものじゃない。
「じゃあ、僕は仕事もあるから、部屋に戻るよ。雷兎君と久遠君で、ゆっくり語り合ってくれ。メルカちゃんも向こうに行ってたほうがいいよ」
「……分かったわ」
「えっ? ちょっと」
じゃあ、と強引に僕の言葉を遮って識々は出て行く。僕の後ろに付いていたメルカが視界に入る。目が合った。
「話は後で聞くから」
「……うん」
次いでメルカも出て行って、広いリビングには僕と蓮条、二人だけになった。
「そんなにピリピリすんなよ、小僧。お前が敵じゃないなら、戦う必要もない」
「そうかも知れないが……」
どうにも、安心は出来ない。
そんな僕の様子を見て、蓮条は溜息を吐いた。
「はぁ~。……オレの魔具は、装備型の刀だ。名前は〝捌限〟。刀といっても、居合刀だが」
「……どうして、そんなことを」
「昼にお前の能力、聞いていたじゃねぇか。不公平だと思ってな。それに――オレの能力を話せば、ちぃとは信用してくれるだろうと」
どうやらこの男、それほど馬鹿でもないようだ。それに、自分の情報を聞かせるということは、それだけ信用してもらいたいという証明でもある。
僕は、この男を信じてもいいのだろうか。
「……この町には、何の用があってきたんだ」
「用、ね……。数日前、八代町で殺人事件があっただろ。全身がバラバラにされた事件。オレは、あの事件を調べにきた」
「まじか……」
じゃあ、犯人だと見当をつけた相手を僕は尾行していたのに、そいつが実は同じ目的を持っていた奴だったってことなのか。
巡り合わせ、か。
「オレが元いた町で活動していたとき、その事件のことを聞いてな。はるばるこっちまで来たということだ。そして情報を集めているときに〝一期一会〟――朝威識々の名前を知って、奴に協力してもらうことにした」
「あいつには、どうやって接触した?」
「直接会ってさ」
「直接?」
「ああ。まあ最初は間接的に、だったが……。とりあえず、立ち話も面倒だ、まずは座ろうぜ」
確かに立ったままだった。促されて、ソファに腰を下ろす。
「始めはこの大豪邸のポストに手紙を入れておいただけだった。内容は、簡単に言えば情報が欲しい、ってところだな。それから何度か手紙をやりとりし、昨日――日付的には今日だが――に直接会った。八代公園でな」
八代公園といえば、この町のスポットの一つだ。大きな池には鯉もいたり、穏やかな空気が流れている。僕はあんまり行ったことはないけど。
「識々は快く協力してくれるようだったな。それに、お前のことも少しは聞いていた。〝一期一会〟唯一の前衛魔具使いだってな」
「なるほど……」
僕には何の相談も連絡もなかったわけだ。どういうつもりかは分からないが、識々のことだし、ちゃんと身元や身辺は調べているんだろう。その上で情報を渡し、協力を認めたということは、それだけ信頼出来る相手だと思ったのか。
「蓮条、お前も魔具使いだったからには、元々いたギルドもあったんだろう。それはどうしたんだ?」
その質問に、蓮条は僅かに言いよどんだ。
「……捨てたよ」
「捨てた……か」
「ああ。……オレの元いたギルドは、〝武來〟、ってとこでな。オレはそこの戦闘員だった。それも一週間前の話だが」
〝武來〟といえば、日本では中堅クラスには入るギルドだ。多くの優秀な戦闘員を抱え、抗争のみならずクローザーズから依頼を受け〝絶対法律〟に反した者を罰する、優良ギルド。
そこでいたからには、やはり、十分な知識と技量を持っているはずだ。
「……この事件に、何かあると思っているのか? ギルドを辞めてまで、この町にきたんだろ?」
「ああ……少し、因縁があるようなんだ」
……いまいちはっきりとしない答えだ。あるようだ、って、自分では分からないのか。
「聞かないほうがいいか」
「ああ、出来れば」
蓮条は組んだ手を見、思いつめているように見える。何があったのか、気になるけど穿鑿はしない。魔具使い――その宿命には、誰だって一つや二つの暗い過去がある。魔具使いでありながら順調に人生を歩んできた人間なんて、そうそうはいない。少なくとも僕は、会ったことがない。
蓮条も暗い過去をもつ一人の男だ。そして僕も。
互いに、そういう干渉が出来るようになるには時間がかかるだろう。今は、まだそのときではない。
蓮条は組んでいた手をほどいて、ソファに凭れかかった。
「悩んでても仕方ないか。話したいことは色々とある」
「例えば?」
「お前の、本当の能力、教えてくれてもいいんじゃないの」
「…………」
見抜かれてたか。そりゃそうか。
「名前は〝白ウサギの目〟。寄生型の、箇所は両目。能力は、運動能力の向上」
「だけか?」
「そうだよ」
「なるほどな……それで、あの時ナイフって話したのか。確かに徒手空拳っていうのは心もとないからな」
「うん。自分でも、攻撃力に欠けるっていうのは理解してる。足技とかも練習してるんだけど、なかなか上手くいかない」
「オレのいたギルドにも、そういう奴はいたな。あいつは、確か……能力を活かして、斥候を引き受けたり、暗殺をしていたな。それはチーム戦だからこそ出来ることだから、現状では無理か」
暴走のことは、教えなかった。何だか、あまり人には話したくなかったのだ。
今はそのことより、蓮条が話した人のことが気になる。なにか、ヒントでも掴めれば。
「そいつの話、もう少し聞かせて」
「……徒手空拳といっても、大別したら二種類に分かれるがな。力技で押すタイプと、搦め手と技術で凌ぐタイプ。お前はどっちだ?」
「それで分けるなら、後者」
「体格から見てそう思った。で、そいつもその後者のほうでな。さっき言った役割をこなしていた。武器は、確か、あいつは何も持っていなかった。常に素手で戦っていたな。〝武來〟の場合、戦うときは常に三人以上で組むことになっていた。だからそいつは、敵を翻弄し、攪乱し、体勢を崩したところで混ざって他の仲間に混じって敵を仕留めていた」
「翻弄、攪乱、か……」
「一人で戦うことにも応用できるはずだ。すばしっこいんだろ、お前も」
応用、か。なるほど、僕もそういうことはしていた。フェイントを混ぜたり、受身で反撃したり。そういうことでもしなければ、決して強くはなれない。
「あとは……お前、武術とかは? ナイフを使っているんだったら、刀剣術でもいい」
「いや、全く習っていない……我流だ」
「それはまずいな。一応一通りの技術は知っておいたほうがいいぞ。今からでも十分に時間はあるはずだし、朝威に頼めば紹介くらいしてくれるだろう」
「そう、だな」
技を習う。……慣れていない。でも、蓮条が言うことにも一理あるのは確かだ。
「まあ、最も手っ取り早いのは、仲間を見つけることだな。お前個人だけじゃない、チームの力を底上げするんだ」
「そうだけど……。蓮条、お前は? 入るつもりはないのか?」
「一期一会に、か……」
蓮条は再び言いよどむ。
こいつは、まだ戦闘を見たことはないが、知識は豊富だ。経験が大切なのは魔具使いにおいても同じで、それを蓮条も分かっているだろう。仲間のことにしても、他人にアドバイスを与えられるくらいには覚えているのだ。
「今のところ、入るつもりはない」
「そうか……じゃあ、もしこの事件が収束したときには、どうするつもりなんだ。元のギルドを捨てた、ってことは、戻るつもりはないのか」
「ああ。〝武來〟には戻らない。てか、戻れないだろうな」
「じゃあ、これから先は」
「事件が終わった後のことは、まだ考えなくていいだろ」
それは、どうするかの決断から逃げているだけじゃないのか――思わず口に出しそうになった言葉を、なんとか喉で抑え込む。思案して、代わりの言葉を口に出した。
「戻れない、って、なんかしたのかよ」
「……オレが出て行くのを、みんなは良しとしないでな。大きな抗争が迫っていることもあったし、これは自分でいうのは気恥ずかしいが、割と上位にいてな、オレは。いくら数は揃っている〝武來〟といっても、全員が全員前線で戦えるような組織ではない。戦闘にも出られて、新人の育成も出来るオレは、結構重要な立場だった。でも、強引に出て来た」
そうまでして、この事件には何か調べることがあるのか――
蓮条の、執念のような意志は、どうして起こったのか。
それを考えているとき、リビングの扉が開いた。
「二人とも、話は弾んでるかい? あ、邪魔しちゃった」
「いや、構わない。どうした」
入ってきたのは識々だ。それだけじゃなく、メルカと恋歌もいる。
「何だ?」
「実は今日、〝静楼イグザリオ〟との抗争の二回目でね」
「あっ……」
そうか。蓮条のことがあったから、すっかり忘れていた。
自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、それをどうして識々が言いに来たか考えたとき、答えはおのずと出て来た。
「識々」
「雷兎君は分かったみたいだね。久遠君も分かるだろう?」
「……ああ」
「君が実力のある魔具使いだということは分かる。けど、その実力を生で見ているわけじゃない。これは丁度いい機会だよ。君の実力を見せ付けるという意味でも。――雷兎君の代わりに、抗争に出てくれ」
蓮条がどれほど強いかのテスト。
この事件に、関わらせても問題ないのかの判断。
それを、識々はしようというのだ。
当然、この誘いを断るような男ではないだろう。
「ああ、いいぜ。やってやる。――斬ってやる」
蓮条との話の中には、こいつの武器のことも含まれていた。居合刀。
「雷兎、お前には話してなかったが、この魔具には色々と条件《、、》があるんだ。それを話すのにも丁度いいな」
「条件……」
不適に微笑む蓮条。その横顔は、例えるなら、捕食者の表情だ。
「承諾、だね。今回はメルカちゃんも恋歌も連れて行く。全員で見させてもらうよ」
「ああ」
「待て識々、メルカもか!?」
どうしてだ、と言おうとしたが、それを阻んだのはメルカ自身だった。
「私が自分で頼んだ」
「……何でだ」
「私もいずれは、戦いに身を置く立場だ。生の戦闘も見ておきたい」
「でも……」
「いいから」
メルカは、暫く先に訪れる自分の運命を受け入れるつもりのようだった。
その、燃えるような輝きを灯した瞳を直視しきれず、逸らしてしまう。
「……いいみたいだね、雷兎君。じゃあ行こうか」
メルカの意志は固い。今回は諦めるしかないようだ。
「さっさと行こうぜ」
「そうだね」
識々と蓮条がやり取りして、続々とリビングを出て行った。僕もそれに続いた。