三章 11/ メルカと休日
「雷兎、何ぼーっとしてるの。早く行くわよ」
「え? ごめん、すぐ行く」
メルカの声に反応して、前を行く彼女の背を追いかけた。
とある日曜日。とあるショッピングモール。多人数で、あるいは一人で並んだ店の中を散策する人達を尻目に、僕はメルカに追いついた。
「次、どこ行くんだよ」
今日はメルカと二人でお出かけである。
「あの雑貨店。どんなのがあるか見たいから」
……正確には、暇を持て余していたメルカに目をつけられ、強引に引きずられてきたんだけど。同じく僕も暇だったからだけど。
彼女の表情は普段より明るく見える。何でも、久しぶりの買い物ということでテンションが上がっているらしい。僕への悪態も五割減くらいだ。陳列された商品を眺めることのほうが重要みたいだ。
「どんなのがあるの?」
「え? ……うーん、雑貨?」
「……そう」
この通り、ボケてみても罵倒されることはない。なんか物足りなく感じる。
……ていうか、何で僕はそんなに落ち込んでいるんだ。起こられないんだからいいことじゃないか。
寂寞を感じる僕の感情に、ちょっとだけ恐怖を覚えた。
「ほら、さっさと行きましょう」
「分かったよ」
まあ、今日一日くらい、毒の抜けたメルカの世話をするのも悪くない。家で一日中だrだらしているよりは遥かに有意義だろう。
ちなみに今日の僕は前髪を上げている。知り合いに見つかっても分からないように、だ。
僕もメルカも、高校では殆ど喋らない、友達もあまりいないような奴だ。その二人が仲良くお買い物、なんていう光景を同じ高校の生徒に見られたら、まず間違いなく校内で噂になるだろう。メルカは、買い物しに行きたいがそうなってしまうのも嫌、ということで僕にこうさせた。
実際メルカにやってもらって鏡を見てみたら、随分と違う印象を感じた。いつもは前髪が長いから表情が隠れがちになるのだ。
そうまでして何故メルカが僕と買い物に行きたいのかは知らないが、ともかく。
「もうすぐ昼だし、その店見終わったら何か食べる?」
「雷兎が食べたいだけじゃないの?」
「そうとも言う」
早速商品を見始めたメルカ。僕もその横でそれを見る。
「雷兎は何が食べたいの?」
「僕? 別に、何でもいいけど」
「何でもいい、というのは、作る側にも失礼だぞ」
「ごめん。じゃあ、カツ丼がいい」
「我が侭な奴だな! そうまでしてそれを食べたいか。そんなにカツ丼が食べたいならさっさと家に帰れ!」
「お前が言わせたんだろ!」
「ていうか何だそのチョイス、女の子と二人で仲良くカツ丼だと!?」
「悪かったな!」
面倒くさい奴だな、本当に。……まあ僕も、メルカのこと考えてなかったのが悪いのかもしれないけどさ。
「じゃあ、メルカは何が食べたいんだ」
「回らない方の寿司」
「高級だな!」
「そう、高級な方の寿司」
「さも当然のように!」
この贅沢者め。
「はぁ……メルカ、識々から何円貰った?」
「三千円」
メルカは今、識々の豪邸、朝威邸に身を寄せている。居候ともいう。そして外出の際には識々からお小遣いを貰っているのだ。
かくいう僕も、生活費は識々が貰っているんだけど。それがまた悔しい。
僕は愛しい妹、華音と二人で暮らしている。親戚筋に引き取ってもらっているわけではない。つまり、働き手も収入源もなかったのだ。だが我が家には、両親が持っていた莫大な財産が残っていた。
人間二人が何十年かそこら、暮らしていけるくらいには十分に。
それを切り崩して生きていくのは簡単だ。けど、僕はそれをあまり使いたくなかった。だから、識々に頼っている。
ギルド〝一期一会〟の団員、もう一つの顔は、〝大統合ギルド〟のクローザーズの僕は。
〝一期一会〟の頭領代理、その側面は〝大統合ギルド〝クローザーズの管理官である識々に。
クローザーズとしての仕事を紹介してもらい、その手間賃を貰っている。勿論その何割かは識々に取られるが。二人が生活していく分には十分な量は手に入れられる。
そんな理由でもなければ、わざわざ人殺しなんか、出来ない。金のため人を殺すのは、罪人を罰するのは、世のお父さんが家庭のためにあくせく働くのと、本質では変わらない。
まあ――問題はその本質以外にあるのだけど。
「で、今残っているのは?」
「千円ちょっと」
「それで高級なお寿司様が食べられるとでも?」
僕の手には、メルカが購入した品の入った袋が提げられるている。俗にいう荷物もちである。
「仕方ないなあ……」
「また今度の機会にしとけよ」
僕が何とか賃金を得ているとはいえ、それは不定期な仕事だ。何もないときは、本当に何もない。そんなときは仕方なく、遺産を使わせてもらっている。
そう、使わせてもらっている――のだ。遺産とはいえ、それは父さんと母さんのものだから。だからこそ、あまり手を出したくはない。
目の前で生活雑貨を手にしたり眺めたりしているメルカを観察しながら、思った。メルカも、何かしら苦労してきたのだろうか――と。
「メルカってさ、識々のとこに来る前は、どこに住んでたの?」
「何、ストーカー?」
「違うから。転地がひっくり返ってもそれはない」
「言い過ぎよ」
メルカが大人しいときくらいは軽口言わせてください。
「……どこっていっても、普通の、学校に近いマンションだったわよ。そこで一人暮らし」
「お金は?」
「正宗本家から毎月届いてたわ」
正宗本家――正宗村正のところということか。
「正宗家の子供は色んなところに散り散りでね。まあそれも自分達が望んでしたことなのだけど。自分で稼げる人は稼ぎ、出来ない人は仕送りを貰っていたの」
魔具使いの一族は総じてそういう傾向が強いと聞くが。……正宗家の魔具使いなら、さぞいい仕事をして、大金を稼いでいたんだろうな。
「それで、今は居候中か」
「居候じゃないわ。家事とかもしてるし」
「そうなのか?」
「炊事洗濯掃除、私が暇なときはしてるわよ。最も、炊事に関しては殆どさせてもらえないけど」
「識々、料理好きだからな」
実力もプロ並みだし。
「そういえば、メルカの生活費は全部あいつの懐から出てるんだよな?」
「そうよ。あの人、割とお金持ちよね」
「…………」
僕、恋歌、メルカ。よく考えれば、三人とも識々なくては生活出来ていないのだ。
僕は自分で仕事を取ることは出来ないし、恋歌は後方支援で自分では戦えないから同じく。メルカも今は依存している状態だ。
それにあの豪邸。乗ってる車も何気に外車だし。識々って、たまにすごい奴のように思えるよな……。
「あのお金はどこから出てるのかしら」
「さあ……詳しくは知らないけど。クローザーズの管理官なんかしてたら、やっぱり給料も違うんだろうか」
その癖に身なりは適当だし。言動にしてもそうだけど。
不思議なところが多い奴だ。
「まああのような男のことはともかくとして。お昼の話は結局どうするの?」
「メルカに任せてもいい?」
「高級寿司屋に行くわよ」
「食い逃げ犯にでもなるつもりか」
どんだけ寿司を食べたいんだ。中毒患者かよ。
「そんなに寿司好きなんだ」
「いいえ、それほどでも」
「あ、そうなの!? じゃあ何で……」
「単なるノリよ、そんなことも分からないの、この男は」
「どうもすいません」
ちなみに、この会話中メルカは一度もこちらを見ていない。ずっと商品を見て回るのに集中している。ある意味凄い。どんな意味で凄いかはあえて口にしないほうがいいと思う。
「……で、結局何が食べたいんだよ」
「何でもいいわよ。雷兎に任せる」
「何でもいいはいけないって言ったのはどこのどいつだったよ……まあいい。カツ丼でもいいのか?」
「別に。あなたもやたらカツ丼推すわね。そんなに好きなの?」
「嫌いじゃないけど、一日三食毎回カツ丼とかは遠慮したいレベル」
「それは中毒よ」
ふうう、と息をつきながら前かがみだったのをやめて姿勢を戻したメルカ。こいつ、背高いな。僕と数センチしか変わらないんじゃないか。
というか、スタイルがいい。足の長さが何かもう……僕と比べたら軽く絶望できそうだ。
「行ってから決めるのがいいかしら」
「……そうだな」
何でそれを最初に提案しなかったのかは謎だが。
「何か食べれないものある?」
「プラスチックとか?」
「それ言うなら僕もそうだけど」
「冗談よ。察しの悪い子ね。別に、何もないわよ。強いて言うなら不味いもの」
「そりゃ、美味しくないものをわざわざ食べたくもないしな」
誰だってそうじゃないんだろうか。
……そんなこんなで、店を出て、二人で並んで話しながら歩いていると――
「…………!」
僕の視界に、異常が映る。
人の往来の中で、夏の兆しが見えてきたこの季節に、そいつは真っ黒だった。まるでそこだけ色が欠落したように、ぽっかりと。
それは多分、黒いコートだ。真冬に着るような丈の長いコート。それに下半身を包んでいるのはこれまた黒い衣服。だが、頭は――頭髪だけは、金に光っていた。
簡単に言うと金髪である。
「……メルカ、さ。一人で飯食べたりとか平気なタイプ?」
その頭髪はさほど問題ではない。と、思う。
気になるのは、その服だ。真っ黒なコート、異様さを醸し出す装束。
あれは――まるで。
「どうした? ……まあ、それほど苦痛ではないが」
「じゃあ、先に行ってて。済まさなきゃいけない問題が出来た」
あの日出会った、あの気持ち悪い男じゃないか――!
雰囲気も含め、それはあの夜の男と似通っていた。身のこなしも、素人じゃない僕から見たら、只者じゃないようなことは、若干だけど分かる。足の動かし方が、普通とは違う。
「すぐ戻るから」
奴が何者か、確かめたい――そして、もしあの時の男なら、ここで仕留める。
そのためにも、尾行をする。
メルカの返事を待つことなく、僕は速やかに、密やかに、歩を進めた。
三章に入りましたね。
特に言うこともないですね。はい。