二章 8/ 二対一の抗争(下)
六十四の弾丸が、持ち主の魔具が消滅したことを示すかのように落下した。
ばらばらばら、と地面に跳ねる音を聞きながら、僕は目の前の男を一瞥した。
「ぐ、ぅ……」
瀬尾玄甲。
腕は反対方向にひしゃげ、骨が飛び出ていた。身を包む衣服の胸元が袈裟に切り開かれ、守られていた肉体も切り開かれ、鮮血が滴っている。足にはネイルナイフ六本が突き刺さっていて、身動き出来そうにもない。
「それが、貴様の本気か……」
「意識が残ってないから、戦った感じはしないんだけどね……」
けど、体にはとんでもない疲労が残っている。
膝を付いて、荒々しい息を整えようとする。限界を突破した運動は、馬鹿みたくでかい後遺症を残す。それが僕の体を襲っていた。
「まさか、それほどまでに強いとはな」
口から血を吹き出しながら、玄甲は呻いた。返事が出来ない。
辺りは血の海だ。玄甲の体から噴水のように溢れ出た真っ赤な液体は、僕の体を赤黒く染め上げ、地面の土はそれを吸って変色している。
僕の方は傷一つ負っていない。
息が落ち着き、再び立ち上がる。立ち眩みがして、片手を額にやった。
「これは、僕の強さじゃないけどね」
「――――」
答えは返ってこない。絶命していた。
玄甲の近くに堕ちていた双銃〝ベレッタ〟が、主の死を感じて、砕け散る。黒かったボディは、玄甲の戦闘不能に応じて灰色へと変わっていた。まるで、枯れるかのように。
砂のような粒子に分解された魔具は、土の上に山を作った。
「疲れた……」
前髪を掻きあげながら嘆息。やっぱり俺に任せるのは無理があるかもしれない。そんなこといっても、使わなきゃいけないときがあるんだけど。
そして、心を不思議な感覚が満たす。
玄甲の魔具を喰らう、〝白ウサギの目〟の歓喜だ。
「…………ふぅ」
玄甲は死に、魔具は喰らい尽くされ、僕は周囲を見渡した。いた。
芹沢鴎。
彼女は、まだ死んでいない。その証拠に、魔具を喰ってもいないし、仰向けになった彼女の体はわずかに動いていた。
今ならば、寝ている最中に命を刈り取れる。
「気が進まない、けど」
体も心も。両方。でも彼女を殺さないと今回の戦いは終わらないし。
何メートルあるか考えるのも億劫だ。遠いからではなく、意識が朦朧として来始めたから。
メルカと戦ったときもそうだった。あの時は終わった直後に意識が飛んだんだっけ。今回はもっただけよかった。寝てしまってたら僕の方が寝首をかかれて死ぬところだ。
鴎の体は胸がかすかに上下するだけで、起きる様子はない。魔具のグラディウスとラウンドシールドも霧散している。ただの女の子だ。
足を引きずりながら、ゆっくりと距離を詰めていく。
鴎の体はすぐそこ。やっとのことで辿り着き、その上に跨る。
「なんか僕、女子の体に乗っかってばかりだな」
まるで変態だ。
鴎は、体にかかった重力を感じて、眉根を寄せた。徐々に、その瞼が開かれる。
「何で……お前が上に乗っているんだ……」
「何でだと、思う?」
鴎は無言で右拳を振るう。それを左手で受け止めて、右手は右太腿の鞘からスローイングナイフを抜く。メスにも似た鋭利で薄い刃物。鴎の首筋にそれを押し当てる。
「お前に陵辱趣味があるとはな……」
「ねぇよ」
ストレートすぎだろ。
放送コードに引っかかるわ。何の話だ僕。
「あたし、お前に一撃でのされちゃったわけね。何でその強さを隠していたの?」
「隠してたわけじゃないよ」
抑えが効かなくなるから出来なかっただけで。そんな高等テクニックは使えない。
鴎は、ナイフがあるにも関わらず、首を横に動かした。ナイフの鋭い切っ先が首に触れ、皮を薄く裂いた。傷を気にする素振りもない。
彼女の瞳は、倒れて息絶えた瀬尾玄甲の姿を映しているようだった。
「まさか、彼を倒すなんてね」
素直な驚嘆を表しながら鴎は呟いた。
「僕の力じゃないよ」
「謙遜するなよ。お前以外の誰の力だというんだ」
「知らねぇよ」
鴎は僕へと向き直る。
「玄甲が死んで、せいせいしたか?」
「……どうだろうな。どうとも言えない」
彼女の瞳は、今、何を映しているのだろう。僕には何も見えない。
「……あんな奴でも、一応はパートナーだったんだ。思うことは、沢山あるさ」
「その元パートナー相手に、随分な言い様だよな」
「戦いを見て感じるように、歪な関係だったからな。あまり良く思ってないこともあった。私には従うしかなかったわけだけど」
「何が、あった?」
瀬尾玄甲と、芹沢鴎の間に。どんな事が。
「――私は、瀬尾玄甲に拾われた」
「拾われ、た」
「そう。助けてもらったわけじゃないということは、先に覚えてほしいけど。……魔具が覚醒して間もないころ、私は町を彷徨っていた。行く先のなかった私を、奴が見つけてくれた。そして〝静楼イグザリオ〟に入団した。
私が戦うとき、奴はいつも一緒にいた。心配して、とか、共に戦うために、じゃない――私は盾だ。奴に迫る攻撃を全てその身で受け止め、阻む、盾。私は、奴にとっては道具でしかなかった」
道具、か。
鴎は虚空を映しながら、言葉を紡いでいく。
「それでも、私は奴のことが嫌いというわけではなかった。一応、私の命を拾ってくれたんだからな。その恩は報いるべきだと思ったし、その最も良い方法は、奴の壁となって戦うことだった。満足はしないけれど、不満もない、そんな生活だった。
まあ、私が何を思っていようと、奴は私のことは単なる道具だと思っていたろうしな。それは、今日の戦いで分かった。……今まで奴は、壁にすることだけで、私を攻撃することはなかった。でも今日は」
僕を倒すために鴎の限界を超える量の弾丸を放ち、そして鴎に傷を付けることになった。
「それでも何も思っていないようだったからな……心では分かっていたとはいえ、辛かったな……」
目を瞬かせる。涙が零れ落ちないように。鴎の表情は悲痛だった。
「その奴が死んで、お前は何を感じたんだ」
「……何も」
「本当に?」
「――何も」
「そっか……」
彼女が強がっていることはすぐに分かった。けれどそれを追求はしない。したところで、何を感じたか話してくれるわけでもないだろう。そしてそれを僕が聞いたところで、何も変わらない。
「ならせめて、同じところへ行けるように」
死後の世界を、僕はそれほど信じてはいない。でも、あっても不思議じゃないと思っている。僕や人類なんかに、手の負える問題じゃないことは幾らでも転がっている。
右手を動かす。
「鴎、死んでくれ」
「…………」
軽く、引いた。
スローイングナイフの切っ先が、鴎の細首を掻っ切る。
大事な血管が損傷し、血が噴水のように噴き出る。僕はそれを顔面で受け止めた。生温いような、冷やりとするような、べたべたとした感触をしたそれが勢いよく噴出する。視界は真っ赤に染まって、耳は滝のような水音で使い物にならず、口はいくら閉じようとしても水流がこじ開け流入してくる。気持ち悪い触感と血臭で周囲がむせ返る。けれど僕は、それを受け止め続けた。
血液の噴水は止まるところを知らない。
「…………」
いつ終わるのかもしれないそれは、しかし終わらないはずがない。
時が経つにつれ血流は勢いを失っていく。体中の血液が外へと出されていく。
目が開けられ、息も出来るようになった。瞼を開くと、そこは鮮血で染まりきっていた。その中心にいる鴎は、当然だが既に絶命している。
その金髪も、白い肌も、無残に赤い。
「ギルド抗争戦、〝一期一会〟対、〝静楼イグザリオ〟――」
白いコートの審判員が高らかに声を張り上げた。
「勝者――ギルド〝一期一会〟、織神雷兎」
その声を聞きながら、僕は鴎の顔をみつめ続けていた。