二章 6/ 篝天音と放課後
今日も大して変化のない学校生活が終わる。
けど、いつもと少し違うのは、みんなが微妙に僕に注目しているということだ。
「何だかなぁ……」
小声で呟きながら、鞄に荷物を詰めていく。さっさとこの空気の中から消えてしまいたい。
昨日のことがあったからだろう。ずっと、というのは自意識過剰かもしれないけど、結構見られている気がする。そう考えると、昨日の態度は迂闊だったな。
鞄を肩に提げ、さっさと教室から立ち去ろうとした。
けど。
「織神君」
教室内の空気が、凍りついた。
この部屋の中で、僕の名前が呼ばれたことが何度あるだろう――教師ならともかく、クラスメイトに名前を呼ばれたことなんて、殆どないはずだ。
そのように動いてきたのだから。
けど、さっきの声は確かな人間の声で、それは、僕のすぐ近くから聞こえてきた。
恐る恐る、左に視線を送る。
長髪を後ろで一つ結びにした、小柄な少女。スケルトンピンクのフレームをした可愛らしい眼鏡をかけた――僕のクラス、二年E組の委員長。
「篝……さん?」
「話があるの」
僕に……話。
クラスメイトが。
「今日の放課後は暇?」
「暇……っていえば、暇、だけど」
「じゃあ、空いている部屋に行きましょう。二人で話したいことだから」
篝さんは、踵を返してリュックサックを背負った背中を見せた。そのまま進んでいく。付いて来い、ってことなのかな?
訝しく思いながらも、その背中を追いかける。周りの視線が痛い。昨日に引き続き今日も何事かと。あの《、、》篝さんが、どうしてあの織神を連れまわすのか、と。
それは僕が聞きたい。
明日も今日みたいにじろじろ観察されながら過ごさないといけないのかなあ、と思うと、若干胃が痛くなった。
◆
篝天音。
二年E組の委員長。部活には入っていない。
彼女は、クラスのみならず、全校にその名を知られているといってもいい。それは、彼女の才能によるものだった。
僕の知り合いでクラスメイトの正宗メルカでさえ、テストで篝天音を越えたことはない。彼女は、高校に入学して以来、一位の座を譲ったことが――ない。
別に、愛染高校が低レベルな高校というわけではない。都市から外れた高校とはいえ、進学校の側面も持ち合わせているのだ。
彼女は、校外模試で百番以内に入ったこともある。そのときの校内の驚きようといったらない。だが、彼女自身は、それを大したこととは思わなかったらしい。
自分の頭脳は、その程度だ――と。
こともなげに彼女は言ったそうだ。
このエピソードだけを話すと、彼女は冷酷な無感情女と思う人もいるかもしれない。けど、それは大間違いだ。
クラスでは誰よりも明るく、優しく。委員長という、面倒な役柄も自分から進んでなろうとした。そしてその役目をきっちり果たしている。
また、部活には入っていないと述べたが、運動神経が悪いわけでも、ない。
一年に二度ある、球技大会。なぜかこの学校はその球技大会にかける情熱が凄まじく、当日は勿論、それまでの数週間なども熱い。猛特訓と、場合によっては相手チームの主力の戦意を喪失させるために裏で動き回ることもある。それは全て、大会で一位を勝ち取るために。
何故それほどまでに一位の目指すのかは全く分からないけど、それはともかく。篝天音は、その大会で人一倍頑張っていた。
前回の球技大会は、一年生の終わりごろだった。そのときは一緒のクラスじゃなかった。女子の競技はバレーで、そのとき彼女の凄さを知った。
まさに、一人勝ち。
……あのときの勝負は、勝負ともいえないような、残酷なものだった。
詳しいことは語りたくないので、割愛するとして。
とにかく、彼女は――頭脳明晰、運動神経抜群、品行方正で成績優秀の、一種の化け物みたいな人間だったのだ。
そんな人が、どうして僕に話があるんだろう。
篝さんの背中を見つめながら、心の中で聞いてみた。答えは、勿論返ってこなかった。
「この部屋空いてない……ここも……」
前をぐんぐんと進む篝さんと僕がいるのは、特別教室が並ぶ棟だ。篝さんは教室のドアを開けて中を確認し誰かがいるようであれば次を探した。
次にさしかかったのは物理室だ。物理は二年からの選択科目だけど、僕は取っていないので入るのは初めてだ。
「あ、ここは空いているね」
篝さんは振り向きながら言った。
篝さんと僕、物理室に二人きり。
話したこともない人と、いきなり。
「その……ね。聞きたいことがあるって言ったのは、覚えてるよね」
「流石に」
「それもそうね」
篝さんは溜息を吐きながら、乾いた笑いを漏らした。物理室の机は四人が座れるくらいの長机だ。篝さんはそこに腰掛けた。足はついていなく、空中でぶらぶらさせている。
僕は、どこに居座るべきか迷った挙句、篝さんの横に、同じように座った。
「……大体、察しはついてるんだけど、ね」
足はついてる。僕もそれほど高身長なわけじゃないから、篝さんが小さいだけなんだろう。
一見すれば小学生高学年にも見えてしまう。僕よりも頭一つ分は低い。けど、そんな体型でも勉強は出来るし運動も出来るし友達とも仲良くて、すごくパワフルだ。
力に溢れている。
……そんな体型って、すごく無礼な気もするけど。
「昨日のこと、だけど」
「うん、分かってる。……最初は、愛の告白かとも思ったけどね」
ははは、と空々しく笑った。
「そんなわけないじゃん。殆ど話したこともない人を、何で好きになるのよ。その考えは、あまりにも自意識過剰だと思うんだけど」
「うっ」
キツい。
冗談を言った僕が間違っていたのだろうか。
「じょ、冗談よ」
「冗談でもキツいし、冗談でなかったらへこむ」
「男子は大変ね」
「女子はそうならないの? むしろそっちのほうがよく考えていそうな気がするけど」
「とんとんだと思う」
それもその通りかもしれない。まあ、それはどうでもいいことだ。
「昨日のことか……何が知りたいの? 警察から聞いたことは、一応守秘義務あるからあまり話したくないんだけど」
「その主義義務を破ってでも、全てを話してもらいたい」
「…………」
それが品行方正な委員長の放つ言葉であろうか。
僕もそれほど守るつもりはなかったけど。識々の知り合いから聞いた話だし。
「誰にも言わないって、約束する?」
「する……出来る。指きりげんまんしてもいいよ」
「子供か」
視界の端に何かが映る。篝さんの右手小指だった。顔を窺うと、余計にそれを押してきた。どうあってもしておきたいらしい。
しておいた。
僕の左手小指をさしだすと、彼女の指が素早く絡め取る。獲物を捕獲する蛇並みに速かった。
「指きりげんまん」
「……指きりげんまん」
なんでこんなことしてるのだろう。
「……じゃあ、本題に入るね」
「ドンと来い」
「一部始終、全て教えて。事件の状況とか、噂でも何でもいいから――あと、織神君の持ってる情報と、君が犯人でないか」
随分とざっくばらんな受け答えだった。僕の台詞も相当適当だけど、篝さんの言った言葉も強烈だな。
「……僕が犯人だったら?」
「怒る」
「それだけ?」
「それ以上のことをしてほしいの?」
「もし僕が犯人だったら、の話だけどね」
「違うの?」
「違うよ。他でもない自分自身が知ってる。僕は、犯人じゃない」
そして、誰が犯人かも知ってる――と。名前とかは知らないけど。
篝さんは、じゃあ事件の概要話して、と先を促した。
「でも、その……死体のこととか話して、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。大体のことは、もう知ってるから」
そっか、そういえば。今日の朝刊ぐらいなら、いや、昨日の夕刊で載っててもおかしくないくらいだ。それくらい、時間は経っている。どこまでが新聞紙に書いてあるのかは知らないけど。篝さんはそれを読んだんだろう。
「じゃあ、話すよ?」
「……うん」
そのときの彼女の表情を、形容するとしたら何であろうか。興味? 愉悦? 悲痛? ――どれも違うように見える。いうなれば、覚悟、かもしれない。
彼女がどんな気持ちでそれを聞いていたのかは、知る由もないけど。
僕は、話した。事件について聞いたこと。見たこと――は、極力分からないようにぼかしたけど。噂は聞いていないと言い、僕はそんなに大した情報は持ってないと言い。
彼女はそれを黙って聞いていた。僕の一人語りは終了する。
「はい、質問タイム」
「はーい。質問があります」
「篝さんどうぞ」
挙手しながら篝さんが名乗った。これ挙手制なの? てか質問するにしてもあなたしかいないんだけど。そこに関しては自分が蒔いた種なんだけど。
「どうしてその事件に関して織神君が呼ばれたの?」
「僕、いつもあの時間はジョギングしてるんだ。それで家も現場になった橋に近かったから。たまたまそのときに持ってた手帳が、橋の所で落ちたらしくて。それを警察の人が見つけた、って」
「ふぅん……そんなご都合なことが……」
「ご都合って言うなよ……僕だって奇跡ぐらいに思ってるよ」
クラスメイトに、何の抵抗もなく嘘を吐く僕の姿がそこにあった。……いや、何の抵抗もなく、ってのは違う。心は、捻じ切れるように悲鳴を上げていた。
当然だ。平然と人に嘘を吐くことなんか、出来ない。たとえそれが殆ど話したことのない篝天音だとしても。
けど、嘘を吐いていないといけない場面も世の中にはあるわけで。それが、きっと今。
「噂、は聞いていないんだよね……そうだ、四月の事件との関係は?」
「四月の事件、か……」
虚衣蓬と薊が起こした、悲惨な事件。
「関係ない、って刑事さんは言ってたけど。本当かどうかは分からない。僕に本当のこと言うとは限らないからな」
「そんなに信用してないの? 政府の人間を」
「政府の人間って聞くと凄く悪い人物みたいだな」
繋がってませんよ。関係なんてさらさらありませんよ。四月に事件を起こした二人は僕の関係者で、今はもうどこにいるのかも分かりませんよ。僕の関係者といえば、篝さんの追い求める事件の犯人も、関係者といえば関係者ですよ。
心の中でしか、言えない。辛い。
「何か、あまり収穫はなかったなぁ」
篝さんが足をぶらぶらさせていると、履いていたスリッパが飛んでいった。篝さんはそれをどうでもいいものかのように放っておいて、ついでにもう片方のスリッパも投げ飛ばした。
「中学生のころはよくやったなぁ」
「今は?」
「足が長いから出来なくなった」
「よく言うわ」
机に深く腰掛ける。そうしたら、足も地面を離れる。
「……篝さんはさ、何で、この事件を調べているの?」
「調べてる、ってほどでもないけどね……」
両足のスリッパを投げながら、核心に迫る。
篝さんのスリッパの近くに着地した。寄り添っているようにも見える。それは見えるだけだけど。
足のサイズも一回り以上違うらしい。
「織神君にはさ、本当の親友って、何の臆面もなく言える人はいる?」
「本当の、親友」
「そ。どこに行くのも一緒で、何をするのも一緒で、大好きな――親友」
「分からない、な」
あるいは、いたのかもしれない。中学時代に。そんな奴が。
けど、僕はそれを捨ててきた。
「篝さんは――」
「いた、よ」
いた、という過去形が秘める意味。
「この事件で殺されちゃったの、私の親友だったんだ――」
あの――肉塊が、彼女の、篝天音の親友だった。
彼女からは見えない右手を、握り締めた。
「名前は、室賀早苗って言うの。
小学校からの付き合いでね。小学校の時はクラス分けがなかったから学校でも六年間一緒にいたし、私の家に遊びに来たり、私があの子の家に行ったりして。家もすごく近かったから。私が始めて漫画を読んだのも、ピアノに触れたのも、音楽に興味を持ったのも、全部、あの子の影響だった。
中学校も、受験もなく入れる地元の中学校で、私と早苗も当然のようにそこに行ったの。中学校は三クラスあったんだけど、何の因果かずっと一緒でね。やっぱり何をするにも一緒だった。友達の輪は増えたけど、それで早苗との交友の密度が薄まるわけでもなかった。むしろ話したいことはどんどん増えて。恋の、相談とか。三年生になったら進路も二人でどこに行くか考えてて。小さなときからずっと一緒にいたから、将来の夢とかも似てたんだ。二人で一緒に入学試験受けて、合格した。
それで高校に入って、一年生のときは一緒だったけど、二年生になったらついに別のクラスになって。家は一緒の方向だから、登下校は一緒だった。一時間くらいあっても話し足りなかった。今も話し足りない。――なのに」
「……もう、いない」
「どうして、こんなことになったの……」
篝さんは、足を持ち上げ、机の上で体育座りをした。両膝の間に顔を挟み、外界から目を逸らした。洟をすする音。
「どうして、こんなことにならないといけなかったの……早苗が何かしたの? そんなわけない。あの子は――死んでいいような子じゃなかった」
すすり泣きながら、篝さんは声を絞り出す。僕は、黙ってそれを聞いていた。
「早苗ね、一緒のクラスの子が好きだったの。運動はそれほど出来ないらしいけど、勉強は良く出来て。早苗と隣の席になったとき、早苗が困っていたらかならず助け舟を出してくれてたんだよ? それくらいの繋がりしかなかったけど、それでも早苗はその人のことが好きだった。私と帰るとき、あの子必ず私に報告してきたの。今日はこんな風に接した、久しぶりに話した……って。本当に無邪気に、人を好きであるということを楽しんでたの。私なんかとは、大違い。私は、希薄な繋がりで人を好きになることなんかないって思ってたのに」
そこは、個人個人に拠るだろうけど。
それでも、篝さんはまるで自分が悪いかのように語る。
「自分の成績が段々悪くなっていることを気にしててね。私に、今度は負けないから、って言って、勉強も私の倍くらいはしてるはずなのに、やっぱり私が勝っちゃって。早苗はどうにかして頭を良くしたいからって、近くにある有名な塾にも通った。あの日、多分早苗は塾の帰りだったの。それで、私が、何で頭良くなりたいの? って聞いたら、早苗は、行きたい大学があるから……って。そこでしか出来ない研究がしたいから、って。そのために今からがむしゃらに頑張ってた。……私は、行きたいところも考えていないし、それほど勉強しなくても――こんなだから。頑張る早苗が、羨ましかった。あのときの彼女は、私から遠いところにいた」
さも、自分が悪いかのように。
自分で自分を傷つけるために語るように。
「そんな――普通の女の子だったのに。どうして殺さなかったらいけなかったの」
顔を上げた篝さんの目は、赤く充血してる。僕は、少しだけ彼女に近付いた。
「そうだね」
「早苗は、無念を残したまま死んだ」
「そうだね」
「早苗は、どうして死んだの?」
「――世界に、狂った人間がいるから」
心の中で激情が暴れ狂う。
僕も――奴と同じような人間だ。何人も人を殺してきた。自分が生き残るために。その殺した人たちにもそれぞれ自分の人生やドラマがあったはずだ。
けど、僕は、それでもあの男が憎い。
たとえ自分と同じ人種でも。これは、同族嫌悪じゃない。
一人の命を散らせた報いは――僕がとらせてもらう。
「出来ることは、する」
篝さんを勇気付けるように言った。けどそれは本当ではない。
出来ないことでも、やってみせるつもりだから。
「ごめんなさい」
「何で謝るのさ」
「こんなことに、巻き込んでしまって」
「大丈夫。巻き込まれたって意味では、もう関わっているから」
「でも……」
それよりさ、と僕は強引に話の方向を捻じ曲げた。
「篝さん、そんな自分を卑下することはないと思うよ」
「え……?」
「室賀さんと篝さんは違って同然だ。いくら小学校からずっと一緒だったとはいえ、中身は違う人間だから。さっきの言い草だと、まるで自分が悪い、みたいに聞こえていたから、それだけ」
彼女がそんなことを思うのは筋違いだ。
それこそ、室賀さんが怒ってしまうだろう。
「盲目的に一緒だと信じてる風だったけど、それは違うから」
もう一度、念を押した。
彼女は俯きながら、それもそうだね、と呟いた。
「篝さんが元気なかったら、みんなも元気なさそうに見えるから」
「私、そんな凄い人じゃないよ」
「自分でそう謙虚になるのもいいけど、周りは自分とは違う自分を見ている、と思っていたほうがいいよ。篝さんが謙虚になることで傷つく人も、いると思うから」
最後の一文は余計だったかもしれない。
貶してる。
「とにかく、僕はそれだけ言いたかった」
「……随分と言ってくれるんだね」
「ご、ごめん」
「いいよ。本当のことだから」
よいしょ、と机から身を下ろす篝さん。そして、振り向いて僕を見た。視線の高さは、一緒。
「まさか織神君にそこまで言われるとは思わなかった」
「ごめんって言ったじゃん!」
「だから、別にいいって言ったじゃん!」
「だったら二回も言わないでよ」
二人で、笑った。
さっきまでの空気は、もうない。篝さんが、変えてくれた。
「じゃあ、話したいことも全部話せたし、もう帰る?」
「そうだな。結構暗くなってきたし」
変わる前の空気は、どこに行ったのだろう。……きっと、篝さんの中だ。
僕に気を使って、無理矢理空気を変えた。内に溜め込んでまで。きっとそれを指摘すると彼女はもっと悲しくなるだろう。
だから、僕も明るいふりをする。
「家どこ?」
「僕? 八代町」
「いや、それは分かってるから」
僕も机から離れて、足と地面が何十分かぶりの再開を果たした。スリッパを嵌める。
「結構遠い」
「へえ……」
篝さん、僕と物理室を出た。下駄箱を目指す。
僕と篝さんは、並んで歩き始めた。
「何だか、普通だね」
「何が?」
「織神君」
「何で?」
「だって、クラスじゃいっつも暗いし。一人じゃん」
「それは……まあ」
面と向かっていわれるとへこむな。再発見。
「もっと普通に話してたらいいのに」
「話す相手がいないよ」
「じゃあ、私が話し相手になる」
「……どうも」
全然喜んでない! と言いながら、篝さんは僕の左腕をはたいた。笑いながら。
僕もはにかみながら、じゃあよろしくお願いします、と冗談めいて言った。
新キャラ登場。
新キャラ、男ばっかりじゃなかったねこの子は女の子だね。
まあそれはどうでもいいことですが!(何
そんな感じの「二章 6/」でした(どんな感じだ