一章 3/ 昼下がり、警察と三人きり
一章 3/ 昼下がり、警察と三人きり
そしてその日の昼休み。
僕は一人で本を読んでいた。
「…………」
周りではみんなが談笑する声。机に座って一人読書なんてしてるのは、僕くらいだ。無言でページを繰る。今読んでいるのはシリーズものの推理小説の五冊目で、ちょうどクライマックスにさしかかるところ。
……別に友達がいないわけではない。
いないけど。
いないんじゃなくて、作ろうとしていないからだろうけど。
それにはちゃんとした理由もある。――友達を作ったら、守りたいものが増えるからだ。守りたい物が増えて――弱くなってしまう。
僕の正体がその友達に知られてしまうのが堪らなく怖いから。
その友達に嘘を吐き続けなければならないのが耐えられないくらい辛いから。
そして、もし、その友達が敵に目を付けられてしまったら。
僕の所為で、大切な人たちが死んでしまうかもしれない。実際によくあることだ、敵の身内を狙うのは。勿論、〝絶対法律〟によってそれが禁止されているのは言うまでもない。だが追い詰められた状況下においては、箍をはずして暴走してしまうこともある。
そして、その結果その友達が殺されてしまう。
――これは、体験談だ。
心に刻み付けられた、十字架。死なせてしまった償いを、僕はまだ果たせてない。
たとえそれを果たせたところで、何も変わらないのは分かってる。十字架が、傷が消えるわけでもないのは分かりきっている。
中学時代。嘘をつき続けた挙句、僕の正体を知られ、最後には死なせてしまった彼ら。
……やばい。涙が出そうだ。
本に栞を挟んで、閉じる。席を立って教室を出て。トイレ。
幸い、誰も居なかった。ぐすっ、と、結局涙が出てしまった。手の甲で拭いながら、鏡を見た。
黒い髪。割と伸びてきた。暗黒を孕んだ瞳の周りが、ちょっとだけ赤くなっていた。
――だから、そんなことにならないように。
高校では、友達は作らないでおこうと決めた。一人ぼっちの時間を、どれだけ過ごしても構わない。誰か知り合いが死ぬのを見るのよりは、遥かにいい。だから、わざわざみんなが行く都市部の高校と違って、自転車で四十分も漕いで行かないといけない田舎のちょっと離れた高校を選んだのだ。
僕には、そんな選択しかないから。
「……はあ、教室戻ろう」
みんなが楽しそうにはしゃいでいるのを見る度、心を突き動かされる。僕もあんな風に笑えたらいいな、って。
そしてその気持ちが湧き上がる度、血まみれの彼らの姿が頭の中を過ぎる。
「ちょっと、ネガティブになりすぎてんな。気持ち……切り替えないと」
トイレを出た。
外は少し騒がしかった。
「……?」
愛染高校の北館は、一年生のクラス全部と二年生の半分のクラスがある、四階建ての建物だ。ちなみにクラスは各六クラス。僕のクラスがあるのは、二階の、階段を登って右側、三つ並んだ教室の真ん中である。階段を登って左側はトイレ。
だから、トイレから教室へ戻るには、一つの教室の横を通らないといけないわけだけど。
その横のクラスの窓から、大量の生徒の頭が見えていた。
廊下に顔を乗り出して(体ごと出している奴もいる)、さらにその横のクラス――つまり僕の教室を覗いていた。
しかもその扉の前に立っているのは、スーツを着ている、見たことのない男。
よくよく見ると、扉の辺りにはもう二人、人が。片方は僕のクラスの担任だけど、もう片方も知らない人だった。背は百七十ちょっとくらいかもしれないが、ガタイがよく、顔もいかつい。ヤクザといわれれば信じてしまいそうな人相だ。
何故僕が人相まで見えているのかは、まあ、教室に入ったからだけど。
「ああ、織神。ちょうどよかった」
と、席に座ろうとした矢先、先生が僕を呼び止めた。
……嫌な予感がする。
声の返事はせずに、小走りで近付く。いかつい男が、僕を睨んでいた。
「織神雷兎、か?」
「……はい」
嫌な予感しかしなかった。
「俺はこういう者だ」
と、男が取り出したのは――警察手帳、だった。
「なんか、この人たちが織神に聞きたいことがあるとか……」
「そ、そうです、か……」
この人たち、ってことは、後ろに控えている男も警察なのか。
けど、僕に何のようだ?
「詳しいことは、署で聞かせてもらう。いいですね、先生」
「え……いや、それはちょっと……」
「ちょっと、何? 大事なことなんです」
脅すような、男の低い声。言葉には、どうでもいいからさっさと連れて行かせろ、みたいなイライラ成分が含まれているように感じた。あと本当にああやって言うんだな。ドラマみたい。
「……僕は、いいですよ」
「織神? いや、いいですよって」
「早退にしてもらっても構いませんし」
いつもとは若干違った僕の調子に、先生も困惑気味だった。けどこれが素なんだよね。
「度胸あるみたいだな。多少は」
「そうです?」
男と視線を合わせる。
「まあ、本人がいいんだったらこっちも楽だ。荷物用意してきな」
踵を返して、自分の席に向かう。視線が僕に集中しているのを感じる。これは苦手だ。
そして、その中にはメルカの視線も含まれていた。一瞬だけ目線がかち合って、彼女はすぐに目を逸らした。
荷物といっても、そんなに多くない。置き勉してるし。文房具とファイルだけ鞄に突っ込んで、男の下へと向かった。
「もういいか?」
「ええ」
「じゃあ、付いて来い」
いかつい男が歩き出して、その次に僕、最後をもう一人の男。並んで、歩き始めた。
◆
校門のすぐ傍には、一台の車が置かれていた。パトカーではなかった。
「パトカーじゃないんですね」
思ったことをそのまま口にすると、応えたのはもう一人の男のほうだった。
中肉中背で黒縁の眼鏡をかけた、優しい印象を与える男。年齢もそれほど高くはないだろう。二十七か、二十八くらい。
「その辺は考慮してますよ。流石に教育機関にパトカーで乗り込むのも、ね」
それもそうだ。
いかつい男は後部座席のドアを開け、僕に乗るよう指示した。勿論逆らえるわけもなく、その理由もないので言われるままにする。
その後に男が乗り込んで、運転席に優男が座った。運転はこの人がするのか。
「さて、署で話を聞くとはいったものの、それは俺達がするわけではないからな。二度手間になってしまうが、行くまでにも話は聞かせてもらうぜ」
「別に、構いません」
ギアを入れて、発進。
「その前に自己紹介か。俺は、溝延堅だ。よろしく」
「で、僕は梁間鼎。警察に入ってから、三年の新人だよ」
いかつい男が、溝延堅。優男が、梁間鼎、か。
「……織神雷兎です」
「知ってるさ」
車内は、至って普通の車だ。ただ、僕の目の届く範囲でいえば、手錠が置かれているところ以外は。ペットボトルとかを入れる穴に入れられていた。いいんだろうかそんな場所で。
目線を移しながら見ていると、溝延が窓を開け、煙草の箱を取り出した。
「健康に悪いですよ」
「健康なんざクソ食らえだ。吸わずにはやってられねえんだよ」
「忙しいんですか」
「忙殺、って言葉がぴったりだな」
その理由は、多分四月の大量殺人事件のことだろう。
そのことだろう、と聞いてみたら、案の定そうだった。
「そうなんだよなあ……四月の事件は、何の手がかりもないまま時間ばっかり過ぎていくし。犯人の証拠も、一つも残っていない。もう一つ新しい事件もあったからな……」
「堅さん、あんま一般人に情報を与えたら駄目ですよ」
梁間に諌められ、溝延は肩をすくめた。梁間は鏡でそれを確認して、溜息を吐いた。
「まあ、その新しい事件ってので、お前に話があるんだがな」
「…………」
新しい事件ってのは、昨日のことだろう。
まあ、僕としてもそれしか心当たりがない。だが、それにしても何故僕が呼ばれたのかが気になる。しかも署に連行ってことは、相当の確信があるか――。
「何で、僕がその事件とやらで呼ばれたんです?」
「端的に言えば、証拠が残ってた……ってことだよ」
「証拠?」
「そう」
堅さん、と声を掛けられた溝延は紫煙を燻らせながら窓の外を眺めていた。一度口から離し、灰を持参していたマイ灰皿に落とした。
「お前、いつもは学生手帳をどこに入れてある?」
「学生手帳……」
別にいつも使わないから、胸ポケットに入れているけど。
それを確認してみたら――その中には何もなかった。
「どうやらないみたいだな」
「……まさか」
「そうだ。お前の手帳が、現場に落ちていた」
いつ落としたか――なんて、あの、気持ち悪い男と戦ったときに決まっている。
なんつーヘマを……暗かったから気付かなかった。
だが、内心の焦りとは裏腹に、表情は驚きしか見せない。あくまで、何でそんなところに、という風な。
「いつ……だろう。多分、登下校のときに落としたんですね。あの橋は僕も通っているから」
「自転車漕いでるときに、胸ポケットから物が落ちるのか?」
「風が強い日は、ないとも言えないんじゃないですか?」
疑問に疑問で返す。溝延は、煙草を一回吹かしてから、言葉を紡いだ。
「たとえその日風が強くて、仮にお前が手帳を中々落としそうにない胸ポケットから落としたとしても、たまたま同じ日に殺人事件が起こったんだ。お前が絶対にやってないという確信を持っていても、そんな偶然を、何も検証せずに偶然と片付けるような組織じゃないんだよ、警察は」
「…………」
途中、よく分からなかった。
頭の中で言葉を繰り返して、漸く理解できた。
「面倒な組織ですね」
「そんなモンだ。警察に限らず、どんな集合体でもな」
集合体――か。まあ、魔具使いのギルドも似たようなものか。面倒なルールに縛られて、望むと望まざるとに関わらず、足を突っ込まないといけないようなところだ。
しかし……こんなヘマをしでかしたってことを識々に報告したら、絶対ねちねち言われるな。こっちのほうが面倒くさいわ……。
「さて、とりあえずは現場の状況から話すか。あ、それと当然守秘義務はあるからな。口外するなよ。したらそれで牢に入るからな。あともう一つ、グロいものは大丈夫か?」
「まあ……」
いきなり始まった溝延の話。しかも一気に言われた所為で、どの言葉に答えを返したらいいのかよく分からなかった。そんな時は曖昧な返事。日本人の常套句。
「いけるんだな?」
「はい」
怒られた。
日本人の常套句が打ち破られた。
「ふう……、じゃあ話すぞ。事件が起こったのは昨日だ。正確には、昨日の午後九時から十一時の間」
僕が奴と出会ったのも、それくらいだったかな。時計を確認していなかったから、正確には答えられないけど。
「被害者は一人。鋭利な刃物らしき物で、全身をバラバラに引き裂かれていた。見た人の心に一生トラウマに残るくらいに、な。発見現場は橋の下。柱の根元辺りだ。その周辺にも血が多量に付着していたことから、犯行現場もその場だと考えられる」
鋭利な刃物らしき《、、、》物。なんか、妙に引っかかる物言いだ。
「で、その肝心の被害者なんだが……織神、お前と一緒の高校だよ」
「……まじで?」
「おう、まじでまじで。県立愛染高等学校、二年D組、室賀早苗。華の女子高生だよ」
「室賀……早苗」
隣の組だけど、その名を聞いたことはない。いや、聞いたことは絶対にあるはずだ。記憶にないだけで。そして、その顔を見たこともあるはずだ。
隣組から――学校にいるときに考えたときのことを思い出した。そして、その室賀早苗の姿を夢想した。
それがあのときの肉塊と重なって、急激な嘔吐感を催す。
「……っ!」
「おいおい、大丈夫か?」
溝延はあまり動じない。僕は鳩尾あたりを抑え、体を深く折り曲げて我慢する。
「はあ……」
「まあ、辛いだろうな」
「堅さん、吐かれても困るんですからちゃんと取り調べしてくださいよ。この車、僕のなんですから」
勝手なことを言ってくれる。
梁間というこの優男、優しいのは見た目だけかもしれない。
だが僕としても干渉されないほうが楽だ。嘔吐感も、大分治まった。
「続き、を」
「いいのか? じゃあ、続けるぞ。今度はお前の話だな。今日の午前、死体が発見され、警察の調査が始まった。そのときに見つかったのがお前の学生手帳だ。無造作に落ちていたらしい。その死体の子かも知れないってことになったが、その子は自分のを持っていた。そして落ちていた学生手帳を調べてみたら、お前のだったというわけだ」
「なるほど……」
で、早速学校に乗り込んできたと。
「まさかの高校も学年も一致だ。調べないはずがない、というわけだな」
煙草を口に銜え、灰色の煙を外に吐き出した。その煙草ももう少しだった。
「この話は署に着いたら別の奴が話すことになっている。二回目だが我慢しろ」
「あなた方二人が聞いたんじゃ駄目なんですか」
「駄目なんですよ、警察ではな」
「面倒くさい」
「こっちもだよ。何で俺らが出迎えなんか」
そんなこと、僕に言われてもなあ。
「そろそろ着きますよ」
「おう」
車の進む速度は次第にゆっくりになっていく。溝延は煙草をもみ消して、灰皿に押し込んだ。
今日帰るの、何時になるだろう。華音に連絡もしてないしなあ。てか、帰りはちゃんと送ってくれるんだよな?
そんなことを考えていると、車は署に着いた。
僕は席を立って、降りた。