終章 23/
終章 23/
「ん……はい。……はい。了解です。……では」
相手が切ったのを確認してから、受話器を置いた。
「お、雷兎君。電話?」
ドアを開けて出てきた識々が声をかけてくる。……この野郎。
「タイミングよすぎるな」
「何の? ちょっと小用を足してきただけなんだけど」
「お前、何でそんなに電話嫌いなんだよ」
「なんとなくだよ」
識々は何でか知らないけど電話が嫌いだ。別に本人が言っていたのではなく、いつもこんな感じで電話を取ることを避けてるから気付いたんだけど。
普段は恋歌が取っているんだけど、その恋歌も絶賛昼寝中だ。だから僕が取るしかなかった。
ちなみにここは朝威邸のリビングだ。
あの事件から……一週間近い。今日は土曜日の休日。
「で、どんな内容だったの?」
「……蓬と薊のことだよ。二人とも、無事に捕まったらしい」
「無事に、ね。まいいや。残念だったね」
「何でだよ」
僕は憮然とした顔でソファに座る。識々は棚を開けて、紅茶のパックを出していた。
「だって、仲間にしたいって言ってたじゃないか。実際、二人が一期一会へ入ったら、とても頼れる存在になっていただろうしね」
「でも……あれは無理だろ。最後に蓬にもう一回聞いたけど、駄目だったし」
二人で――まあ、正確には三人なんだろうけど――生きる、と言っていた。
「過ぎたことはどれだけ言っても仕方ないし」
「まだ過ぎたわけじゃないよ。彼女たちが刑期を終えて出てきたときにもう一回聞いてみたら?」
「僕、すごい鬱陶しい男だな」
しないよ。何度言っても無駄だろうし。
識々は両手にカップを持ってこっちまで歩いてくる。テーブルにカップを置いてソファに座った。どうやら僕の分も入れてくれたらしい。
「そういえば、腕の調子はどうだい?」
「どうだいも何も、全治一ヶ月だぞ? たかだか数日で治りゃしねぇよ。やっと動かしても痛くないレベルだな……」
両腕に巻かれた包帯を一瞥する。メルカを救うために犠牲にした両腕。さっさと治ってほしいものだ。
それと、僕はあの日以来学校を休んでいる。それも当然、腕がこんな状態じゃ日常生活もままならないからだ。日常生活の世話は、全て愛しき華音がやってくれている。良く出来た妹だ。
「しかし、そんな方法取らなくってもねぇ」
「……仕方ないだろ」
「しかも暴走状態に意識を落とさせるってのは、結構危険なことなんだ。下手すれば魔具使いの身体が乗っ取られて、二度と本人の意識が覚醒しないことだってあり得る。それは、話したことあったよね?」
「……あったよ。危険な方法だったってことも分かってる」
「……まあ、メルカちゃんの強さからすれば、それぐらいしかやりようがなかったってことは、わかるけどさ。今回は叱らずにいてあげるよ」
識々が怒るのも無理はなかった。けど、こっちだってギリギリの瀬戸際だったんだ。
「しかも、自分まで暴走して。運が悪かったら二人とも死んでるところだったよ」
「分かってるけど、さ……。けどもし僕が普通の状態で戦ってたら、メルカは手に負えなかった。作戦だって、最初から首を絞めようと思ってたわけじゃない。本当は戦いによる燃料切れを狙ってたんだ」
燃料切れ。
メルカは、覚醒から一ヶ月、渇きを潤さずに過ごしていた。普通の魔具なら耐えられないだろう。それまでメルカが普通に居れたのは、単純に魔具の個性によるものだと思う。餓えの少ないタイプ……必要以上に血を流さずに済むタイプ。
でも、それも限界がある。その限界こそがあの日。魔具使いを前にして、ついに本人の意思を無視して魔具〝獄炎響鳴十四翼〟が暴走を始めた。
けど、その暴走は、所謂最後の悪あがき。ほんのちょっと残ったエネルギーをフル活動させて、力を得ようとしていた。
僕が戦う際に狙ったのは、そのエネルギーを使い果たさせることだった。薊を逃がしたのも、それのためだった。けどメルカの暴走は思っていた以上に長く、そして強い。僕の暴走状態をもってして、ギリギリのメルカと同等だ。そしてやむなく作戦を変え、首を絞めることにした。
なんとか成功しただけ、よかったと喜ぶべきだろう。
「随分な賭けだったね」
「死ぬつもりでやればなんとかなるもんだろ」
「死んでもいいくらいの気持ちで頑張ったんだ。何のために?」
「……腹立つ野郎だなぁおい」
「冗談だよ」
ははは、と識々は笑った。僕としては苦笑するしかない。
何か、気恥ずかしいな……人に自分の気持ちを知られるのって。
「……さて、一笑いしたところで、これからの話でもしようか」
「僕は笑ってないんだけどね」
「何か質問ある?」
「……じゃあ、メルカをそうするかについて教えてくれ」
第一に気になるのは、勿論そこだ。それを聞くためにわざわざ歩いてここまで来たんだ(普段は自転車を使っているけど、腕のせいで無理だ)。
それとよくよく考えたら質問じゃないし……。
「メルカちゃんは、うちで暮らすことになると思う。それが一番安全だろう」
「……だな。十中八九、戦線の連中は――それと、正宗一族はこれからも追っ手を放つだろう。今回の一件だけで済むはずもない」
「そして、それを防ぐのは君の役目だよ、雷兎君?」
「当然だ。どっちにしろ戦う運命なら、何かを守りながら戦いたい」
「守られるのが雷兎君になっちゃうかもしれないけどね」
「……うるせ」
メルカは一期一会の一員となるだろう。出来ればメルカには普通の世界で過ごしていてもらいたい……ってのは以前からの気持ちだったけど、それは無理、だろう。
魔具使い――しかも由緒ある一族の遺伝子を持つ者が無防備に過ごしていたら、他の魔具使いが放っておかない。
一方で、僕はメルカが肩を並べて戦う仲間になるであろうことを、望んでいる――酷い男だ。
「まあ、メルカちゃんのことはそれくらいでいいかな。もう一つのことは、現実的な問題なんだけど」
そっちも、大体予測は付いている。カップを持って、口に運んだ。
「雷兎君の腕が使えず、メルカちゃんは昏睡状態……餓えを、どう凌ぐかだ」
そう。
メルカは、あの日以来、眠り続けたままだ。朝威邸の一室で。
けど、それは決して悪いことではない。メルカが昏睡してるのは、力を蓄えるためだ。
力を使い果たして眠ったメルカは、いわば極度の空腹状態。少しでも餓えを抑えるために、身体を使わない。普通の空腹だったらそれは死に繋がるが、魔具の飢餓はそうではない。
「一週間近いか……そろそろ起きるな」
「そうだね。けど、起きてすぐは、魔具は出せない。餓えから身を守るために自分を殺しているんだからね」
「あー……本当、どうするんだ。僕の火傷が、例えば二週間で治ったとしても僕の方は餓えに暴走しそうだけど」
「確かにね。自分の信念を曲げてでも虚衣姉妹を食べておけばよかったんじゃない?」
「それも嫌だよ」
つまり、現状を要約すると。
僕は戦えない。メルカも戦えない。このまま戦わずにいると僕が餓えで暴走して、メルカも死んでしまう、だ。
かなり危ない状況ということだ。
「……どうするんだよ」
「まあ、雷兎君が死ぬ気で頑張れば大丈夫なんじゃないかな?」
「鬼!」
多分それしかないんだけど。
笑うしかない。
「おーはよーなのー」
と、こちらも眠たくなりそうな眠たげな声とともにやってきたのは、炎恋歌だった。どうやら今日の耳は猫耳のようだ。サイズが合っていないのかだぼだぼしたフルジップパーカを羽織っていてフードを被っている。
何だ今日の耳って。
「おはよう、今午後四時だけど」
「こんにちはなの」
「別に言い方を変えてくれと言ってるわけじゃねえよ」
「ま、何が何でもおはようなの」
「……あっそう」
恋歌は覚束ない足取りで僕の座ってるほうのソファに半ば倒れこむように座った。そして、そのまま横の僕の胴体にしがみついて、うたた寝を始めた。
「始めるな」
しばいた。
胴体にしがみつく腕に力が篭る。
「痛たたたた!」
もがいたら力が緩まった。……なんだこいつ。
「あらあら、随分と仲が良さそうだね、雷兎君。メルカちゃんが見たら怒り狂って包丁でも振り回しそうな光景だ」
「何でそこでメルカが出て来るんだよ……てか恋歌、識々の腹が寂しそうだぞ、あっちに行かないのか」
「むーん……加齢臭の出始めた……親父の腹になんか……興味はないの…………」
「おい恋歌! 識々が静かに泣いてるぞ! 流石に言いすぎだ!」
何だこの状況。
「てか、何で今日はこんな早く起きてきたんだ? いつもなら六時くらいまで寝てるのに」
「む……そうだ、用事があったからここに来たの、忘れてたの」
「用事?」
拘束を解いて、ちゃんと座る恋歌。大あくびを口で隠してする。
「はぁう……メルカちゃん、起きたの」
「……は?」
「だから、メルカちゃんが、起きたの」
「先に言えよ!」
どうしてそんな大事なことを忘れかけてるんだよ。
こいつ絶対馬鹿だろ。
「おい識々! 泣いてないで恋歌の話し相手しといてくれ! 僕メルカんとこ行ってくるから!」
「…………」
「……頼んだぞ」
放心状態の識々を放って、僕は立ち上がった。リビングから出て行く。メルカの部屋は、確か四階か。くそ、何でこの家四階とかあるんだよ。遠いわ。
「え~、ウチ嫌なの、こんな加齢臭と話すの」
「……恋歌ちゃん……寝惚けているんだよね、それだけなんだよね?」
後ろの負のオーラは無視することにした。
◆
階段を駆け上って、廊下を走り抜けて、目的の部屋まで。
扉を勢い良く開けて、中に入った。
「メルカ……!」
「見晴らしがいいわね、ここ。何階?」
メルカは窓際に立って、外を眺めていた。僕は荒ぶる息を整えながら、メルカの傍まで歩いていく。
「四階だよ。……大丈夫なのか?」
「高いわね」
そう言って、メルカは振り向いた。顔色は良さそうだが、頬は若干こけている。何日も眠り続けてたんだから、それも当然だが。
そして、その首には痣が――僕が付けた痣があった。
「調子は普段と変わりないわ。けど……そうね、何か、空しい感じがする」
「あー……多分、魔具が眠ってるからだと思う。詳しいことは後で識々に聞いてくれ」
メルカと並んで、窓の外を眺めた。
今日は快晴だ。四月の陽気が町中に降り注いでいる。その四月も、もうすぐ終わる。
「……私を助けてくれたのは、雷兎だったんだよね?」
「そう……だな」
明後日の方向を向いて、良い天気だね、と呟くメルカ。そうだな、と僕は同じことを口にする。
「私、魔具使いになっちゃったんだよね」
「……うん」
「なんて、言わなくても、分かってたけど。分かりきってたけど、さ。やっぱり、人にそうだと言われるのは何か違うね。こう……ああ、そうなんだ、って思う。
私……これからは、血みどろの道を歩むのよね」
僕には、うん、と答えるしかない。
「けど、私は、それでもいいと思ったけど」
「……え?」
「雷兎が傍で戦ってくれるなら、ね」
「どういう、意味、だよ。……まあ、僕はそのつもりだけど」
二人同時に、赤面。……恥ずかし。
「どのみち、私は戦わなければならなかっただろうし。血が、導くのよ」
「血が導く、か。そうかもしれないな。僕だって、きっとそうだ」
「雷兎も?」
「……僕は、織神一門の血を引いているんだ」
「織神、一門」
「そう。メルカの正宗一族と同じ、魔具使いの一家」
血を引いている――血を、弾いて、惹いて、曳いている。
「じゃあ、妹さんも?」
「ううん。華音は、多分違う。……それに、一門っていっても、没落寸前だけど。魔具使いは僕だけだしね」
織神一門、と、その単語を口にするだけでも、胸がちくりと痛む。三年前の事件――傷は、まだ癒えていない。
「そんなことを、どうして私に?」
「……メルカは一人じゃない、って言いたかったんだよ、多分」
自分の傷を見せてまで。
メルカには、笑顔でいてもらいたいから。
「雷兎の腕の怪我も、私の所為だよね?」
「そう、だけど……それについてはお互い様だよ、メルカに傷付けてしまったし」
「え、どこ?」
「どこ? って……首……」
ばっ、とメルカはいきなり翻り、すたすたと部屋を出て行った。僕が呆気にとらわれていると、暫くして戻ってきた。
「どーして……くれんのよっ!」
殴られた。
「ええええ!?」
「ちょ……もーっ……学校行けないじゃない……」
「だ、大丈夫だよ、今日と明日放っとけば消えるって」
「消えなかったら学校行かないから!」
「僕に言われても!?」
「だって、こんな……絶対何か聞かれるわよ……」
と、嘆きながらベッドに飛び込んだ。そのまま脚をばたばたさせる。
「行儀悪いぞー」
「誰の所為よ!」
「少なくともそれはお前が悪いよ!」
むぅ。
何か、いきなり元気になったな。
「……はははっ」
「何笑ってるのよ」
「いや……いつも通りだな、って」
ばたばたが止んで、上体を起こして、ベッドに座る形となった。僕はその横に腰を下ろした。
「やっぱ、メルカは明るくないといけないよな」
「……うるさいわよ」
メルカとは、これからもこうやって馬鹿言ってられるのだろうか。
だと……いいな。
「そうだ、メルカ。あの日、言ったことだけどさ……」
と、僕は。
あの日のこと――僕が、メルカを好きだと言った事について。
答えを聞こうと、尋ねた。
けど。
「あの日の、こと……?」
「そうだよ。メルカが暴走したときの、こと」
「……ごめんなさい、私には何のことか分からないわ」
「え? 分からないって……」
「私、あの時の記憶、ぼんやりとしかないの」
……あらー。
……そんな言葉しか出ない。
「雷兎が何か言ってくれたことは覚えてる。けど、それがはっきり思い出せないの」
「そ……そう。それは、仕方ないな」
「何だったの?」
「いや……いいよ、言うほどのことでもないし」
わざわざ掘り返して告白するのも、何か間抜けだ。
これは――次の機会にしよう。
そうしよう。
「本当に?」
「ああ、いいよ」
「おーおー、お二人さん。話は済んだかい?」
「識々。それに恋歌も」
扉を開けて、識々と恋歌が入ってきた。恋歌はそのままベッドに飛び込んで(さっきのメルカみたいだ)布団にくるまった。
「ふかふかの布団。恋しーのー」
「まあ、大体は。どうした」
恋歌はとりあえず放っておいて、識々に返答を求める。
「メルカちゃん」
「何?」
「君は、これから生き地獄のような日々を過ごすことになるだろう。血を見ることになるし、生死の境で殺されかけたり殺したりしないといけない。これは定めだ。受け入れるしかない。けど……もしメルカちゃんがそれを拒むなら、今ここで死んでもらうよ」
と、識々は――懐から、ナイフを取り出した。
メルカの首へそれを向ける。識々の挑戦的な瞳がメルカの瞳を覗き込む。
「死ぬ必要は、ないわ。覚悟は出来てる」
「……なら、いいよ」
識々は一瞬で弛緩しきっただらしない顔に戻った。僕の身体に入っていた力も自然に抜ける。……こいつ、いきなり来ていきなり脅しやがって。
「ま、僕から言うことは何もない。今のところはね」
メルカが腰を上げた。僕も、つられて立ち上がる。
「歓迎するよ、一期一会に。三人目の魔具使い、正宗メルカ」
「……それは、どうも」
メルカの顔がこっちへ向いた。
「僕からも、歓迎するよ。それと――よろしく、メルカ」
そのにやにや顔、やめろ。
「ウチからも、お祝いの言葉を送るの。まあ、サポートは任せてねーなの」
「ありがと」
「――さて、メルカちゃんが仲間になると決まったところで、軽くパーティと洒落込みますか。実はもう準備出来てるんだよ、さあ、下行こう下!」
突然識々がはしゃぎだした。僕もメルカも恋歌も、そんな駄目男を見て微苦笑した。
「その時に必要なことを色々決めようか。さあ、さあ」
「お前……昼間っから酒飲めるからそんなはしゃいでるんじゃないだろうな?」
「え? ごめんよく聞こえなかった」
「そうなのかよ……」
識々を筆頭に、布団にくるまったままの恋歌、メルカと続いて、僕が最後尾。
――これからは、味気なかった戦いの日々にも、少しは色が挿すのかもしれない。
メルカがいるから。
メルカがいてくれるなら。
そう考えると嬉しさがこみ上げてきた。さっきのメルカみたいなにやにやが無意識に広がってくる。
期待とか希望とか、そういうものが、僕の心の片隅にあった。
「何にやにやしてんの、雷兎。気持ち悪いよ」
「うるさいよ。言いすぎだよ」
それを隠すためか、僕はちょっと力を入れて扉を閉めた。
(了)
ついに白ラピ、第一幕の終了です。
いろいろ書きたいことはあるのですが、咄嗟には書ききれないので活動報告やブログで語りたいと思います。
ブログでは裏話などをちょくちょく載せたりするので、よければお越しください。
それでは。
ここまで目を通していただき、ありがとうございました。
この拙作に少しでも興味を持ってくれれば幸いです。いつになるか分かりませんが、第二幕を待っていてください。