三章 18/
三章 18/
動け。
俺は――俺とお前は、これくらいでへばらない!
四肢で踏ん張り、解き放つ。立ち上がりながら薊に掌底打を打ち込み、次いで肘打ち。神速が生み出す威力に、薊の軽い体は吹っ飛ばされた。
屋上の端まで吹っ飛び、転がりながら体勢を変え、立ち上がった。
「なっ……! 何で動けるの!?」
「『暫くは』、まともに動けない、って言ったのはどこの誰だよ」
薊は、膝を目一杯まで折り曲げ、跳ねた。数瞬で目前に現れる。そして、右手のナイフを舞わせる。
「それでも、大分動けないはずだ!」
「実際はこうやって動いてんだろうが。それに――僕の魔具の正体は、〝自我〟の魔具だ。少しくらいは自分を操れるんだよッ!」
赤い瞳も、白い髪も、驚異的な身体能力も、全て、僕の物じゃない。〝白ウサギの目〟の中の自我が持つ物だ。僕は、それを借りてるだけ。
僕にとって、彼《、》は、もう一人の僕だ。裏の顔。
僕は、三年前のあの日から、彼と向き合ってきた。多分、これからもそうだろう。
「〝自我〟の魔具――戦線が知れば、放っておかないだろうねぇ!」
「知らさせねぇよ! それに、自我ってのは僕の個人的な解釈だ!」
超速度の戦闘。徒手空拳の僕とナイフを持った薊。だが、均衡してはいない。
「さっきより、速度が速いね!」
「だろうなッ」
今、僕は普段より多めに力を開放している。消耗も早い分、強くなっている。だから、戦いは早めに終わらせないといけない。
薊がナイフを振るう。その手首を捕まえ、捻り上げ、ナイフを奪い取った。――終わらせる。
「とどめだ」
ナイフを逆手に持ち、突き出す。薊の魔具だが、消滅させる時間も与えない。
「くッ――!」
そして、刺さる。
――がきっ。
人体を刺したにしては、硬質的な音。
だが、確かにナイフは刺さっていた――ただし左手に。そして、その左手からは、火花が散っていた。
「ど――う、いうことだ?」
あっけに取られた僕の腹に、薊の蹴りが炸裂する。
しかし威力は低い。よろけただけだ。視線を上げ薊を見ると、薊はその左手を見ながら突っ立っていた。
「……それは、どういうことだ?」
「義手だよ」
こともなげに、薊は言う。
「何故……?」
「それは、どうしてボクの左手が義手なのかってこと? ……昔、ちょっとあってね」
薊の表情に暗い陰が差した。薊は、自分の魔具を消失させ、さらに左腕を覆っていた服を引きちぎった。肩口までが露わになる。肘先あたりから鉄色の腕だ。
そして、僕の中で、二つ謎が解けた。蓬が、何故、左手をぞんざいに扱っていたか。それともう一つは。
「よくよく考えれば、お前は左手を使って戦ってなかったもんな」
「見せ掛けだけでね。動かせないんだ。両手を使える雷兎が羨ましいよ」
薊は、その場にへたれこんだ。戦闘時のような狂気は、微塵も感じられない――今の薊は、ただの女の子だ。
「……実感したことはないけど、辛いだろうことは、想像できるよ」
薊はしばらく黙っていた。僕は、じっと見下ろしている。
やがて、口を開いた。
「殺さないの? ボクを」
「……殺さないっつーか、殺せねぇよ。戦うつもりが無い奴相手は」
「戦うつもり……ねぇ。そう、だね……左手斬られて、トラウマが蘇った感じかな。魔具も出せない気がするよ」
僕は、細く長い息を吐いた。これで一件落着だ。あとは、薊を連れて行くよう大統合ギルドの連中に頼んで、僕はメルカを連れて帰る。
「そうだ、メルカ……」
屋上一帯を見回す。……下敷きにとか、なってないよな?
「おぉ、いた」
倒れている。駆け寄る。
仰向けに寝かされている。閉じた瞳、広がっている黒髪。
――守れた、んだな。
安堵が胸に広がる。この少女を、守れた。そのことがとても嬉しい。
「メルカー」
傍らに座り、肩を押してゆする。暫くそうしていると、眉が寄せられた。そして、瞼が開く。
「おはよう」
「あら……どこぞの雷兎じゃないの。私は……」
「捕まったんだよ、馬鹿なことに」
「じゃあ、雷兎は白馬の王子ってことね」
「白馬じゃなくて、白兎だけどな」
そして、二人で笑った。手を貸し、メルカを立ち上がらせる。
「何があったか、話してくれる?」
「メルカが襲われて、それを助けた」
「詳細を、よ。そんなことも分からないの馬鹿雷兎」
「言い過ぎだろ。……まぁ、帰ってから話すよ」
僕とメルカは歩き出した。家に帰るために。
「……あの子はどうするの?」
「薊か。……どうしよう。ケータイも圏外だし、連れて帰るべきかな」
「そう。それがい……い――!?」
視界の端からメルカが消える。蹲ったメルカは、突然苦しみだした。
「ど、どうしたメルカ!?」
「……げ、て……」
狂ったように、何かを呟いている。けどそれは僕には聞こえない。メルカの身に、何が起こっている――!?
そして、彼女は、
「逃げて――――――――!!」
絶叫し、
世界は、真紅に染まった。
◆
「どうだい、恋歌。繋がる?」
「――無理なの」
右手の人差し指と中指を合わせ、額に押し当てていた恋歌は、それを解いた。額には汗が滲み、顎を伝って一滴が零れ落ちる。
そこは、朝威識々の邸宅内だ。いるのは、ソファに腰掛けた家主の識々と、その近くで直立している炎恋歌だけ。
「虚衣蓬との戦闘中、いきなり通信が途絶える……か。最後に聞いた言葉、『虚衣薊はメルカちゃんと交戦中』……気になるけど、僕が動いたところで、何も変えれないからねぇ」
「雷兎もメルカも、心配なの」
「そうだ、ね……。メルカちゃんは言わずもがな、雷兎君に関しても、まだ不安は残っている。まあ、あの子なら切り抜けられるとは思うけど」
識々は恋歌のほうを見た。俯いて、唇を噛み締めて。まるで全て自分のせいだとばかりに。
「大丈夫だよ、恋歌ちゃん。雷兎君もメルカちゃんも帰ってくるさ」
「……そんなの、分かってるの」
雷兎君と出会ったのは三年前だったか、と識々はふと思い出した。それから、彼は、がむしゃらに、死線を潜り抜けてきた。
あの事件が、引き金だったのだろう。
「雷兎君には、死んでもらっては困るしね……」
まだ。
何も返してもらってないし、渡せてもいないのだ。
虚衣蓬と、虚衣薊。確かに彼女たちは強いだろう。しかし、本当の雷兎の実力には、それも霞のように消えるだろう。
彼はあのように謙遜していたが。
純血の一族。血塗られた一族。その血統を継ぐ者こそが織神雷兎だ。
「進むしかなく、振り返ることもろくに出来ない。それでも、学校にはちゃんと行って、僕らの前では普通を気取ってて――雷兎君は偉いよ」
「識々とは違うの、根本から」
「そうだね。月とすっぽんだ」
だからこそ、傍観しか出来ない。だからこそ、歯がゆい。
いつの間にか、唇を噛み締めていた。
「識々」
「……分かってるよ。さて、僕に出来ることは考察だ。――何故恋歌と雷兎君の通信が急に途絶えたのか、僕の予想では、三人目《、、、》の存在だ」
「本当にいると思う?」
「いてもおかしくはない。いや、いないとおかしい、といっても過言ではないよ」
そうでないと、幾らなんでも不自然すぎるからだ。
恋歌の魔具、〝アルファヴォイス〟。その能力は、他の魔具と共鳴し、通信を取ることや位置を確認できるようになることだ。〝アルファヴォイス〟が防がれたことは、今まで一度もなかった。
それを可能にするのは、恋歌と同じ後方支援型魔具の使い手に他ならない。それも、ジャミング系統に特化した魔具。そして、その使い手かもしれない、〝瀧夜叉〟の三人目。二つはイコールで結ばれる。
「……勝てそうかい、恋歌?」
「やらないと分からないの」
恋歌は、もう一度二本の指を額に押し当てた。瞳を閉じ、集中する。意識は、自分の内へ。それが世界の外を見ることへと繋がる。
別の思考を一つずつ排除していく。向けられるのは、雷兎の居場所ではなく、ジャミングした人物の居場所。
削れゆく思考の中で最後に残ったのは、識々のことだった。
――識々だって、頑張ってるの。だから、そんな悲観しなくてもいいのに。
一瞬だけよぎった言葉も掃いて捨てられた。
「――さあ、こっちも勝負なの。絶対に、見つけるの」