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三章 17/


   三章 17/



 走り続ける。夜色の膜を裂いて、群青の空を背景に駆ける。

 群青というには、あまりに濃い空だけど。より正確に表現するなら、群青色の絵の具に同量の黒を混ぜたような。蒼い闇が、そこかしこに――そこら中に、充満している。


 街のはずれの廃病院。

 その噂はよく聞く。そういったものにありがちな、怪談ものの噂だ。取り立てて説明するような特徴もない。


 ただ一つ追記するなら、幽霊といったものの存在は本当にある。

 存在――幽霊や亡霊といった類は、確かにそこに居て、生きている。ただ、それが確認できるかできないか、認められるか否かの問題というだけだ。と、我が上司の識々が言っていた。

 ああ、そんなことはどうでもいい。僕の考え方は、確認できないものは存在しない、存在しないものは関係ない、だ。幽霊が存在していたとしても僕がそれを見られなければいないも同然だ。


 結局人間、自分主義。


 さて――件の廃病院は、街のはずれにある。場所は、おぼろげにだが覚えている。一度、そこで戦闘をしたことがあったのだ。正規の――クローザーズではない、魔具使いとしての、ギルドの一員としての戦闘で。

 ちなみに、未だ恋歌とは連絡がつかない。何かあったのでは、と否応無く勘繰ってしまうような事態の奇妙さだったが、それよりも優先すべき事柄がある。


 メルカの救出(、、)――だ。

 救い出す――それが、僕が独断で動いている理由だ。


「理由……もしくは、責任、か」


 メルカを助けてしまったことへの、責任。

 僕がメルカを救ってしまったから、彼女達と出会った。このややこしい事態を招いてしまった。巨大な闇に触れてしまった。ならば、その責任は。

 僕が――とる。


 恐らく、もうすぐ着く。サポートがない状態だからこそ、恋歌のサポートの強力さを知った。あと何分で着くか、そもそも僕は正しい位置に向かえているのか。そんなことすら――分からない。


 分からなくても、進むしかないのだけれど。

 分からないから、進めないわけではないけれど。


 建物の屋根に転がりながら着地し、立ち上がりながらまた跳ぶ。強化された視覚に、周囲の景色が映し出される。

 僕の下では、暗闇の中、ぽつぽつと家の明かりが灯っている。前方は、空よりも濃い黒。街の片側にそそり立つ山だ。確か、その山の近くに廃病院はあったはず――


「――――」


 その時。山の麓辺りで、何かが光った。

 それは、光よりも赤く、炎よりも赤い。何なのか――なんて、想像はついた。


「……メルカ……」


 どう考えても、普通の光ではない。普通じゃないなら、何か。それは、異常だ。

 メルカ。

 どうやらあそこが廃病院らしい。

 僕は向かっていた方向が正しいことに安堵しながら、同時に緊迫が体を走る。

 そこで何が起こっているのか。それを知るために、走っている。しかし、もし知るために走っているのだとしたら、僕はもう立ち止まっている。怖いから。何が起こっているのか、何があるのか――が。


 それでも進むのは、メルカのためだ。

 メルカを救いたいから――僕は走る。


「――つまるところ、僕は」


 メルカに――あの強く脆い少女に、惚れてしまっているんだろう。


 惚れるということは、壊れるということだ。


 誰かを好きになるのは、自分を狂わせるということだ。



     ◆



 着いた。

 目的の、廃病院――


「……静かだな」


 先ほどの光は、一瞬だけだった。気付いた一般人も、そう多くはないだろう。その僅かの人間も、見間違いか何かと思っているだろう。


 廃病院。かつては清潔だったのであろう見た目は朽ち果てて、ガラス張りのオートドアは、今や粉粒ふんりゅうとなって地面に転がっていた。どこからどう見ても不気味だ。

 僕は、廃病院を見上げながら、周囲を観察していた。

 当然だが、閑散としている。だが当然と言えるのは普段のことで、現在はその普段には含まれない。閑散としてはいけない状況に――あるのだ。なのに、この静けさ。

僕から見えるところに、戦闘の傷は見当たらない。それも気になる。


「とりあえずは、踏み出さないと始まらない……か」


 適当に独り言を呟いて、言葉通りに踏み出す。

 腰から大型ナイフを抜き、迎撃の態勢をとっておく。内部に入ると、どこから何がくるか分からない。


 ちなみに、蓬との戦いで落としてしまったナイフは、回収していない。だから、この大型ナイフは一本だけで、スローイングナイフも半分だ。ネイルナイフは全部ある……が、使用する機会はないかもしれない。基本的にネイルナイフは暗殺向きだ。そして今回、殺すべき敵はいない。

 ガラスを踏みしめているのを感じながら、内部へと侵入する。


 中身は一般的な病院だ。広めの待合室に、緩やかな曲線で形作られたカウンター。壁の色はもはや推測のしようもない。

 この病院がいつ建てられ、いつ棄てられたのかは知らない。けど、この朽ち果てた様相は、中々の年季が入ってそうだ。

 そして、入ってから気付いたことだが、暗い。〝白ウサギの目(ラピッドファイア)〟があるから夜目は効いているものの、普段だと足の踏みようもないだろう。メルカも薊も、ここから入っていったのだろうか。


「……待てよ」


 考えてから、その可能性は低い、と感じた。

 だって、僕やあいつらは、魔具使いなんだから。

 異常者――なんだから。

 わざわざ正規の入り口から入る道理はない。


「だとしたら、どこからだろう」


 いや――考えることさえも、愚かしい。

 いくらでも、道は存在する。ならば、僕もそうしよう(、、、、、)か。

 僕は体を翻して、さっききた道を戻った。そして、最初の位置に戻る。もう一度振り向いた。


「――いける」


 そして、走った。

 右足を踏み出して跳ぶ。斜め前。壁に四肢をつけ、へりを掴んだ。その片手だけで、勢いをさらにつけて走る。

 壁を、上へと向いて走る。走るというより、へりに足をかけ、それを連続で行う感じだ。


「よ……っと」


 最後のへりを右手で掴んで、体を乗り込ませた。

 屋上だ。

 そこには。


 あの二人(、、、、)が――いた。

 虚衣薊と、正宗メルカ。


「……メルカを、返してもらいに来た」

「――きゃは」


 薊が顔だけ振り向いて、半月の笑みを浮かべる。その後ろでは、メルカが倒れていた。

 倒れていた――


「何をしやがった――」

「答える義理は、ないよ」

「そうか。なら」


 自分で確かめてやる。

 決心と同時に、一歩を踏み出す。鋭く、速く。前進する。

 走り始めるのと止まるのは、ほぼ同時だった。


「「――ああああぁぁぁぁぁ!!」」


 僕と薊、二人の――否、二つの獣の咆哮が、上がった。

 右手のナイフを突き出す。薊は右手に持った無骨な大型ナイフでそれを流した。闘牛士のように、ひらりとかわして飛び退いた。僕は反転、一瞬を越える速度で肉薄する。

 先ほどと同じ突きを放つ。これもまた、受け流された。だが、逃がしはしない。空いている左手で逃げる右手首を捉え、捻り上げた。薊の体が回転し、その腹に回し蹴りを撃つ。

 薊の体は横っ飛びに吹き飛んだが、スニーカーの底を減らしながら耐えた。


「きゃははは――ここに来たってことは、お姉ちゃんを負かせたってことだよね」

「どうだかなっ!」


 薊の言葉を無視し、追撃する。右手に大型ナイフ、左手にスローイングナイフを三本指の間に挟んで、両の手を振るう。薊はしかし、それをひらりとかわすだけだ。

 右腕は肘を柔らかく使い、撓らせるように。左腕は右腕の合間を縫って、直線的に。達人プロの魔具使いは両腕を左右同じくらいに扱えないと話にならないのだが、僕は少し偏っている。右手は上手いが、左手では上等な捌きは出来ない。

 真後ろへ後退する薊を右斜め前に跳んで追う。二重の斬撃を、右手のナイフで流す。


「きゃははは、楽しいねぇっ!」

「楽しかねぇよっ!」


 薊の甲高い声はヒステリックさを含んでいる。瞳孔は開き、口許は大きく歪んでいた。元の顔が良いだけに、それが余計際立つ。そして、それすらも自然に見えるような、狂気。


「答えてくれるかは知らねぇけど、一応聞く! メルカを、どうしたんだ!」

「答えたくないよっ!」


 右の突き、その下を潜るようにして左の銀爪を横に振るう。そこで初めて、薊が反撃に出た。その左のナイフを右手に持ったナイフで防ぎ、懐に踏み込んでくる。後ろへ下がろうとしても、向こうの方が速い。飛び上がりながらの膝蹴りが、顎にクリーンヒットする。浮き上がる体に、追い討ちをかけられる。跳び台代わりに両足で蹴りつけられ、地面へ垂直に堕ちる。


 息の塊が肺から漏れた。地面とぶつかった衝撃で浮き上がり、それを利用して立ち上がる。視線を上げると、右手を翼のように掲げた薊の姿が映った。

 真一文字に薊のナイフが振りぬかれる。分厚い銀刃を左手の三本のナイフで絡めるようにして受け、右手のナイフで薊の腹を目掛け振るう。


 薊はすぐさま跳び退ったが、制服の胴体の部分がパッサリ切れていた。その奥から僅かに血も流れ出てくる。

 カラン、と金属が地面にぶつかる音。薊のナイフが、僕の足元に落ちた。


「――流石に、お姉ちゃんを倒しただけあるね」


 薊が右手を顔の前に掲げる。こちらに甲を見せる感じで、五指を開く。次の瞬間、燐光のようなものがその右手に収斂された。燐光は次第に何かの形を取り、消える。右手でそれを掴み、真横へ振りぬいた。


「魔具を戻し、再び解放したか」

「その通りだよ」


 ちらりと地面を見ると、そこには既にナイフは落ちていなかった。代わりに、薊の右手に、それはあった。

 薊の動向を窺いつつ、左手の三本のナイフを腰のベルトに戻す。


「一つ目の質問だ。――メルカが、何故ここに居る?」


 先手を打ったのは僕。一瞬で懐に潜り込み、左拳を打ち込む。だが、反射的に振るわれた薊のナイフに、下がらざるを得ない。薊|の回し蹴り。右腕で防ぎ、体全身を襲う衝撃に耐えながら、左手で動きの止まった足を掴む。ひねりながら地面に叩き落した。

 薊は地面にぶつかる直前に体勢を立て直し、着地と同時に大きく飛び退いた。獣じみた――ケモノじみた、動き。


「私が誘拐したんだよ。お姉ちゃんの指示で。やむを得ない――って」

「人を殺しすぎて、喰いすぎて、か?」

「そうかもしれない――ねっ!」


 薊が強く踏み込む。靴の跡が残るほどに強く。瞬きすらも出来ないほどに。瞬きなんてしてたら――この戦いでは、生き残れない。

 ナイフによる攻撃、と見せかけて、右肩からのタックル。あっさりと騙された僕は、それを腹で受け、吹き飛んだ。といっても体の軽い薊の一撃、致命傷には、はるか遠い。両手で地面を掴み、反動でバック転、四肢で着地。

 だが、薊も自分の非力さを自覚していた。顔を上げると、目の前には右膝。


「――くぅっ!」


 転がりながら避ける。立ち上がろうとすると、更に唸りを上げた左足が。反応が間に合わない。

 側頭部を打ち抜かれた。面白いように吹っ飛ぶのが自分でも分かった。


「ぐ、ってぇ……」


 四回転くらいはしただろう後に、左手を地面に付いて、何とか立ち上がった。だが。


「あ、れ……」

「きゃはは、頭がくらくらするでしょ? 正確に打ったからね、暫くはまともに動けないよ」


 薊の言うとおりだった。今の僕は、自分を認識できない。体が自由に動かなくて、自分のものじゃない感じ。

 けど、やばい――そう認識することだけは、容易かった。

 ぐるぐるする視界の中で、狂気をオーラのように噴出している薊が、歩いてくる。


「このままいたぶって殺しちゃうのもいいんだけどね――きゃは、それじゃあ……面白くないよね?」


 僕の目の前まで歩いてきた薊が、耳元で囁く。そして、腹に重い衝撃。防御行動をまともにとれていない状態で、腹に膝を喰らった。後ろに倒れそうになったとき、頭を肘で打たれた。また――側頭部。

 くらくらする、なんてところじゃない……死にそうだ。


「メルカのことは……どれくらいまで知ってる?」

「よ、もぎ、から……聞いた、よ」

「きゃは。じゃあ、結構知っているかもね。私が話すようなことは、ないかも」


 それじゃあ殺さない理由が無くなっちゃうね、と、薊は呟いた。だが、それすらも遠く聞こえる。〝白ウサギの目(ラピッドファイア)〟が、切れ掛かっているか。

 そもそも魔具は、集中していないと召喚すら出来ない。それを今の状態の僕が使えているのは、ただ単に〝白ウサギの目(ラピッドファイア)〟が僕の意識と半同調程度しかしていないからだ。

 魔具使いにとって、気絶や失神といったものは相当の危険だ。命のやり取りの最中でそうなってしまうのは勿論、寄生型だと、暴走してしまう可能性すらもある。死に直結する。


「……そうだ。良い事思いついちゃった」


 そして、現在僕が置かれている状況も似たようなものだった。

 暴走しかかっている。この体に刻まれた魔具が。

 それを必死に押しとどめるために冷静になっていたのだが――危険だ。地に膝を付き、左手で顔を抑える。体が熱い。


「どうしちゃったの? ……ああ、そっか、気絶したら狂っちゃうもんね」


 薊の言葉も耳の奥でわだかまっているようなもどかしさがある。手で半分覆い隠された視界に、ブーツの爪先が飛んできた。

 左手の甲の中心に、それがめり込む。勢いはない。それでも、押し倒されるように僕の体は傾いだ。右半身から地面に倒れこむ。


「自分と戦うのもいいけどさー、私の相手もしてほしいなー。暇だもん。話聞いて欲しいもん」

「はい、はい……何、を話すつもり、だよ」

「そうだね……どうせなら、雷兎が聞きたいと思っていた事を話してあげるよ。即ち、メルカのこと?」


 ナイフをくるくると回転させながら、こちらを見下ろす薊。

 嗜虐的な瞳が僕を睨んでいる。


「メルカはね、無用心にも一人で散歩していたよ。そこを、私が拉致した。あまりにも無防備で、捕まえてからも無抵抗で――だからちょっとムカついちゃって、いたぶってたんだけどさぁ」


 識々は何をしてたんだよ……クソっ。

 けどその苛立ちも、脳を走る痛みに掻き消された。


「もうメルカは殺しちゃおうと思ってたんだぁ……よかったね、それ(、、)の舞台にいられて」

「何……だって!?」


 薊の言葉に、瞬時に心が沸騰した。立ち上がり拳を握り締める――


「ちゃんと聞いてなよ」


 立ち上がろうとしたところを、腹に膝蹴りを見舞われ、一瞬浮き上がってまた地面に落ちた。


「……理由、はっ……!」


 息がしにくい。けど、そんなことを言っている場合じゃない。膝と肘で体を支え、見下ろす薊の視線を受ける。


「お前らは、メルカ、を、連れ帰るつもりじゃないのか……?」

「連れ帰る? 誰がそんなこと言ったのよぉ。メルカは、殺せ、と彼女の父本人からお達しがあったんだよ」

「メルカの、父、だと……っ!?」

「そ。魔具蒐集戦線をまとめあげる男、正宗村正氏だよ」


 父本人が、だと。


「だとすりゃ、それは……許せねぇなぁ」


 許さないなら、することは簡単だ。それ言った奴を、ぶっ飛ばす。

 けどそれには、まず目の前の障害を越えないといけない。そうだ――薊を倒せない奴が、戦線最強の男に勝てるはずもない。

 それに、他に色々しなきゃいけないことも残ってるし――



「こんなところで、くたばるわけにはいかないよな――〝白ウサギの目(ラピッドファイア)〟?」


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