三章 14/
三章 14/
最初に仕掛けたのは、蓬だった。座っていたベンチから体を離し、立ち上がりながらそのベンチを左手で掴み放り投げた。二人分の幅を持つベンチが飛んでくる。踏み込む。
ベンチに当たろうとした瞬間に体を伏せ、走る速度はそのまま避けた。蓬は既に薙刀を構えていた。
蓬は薙刀を横に振るうモーション。範囲を予想。回り込んで攻撃がセオリーか。
「――はぁっ!」
裂帛の声は蓬のもの。流石、凛とした声はこういう気合を入れた声が格好いい。
薙刀は予想通り横に振るわれた。右半身を前に、居合いのような姿勢から。僕は踏み込んで薙刀の範囲の直前で方向転換、転換、転換。三度の踏み込みで背後につく。
しかし、蓬はどうやら予想通りだったらしい。振るった薙刀が背中に収められるように戻る。ナイフによる突きが柄によって防がれた――こいつ、マジで化物か!?
「どうやったら見もせずに突きを防げるんだよ――っと」
蓬の振り返りざまの蹴りを後ろに跳んで回避。蓬の追撃は、薙刀の振り下ろし。懐に飛び込むことで避ける。
飛び上がりながらの膝蹴り。蓬は上半身を逸らしてやり過ごす。膝蹴りはただの牽制だったので、筋書き通り。膝を伸ばし、蓬の鳩尾を蹴って跳ねるように後ろに戻る。
「ふん――舐めた真似をしてくれるな。狼藉だ」
蓬には大してダメージはなかったらしい。強靭――か。
僕と蓬、両者の間に、沈黙が訪れる。戦闘中にはあまりにも不自然な、あまりにも不似合いな膠着。
蓬の舌が、ぺろり、と口を舐めた。それが合図になったのかは分からない、僕は、再び駆ける。
やることは、さっきと同じだ。僕だから出来るフットワークで、相手の不意を突く。
蓬が余裕の笑みを浮かべて、僕を誘う。出来るものならやってみろ、出来ないものなら願い下げだ――と、そんな風に。
一足で間合いが詰められる。薙刀の石突が振るわれる。当たらない。もう移動しているからだ。さっきより速く――後ろに付く。
「どれだけ同じことをしようと無駄だよ」
蓬の言葉には概ね賛成である。
蓬は振り向きもせず、刃で背後百八十度を攻撃した。――けど、その刃に来るべき感触など、来もしなかった。
僕は更に動き、蓬の面前に戻ってきていた。
「……要は、応用が必要ってことだろ?」
言いながら、蓬の顔面を左手で殴る。よろめいたところに、回転しながらの右足の蹴り。入った。体の中心、中央、中軸に。
蓬は地面と平行に飛んだ。それを追って走る。
〝白ウサギの目〟を解放した今では、追いつくことなど取るに足らない。野球でいえば、バッターが打ったクリーンヒットをキャッチャーの位置から走って空中で取るくらいのものだ。
蓬と僕の視線がかち合う。僕は――やや逡巡して、ナイフの柄の底を、蓬の腹に振り下ろした。容易く命中。蓬は飛ぶベクトルを九十度強制回転させられ、地面に叩きつけられた。右手の薙刀を左足で踏みつける。簡単には取れないはずだ。
僕はそのまま蓬の腹に乗っかる――簡潔に言えば、跨る。
「……中々の構図だと思わないか」
「思ってしまうのが悲しいけどな。大丈夫、襲ったりするわけじゃない」
ナイフをくるりと半回転、逆手に握り、自然な――ごくごく自然な動作で振り下ろした。蓬は僕の右手首を左手で掴み、胸元にナイフが刺さるのを阻止する。
女の子とはいえ、魔具使い。力はほぼ拮抗している。いや……僕のほうが力を加えやすい体勢な分、蓬のほうが筋力は勝っているのかもしれない。
「悪趣味、だな……わざわざこんなことしなくても、さっきのでとどめを刺せたはずだ」
「そうなんだけどな。……迷っちまった。蓬を、こんなにあっさり殺していいのかってな」
「私は一度刺されたくらいでは死なないよ。死なない死ねない死ぬわけにはいかない。ふん、お前は――甘いんだな」
「前にも同じことを言われたよ……甘すぎるって。けどな蓬、そいつに言った事をお前にも言ってやる。僕はこの甘さを貫くよ――それが僕の戦い方、生き様だ、って」
拮抗は動きつつあった。僅かに、僅かずつに、蓬の心臓へとナイフが近づいていっている。蓬は額から汗を流しながら、それでも、不敵に笑いかける。僕も、負けずと不敵な笑み。流れた汗が蓬の頬に当たって、流れていく。
「その考え方自体も、甘いなあ……君みたいなのも、いるのだな」
「そういうことだよ。世界は広い。僕や蓬を超える奴がいて、人智にも及ばないような怪物さえいる。世界は広いんだよ――って、この前上司が言っていた」
「世界は広い、か――お前と私が巡り合ったぐらいだ、私は、世界は狭いといつもいつも思っていたのだがな……」
「広いと狭いは同義にも近い――っと!」
ナイフが強引に押し戻された。蓬はその隙に薙刀から手を離し、その右手で僕を投げ飛ばした。やっぱり豪腕だ。
「お喋りはもうお終いかよ?」
「お終いだ」
蓬は足を引き戻し、伸ばして背筋力と遠心力で立ち上がった。それと同時に足のつま先(正確にはブーツのつま先で、だが)で薙刀の柄を弾き、空中に浮かせていた。薙刀を掴み、回転させながら手元に引き寄せる。……その動作からして既にアクロバットだった。
薙刀を右手一本で構える蓬。……さて、どう攻めたものか。
リーチの問題も勿論あるが、そもそもあいつは屈強で頑丈すぎる。見た目からはとても想像できない。もし近づけたとしても、ナイフで思いっきり刺さない限り、倒せない。斃せない。
考えていると、蓬から仕掛けてきた。踏み込みながら大きく薙ぐ。軌道は、首を狙っていた。サンメートル程の距離、屈みながら前進する。だが、甘かった。
薙刀は一回転し戻り、同時に右膝が昇る。それを避けたはいいものの、次いで左手で掴まえられた。捕捉された。捕縛された。
「せい――やぁっ!」
声と同時に、重力の向きが激しく入れ替わる。投げ飛ばされたと感じた時には既に着地の姿勢をとっていた。着地と同時に、走る。次はこっちの番だ――。
することは簡潔で、真正面から突っ込む。蓬は牽制するように薙刀を振るった。またさっきと同じようにするつもりか、威力が加減されている。速度も大した事ない。体を曲げながら速度は緩めない。蓬の左手が伸びる。捕まれられはしなかった。左手の掌底を蓬の左手首に押し込み、軌道をずらす。さらにその掌底打の勢いで半回転しながら、右肘を後ろに叩き込む。蓬の右脇腹を掠った。それだけでも袴が小さく弾けた。
蓬にとってこの距離は、恐らく一番不得手だ。長柄の武器は、それだけ近距離過ぎるのに弱い。即ち、肉弾戦の距離。
蓬は後ろに逃れようとする。だが、折角の好機は逃がさない。右手を引き戻し、更にアーチを描くように後ろにやる。それは、蓬の首に嵌った。一方的に肩を組んだ姿勢だ。その体勢で少し浮き上がり、右足で蓬の右手首を蹴飛ばす。薙刀を取りこぼした。左手で蓬の左手首を掴み、蓬を掴んだ二点に力を込めて上に跳んだ。蓬は僅かにもがき、またホールドロックされる。両足の間に頭を挟みこんだ状態で、体を捻る。柔道の投げ技のように、蓬が崩れた。
倒れた蓬に一息つかせず、襟元を左手で掴み、さっきされたように放り投げた。だが、こっちは素早い。投げた軌道に先回りし、蓬の体に右肘を叩き込み、更に空中に飛び上がり、回転しながら蹴りを放った。紛れもなく、見間違いもなく、どこからどうみても会心の一撃――!
蓬の体は軌道の逆方向に吹き飛ばされ、木々の中に突っ込んだ。木が巻き添えとして一・二本根元から折れ、その次の木で蓬の体は止まった。
「――ふう」
剛と柔という、二つの戦い方がある。
豪として戦い、轟として戦う、力任せな、直情的な、破壊的な剛の戦い。
揉として戦い、獣として戦う、滑らかな、婉曲的な、搦め手の柔の戦い。
まあ、その述べた二つは、超極端な戦い方だけれど。しかし、全ての戦い方は、全ての攻撃は、このどちらかに分類されると見ていい。
蓬は剛だ。体力が多く、威力の高い攻撃を持つ。蛇足だが、性格もこっち寄りだと思う。
そして蓬が剛ならば、僕は柔。体力はさして多いわけでもない。武器も、徒手空拳やナイフだ。威力が高いとは決していえない。けれど、手数の多さと、手数の豊富さがある。そして何より、魔具の力で、疾風い。
「これで倒れるとは思っちゃいないが……相当のダメージだろ」
止めていた息を吐き出す。ナイフをくるくると回転させ弄びながら、それでも蓬の消えた方を注視する。
蓬は起き上がらない。気を緩めさせて急襲するつもりか――そう考えた時、殺気。
「――!」
振り返りながら後ろへ跳ぶ。視界の端を銀刃が駆け抜けた。
「特殊能力、幻影――!?」
「その通りだっ!」
まさか――こんなタイミングで使うとは。
完全に虚を突かれた――いや、完全ではないか、多少は気付けた――形となった。蓬は追いかけてくる。薙刀を振り回し、猛追する。
薙刀を避けるのは容易い――が、それは向こうも見え透いていることだ。だから、その次に何がくるかが、問題。
「私はな、いつも思うことがある」
「んだよ、こんあときに話さなきゃならないことか?」
薙刀を振り回しながら蓬、それを避けながら僕。首を腕を胴を足を、上へ下へ左へ右への斬線をかわしながら、ときにナイフで受け流しての攻防。たまにきわどい攻撃がくる。体の各所、服を掠め取っていく攻撃も、皮一枚を切っていく攻撃もある。致命的な一撃は喰らわないが、前へも進めない。じわじわと後ろに下がりながら。
「さっきお喋りはお終いだ、って言わなかったかよ?」
「力があったところで何も問題は解決しない、何も変わらない――と、言われることがあるだう?」
僕の言葉はあっさりと流されたのだった。
「まあ、言うな……それが何だ」
「私は、それは逆だと、思うんだ」
逆、逆ね、と鸚鵡返しに呟く。攻撃は止まない。蓬は律儀にも、その呟きにそう、逆だ、と応じた。
「真逆の真逆、さらに真逆。正反対だ。
即ちな――力がなければ何も問題は解決しない、何も変わらない……いや、変える事は出来ない、と言ったほうがいいのかな?」
「…………」
「力というのは、全てだ」
力は全て……か。
「――まあ、全て、というのは言い過ぎかも知れないな――などと言うとでも思ったかな?」
……思っていたのが悔しいところだった。
「違うよ。本当に、力は全てだ。圧倒的な現実、絶対的なリアルだ」
薙刀による死線をかいくぐりながら、蓬の表情を窺う。憤懣やる方ないといったような激しさはなく、むしろ、静かな――静謐な雰囲気だった。
しかし、静かでも、静謐でも――その瞳には、炎があった。
意志が凝縮され濃縮されたような炎が、あくまで錯覚として、垣間見えた。
「何もかもが、力で決まるんだよ。そう……正義だって。力を持たない正義など正義として成り立たない。全部そんなものだ」
「……反論されることを承知で言うけど、それは暴論だ」
「名は体を表す、という言葉があるだろう? 例えば……そうだな、こんなことを言おうか」
そして、蓬は喋り始めた。いや、喋り始めたも何も既に喋っている最中なんだけど、今までとは少し声音が違っていた。調子も、違っていた。歌うように……語るように。
「腕力があるから物を持てる。脚力があるから立って歩けて走れて跳べる。思考力があるから物事を考えられる。生命力があるから、生きていられる」
静かな表情。あるいはそれは、無表情といいかえてもいいのかもしれない。
蓬は、その後もつらつらと述べる。まるで用意していたかのように、容易に。もしかしたら、彼女は本当にその言葉をずっと――ずっとずっと、考えていたのかもしれない。その心中を、僕は知る由はないけれど。
「――どうだ、これは何よりも力が必要だということの証拠にはならないか?」
「……さあ、分からないね」
誰が答えられるんだ、そんな問題、と続けて言った。
「どこかには居るさ、答えられる人間は。けど、答えが出ようと出まいと私には関係ない。考えは揺るがない」
「じゃあきっと、それがお前の答えだよ」
そう結んで、会話を強制終了させる。