二章 11/
二章 11/
蓬と薊との戦闘を終えてから、散歩がてらに歩いて家まで帰ってきた。とはいえ、その戦闘場所がどこら辺なのか、僕には見当もつかない。結局恋歌にエスコートされてやっと帰ってこれた。
所要時間一時間ちょっと。
あたりはもう真っ暗である。
しかも、歩いたのは一時間だけで、それから〝白ウサギの目〟で跳んできたから、本当はもっと長かったはずだ。誰だ散歩がてらとか言ったの。僕だけど。
見た目は普通の一軒家。中身も普通の一軒家。でもないか、ナイフが山ほどあるわけだし。本来なら銃刀法違反になるぐらいのものばかり。
ちなみに、華音は僕の正体を知っている数少ない人間である。というのも、三年前の事件の関係者でもあるからだ。
ドアを開けようとしたけど、開かない。よいことだ。チャイムを連打して、待つ。
暫く経って、誰かがドア越しの向こうにやってきた。
がちゃり、とドアが開く。
よし、開いた瞬間飛び掛ってやる。
そんな悪戯心が芽生える。それは、にょきにょきとどんどん大きくなって、立派な木となってしまった。ははは、仕方ない、やってやろうじゃないかあ(暴走気味)。
ゆっくりと開いていく扉。完全に開け放たれたと同時、僕はジャンプしていた。
「かーなんっ!」
どさっと音がして、僕と華音は倒れこんだ。そのまま抱きしめる。髪に顔を埋めると、シャンプーの香りがする。
「…………ん?」
シャンプーの香り。
って、華音は一人で風呂に入れないんだぞ? どうしてシャンプー……?
それに、よくよく考えれば、やけに体が柔らかい。心なしか、胸が大きくなったような。背丈もいつもと感触が違う。
「…………ん!?」
結論。華音じゃ――ないっ!?
残像が出来るのではと思うほどの速度で、体を離す。その少女を下に、僕が跨っているような体勢。だから、顔がはっきりと分かった。
「……えへ?」
メルカだった。
◆
「ごめんなさい」
リビング。……のはずなのだが、何処か異界の雰囲気が持ち込まれている気がする。
「本当に分かっている? あなたは私に抱きついたのよ? それも別の女の名前を呼びながら。失礼とは思わないかしら。傍若無人で八方美人で支離滅裂で各部爆発で共産主義で破廉恥で生きている価値もない駄犬の雷兎君?」
「おっしゃる通りでござ……らない! 各部爆発って何だ、共産主義でもないし、駄犬といわれる筋合いもない!」
メルカはつらつらと愚痴を零していた。愚痴というよりは悪態、悪態というよりかは悪口だろうが。
しかし非はこちらにあるわけで。僕はただ平身低頭していたわけだった。
土下座じゃないよ?
「それに、別の女って……妹だってーの」
「妹ちゃんも女の子でしょう」
「その通りだ。だから危ない気がするんだけどなあ」
主に学校とかで。
華音が下賤の輩になど狙われたら大変だ。
今華音は中学三年生。あと一年辛抱すれば、同じ高校でいれる。華音も愛染高校に行くつもりらしいし。
「顔がにやけているわ。どうせ、私に抱きついたときの感触を思い出しているのでしょう」
「違う」
「はいはい。……そろそろ土下座やめてもいいわよ? 流石にかわいそうになってきたわ。頭頂部しか見えない相手と会話をするのは」
……土下座なんかしてないよ?
「してるわよ。アイエヌジーで」
「心を読むな」
とはいえ、相手から許しが出た以上、僕が頭を下げ続ける必要はない。
頭を上げようとすると、
「あらぁ」
なんて言ってメルカが頭を踏んづけてきやがった。
「…………(怒りゲージマックス)」
誰が怒らずにいれるだろうか!
「一番切れ味がいいナイフって、何だったっけ……」
「怖い怖い、傷害事件は勘弁してもらいたいものだわ」
脅してもメルカはおどけるだけだった。
何だろう、コイツのほうが怖ぇ。なんでビビらん。化物か。
メルカもそれ以上何も言わず、さっさと足をどけてくれた。僕は立ち上がり、メルカの横に座った。といってもそこしか座るところがない。地べたを否とするなら。ソファーは三人は座れる広さなので、僕とメルカが座っても特に面白い展開はなかったのだった、残念。
「しかしまあ、恋歌に華音の世話を頼んどいて、メルカが来るとはな」
「あなたの妹というものに興味が湧いたのよ。別にレズビアンというわけではないからそこは注意しといてね。その妹ちゃんがちょこっと出てきた話の直後にこれよ、確かめない理由がないわ。……それとあなた、気付いてる? さっきの言葉だけで三人の女の名前が出てきてたわよ」
「確かめる理由もないと思うけどな」
後半の言葉は無視した。
「ちなみに最初は行く気はなかったわ。けれど、あのチビっ子に頼まれてね。『昼寝の時間なのー』とか言いつつ部屋から出て行ったわ。それで、放置しておくのもどうかと」
「あいつ絶対ガッツリ寝てるだろ。朝まで寝るつもりだろ」
昼寝とか言いつつ夜だし。会った時も多分寝起きだったし。
「それで? 本当にそれだけが目的だったのか?」
「どういう意味よ」
「そのまんまの意味だ」
「そうね……例えば、雷兎の恥ずかしいもの探しとか」
「やっぱり!」
絶対してるだろうと思ったよ。
「本当に妹ものばっかりだったわね……あんなの見られたらもっと嫌われちゃうんじゃない? それにしても隠し場所は古典的だったわね。ベッドの下」
「いちいち言わんでいい……」
「それと、分かりやすいように机の上に置いといたわよ」
「ちょっとトイレ行ってくる」
「あら、何で反対の方向に行くの? トイレはあっちよ」
「僕の家の間取りを把握するな」
なんて奴だ……っ!(様々な意味で)
◆
閑話休題。
「何で二階から物音がしたのかしらね」
「さあ? 華音が寝返りでもうったんじゃないかな」
「そうかもね……ふふ」
愉快そうに笑うメルカ。殺気が芽生える。メルカはひとしきり笑って、落ち着いたようだ。
「本当に家事やってくれていたのは驚きだったけどな……」
「当たり前でしょう。一応は頼まれごとだもの。炊事と、妹ちゃんのお世話。ちなみに一緒にお風呂に入ったわよ」
「待て」
「色々話も聞いたわよ。学校のこと、友達のこと、兄のこと、自分のこと……それと、私が一緒に風呂に入ったのは、妹ちゃんに頼まれたからよ」
「……そっか」
「あの子のどこが無口なのかしら。割とよく話してくれたわよ。雷兎だから話さなかったんじゃないの? 嫌われてるの? 嫌われてるんだー、わーわー」
「僕だから話さないんじゃ、ないとは思うけどな……」
メルカの悪口は、大して頭に入っていなかった。
華音が学校や友達のことを誰かに話すなんて、聞いたことがない。僕にだって、少ししか教えてくれない。悩みとかいざこざとか、全くだ。初対面のメルカにそんな顔を見せるなんて、どういう心境の変化だろう。
女の子同士のほうが、やっぱり話しやすいのかな。
うーん。
……凄いショックだ。
「何勝手に落ちこんでるのよ」
「すまない。男としての自分に絶望していた」
「じゃあ女装すれば?」
「やだよ」
何でそうなる。
「や、男の自分が嫌なら女になればいいんじゃないかなあと。雷兎、女装似合いそうだし」
「やめてくれ……」
「んでー? 一回してみなよ。セーラー服とか、絶対似合う。だって元々顔いいもん。それに若干中性的」
「似合いそうもないし、似合いたくもないね」
後半の言葉は少し嬉しかったけど、顔には出さなかった。というより、女子に褒められて嬉しくない人間などいるのだろうか。……まあ、いることはいるのかな。
「僕の女装についてはともかく、だ。……華音の世話をしてくれたことには、感謝してる」
「あらそう」
わざとらしく驚いたような仕草をするメルカ。けれどそこには、いつもの余裕がないように感じられた。
「あなたが礼を言うなんてね。この世界はどうしちゃったのかしら。まだ春なのに、台風が来るか、雪が降るか、その二択ね。もしくは世界が明日滅ぶとか? あはは。雷兎凄い、礼一つ言うだけで世界を滅亡させられるなんて。魔人魔王鬼畜ド鬼畜ね。流石は女装好きだけあるわ。慇懃無礼に美辞麗句を述べさせてもらうわ。それとも、暴言で盛大に罵ってもらうのがお好きかしら。まあ、どっちも言わないんだけど。だってあなたと喋ることさえ躊躇っちゃうのよ? それなのにそんな大それたことを言うなんて、私の精神が耐えられないわ。チキン肌になること間違い無しね」
「…………」
ほら、こんなこと、普段のメルカは言わない。
支離滅裂だ。無茶苦茶だ。脈絡がなく、筋もない。メルカはまだまくしたてるように喋っていたが、口の動きが速すぎて文字に変換する気も失せた。
それにほら、普段と違ったメルカは面白いし。
「もうそろそろ帰ってきておくれよ」
「あら、何のことかしら」
一瞬で豹変しやがった。
「……まあいいや。それよりさ」
「何ナノラー」
「キャラを崩すな。いや……何でまだ風呂上り姿なんだろうと」
「気ニスルナー」
そう。メルカはまだバスタオル一枚の姿だったのだ。
それで、横に座れば大して見えないから横に座っていたんだけど……。さっきから白い曲線がちらっちら見えて、若干どぎまぎ。
もう限界だった。
「さっさと服着ろ。寒くないのか? 湯冷めするぞ。華音の服じゃ……合わないかな。僕のでいいか?」
「よくないわよ」
即答だった。
当然だった。
「まあしかし、寒いのも事実ね。仕方ないからあなたの服をもらってあげるわ」
「貰うのかよ!」
「だって、あなた、絶対そのあとそれ匂うでしょう」
「匂わない! 僕は匂いフェチじゃないよ!?」
僕の嗅覚はそれほど敏感でもない。関係ないか。
「じゃああなたの部屋へ行きましょう。さあ、今すぐに!」
横でメルカががばっと立ち上がった。何故か右手を天に向かって(本当は天のあとに『井』がつくけれど)突き上げた。異様にテンションが高かった。僕の部屋は見たことあるはずなのに(恥ずかしい本を探しに)。
「まあいいか。じゃあ取りに行こう」
◆
時と場所が移って。一分後、二階、僕の部屋、華音部屋の隣、階段右に曲がって突き当たり。
「華音が寝てるから、静かにしてくれよな」
「こっちの台詞だにょん」
ちなみに今は十一時。正確に言うのなら二十三時十一分。アナログ時計だと一ばっかりだった。そしてたった今十一秒を過ぎた。
「で、どんな服がいい? 普通のシャツでいいか……ってうぉーい! 僕の書類をあさるな! 二回目だろう!」
「五月蝿いわよ」
「うぐっ……じゃない! お前のせいだどう考えても!」
メルカから本を取り上げて代わりにシャツとズボンを持たせた。メルカは受け取ったが、それをしばし眺めると何故かベッドに放り投げてしまった。
「こうなることは予測していたわ。服だって持ってきているわよ」
「ちょっと待て」
「待たないわ。おちょくりたかっただけだから」
「理由にならん」
今日もメルカ節は全開だった。泣ける。
「また騙された……」
「こんなの、騙したの範疇に入らないわよ。だって害を被っていないもの。友人同士の遊戯でしょうこんなもの」
「害は被っているぞ。身体的に疲れる。精神的にも疲れる」
メルカの策略によりこの部屋に来た理由はなくなった。それに実際疲れたのでベッドに腰掛ける。メルカは学習机の回転する椅子に座っていた。
「しかしまた……何でこんなこと仕組んだんだよ?」
「気になる?」
「なり過ぎて困り果てていたところだ」
「ちょっと……この部屋でお話したかったのよ」
「? どんな話だ。別に普通の話ならここに来なくてもできるだろう?」
「鈍いわねぇ」
メルカは嘆息をもらして、回転椅子でぐーるぐるしながら部屋の壁に向かっていった。メルカが止まったのは――あるガラスケースの、前だった。
「これよ」
「……それね。ナイフ」
ガラスケースに並べられているのは、ナイフばかりだった。妖しく光る刀身のナイフ揃い。
「仕事道具だよ。僕は使う武器はナイフだけと決めているんだ」
「そう。……理由は、まあ聞く必要もないし、聞きたくもないけれど」
常日頃から使っているメインの斬撃刺突両用大型コンバットナイフ。刺突用短剣スティレットに、分厚い刃を持つチンクエディアといった古来からの武器。サブ用では、スローイングナイフ、刺突用ネイル《釘》ナイフ。様々な凶器が、所狭しと。
「これ、あの子に見られたことあるの? 妹ちゃんに」
「いや……見たことはないと思うよ。僕の部屋には入ってこないしな、あいつ。……それに出来ることなら一生見せたくない」
「妹想いね」
「そりゃそうだ。妹だからな」
僕が魔具使いだということを、華音は知っている。だけど、知っているだけだ。その事実だけを。
これを――仕事道具を見せたら、事実以上《、、、、》を知ることになる。現実だ。現実を。僕の現実を。
「まあ……見せていないというのなら、それは良いことよ」
「これがどうかしたのか?」
「どうもしないわよ」
言ってからメルカは何も言葉を紡がなかった。僕も押し黙る。
しかし、静寂に耐え切れない。
「……今日はどうするんだ。もう遅いし泊まるか? それが嫌なら、家まで送るけど」
「帰るわ。送ってくれると言うのなら、送ってもらうけど」
「そう」
また沈黙。
「…………」
「…………」
…………って、思考までも沈黙してどうする。
何か話題は……話題は…………そうだ。あれだ!
「なあメルカ」
「何よ。つまらないこと言ったら星にするわよ」
「つまらないことなんて、言うつもりはないさ……。その、だ……あーっと……メルカにとってさ、正義、って――なんだと思う? 一体それが何で……どういう意味を持ってるのかな」
「――何で、そんなこと聞くのよ」
「……なんとなく?」
「……あなたも、同じことを聞くのね」
呟くメルカを横目で見る。何も考えていなさそうな顔。けれど思案しているようにも見える。不思議な表情だった。
「そうね。私の正義とは」
「正義とは」
「正義とは正義であって正義でしかない。そこにあるのは意味ではなく、意志でしかないわ」
あまりにも……男らしかった。
「意味じゃない、意志……」
「そうよ。これで文句ある? ちなみにこれ、私の座右の銘なの。パクってもいいわよ」
メルカは、まだ椅子をぐーるぐるさせていた。
「そっか。それがメルカの答えなわけね」
メルカは答えない。
僕は少し満足した気持ちで、言った。
「さて、メルカの家に行くか。さっさと着替えろよ。下で待ってるから」