二章 10/
二章 10/
薊の血が付いた――この戦闘で初めて付いた本物の血を払う。
薊のところまで、蓬が歩み寄る。薙刀を構えたまま、ちらちらと薊を確認している。
さて……次はこっちからの質問だ。
「……偉そうなことをいったけど、僕にも分からないことが一つある。蓬の幻影だ」
「私のこれか」
蓬は俯いて、自嘲するような苦笑を見せる。どういう意味なのか。
「これはな……私の魔具、虚耗の能力なんだ。『二十四時間に一度だけリアルな幻影を写すことが出来る』という、な」
蓬の魔具というと、あの薙刀か。しかし、何故……そのような悲しい顔をしているんだろう。
「……なんだ、私が落ち込んでいるのが不思議か? ならば教えてやろう。
私はな……この能力が嫌いだったんだよ」
「……そんなとこだろうとは思ったよ」
「だろう? 大体理由も分かっているはずだ、魔具使いのお前なら。魔具に魅せられ憑かれた同士のお前ならな。私のは、衝動が強すぎるんだ」
そんなところだろうとは、思っていた。思っていたが。
本当に、こいつは……。
「衝動が強すぎるということは、多くの魔具を屠る必要があるということだ。しかもこの魔具、同類だけでなく、人も喰らえるものときた。そうしたら、私は魔具にありつけないと、人を襲ってしまうということだ。どっちにしても人を殺すが……そんなのは関係ない。私は、普通の人を傷つけたくなどなかった」
「けれど、それは出来ない?」
「そうだ。なにせ、衝動が強すぎるんだからな」
特殊な能力を持った魔具は、特殊な分、多くのエネルギーを必要とする。たとえその特殊な能力を使わなくとも、だ。選べぬ代償に、選べぬ犠牲。
きっと蓬は、今まで多くの命を刈り取ってきたのだ。その命が、更なる命を絶つ糧となっている。それが、蓬には耐え切れない。だからこそのあの自嘲か。
「そして、だ。私には……もう時間がない。衝動を抑えきれなくなっているんだ。今ここで、お前か、メルカを倒さないと、私はまた人を殺してしまう。
だから、どうしても……お前をここで殺したい」
「……そうかよ」
気付く。
こいつは、あまりにも優しいんだ、ということに。
だけど……だけどな。
「僕は、死ぬつもりはないよ。こんなところで」
「…………」
「そして、蓬は一つ間違っている」
「…………」
「僕ら魔具使いも普通の人間も、等しくただの人間だよ。違いなんてない、どっちもちっぽけな生き物なんだ。それだけは……言っておきたかった」
蓬は、なにも答えない。眉一つ動かさず、そして恐らく、心も微塵にも動いてなどいない。
「……それでは、再開しようか?」
「そうだな、そうしよう」
途端、薊の姿が掻き消え、蓬が奔る。
薊がどこから来るか――予想が出来ず、両手のナイフを構える。
蓬が踏み込み、風と風の合間を縫うような突き。斜めに前進して避けながら、ナイフを振るう。薙刀を素早く戻して石突のほうで弾かれる。蓬の膝の裏を蹴り、膝をつかせる。後退。
「――っ!」
どうやら後ろを見ずに下がったのは間違いだったらしい。突如として背中に衝撃が走った。転がりながら後ろを見ると、そこには薊の姿。
薊はさらに追ってくる。右腕のナイフが閃く。一瞬の斬光だけで軌道を予測し、ナイフで防いだ。夕日がなければ危なかった。それに、薊のナイフが金属を模したもので助かった。薊は防がれたと見るや足払いをかける。右足を上げて避けるが、薊の右足が跳ね上がり、頭に伸びてくる。体を反らして避けるが、頭を狙ったのはフェイク。右足が首に巻きついた。
やばい――思う前に、左の膝蹴りが腹に炸裂した。痛む間もなく、薊は行動に出る。左足が僕の右肩に乗り、踏み台代わりに使われた。飛び上がった薊は空中で縦に回転。後頭部をかかとで蹴られた。更に蓬が薊の下から現れ、背中に体当たりを見舞われる。
「痛ってぇ……」
両手を地面に付き、立ち上がる。
今の戦いで分かったことは、二つ。
薊のパンツの色。
それと、|薊の足の傷が治っていることだ《、、、、、、、、、、、、、、》。
「……気付いたかな?」
薊の声。それと、歩み寄る気配。
「特殊能力か」
「大正解。お姉ちゃんに特殊能力があるように、ボクにも、同じモノがあるんだ。ネーミングはそのまんま、『自然治癒』。凄いでしょ?」
確かに、凄いといえば凄い。
「まさか、二人共に能力が備わっているとはな……」
幻影創造に自然治癒。どちらも厄介であることに違いはない。蓬の話が真実だとすると幻影はもうないから、どっちかといえば自動治癒のほうが面倒臭い。問題なのは、その治癒の詳細の能力だ。
発動はいつなのか、恒常的にか、傷を付けられたときだけか。速度はどれくらいか、一瞬か、じわじわとか。規模はどれくらいか、治癒の発動する範囲は、一つずつを治癒するのか、全部一遍に治癒するのか。
一つの能力でも、詳細が違えば対処も違う。自動治癒の相手には、一度だけ見えたことがあるが、その彼と同じとは限らない。
……ん?
「蓬、話がある」
「何だ。そんな暇でもあると思ったか」
蓬の広範囲攻撃、薊のトリッキーな動きを必死に避けながら、聞く。
「僕は、お前のことを正々堂々・武士道精神の奴かと思っていたし、そう聞いていた。だけど、そうしたら少し話が違う。――なんで、正々堂々を好むお前が、幻影などを使う?」
「…………」
蓬は答えない。傍目には、ただ黙々と僕を追い詰めているだけだ。しかし、その双眸には、かすかな感情の揺らぎが見られた。――ばれたか、というようなばつの悪い感じの。
「確かに、私は、正々堂々を好む性質だ。本来なら、薊と共闘することもあまりない」
なるほど。
だから、チームワークを駆使した攻撃というものがなかったのか。一人が盾、一人が奇襲、なんてよくある形の連携はあったけど、それくらいが限界ということだろう。
「しかし、なら何で?」
話している間にも、戦いは途切れない。四つの刃物が乱れ飛ぶ戦場だった。
「私が幻影を使うということを、お前は知らなかったな? それは、私がこれを使った相手は全員死んだからだよ。だから、お前が初めてだよ。私のこれに感づいたのは」
「本当に? あれほどバレバレだったのにか?」
「ザックリいっちゃうよ? そんなこと言うと」
「落ち着け」
誰が落ち着けるかこんな時に。それに言われなくてもバッサリやられそうだし。
「お前が強すぎるんだ、〝白ウサギの目〟」
「かもな」
運動神経と五感を中心に感覚を超鋭敏にする魔具、〝白ウサギの目〟。それが僕の魔具だ。確かに、これがあったからこそ僕は見抜けたのかもしれない。
「言っておくが、薊も私も演劇部だったんだぞ」
「関係ねえ!」
「…………ふう」
「何だその溜息!」
どうして戦闘中にこんなことを言っているのだろう、僕らは。
「さて、そろそろ戦闘を終わらせるとするか」
その蓬の呟きが聞こえたとき、今までよりも速い斬撃が走る。長く続いていた均衡状態、その時の攻撃に慣れすぎていたのか、反応が遅れた。
体を横に逸らす。横腹が軽く切り裂かれたが、気にしている暇はない。右手のナイフを突き出し、同時に左手のナイフで薊のナイフを防ぐ。蓬は後退、薊は押し込んでくる。鍔迫り合いの形になり、僕が負けた。よろけはしない、踏み込んで、薊の懐に入る。
両方の間合いはほぼ互角。左のナイフを鞘に収納しながら右のナイフで弾きあう。火花が灯り散り灯り散り。
そして、十二合目で彼女の右手首を掴む。
――来た。
手首を捻ってナイフを取りこぼさせる。肘を逆の方向に力を加えながらだから、慣れていないとかなりきついだろう。事実、薊は痛みに顔を引きつらせて、ナイフも簡単に落としてくれた。次いで更なる行動。手首をこっちに引っ張りながら、僕の体も左肩を正面として踏み込む。激突の瞬間に手首を離した。
そして、左肩と左肘が、薊の小さな体に衝突する。ゴム鞠のように跳ねて転がる。
上手くいっていれば肋骨を何本か折っている。それもすぐに治癒されるだろうが、本命はそこではなく、痛みのほうだ。
手首を捻り上げたときの彼女の顔から察するあたり、痛覚は存在しているらしい。怪我という事実《、、》は治癒されても、痛覚という精神の傷は治癒されるものではない。そう見た。
その痛みもずっと続くのか一瞬で終わるのかは定かではないが。
「さて――とッ!」
ヒュン、と風を切る音。僕は右に転がる。転がりながら反転。
蓬の一撃は重い。速度は僕や薊と比べると遅いが、だからどうした、といわんばかりに。
それに、ナイフより格段に間合いが広い分、入り辛い。入ろうとすると、まさしくザックリいく。薊のときのように回り込もうとしても、その間合いが広い分、その外を行かなければならないからどうしても距離が遠い。一瞬でも視認されれば追われる。
どっちかというと、蓬のほうが苦手なタイプだ。
それに薊の攻撃も加われば、更に厄介に――端的に言うと勝てなくなる。
だからこそ、薊を遠ざけた。
一瞬でも一対一にするために。
突き、回転して石突で牽制、計百八十度回転して横薙ぎ、翻り逆向きに横薙ぎ、袈裟に斬り上げ、踏み込みつつ翻った袈裟斬り、横薙ぎ、横薙ぎ、横薙ぎ、突き――!
狙いのものが来た。
避けはしない。前進する。脇の下を刃が通っていく。微量の血が後方に流れる。柄を左手で掴み、引き寄せながら、右腕を振り上げる――。
「――あああぁぁぁっ!」
絶叫か、それに似た叫び。
逆手に持ったナイフが蓬の首元を刺そうとしたとき、防いだのは彼女の左手だった。手のひらにナイフの刀身が突き刺さる。確かな、人を刺した感触。
深々と突き刺さったナイフは無理矢理には中々抜けそうもない。右手を離して、蓬の腹を蹴って後退。
「はあ、はあ、はあ……!」
まさか、こんな反応をされるとは思わなかった。
血走ったような目。荒い、ただ刺されただけにしては荒すぎる息。胸元が激しく上下している。彼女はそのまま薙刀を離し、右手でナイフを抜いた。
形容するなら、ぐちょり、だろうか。体から異物が取り出される。その代わりに、その体から大量の血液が噴き出した。
蓬が両膝をつき、右腕も地面につける。
「お、おい? 早く止血しろよ……死ぬぞ」
刺した本人が何か面白いことを言っているようです(混乱気味)。
しかし、驚いたのは本心からだ。今の今まで冷静沈着泰然自若だった蓬がここまで取り乱すのが、とても異常なことに思えた。
さっきの言葉は聞こえているはずなのに、返事はない。本気で心配になって、駆け寄る。
半ばスライディングしながら彼女の横に付く。背中をさすりながら、顔を覗き見る。今にも吐きそうな表情。結局吐瀉はしなかった。が、かなり苦しそうだ。
「大丈夫か?」
「お前に言われる、台詞、では、ないな。心配してくれるのは、いいが……お前は、優しすぎる。何で、敵に、そこまで近づける……」
問うような眼差しが投げかけられた。
そんなこと聞かれたって、答えられるはずがない。なんと言えばいいのだ。心配しているわけじゃないんだからっ? 優しくなんかないよ? 敵味方関係ない?
僕は古典的ツンデレでもないし、優しさ成分が全くないわけでもないし、博愛主義者でもない。
「っはあ、はあ……大分落ち着いた、すまないな」
「いや……大丈夫ならなによりだ」
蓬は正座を崩したような座り方をする。さっきより落ち着いたは落ち着いただろうが、それでも表情はまだきつそうだ。背中をさする。
「何故私にそこまでするんだ?」
「僕に聞くな」
じゃあ誰に聞けと。僕、心の中で突っ込み。
「しかし酷い変貌ぶりだ。何かトラウマでも? ……ああいや、言わなくていい、詮索もするつもりはない」
「ありがとう」
素直に礼を言う蓬。華音とは大違いだった。比べるつもりはないけれど。
「自分でやっといてなんだが、出血が酷い。僕としては、さっさと帰ることをおすすめする。今治療しないと一生残る傷になるし、魔具使いを続けるならその支障にもなる」
「ご忠告ありがたい、実行犯。そうしたいところだが……お前はいいのか?」
「何が」
「私をここで殺さなくて。このままメルカを殺しに行くかもしれないぞ? もしそうでなくても、明日には人が四、五人死ぬ。もしかしたら、不意打ちでお前を刺すかもしれない。それでも?」
「それでもだ」
「何故」
「信じているから……なんて豪語するわけではないが。お前は、正々堂々だと、武士道精神だと、自ら言ったじゃんか」
「……ははっ」
乾いた笑い。と、馬鹿を見る目。
二つ目おかしいから。
「……そうだな。お言葉に甘えよう。薊、いつまでも突っ立ってるな、行こう」
蓬が立ち上がる。まるで血の滝が上っていくかのようだった。薊が僕の背後に立っていたのは気配で察知していたけど、何もしてくる様子はなかったから放っといたのだが……気配が、動かない。
「薊」
「ココで雷兎を殺す」
「薊……」
「雷兎を――」
「薊!」
びくっ、とが一番似合うような驚き方。僕も立ち上がって、薊のほうを見る。
怯えるような目つきで蓬を見ていた。
「私のいうことを聞いてくれ。今ここで、彼は殺さない。いいな」
「…………」
薊は落ち込んでいるようだ。僕の選択肢……どうする? 回答……どうもしない。
なんか、お母さんにしかられた子供みたいだ。いじらしい可愛さがある。
そして、二人は歩いていった。気付けば空はもう暗い。二人の影は、濃いけど薄かった。
「あ……そうだ」
と、立ち止まる蓬。そのまま振り返る。左手から血が滂沱と流れていたのがやけにシュールだった。というか止血しろよ。せめてなんかで縛れよ。
「どうした。ベルト貸そうか?」
「……私は丈夫だから大丈夫だ」
明らかに引き気味に喋るな。そしてよくこのジョークが理解できたな。そして丈夫だから大丈夫って字的になんか面白い。
「……その、だ。一つ聞きたいことがあるんだ」
「ほう」
「……必ず答えてくれよ」
「誓う」
「正義とは一体何だ? そこに――意味はあるのか?」
またいきなりだなおい。しかし、必ず答えるといったもんな……どう答えるか。暫く逡巡。
「……分からねえよ」
結局それに落ち着いた。
答えになってないが、それが僕の答えなのだから仕方がない。そしてそれを聞いた蓬は、溜息をついて、言った。
「宿題だ。次に会うまでに答えを考えておくこと」
翻り、歩いていく。その歩き方は綺麗なもので、背筋もぴんとして、堂に入っていた。たださっきと違うのは、右腕で左手首を握っていたことだ。一応止血に……なるのかな?
「…………ふう」
いつの間にか、そう……本当にいつの間にか、戦いは終わっていた。
しかし、正義とは何かときたか。
「……どうなんだろうな」
独白に答えるなんて殊勝なものは僕の周りにはいなかったようだ。
彼女達の背中を見送りながら、僕も背中を向けた。