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詩集

──味噌汁は異端かい?

作者: 山田りく
掲載日:2026/07/28

僕のスープは コンソメの琥珀

私のスープは ポタージュの白

それぞれのスプーンですくいあげる

小さな優しさと 一日の終わり


世界のスープは 海を越え

ボルシチの赤や トムヤムの酸味

国境なんて 器のふちで

簡単に溶けて混ざり合うのに


我が家のスープは どこか不格好で

昨日の残りの野菜たちが

いびつな形で手をつないでいる

それでも、いちばん心がほどける場所


ねえ 味噌汁は異端かい?


お椀という名の 小さな宇宙で

大豆の命が 発酵の旅を終え

昆布と鰹の腕に抱かれて

温かい湯気を立ち上らせている


カタカナの名前は持たないけれど

スプーンではなく 両手で包むけれど

これも立派な 僕たちのスープ


異端だなんて 言わせない

それは日本の土が育てた

いちばん深い 愛のスープだから



規格外の配給汁


僕のスープは 青い色の栄養素(ロットA)

私のスープは 灰色の繊維質(ロットB)

効率だけが計算された灰色のテーブル

そこには記号化された 僕たちの生存がある


世界が配給するスープを見渡せば

無菌室の合成液 カプセル混入の温水

徹底管理された生命維持のクルトン

誰もが我が家という「かつての概念」を忘れていく


「ねえ、味噌汁は異端かい?」


監視カメラの隙間で 君が震える声で呟いた

異端だ あれは完全に違法な存在だ

お味噌が不均一に溶けるその瞬間は

この徹底されたシステムに対する反逆そのもの


濁った出汁は 禁じられた大地の記憶

湯気の向こうで不規則に揺れるワカメと豆腐は

均一化を拒む 最後の抵抗者たち


コトコト煮込むお鍋は 探知機に引っかかるノイズ

トントン具材を切る音は 夜の静寂を破る警告音

僕のスープも 私のスープも

世界のスープも すべては配給のコード


だけど あの一椀の味噌汁だけは

僕たちの中に残された 最後の「人間」の熱量



融和のスープパレス


僕のスープは 光を湛えた黄金のしずく

私のスープは 虹を溶かした甘いしずく

争いの消えた純白のサークルテーブル

そこには歓喜で満たされた 僕たちの楽園がある


世界のスープを見渡せば

満天の星を映す器 歌うスパイスの泉

すべての人に無償で注がれる愛のクルトン

誰もが我が家という名の 大いなる世界に抱かれている


「ねえ、味噌汁は異端かい?」


満たされた静寂の中 君が微笑みながら問いかける

異端なはずがないじゃないか

お味噌が優しく溶け広がるその瞬間は

この世界の調和を完成させる 最後のピース


お出汁の薫香は 地球が育んだ祝福の記憶

湯気の中で軽やかに舞うワカメと豆腐は

完璧な円環を描く 楽園の踊り子たち

コトコト響くお鍋は 命の誕生を祝うハープ

トントン刻むリズムは 幸福を約束する鐘の音


僕のスープも 私のスープも

世界のスープも 我が家の味噌汁も

すべては一つの大きな海へと還る

境界線などどこにもない 

永久とわのスープなのだから



最果てのレシピ


幾千の夜を越え 幾百の砂漠を渡り

文明の瓦礫をかき分けて 僕らは歩き続けた


富も、名誉も、約束された未来も

すべてが塵へと還った この世界の果てで

手に入れたものは 輝く宝石でもなく

不老不死のテクノロジーでもなかった


それは、君の作った 一杯の味噌汁

ちっぽけな旅の終着点

錆びついたクッカーから立ち上る湯気


世界の終わりの冷たい風を

そのひとすじの温もりが 静かに押し返していく


お味噌がゆっくりと溶けていくお椀は

かつて僕たちが失った 青い地球のミニチュア

不揃いなワカメと豆腐が

壊れた世界の中で 確かに生きている僕らの鼓動


すするたびに 五臓六腑へ染み渡る

お出汁の優しさと 慣れ親しんだ我が家の記憶

「美味しいね」と笑う君の顔を見たとき

僕は生まれて初めて 

世界のすべてを手に入れたのだと知った


僕のスープも、私のスープも、世界のスープも

このあたたかい一滴の前には すべて幻


世界の果てで 僕らの命は

一杯の味噌汁によって もう一度ここから始まる



創世のミソ・スープ


星々が燃え尽き、次元の壁が崩壊し

すべてが混沌のスープへと還元されていく


宇宙の終焉、その特異点シンギュラリティ

世界は静かに、ひとつの大いなるお椀となった


溢れ出す濃厚な出汁は、ダークマターの奔流

漂うワカメは銀河の星雲、豆腐は結晶化した時空の破片


すべてが均一に、だけど不条理に混ざり合っていく

世界が味噌汁で満たされる時


それは、終わりの鐘ではなく

始まりの味噌ビッグ・ミソなのかもしれない


ドロリと溶け合う大豆の遺伝子が

冷え切った虚無の空間に、かつてない熱量をもたらす


沸き立つ泡のひとつひとつが

新しい生命の、新しい「我が家」の種子シードとなる


僕のスープも 私のスープも 世界のスープも

すべてはこの原初の味噌汁から分かたれた

さざ波に過ぎなかった


熱い湯気の向こう側で、新世紀の夜明けが薫る

君と手を繋ぎ、この琥珀色の海に深く身を沈めよう


僕たちは今、世界という名のスープそのものになり

まったく新しい生命の歴史を

お椀の底から、もう一度ドロドロと始めようとしている



異端のすゝめ


すべてが味噌汁で満たされ 均一化された新世界

誰もが同じ薫りをまとい 同じ温もりに融け 個を失った

完璧な調和 完璧な平穏 完璧なディストピア


そこは 誰も迷わない代わりに 誰も思考しない琥珀色の泥濘

その大いなるお椀の底で 僕らは気づいてしまったのだ

かつて「我が家」と呼んだあの味は すべてが混ざり合った全体システムのことではなかったと


それは世界のスープという

他者ちがいがあって初めて

愛おしく際立つ「異分子」の輝きだったのだと


だから僕は お椀の表面に爪を立てる

君は融和のスープに一滴の冷水を落とす


すべてが味噌汁になった世界で

僕らはもう一度

ただの「僕」と「私」に戻るために

この退屈な楽園の調和を拒絶する


均一なスープの海に

僕らはあえて不均一な境界線を引こう


そして、味噌汁は異端になる

システムを揺るがす 孤高のノイズとして

支配に抗う 最後の人間らしさの体温として


僕のスープと私のスープを取り戻すため

僕らは再び あの美しき「異端」の暖簾を掲げるのだ。



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