恋能なんて知らなかった。
※本作は「恋が力になる世界」を描いた学園バトルです。
気軽に楽しんでいただけたら嬉しいです。
四月。
春の空気は、暖かいのか寒いのか分からない、曖昧な温度をしていた。
新しいクラスの教室に足を踏み入れた俺は、今年も同じ光景を見て、ほんの少しだけ肩をすくめる。
俺――
**男前崎五右衛門**の周りに、
自然と“半径一メートル”ほどの空白ができた。
(……またか)
誰かが意図して避けているわけじゃない。
ただ、俺の名字を見て、噂を思い出して、無意識に距離を取る。
それだけだ。
――父親が元・極道らしい。
もちろん、事実じゃない。
親父はただの元職人だし、家も普通だ。
名字が少し珍しいだけで、勝手に話が膨らんだ。
訂正する気にもならなかった。
人は、信じたいものを信じる。
(慣れたけど……やっぱ、面倒だな)
空いている席に向かおうとした、その時だった。
「おまえざきくん! 同じクラスだね!」
ぱっと、視界が明るくなる。
声の主は、
太陽みたいに明るくて、少しだけギャルっぽいけど、柔らかい雰囲気の女の子だった。
日向澪。
クラスの男子に人気で、女子にも分け隔てなく接する。
誰とでも自然に話せる、本物の“陽キャ”。
そんな彼女が――
まっすぐ、俺のところに来た。
「よろしくね!」
「……あ、ああ。よろしく」
距離、近くないか?
久しぶりに女子とこの距離で話したせいか、心臓が妙に騒いだ。
(なんだ……これ)
初対面のはずなのに。
胸の奥が、ざわつく。
懐かしいような、気まずいような――
説明できない違和感。
(……前から、知ってる気がする…)
理由は分からなかった。
放課後。
「プリン食べたい! ほら、行こ!」
「なんで俺!?」
澪は当然のように俺の腕を掴み、そのまま引っ張る。
周囲のクラスメイトから、「え、あの男前崎と?」みたいな視線が刺さった。
(いや、俺だって驚いてる)
コンビニに入ると、澪が急に小声になる。
「ねぇ、おまえざきくん……あの子、怪しくない?」
棚の前で、フードを深くかぶった女子が、
店員に「今日可愛いっすね〜♡」なんて軽口を叩きながら、
お菓子をバッグに滑り込ませていた。
(……万引き)
次の瞬間、俺は目を疑った。
少女の瞳が――
桃色に、きらりと光った。
「お姉さん、ほんと可愛い♡ 今日会えてよかった♡」
店員の顔が、ぽーっと赤くなる。
(いや待て。おかしいだろ)
ただの雰囲気じゃない。
これは――
(超能力……?)
少女は何事もなかったかのように店を出た。
「追っかけよ!」
「なんでそうなる!」
澪に腕を引っ張られ、路地へ。
「なんで追ってくんのよ、アンタら!!」
少女は舌打ちし、こちらに手を向けた。
「恋魅了」
ピンク色の光が、澪に向かって広がる。
「や――」
考えるより先に、俺は澪を引き寄せ、
少女の腕を掴んだ。
その瞬間だった。
光が、
砕けることも、弾かれることもなく。
ただ――
“無くなった”。
不自然なほど、静かに。
「は……?」
少女が目を見開く。
「なんで!? 魅了が効かない!? なんで!?」
「知らねぇよ!」
少女は、その場に崩れ落ちた。
俺の頭上。
ビルの屋上から、こちらを見下ろす視線があった。
白いスーツに、長い黒髪。
双眼スコープを構えた女。
――恋能庁・特庁恋能保安課。
通称《恋保》。
黒川 園美。
(……未覚醒で、魅了無効)
(本当に存在したのね。特異点)
その呟きは、誰にも届かない。
この日、俺はまだ知らなかった。
“恋能”という、
恋が力になる世界の扉を――
勝手に、開いてしまったことを。
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